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    ニウカ

    @nnnnii93

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    ニウカ

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    墓場鬼水
    死に際に思い出し重ねるだけの話

    #墓場
    cemetery

    移ろい「西洋梨……変わった食べ物が増えてきたなあ」
     昨今フルーツは生食の時代にあります、と続くナレーターの声に反応した水木は、醤油煎餅を齧りながら「味も普通の梨と違うのか」と誰に問うわけでもなく重ねた。
     鬼太郎は庭先で七輪に炭を焼べており、それがどんな梨であるか分からない。ただ、完熟した際の甘みが素晴らしいという説明や、水木の度重なるひとりごとが耳をくすぐる。
    「ひとつ、買ってきてくださいよ」
     白くなった炭を視認して団扇を扇ぐ。夕刻の涼やかな風が、細かな灰をふわりふわり巻き上げた。
    「そう簡単には手に入らんらしい。山梨でしか栽培してない」
    「ちぇっ」
     とはいえ、人間は美味しいものや新しいものに敏感だ。とりわけ肥えた東京人が西洋梨に目をつける日も遠くない。たった数十年もすれば近所の八百屋にも並ぶだろう。
    「ねぇ炭、そろそろ」
    「ありがとう。あとはやる」
     水木が腰を上げたので火箸を手渡す。かなり熱くなっていたようで、アチ!とらしくもない大声をあげた。それを脇目に縁側へ腰掛ける。
    網を乗せた水木が「秋刀魚、二匹でいいか」と聞く。網の上でじゅうじゅう音を立てる細長い三匹を見つめた。
    「おじさんは一匹?」
    「まあ。買えたのがこれだけだから」
     脂が滴って炭が踊る。それじゃあなんだか割り切れないと思った。自分が先に二匹くださいと欲しがるならまだしも。ふと、想像上の西洋梨がころんと転がる。まるでそれが正解とでもいうように、軒先に吊るしたままの風鈴が鳴る。
    「梨が買えたらお返ししますよ」
     ついでにぼくも食べてみたいし、とは口に出さない。水木は一瞬目を開き、秋刀魚に視線を落としてから肩の力を抜いて笑った。
    「なにか間違えましたか?」
    「いいや」
     ふふ……ともれる吐息。魚が焼ける良い匂いを纏った水木がのどかな調子でいう。
    「それまで覚えてられるかな」



     読み通り、スーパーには多種多様なフルーツが売られるようになった。西洋梨は「ラ・フランス」というらしい。可愛い彼女と買い物をしてるとき、ふいに「梨返しの約束」を思い出して顔を顰めてしまった。
     今日は絶対最後までできるとふんだ彼女は、夕食後にあっさり帰ってしまったので、梨をひとつ持って病室へ向かう。扉を開くと消毒液と清潔なシーツの匂いが混ざって鼻をつく。
    「忘れていたらよかったんですけど」
     ハイこれ、と差し出した。水木は仰向けに寝転んだままぴくりともしない。どこか咎めるような目線だけは強く鬼太郎の顔に降り注ぐ。
    「……えっと。どうも。お久しぶり、です?」
     まずは挨拶するべきだっけ、と思い直した。それでようやくひび割れた色のない唇を動かした水木は「四十五年」と、掠れた声でいう。
    「それって人間には長いのかなァ」
     声を出さない代わりに、水木に繋がれた様々な機械たちがピコピコ返事をする。あれまあ。だめかも。この人はもう皺くちゃの指先ひとつ動かせないし、口元は酸素注入のためマスクで覆われているし。多分健康な歯もない。
    「失礼しました。もう不要でしたね」
     握っていた梨を水木の目の前に持って行く。特段反応もないので、お互い無駄足だったなと少なからず落胆した。折角ならば持ち帰って食べてしまおうか。ぼくひとりで。
    「…………潰せ、汁、飲む」
     勝手に酸素の機械を取り外した水木は、ゼェゼェ荒い呼吸を繰り返す。数十年ぶりに音を発したような言葉は、あの日のひとりごとと同様に鬼太郎の鼓膜を微かに揺さぶる。
     果実を持つ手を水木の口元へ運び、ぎゅうと絞る。掌からしとどに溢れる果汁が腕を伝い、老人のくちびるに垂れる。開いた隙間から薄い舌が伸びた。じゅわり。舌先に溶けるしずく。
    「あまいな」
     水木はふ、と眉を緩めた。そして栗色の前髪の隙間からのぞく、大きな両目をしかと見据えて「もういく」とだけいった。
    「そうですか」
     果汁が乗った唇を親指でなぞる。水気で僅かに潤い、指圧で赤色を取り戻したそこは、数十年前と何も変わっていないように思えた。ただそこに変わらず在り続けるもの。例え消失の間近にあっても。
     鬼太郎は小さく息を吸い、唇を重ねる。ふう、と呼気を送ったところで返ってくる厚い舌はない。かつて熱く濡れた粘膜は、急速に温度を失ってゆく。ただとびきりあまい果汁だけが二人を繋ぐ。「おじさん」重ねたまま呼んだ。眠るように閉じた瞼が痙攣する。自分の舌先に、現世を飛び出そうとする魂が当たっている。丸い魂を「少しだけ舐めていい?」貴方自身も梨のように甘かったのか確かめたくて。
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