ALL 半妖の夜叉姫 犬夜叉 妖怪ろくろ回しMOURNING殺りん*「りんは……きっと死んじゃうね」 十年先か、二十年先か、五十年先か、それとも明日か。 それは誰にも分からない。いかな殺生丸といえども、天に座すあの全智を持つとすら見える彼の母親であれど、誰一人としてそれは分からない。更に言えば、死すはりんではなく殺生丸やもしれぬ。 命とはそのようなものだ。「……」「でもね、桔梗さまがそうだったみたいに……もしかしたら、生まれ変わってまた会えるかもしれないね」「……」「そしたら殺生丸さま、りんを見つけてくれますか?」「断る」 殺生丸は即答した。 何を血迷ったことを言っているのかとも言いたげな視線を少女にやった妖怪はしかし、膝の上で困惑した表情を浮かべたりんの髪の毛に長い指を差し入れた。指であっても通らぬほど強張った髪に彼は少しばかり目を細める。「殺生丸さま……」 あのかごめという女は。 桔梗という名の、犬夜叉などという半妖に心を奪われた巫女の生まれ変わりであるというのは事実だろう。だが、間違いなくあの女は『別人』だ。最初こそ似た匂いを纏わせてはいたが、桔梗の多くを知らぬ殺生丸ですら彼女らの言動は互いにかけ離れてた場所にい 1548 妖怪ろくろ回しMOURNING殺生丸と両親* 殺すも生かすも心次第。 然れど、いつ如何なる刹那であろうとも、殺そうとも生かそうとも忘れてはならぬことがある。命を愛でよ、それが殺すべき息の緒であれ生かすべき玉の緒あれ、分け隔てることなく。「皮肉な名前をつけたものだ」 故に、殺生丸と。 命を尊ぶ者になってほしいという願いと祈りの込められた赤子はしかし、そんな父の想いなど我知らず。とんだ暴れ馬となったものだ。気の食わぬ者は妖怪であれ人間であれ毒爪の餌食とし、ころころ玉遊びのように他者の命を奪うかつての可愛らしい赤子は、今まさに母の膝上で寝息を立てていた。「元気がよいのは結構だが……もう少し父としては慈しみの心があってもよかったと思うが……」「慈しみ、のう。闘牙さまの目は節穴か」「むぅ」「弱き者を苦しまずに殺してやるのもまた、慈悲の心だとは思いませぬか?」「……まぁ、下から数えれば……そうなるやもしれんが」 少なくとも今はまだ相手を嬲り殺すような遊びを覚えてはおらぬだけよい。 そんな言い方の佳人に闘牙王は大げさなため息を零したが、見目麗しき細君は気にした様子もなく笑みを美しい唇に浮かべたままだ。「それに、 1429 妖怪ろくろ回しMOURNING殺生丸とりん* それは現つ御神やもしれない。 茂みに潜り込んで見つけた、煌煌と降り注ぐ白い朝陽の下には少女が未だかつて知らぬほどに美しきひとの姿。村の外れから広がるこの慣れ親しんだ森がいつもと景色が違う、と感じた正体は『これ』だ。その人影が横たわっている箇所だけ樹冠が焼き尽くされたようにぽっかりと失われていたのだ。 たぷ、竹筒の中で水が跳ねる。 りんの村に住む者たちではない。行商でもない。どこからどう見ても落ち武者などという存在ではなく──陽光を浴び神々しさすら放つ者は今まで少女が短い命の中で見たこともない類のいきもの。「(きれい)」 幼子の持つ数少ない言葉の中でそれを表現するにもっともふさわしいと思ったのが、美しさを褒め称える言葉。 遠目で見ただけでも分かる。あれは人ならざる者であると。妖(あやかし)の類であるか、精霊であるか、それとも真なる神であるか。そのいずれであるかはさしたる問題ではない。重要なことは、その美しい人影がひどく傷ついているということ。卯の花よりも白く長い髪は、陽の光が角度を変えるごとに、ぱちくりとりんの大きな目が瞬きをするたびに色を変える。 姫さまなど見た 2768 妖怪ろくろ回しMOURNING殺りん* ぐらり、ぐらり。 小さな口の中で繰り広げられるは大きな攻防戦。 りんの舌がぐい、と白い歯をつついては首を傾げ、「うーん」と悩ましげな言葉を零す。その繰り返し。「……なにをしている」「……歯……」「歯?」「抜けそうで抜けないの。ほら、ここ」 んあ、とりんは殺生丸に向かってめいっぱい大きく口を開いてみせた。 牙と呼ぶにはか弱過ぎる白い歯並びは整然としていて、唾液が糸を引く少女の口内は殺生丸がよく知る犬妖怪たちのそれとは大きく異なる。こんな平坦な歯で人間どもは食事を摂るというのだから、硬くて歯の立たぬものは煮るなり焼くなり調理することによって手を加えねば食べられないというのだからあまりに脆い。 顔を近づけて匂いを嗅げばそこに広がるのは微かな血の匂い。ぐらついた下の歯の根元から滲む赤がその正体に違いない。殺生丸とて何百も年月を遡った幼い頃にはこうして歯も生え変わりはしたが、もう遠い遠い昔のことだ。「放っておけば抜ける」「でも、なんか気持ち悪くって」「ならば抜け」「ん」「……なんだ」「……抜いてくれないの?」「……自分でしろ」「だってりん、自分の口の中 1127 妖怪ろくろ回しMOURNING殺りん* 似合わん。 殺生丸は言い放った。 酉か、坤か。ちょっとした気まぐれで訪れた地で見つけた珍しい果物を手土産にりんが暮らす村に立ち寄った彼を出迎えたのは、縄を片手にずるずると床に幾重も着物を引きずった少女の姿であった。「殺生丸さま、来てくれたんだ! それはなに?」「……葡萄だ。……りん、なんのつもりだ」 似合わぬ紅まで点して、髪まで結って、まるでどこかの姫のような格好で。だというのに彼女は縄を綯っていたのだからちぐはぐだ。「あ、これは……その」「……察しはつく」 どうせ殺生丸が不在のうちに下界に『遊び』にきた母の仕業だろう。 彼女が手に余るほど持つ着物を時折持って来てはりんを人形のように立たせて好き勝手着せ遊んでいることは知っている。「ごめんなさい」「謝る必要はない」「……はぁい。……似合わない、かぁ」 むぅ、とりんは少しだけ残念そうな顔をする。「……巫女はどうした」「楓さま? 珊瑚さまに用事があるって。それで、りんはお留守番」 縄をその場に放り投げ、がさごそと乱暴な手つきでりんは身を巻く帯を取り去り、あれやこれやと美しい着物を脱ぎ去っていく。これ 2060 妖怪ろくろ回しMOURNING殺生丸とご母堂* 牛車くらい貸してやろう、持っていけ。「あの小娘は身寄りもいないのだろう。ならば嫁入り道具なども持ってはおるまい。ここのものを持っていくがよい」 化粧道具一式から香道具まで。箪笥に長持に美しい反物の数々。 見目麗しき女妖怪はあれやこれやと家来どもに命じて殺生丸が口を挟むことも許さず慌ただしく貢物を用意させた。鞍には米俵まで積んである。全く、あの小娘を嫁にしたのであれば一度この母の元へ連れてくるのが道理だろう。そんな『当たり前』を指摘したところで聞くような息子でないことはとうに分かっていた。 かつて父が人間の小娘に心奪われて以来か弱き人の種を嫌悪してきた息子がこうも手のひらを返すとは、とそれでも女はどこか嬉しそうに笑みを浮かべた。「要らぬと言っておろう」 それに対して息子が口にするのは相も変わらない言葉。「ならば小娘を連れてこい。それで免じてやろう」「誰が連れてくるものか」「……根に持っておるのか?」 いまだに? 問えば殺生丸は眉間に刻んだ皺をさらに増やすのみ。 どこまで知っていたのかは今となって問い正すつもりもないが、今でも気に食わないことは確か。冥道へ 1858 妖怪ろくろ回しMOURNING殺生丸一行* 天空のさらに上。 ふかふかと白く浮かび上がる雲のそのまた 上。殺生丸の毛皮よりも白く、脆く、柔らかい、掴み所のないそれの 上。 あの果てには何があるんだろうだなんて考えたことすらある──けれどあまりに遠すぎて想像もつかない世界。「すごかったねぇ殺生丸さま」「……」「殺生丸さま?」 常日頃から無表情を顔に貼り付けた殺生丸の表情はいつにも増して険しく、どこか不機嫌な気配すらある。「これりん。お前、自分が何をしでかしたか覚えておらんのか」「……だって、死んじゃったら……なにも分からないんだもん。邪見さまは死んじゃったこと、ある?」 おかしな問答だ。「わしか? そりゃあわしだって一度くらい死んでおるが……ほれ琥珀、お前はどうじゃ」「え……おれは……おれも 死んだことはあるけど」「琥珀も死んだことあるんだ! じゃあみんな一緒だね」「一緒って……」「おそろい! おそろい! あ、でも殺生丸さまだけ仲間はずれになっちゃう。……それはやだなぁ」 りんはみんな一緒がいい。 阿吽の上で足をぶらりぶらりと揺らしながら娘は屈託無く言い放った。妖怪と人間。男と女。大人と子 1889 妖怪ろくろ回しMOURNING琥珀と邪見* また難題を。 燕の子安貝を取ってこいと言われた方がましやもしれない、こんなことでは。否、命じられた『使い』の難易度はそれほど高くはない。ただ単に「着物を買ってこい」と砂金の詰まった巾着を投げつけられただけだ。 たったそれだけのことではあるが、相手が悪い。「(殺生丸さま、そういうところあるよな……)」 見た目こそ見目麗しい妖怪であるが、蓋を開けてみれば傍若無人と言っても過言ではない男だ。確かに、琥珀には殺生丸に命を守られた恩義はある。それはあれど、だからといって使い走りになったつもりもなくば下僕になったつもりもない。「なんだ琥珀、浮かん顔をして」「……殺生丸さまご自身のほうがこういうの、向いてると思うんですけど」「ばぁか。あのお方が慣れてたらそれはそれで怖いわい。あれくらいでちょうどよい」「そんなもんです?」「そんなもんじゃ」 齢数百といえど、あの殺生丸という妖怪は今の今まで女に貢物などしたことはない。 父が母に贈り物をし、そして十六夜という人間の小娘にも多くのものを与えたことは知っている手前、男は女に貢ぐものだと考えている節すらある。それはいい、それは。 1194 妖怪ろくろ回しMOURNING殺生丸と十六夜*「あぁもう、どうしようどうしよう……ごめん殺生丸! 少しだけでいい、ただ抱いてるだけでいいから翡翠を見ておいてくれ!」 戻ってくると言ったはずの法師さまは戻ってこないし、琥珀は薪割りに行ってしまったし、かごめちゃんも楓さまのところに行っちゃったから。だから少しの間でいい、少しだけ見ておいてくれ! とまぁ、つまるところ殺生丸に拒否権などない様子でまくしたてられ、妖怪はやわらかい受け物を退治屋の女から受け取った。 喃語ばかり口にする赤子のことを知らない訳ではない。珊瑚、琥珀、金と玉の名を持つ娘たちに翡翠。よくもまぁ人間にしては大層な名をつけたものだが、そんなことはどうでもいい。お願い、と赤子を押し付けてきた母親は確かに大忙しらしく、飛来骨を握りしめて家を出て行った。外れに妖怪が出ただとか村人が叫んでいたからだろうか。「……解せぬ……」 請われれば殺生丸は妖怪を始末してもよいとまで思っていたのに、どうしてこうなるのか。「あ、殺生丸さま」「……」「さっき珊瑚さまが妖怪退治だって出て行ったけど……翡翠、こんなところにいたんだ」「……やる」「だめですよう、せっかく寝てる 2271 妖怪ろくろ回しMOURNING殺生丸一行* 美しい娘が牛車に乗せられて運ばれていく。場違いなほどに煌びやかに装った女が、悲しげな表情を青白い顔に描いた女が、姫ぎみのように黒く長い髪など持たない、ただの町娘が姫ぎみのような姿をしただけの女が。 木々が立ち並ぶ森の中からひらけた崖の上から花を握りしめた少女はそれを見つめていた。「生贄だ」「いけにえ?」 尋ねるよりも先に殺生丸の声が頭上から降ってくる。 日照りが続き雨が降らないから。雨が降ってばかりで晴れないから。水害で田んぼが沈んでしまったから。人間は様々な理由で生贄を立てる。「殺生丸さまは物知りだね」とりんは関心したように言うが、絶望に満ちた目をした女が運ばれていく姿を見つめる瞳には憐憫はない。「……神気取りの妖怪の仕業だ」「ふぅん?」「あぁして人を食らう妖怪など 人の世にはどこにでもいる」「怖いね、殺生丸さま」「ふん」「……でもりん、妖怪よりも……人間のほうが 怖いよ」「……」「だって もしあの人があたしだったら……」「お前のような粗末な娘だと誰も生贄にしとうないわ、安心せい」「あ! 邪見さまひどい!」「殺生丸さま、仰せつかっていた件です 1450 妖怪ろくろ回しMOURNING犬夜叉と弥勒と殺生丸*「ところで……下世話なことをお聞きしますが」「お前が下世話なのはいつものことだろうよう、弥勒」「いえいえ。私はいつも清らかな法師でありますので。……して、りんとはどこまで……済まされたのかと」「げ」「……」「おい弥勒。おれ帰っていいか?」「いいえ帰しませんよ犬夜叉。男として気になって仕方なかったのですが……私一人では些か心細い。なので、お前も道連れです」「なんだよその『なので』ってよ!」「……」 当の殺生丸は無言である。 鋭い目つきのまま、瞬き一つすることなく。眉を釣り上げることもなく。ただただ無言で家の中央でちりちりと音を立てる炎を見つめているのみ。その音のない時間が恐ろしい。だからこそ弥勒はこうして弟たる犬夜叉を巻き込んだのだ。 だって、気になりません? なんて完全に『こちら側』に引き込みながら。「私と珊瑚はこうして夫婦(めおと)となった訳で……犬夜叉とかごめさまも見ての通り。と来れば、後は決まっているでしょう」「決まってねぇ。帰るぞ!」「帰るな! かごめさまにお前も下世話な話に混じっていたと言い付けるぞ!」「混じってねぇ!」「……帰る」 1857 妖怪ろくろ回しMOURNINGかごめとりん*「あのねかごめさま」「ん?」「たぶらかす、って どういう意味ですか?」「た、たぶらか……」「?」 誑かす。 一体どこでそんな言葉覚えてきたの。小首を傾げる妹のような娘にかごめは唸った。「たぶらかす、っていうのは……」 うぅん、なんて言ったらいいんだろう。 彼女は困った顔をして考えを巡らせる。現代にいた頃もそういった言葉の類からは縁遠い。 相手が学友であれば説明は容易い。それはね、悪い人が嘘を言って誰かを騙したりすること。でも、どちらかというと男が女の人を誘惑する感じよね? と説明することはできるが、目の前で縄を縒(よ)る可愛らしい年少者にはそんなことを説明しても謎が深まるだけだろう。 ほら、あの映画で言うと……とか。漫画なら……と言ったって彼女には伝わらないのだから。「かごめさまも知らないの?」「うーん。ねぇりんちゃん。それ、誰かに言われたの?」「……前に……旅の法師さまに言われたの。殺生丸さまが……りんをたぶらかしたんだ、って」「!」 人間の娘でありながら禍々しいながらも美しい姿をした妖怪の元に在ろうとしたから。彼女の言う『旅の法師』でなくとも 1957 1