酔っ払った愛弟子が泣きべそをかいて教官に甘える話アカツキのハンター就任を祝い、宴が開かれた。
元来がお祭り好きで何かに付けては祝って酒を飲むのがカムラの民である。要はきっかけは何でも良くてただ騒ぎたいのだ。百竜夜行の気配が高まる中であったが、景気づけということで催されたのだった。
師であるウツシとしても鼻が高い。成長振りや修行中の面白おかしい話など、彼を一番近くで見てきた者として話題に欠くことはなく、自分の愛弟子について気分良く語っていた。
はて、そういえば当の本人はどうしているのか。
宴の主役の姿が見当たらず視線を巡らせると、飲まされ過ぎたのか座敷の壁際に転がされている。主役のはずが随分な扱いだ。
「大丈夫かい?愛弟子」
「ゔゔぅ…きょうかん…」
「君、まだお酒は慣れてないだろう?無理して飲まなくていいんだよ」
「すんません…」
ひとまず水を飲ませようと上半身を起こしてグラスを手渡してやると、ぐびぐびと飲み干すとまた倒れ込んだ。
真っ赤な顔で虚無を見つめる愛弟子の頭側に腰を下ろし、壁によりかかる。そういえば、話を聞きたがる人たちに囲まれて、まだ祝いの言葉を言えていなかった。
「俺からも改めて言わせてくれ。愛弟子、ハンター就任おめでとう。君は俺の自慢だよ」
「…うっす。アンタにそう言って貰えるのが一番嬉しいな」
わしわしと頭を撫でて褒めると真っ赤な顔をくしゃりと歪めて笑った。幼い頃と変わらない笑顔に湧き上がるものがあった。
ハンターを目指したとて、その入口に立てるものすらごく一握りだ。多くはその前に心を折られるか、死んで自然の糧となる。絶対である自然の理に立ち向かっていけるよう、服の端を掴む柔らかい手を引いて導いてきた。
幼い頃アカツキはよく泣く子だった。修練中は常に鼻をすすっていたし、やれケルビに踏まれただの迷子になっただの、ことある毎にびぃびぃ泣いていた。
それが今やどうだろう。ひたむきに己を鍛え、教えを我が物にして、今日まで生きてウツシの背を追いかけてきてくれたことの何と嬉しいことか。
「でも、君が巣立っていくと思うと少し寂しいかな」
「……すだつ?」
「そうだよ。君はもう一人前になったんだから、師弟じゃなくて対等なハンターとして、これからは一緒に戦っていくんだ」
「………いちにんまえ」
酒精に浮かされたふにゃふにゃした笑顔が一転、スンと表情が抜け落ちた。
「…………やだ」
くっと眉間が歪み、潤んだ目から一滴雫がこぼれ落ちた。
「まっ、愛弟子?」
「おれ、いちにんまえのハンターになんなくていい…」
「愛弟子!?!?なんで!?どうしたの!?あああ、泣かないでくれ愛弟子ぃ!!」
朝焼け色の瞳からどんどん水滴が溢れ、枕代わりの座布団し染み込んでいく。最近はめったに見ることのなくなったその表情に動揺してしまった。
とにかく落ち着けようと小さい頃そうしたように、とんとんと背中を叩きながら理由を尋ねる。そうするとアカツキはつっかえながらもぽつぽつと喋り始めた。
「だって…そうしたら教官は、オレの師匠じゃ、なくなるんだろ」
「まだいっぱい、教えてほしいこと、あんのに、狩りだって、もっと一緒に、行きたいのに…」
ウツシは片手で目元を覆い、スッと天井を仰いだ。
素直さはあっても我儘や甘えを言わない愛弟子が。成長してからは泣き顔を見せることもなく、強気な態度を取るようになったあの愛弟子が。
子どもに戻ったようにえぐえぐと泣きじゃくり、行かないでというようにウツシの肩布の端を掴んでいる。まだ傍に居たいから独り立ちしたくないという。
多分今ものすごくだらしない顔をしている。口の端はふにゃふにゃ歪むし、顔が熱くてまさに火が出そうだ。恥ずかしくて覆った手を外すことも前を向くこともできない。
愛弟子がかわいい。成人も過ぎて、上背も筋肉もあって、眼光鋭く凛々しいと評されるような青年を形容する言葉ではないだろうけど言わせてほしい。
愛弟子が、ものすごく、かわいい。
「…教官?」
「うん」
天井を仰いだまま微動だにしないウツシを怪訝に思ったアカツキが呼びかけるが、一言返事するのが精一杯だった。
「その、ごめん。こんな情けねぇこと言って…みんなオレのこと祝ってくれてんのに…」
それを呆れと取ったのか、申し訳無さそうに謝罪をしてくる。落ち込んだ愛弟子もかわいい。どうやら一度脳みそに張り付いた愛弟子かわいいフィルターはそう簡単には外れないらしい。
「んん"っ…あー、そうじゃないよ愛弟子。じゃあ、一つ訂正しよう」
口布を引っ張り上げ緩んだ口元をなんとか隠す。どうにか真面目な表情を取り繕ってアカツキと目を合わせた。目にかかる髪を払い、地肌を撫でるように髪に指を通す。
「君が一人前のハンターになっても、俺の愛弟子であることに変わりはないよ」
「…一人前に、なっても?」
「そうとも」
涙の膜の奥で朝焼けが揺れている。
「君がどんなに強く立派なハンターになっても、俺と君が師弟であることは変わらないだろう?だから、例え古龍を倒せるくらい強くなっても、君は俺の愛弟子だ。困ったらいつだって頼ってきなさい」
「っ…ぎょゔがん"ん"ん"〜〜」
ボロボロと大粒の涙を零し、頭を撫でていた手を抱き込むようにしがみつかれた。
「オレぇ、ずっと教官の愛弟子でいるゔゔぅぅ…」
「はいはい。…っこら!鼻水をくっつけるんじゃない!」
ずずっと鼻をすすりながら肩口に頭を押し付けられる。なんとなく粘ついたものがついたような気がするが、それすらもかわいく思えてきたので好きにさせた。
泣いたことで酔いが回ったのか、アカツキはそのまま寝落ちた。ウツシの腕を手足で抱き込んだ状態で。どこかの祭で子どもがこんな猿の形の人形をくっつけていた気がする。
「アカツキさんが泣くなんて久しぶりに見ました。かわいい泣き顔していましたねぇ」
「姉様、アカツキさんも立派な男性です。泣き顔がかわいいなどと流石に失礼ですよ」
「うふふ。そう言うならカメラを仕舞いなさい、ミノト」
「ほっほっほ!仲良きことは美しきかな、でゲコ!」
「ウツシもなかなか面白いことになっておったな。ミノト、そちらは撮っておらんのか」
「はい里長。ぬかりはありません」
冷静になれば、今は宴の真っ最中だ。昔からウツシのこともアカツキのことも知っている者たちが、良い物を見たと言わんばかりにニコニコと見つめてくる。
───これは、逃げるのが得策かな。
「うん、愛弟子がこれではもう宴には出られないね!しかも俺のことを離してくれないようだ!ははは全く仕方ない子だなぁ!里長、アカツキを家に送り届けるため、俺もこの場にて失礼いたします。それでは!」
「…逃げたか」
「逃げたでゲコね」
「逃げましたね」
「あらあら」
**********
───翌日
「う"う"う"う"う"あ"あ"あ"あ"…」
ウツシ宅には地獄の怨嗟かと見紛う呻きをあげる布饅頭が出来上がってた。
「愛弟子ー、いい加減出ておいでー。ルームサービスさんが困ってるよー」
「嫌だ…もうオレはここから出ねぇ…」
「そうか…なら仕方ないな」
布団の塊ごと持ち上げ、ばさばさと振ると中身はぼてっと落下した。そして敷布団の上からも転がしてどかし、手早く布団を畳む。クエストクリアだ。
「ああぁぁぁ…くそっ…ひでぇことしやがる…」
転がした先で両手で顔を覆い体を丸めてまたあーうー呻きだした。
「もうオレのことは放っといてくれ…」
「まずここ俺の家だけどね」
引き渡した布団をルームサービスのアイルーが器用に物干し竿に掛けていく。今日は天気がいいからふかふかの布団で寝られるだろう。
ふと昨夜の愛らしい様を思い出してすこしからかいたくなった。
「にしても放っといてくれなんて、連れないことを言うじゃないか、愛弟子。昨日は『ずっと教官の愛弟子でいる♡』なんて言ってくれたくせに」
「なっ!?そんな風に言ってねぇ!!」
声のトーンを上げ、女の子がシナを作るように昨日の科白を言えば、真っ赤な顔で睨みつけてきた。思ってた以上に面白い。
「さて、今日は俺も暇を頂いているし、午後から軽く狩りにでも行こうか。まだ教えてほしいことがあって、一緒に行きたいんだろう?」
「ぎょゔがん"ん"ん"ん"」
ニヤニヤする顔を抑えられずに更に昨日の言葉を引用すれば、血を吐くような唸りも加わって思わず笑ってしまう。
命を掛ける戦いの傍らで、彼と腹を抱えて笑うような、そんな生活がこれからもできたらいい。互いにどんな時も生きて帰れると思うほど甘い考えは持っていないが、それでもその願いを心の内に抱くことくらいは許されるだろう。
彼の成長を、喜びを、一番側で見ていたい。苦悩を、失敗を一番側で分かち合いたい。
なぜなら彼は俺の愛弟子だから。
───その後、その彼が古龍2体を討伐し、里を脅かす百竜夜行収束の立役者として英雄と讃えられようとも、師の実力を超える日が来ようとも、「愛弟子」と呼ばれることだけは変わらなかった。
ーー終ーー