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    ニウカ

    @nnnnii93

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    ニウカ

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    墓場鬼水+恋する女
    不意に触れようとして大火傷した話
    女性は水木に恋していた

    ※ 5/5に出す短編集の一篇です

    #墓場
    cemetery

    あなたさえいれば 会社の人たちは水木さんのことを「いい加減な男」や「でくのぼう」だと陰で揶揄しているけれど、果たしてそうだろうか。
     確かに日がな一日、目まぐるしく駆け回る営業の同僚や出世欲まみれの宴席好きな上司とは違い、出社直後に自席でゆっくり一杯の緑茶を飲む姿は男らしさに欠ける。埃が溜まる隅の席で大して会話もせず、黙々と書類をまとめる姿はまさに窓際族そのもの。
     かくいう私も入社当時は「目立たなくて大人しい人」くらい薄い印象で、噂好きな事務の先輩から「水木さんってあんな年寄りみたいなのに、まだお若いし独身なのよ」と聞いた時には素直に驚いた。てっきり自分よりもうんと年上だと決めつけていたからだ。彼女の「あなたなら嫁にもらってくれるんじゃない?」という言葉には水木さんへの軽い侮りが含まれていて、いわゆる退屈しのぎ程度に弄れる格好の的なのだと知った。

     彼と初めてまともに話したのは、給湯室で熱湯をこぼしてしまった時だった。皆がすぐに珈琲や茶が飲めるよう、絶えず湯を沸かしておくのもお茶汲みの仕事である。その日は大量のコピーに手間取り上司に叱られたせいでぼうっとしていた。ピーピー高音で鳴くヤカンの吹きこぼれが手に滴り落ち、ようやく火を止める。あつい。いたい。見ると、手の甲が真っ赤に腫れている。痛みと情けなさに視界がじんわり滲む。
     すると右隣から「失礼」と誰かに手首を掴まれ、そのまま冷たい流水を浴びた。
    「え、なに」
    「すまない。我慢してくれ」
     高いところから声がして見上げ、水木さんとまともに目が合った。ばつが悪いのかすぐに逸らされ「冷やさないと傷になると思って」と言い訳のように口ごもる。咄嗟に「いえ! 助けていただきありがとうございます」と妙に畏まって述べると、うっすら微笑んで「そう。よかった」と短く答える。
     ゆったり紡がれる落ち着いた声。成人女性をすっぽり覆えそうな体躯の良さ。
     そしてなにより柔和な目付きを湛えながら、腫れた箇所を冷水に浸し続けるために手首を支える力は強く、躊躇いがなくて心臓が脈をうつ。紳士的な振る舞いに反する、非力な女が太刀打ちできそうにない男の腕力。私は顔の火照りを隠しきれなくなり「あの、手……もう」と絞り出す。
    「ああ! ごめん、痛むかな」
     すかさずぱっと離される。おろおろ泳ぐ目と自信なく狼狽える水木さんは、上司に怒られているいつもの姿と全く同じで私はいくらかほっとした。
     それから新しい水をヤカンに入れ直して沸くまでの間、短く言葉を交わしつつ最後までそばにいてくれた。時々目線を落として私の手の甲を確認しながら。無事に彼の湯呑みにも緑茶を注ぐと、小さな井戸端会議は解散した。
     上司に淹れたての珈琲を配膳し、またもや耳までかっと熱くなる。気づいてしまったのだ。手首に残る太い五本の指の跡に。ブレスレットのように巻きつく赤色は「でくのぼう」が秘めた私への執着にすら思えてしまい、身も心も縛られる。


     顔見知りとなった私たちは、休憩と題して頻繁に給湯室で会話をした。
     近所の安い八百屋、鮮度のいい魚屋、新しくできた喫茶店のおすすめメニュー、美味い煮付けの作り方。なるべく仕事以外の話をふる私とどんな話題にも頷いて聞いてくれる水木さん。
     彼は一人息子を養っており、生活のお得な情報や知恵にはとても興味があるようだった。息子がいると聞いた時は内心大袈裟なまでにがっかりしたし、奥様とは別れていると聞いた時には希望が宿った。
     それくらい彼との日々を楽しみ、いつしか切望するようになっていた。若い女がはしたないと言われようが、私は彼のプライベートを隅々まで知りたい気持ちを抑えられない。

    「あの水木さん。もしよろしければ……お休みの日に例の喫茶店へ、いかがでしょうか」
    「はぁ……ええ? 僕が?」
     目を丸める水木さんに一歩近寄り「はい。ぜひ」とたたみかける。たったそれだけで瞬きの回数が増える彼は、私の予想通り押しに弱い。
    「貴女のような若者の隣に並ぶなんて恥ずかしいよ」
    「そんなことはありません。もしかしてお嫌いなんですか? 私のこと」
     狼狽する彼の手を取る。いつかのように私の手首を強気に掴み取り、こちらの静止すら聞かず走り出すくらい、強引でちょっと恐ろしいあなたに会いたいの。きっと私しか知らない水木さん。
     けれども彼は質問には答えず「生憎、息子を一人にできませんから」と振りほどく。私が距離を詰めた分だけ後ろに引き下がって「……何度かお話ししておりますが」と切り出す。
    「あの子の世話は僕にしかできないのです。分かっていただけますよね?」
     滑り出す言葉には、こちらを切り捨てる重圧がこめられていた。私は背骨の一本ずつが急に伸びたかのように緊張する。今、彼は私から全く目を逸らさずに線引きを可視化してみせた。一歩すら近づくことができないように。
     なぜ?
     私たちの会話はいつだって滞りなく、朗らかで、理想に完璧だった。私ばかりが舞い上がっていたなんておかしいじゃない。貴方だってそうだよね。そうあるべきはずだよね。惨めで悔しい。私は水木さんを理解しているのに。脳内でヤカンがぐらぐら沸騰して湯が噴き出す。コピー機が吐く真っ黒な用紙が心臓を埋め尽くす。


     水木が定時に上がり、買い物以外ではどこにも寄らず帰宅することはとうの昔に把握している。世間では賑わう金曜であってもいつもと同じ時刻の電車に乗り、古めかしい町屋に帰宅する。私はよく堂々と後ろを歩いたが、ついに一度も咎められなかった。
     水木は他人に興味がない。私はその他人の中でも多少喋りやすい人間なのであって、特別な情なんてはなから存在してなかったのだ。であれば、親しみを向けないでほしかった。不要な優しさは毒と変わらない。もう二度と目の前に現れないでほしい。願わくば私の言葉を素直に聞き入れ、右手に握ったコレの出番がないまま終わればいい。

     電柱の陰で二階の明かりが消えるのを待った。家はとても静かだった。男が二人も住んでいるとは思えないほど生活音がない。辺りが暗くなったせいか得体の知れない不気味さを感じ取り、手汗で滑る包丁の柄を握り直す。その度に刃物という異質な存在を持ち出した自分自身の狂気に目が回りそうになったが、これは私にしかできないと言い聞かせて歯を食いしばる。
     日付が変わった頃。ふと、明かりが消えた。

     ドンッ!!

     何かを強烈に床へ投げつける音。「オイやめろ!」怯えて怒鳴る。水木だ。相手の声は聞こえない。「よせ、もう」バシン!!と叩く。唸り声。「昨日で最後だと、いった、だろ…」言葉尻が弱々しく掠れて悲痛さが増す。聞き取れたのはそこまでだ。
     以降は激しい打撲音や食器の破裂音が断続的に続き、徐々に静寂を取り戻してゆく。心臓が壊れるほど高鳴る。ドクドク流れる血流に冷や汗がとまらない。すぐ間近で起こった乱闘に追いつけない頭。滑り落ちた包丁が勢いよく地面に突き刺さると同時に、二階の窓がガラガラ音を立てる。
    「こんばんは。可愛らしいお嬢さん」
    「……ヒィッ」
     開け放たれた窓に頬杖をつく若い男は、にっこり笑って私を見下ろしていた。あんなに大騒ぎをしていたのに前髪が少し乱れた程度で体に傷ひとつない。男は半裸であった。こんな冬場に不健康なほど白い上半身を外気に晒して寒くないのだろうか。異常事態にますます脳が処理を放棄し、固まってしまう。
    「ようやく会えました。何度かウチへいらっしゃいましたよね。ぼく、貴女のように一途で熱心な女の子が大好きなんです。嬉しいなァ。何か御用ですか? 温かいお茶と美味しいお菓子を用意させましょう」
     足が震えて力なく座り込んだ。まるでお茶会に招いた貴婦人に話しかけるかのような歪な丁寧さが、むしろ異次元な恐怖を植えつける。私の反応などお構いなしにぺらぺら回る口は心底嬉しそうで裏がない。この男は本気で私のことを歓迎している。
    「ヒヒ。二階へいらっしゃい、お嬢さん」
     歯並びの悪さが目立つ満面の笑み。会話をせずとも分かる無邪気な邪悪さ。水木……水木さんはきっとこの男に狂わされてしまったのだ。この悪意の塊に世話を強いられ、私のことを放っておけと命令された。沸々と込み上げる怒りに任せ、喉を震わせる。
    「水木さんはどこなの!?」
     途端に男は片眉をあげてため息を吐く。「オジサン。手でも振ってあげたらどうです」と起伏なく呟くが、返ってくるのは沈痛なくぐもった呻きのみ。今すぐ助けたいのに足腰は言うことを聞いてくれない。
    「どうやら出られそうにないみたい。相変わらず体力がないぜ……。さあ、遠慮なさらず」
    「戻して。はやく戻して。私は彼が欲しいの」
     もはや、男の挑発に付き合う気力はなかった。力尽きて項垂れそうになる。彼と出会った後悔と思い出の中で輝く給湯室が私を激しく責め立てる。
     そのうちぷつん、と音がして涙が濁流のごとく押し寄せた。自分の嗚咽で溺れそうだ。滲む視界の先でぼんやり浮かぶ不愉快な男に「もうあなたに水木さんは必要ないでしょ……」と訴える。
    「そうですね。そのうち要らなくなる」
     男は存外、素直にこたえる。
    「でもまだ、満足には程遠い」
     白く大きな目玉が、家中のだれかを捉えて鋭利に睨みつけた。暴行を受け物言わぬ彼が、必死に支配から抵抗をしている気がした。そのとき、男の瞳孔がきらりと赤く煌めいてうっそり細くなる。その表情があまりにも艶めいており目を覆いたくなった。生々しく紅潮する頬、半開きの唇から滴りそうな涎。その視線の先にいる者を私は──知りたくもない。
    「ぼくは、この人の精気が美味くて手放せないんだ。この意味がわかるよネ? 小娘」


     逃げるように夜道を走り抜ける。
     ようやく正気を取り戻したのかもしれない。手を出したのが間違いだったのだ。きっと誰もがまともじゃない。穢らわしい。憎らしい。この気に及んでもまだ彼の困ったような笑みが忘れられない。あり得たかもしれない。彼と共に笑い合えた、かけがえのない素晴らしい未来が。
     いずれあの二人には相応の不幸が訪れるだろう。恐ろしい。呪われてしまえ。そろってお似合いの、化け物どもめ。
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