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    レヴュー

    andsooff

    DOODLEレヴュースタァライトの感想☆「観測者」を描いた作品
    一般的に提供される物語はどうあがいても視聴者なり読者なりといった「観測者」を描けないが、本作はキリンと視聴者を上手く同一存在(同質存在)に落とし込むことで「観測者」の描写に成功していると思う。
    ・キリンと視聴者
    我々はもちろん「観測者」なので、キリンを本作の舞台装置として見ている(レヴュースタァライトという物語のシステム>キャラクター)。しかし、最終話、キリンと少女達の予測不可能な舞台に興奮する心情を共有し、あまつさえ「わかります」と共感さえ示されたことで、我々=「観測者」もキリンとおなじ「レヴュースタァライトの舞台装置」であったのだ、あるいはあるのだ、と気付かされる。ここに凄まじい不快感なりアハ体験なり感動なり、ともかく激情が伴うのだと思う。
    さらに、我々が物語を観測する以上、非常にあたりまえの感覚として「主客融合」がある。つまり、物語のキャラクターに感情移入するなり、もし自分なら、と考えるなり……少なくとも、見ている「私」が存在する以上、どこか物語を自分に反映させながら視聴していることになる。その状態で「あなたがたは観測者ではなく舞台装置であり、ひいては物 1276