【曦澄】その後二人は末永く幸せに暮らしましたとさ「できた!」
こんがり焼き揚げられた丸いお芋に阿澄は目を輝かせた。
匂いも香ばしくてとても美味しそう。これなら小さかった阿澄のお芋もきっと美味しく食べられる。
父上や母上にも喜んでもらえるかしらと期待に満ち満ちた眼差しで振り向いた阿澄に応えるように藍渙も頷いた。
「いい匂いがしますよ。とても美味しそうです」
「ありがとう! 藍渙のおかげだ」
「ふふ、私は作り方を調べただけです。作ったのは阿澄ですよ」
貴方が頑張ったのだと目を細めれば、阿澄は嬉しそうに破顔した。
「味見をしよう? 一番は藍渙に食べてほしいんだ」
「それは光栄です。ではお先にひと口……」
はい、熱いから気をつけて。
そう言って阿澄が器用に菜箸でひとつ摘んで差し出す。藍渙はあーんと口を開けた。
「あーん」
くすぐったそうにはにかみながら、阿澄が揚げ芋をひとつ、藍渙の口の中に入れてくれる。
事前にふぅふぅと冷ましてくれたそれはちょうどよい具合で、藍渙の口の中を火傷させることもなく、ほくほくと咀嚼できた。
「とっても美味しいです! ほっぺたがおっこちそうですね」
「本当?! よかった!」
「はい。阿澄も食べましょう」
「うん!」
互いに食べ合ってくふくふと笑う。頑張って作ったお芋のお菓子はとても美味しかった。
蒸してから濾し、砂糖と塩を混ぜて粘状にして。お粉をまぶして丸めてから、もう一度外側にお粉をまぶして。熱したお鍋に浅くはった油で、炒めるように揚げた。
油を多く入れてしまうと破裂してしまうんですって。だから気をつけて。怪我をしませんように。
ハラハラしながら見守ってくれる藍渙の言うことをよく聞いて、阿澄は油を浅くはり、丸めたお菓子の種を菜箸でころころと転がした。
ふたりで協力しあって作ったお芋のお菓子は、しっかりと熱され、こんがりと焼き色がついて美味しそうで、そしてとても美味しかった。
「父上と母上にも差し上げてくる!」
お台所を使わせてくれた家僕にもおすそ分けとともにお礼を言って、阿澄は作りたてのお菓子を盛ったお皿を抱えてとたとたと小走りに駆け出した。
その後ろを藍渙がにこにこしながら追いかける。
「転ばないようにお気をつけて」
「うん!」
こぼさないように注意しながら、きっと喜んでくれると期待に胸を弾ませて、阿澄は両親たちのいる客間への急いだ。
今日は藍氏のお客様が来られている。大人同士の話し合いがあるからふたりで遊んでおいでと言われていたけれど、お話し合いは終わったかしら。
「父上、母上!」
「阿澄、静かになさい! 客人がいるのに騒々しく走るなんて!」
「ご、ごめんなさい……」
お話し合いは終わっていなかったようで煩いと怒鳴られてしまい、阿澄はおずおずと頭を下げた。きっと後で叱られてしまう。
「何か用なの?」
母にじろりと睨まれ、阿澄はびくりと身を縮こまらせる。
いけない。声を出して呼ぶ前に、訪いを告げて、許可を請うべきだった。
失敗してしまった。お客様もいるのに、両親に恥をかかせてしまった。
「あ、あの……」
不機嫌そうな母にうまく言葉が出てこなくなって阿澄はしどろもどろになった。
まあ、そう頭ごなしに叱りつけなくとも。お客様がとりなしてくださる声がする。
どうしよう。
阿澄は叱られた衝撃と混乱とで頭の中が真っ白になった。目に涙が滲む。
なんでもありませんと引き返したほうがいいかもしれない。そう思って後退りしようとした阿澄の肩を励ますように藍渙がぽんと撫でてくれた。
「……」
振り向けば、大丈夫ですよと頷いてくれる藍渙がいる。藍渙に勇気づけられて、阿澄はおずおずとお菓子を載せたお皿を差し出した。
「あの、これを、食べていただきたくて……」
差し出されたお皿を覗き込んだ父は呆れたようだった。
「なんだいこれは? 芋菓子かい? こんな粗末なもの、お客様にはお出しできないよ。お前がひとりで食べるといい」
ため息とともに言われ、阿澄は顔が真っ赤になった。堪えていた涙がぶわりとこみ上げてくる。
粗末なもの。お客様にお出しするには恥ずかしいもの。そう、言われてしまった。
せっかく藍渙とふたりで一生懸命作ったのに。美味しくできたのに。
なのに、要らないと言われてしまった。
「……っ」
俯き、涙を堪えて震えている阿澄の肩を支えてくれる藍渙の手にも力がこもる。
「江宗主。そんな言い方はあんまりです」
「ああ、藍公子。息子の我儘に突き合わせてすまないね。ほら、これはあっちでふたりで食べなさい」
「あ……っ」
払うように振られた父の手が阿澄の腕に当たり、阿澄はたたらを踏んだ。小さな体がぐらりと揺れ、お皿から芋菓子が零れ落ちる。
「阿澄! 何をしているの! お客様の前でなんて粗相を! 早く片付けて出ていきなさい!」
母の叱責が飛ぶ。阿澄は零れ落ちそうになる涙をこらえ、必死にお菓子をかき集めた。
「たいへん失礼をいたしました……っ」
頭を下げて詫び、急いで客間を出ていく。
「阿澄!」
藍渙が飛び出していった阿澄を追いかけようとしたところで、江宗主の呆れたようなため息が聞こえた。
「まったくお見苦しくて申し訳ない。後でよく言って聞かせます。三娘、いったいどういう躾をしているんだ」
「なんですって?」
険悪になる夫妻の様子に、藍渙は嫌そうに顔を顰めるとすぐに踵を返し、阿澄の後を追った。
ぐすっ、ひっく、ひっく。
押し殺すような泣き声が聞こえる。幼い心が傷つけられた悲しみに、藍渙は家規も忘れて駆け寄った。
「阿澄!」
「藍渙……」
藍渙の呼ぶ声に、阿澄は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、けれどまたすぐに俯いてしまった。
体を縮こまらせるようにしゃがみ込み、腕の中に顔を埋めるようにして、声を殺してしゃくりあげるように泣いている。
「可哀相に。あんな言い方はありませんよ……」
「いいの。父上も母上も、阿澄が恥ずかしいの……。出来が悪くてみっともないって、いつも言ってる……」
「そんなことありません! 阿澄は一生懸命で頑張り屋さんです! なんて酷いことを言うのでしょう」
「ちがうの、阿澄が悪いの。魏無羨のほうができが良くて優秀で、阿澄はうまく出来なくて、宗主の子として恥ずかしいんだもの……。今日だってお客様がいるのに粗相をして、父上と母上に恥をかかせてしまったもの。阿澄が悪いんだ……っ」
藍渙は愕然とした。そんな心無い言葉をいつも言われているだなんて。なのに、この子は、美味しく出来たから食べていただきたいと両親にお菓子を持っていこうとしたのか。
心無い言葉を浴びせられてなお、優しい気持ちを残している。でも、このままではその心も擦り減って、傷ついて傷ついて心を閉ざしてしまうかもしれない。
「阿澄、私と一緒に姑蘇に帰りましょう」
「え……? 藍渙と一緒に?」
「ええ。このままでは阿澄が傷ついて壊れてしまう。そんなこと、絶対に許せません」
「……父上と母上とお別れするの?」
涙に濡れた大きな目がぱちりぱちりと瞬きする。藍渙をじっと見上げている。藍渙は頷いた。
「私がおります。私は決して阿澄を悲しませたり、傷つけたりいたしません。生涯貴方をお守りし、大切に慈しむとお約束します」
私は貴方が大好きですよ。貴方の一生懸命なところも、優しい気持ちを持っていることも、ちゃんと知っています。だからもう心を抑えつけて我慢することはないんですよ。
「私と一緒に帰りましょう?」
安心させるように微笑む藍渙に、阿澄は驚いたように大きく目を見開き、やがてぶわっと涙を溢れさせた。
「う、うわぁああああん!」
差し出された藍渙の腕の中に飛び込むと、阿澄は堪えていた涙を溢れさせ、声を上げて泣いた。
阿澄を姑蘇に連れ帰ると言って聞かない藍渙に、驚いたのは江夫妻だった。
家僕からも話を聞き、どうやらあの芋菓子はふたりが一所懸命拵えたお菓子だったと知って、慌てたように宥めすかした。
「てっきり家僕からもらったおやつを持ってきたんだと思ったんだ。おまえたちが作ったとは知らなかった」
「言ってくれたらよかったのに」
「知らなかったんだよ、わざとじゃない」
慌てて取りなそうとするも、阿澄は藍渙の腕にしがみついて離れず、藍渙は怒ったように眦を険しくしていた。
「だから許せと、貴方がたはそう仰るのですか? 傷ついた阿澄の心を労るよりも、ご自身の弁明がお先なのですか」
そうやってまた阿澄の心を抑えつけるのですね。
冷たく言い放つと、藍渙は阿澄を抱きかかえた。
「阿澄は姑蘇で私と一緒に暮らします。さようなら」
言うやいなや、さっと御剣して飛び立ってしまう。
「藍啓仁!」
虞紫鳶が慌てたように言い募るが、藍啓仁は静かに首を振った。
「あの幼子が深く傷ついたのも事実。今は曦臣が慰めるのが良いかもしれん。ご子息は我々のところでしばしお預かりをしよう」
そう場をとりなして藍啓仁も姑蘇へと帰っていった。後には突然のことに狼狽える江宗主夫妻が残された。
伯父はしばし預かると言ったそうだが、藍渙は阿澄を返すつもりはなかった。
頑張って成果を出したら認めて褒める。努力が報われる環境を阿澄にもあげたかったので。
初めはとんでもないことをしてしまったと狼狽え、おろおろしていた阿澄だったが、藍渙の献身的な労りに徐々に落ち着きを取り戻し、雲深不知処で修行や勉学に励むようになった。
元より宗主の子として、礼儀作法や六芸は厳しく躾けられていた。ただ、躾け方が厳しすぎただけ。
教え導くやり方を是とする藍氏の在り方は阿澄に合っていたらしい。素直に教えを吸収し、学び育った阿澄は、もう体を縮こまらせて泣くこともなく、藍渙と隣で楽しそうに笑っている。
来月には婚儀を控え、今日も幸せに暮らしているのだった。