1月9日「あのさ、これ覚えてる?」
グエルが上着のポケットから、何かを大切そうに取り出した。
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軌道エレベーターへの移動中、偶然マーケットに通りかかった。
長い戦乱に荒れ果てた小さな町だが、新年を迎えるために必要な食料や日用品を売る出店が広場に数件立ち並び、温かい飲み物や簡単な食事を提供している店もあった。
車の助手席から夕日に照らされる店々を眺めるグエルの、隠しきれない好奇心に気が付いたオルコットが
「寄るか」
と言うと
「いいのか?」
と、グエルは振り向いて目を輝かせた。
ジンジャークッキーにソーセージ。小豆粥とかぼちゃの煮物と甘酒。柚子茶にホットチョコレート、そしてグリューワイン。
「まだ、こんな風習が残っていたのか」
一年で一番夜が長い日を無事にやり過ごせたことを祝い、太陽の復活と無病息災を祈って地球各地で食べられていたメニューが、無秩序に店先へ並んでいる。
「オルコット、これ、なんだ?」
少しでも温まろうと、ホットチョコレートとグリューワインを買って戻ってきたオルコットに、グエルは一軒の店先を指差した。
一番奥まった場所にあったその店は、カラフルなキャンドルホルダーやマグカップ、小さな木彫りの白ひげの老人や鹿や熊の飾り物と一緒に、赤ん坊の握りこぶしくらいの大きさのガラスの置物が並んでいた。
「これはね、スノードームよ」
店番の婆さんがしわくちゃな口を綻ばせて、置物を一個手に取った。小さなツリーの上に流れ星が宿る意匠だ。
「こうして」
まるいガラス部分の下の台座を握ってぐるりとまわすと、ガラス内の水中の下部に沈んでいた銀粉がぶわりと舞い上がり、流れ星とツリーの上へきらきらと雪のように舞い降りた。
「綺麗…」
「雪が降っているみたいに見えるでしょ。
これね、昔話の奇跡の子の誕生を祝う、輝く星を模しているの。この時期、この置物を飾るのがならわしなのよ」
マーケットのささやかなライトアップに照らされたちいさな星が、灯火管制で薄暗い町並みに慣れた目に光り輝いて見えて、オルコットは動揺した。
「幾らだ」
「え」
驚くグエルにそのスノードームと温かな飲み物を押し付けると、オルコットは婆さんへ言い値の小銭を投げるように渡し、足早に車へ戻って行った。
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待ち合わせ時間にはまだ余裕があった。グエルはふと以前から気になっていた、軌道エレベーター近くの古美術店へ足を踏み入れた。
前世紀の様式を模した外観から予想した通り、ベネリットフロントにある美術館で見たことがある古典絵画の複製画が壁に飾られ、飾棚やテーブルにはアンティークらしい飾り物が所狭しと置かれていた。
日当たりの良い出窓近くに、さまざまな意匠を凝らしたサンキャッチャーやガラス製の香水瓶などが、人工太陽ではない陽光を複雑に反射してきらきらと輝いていた。
「あ」
グエルはその中に、懐かしい物を見つけた。
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「軌道エレベーターへ移動中の時にさ、マーケットに立ち寄ったことがあったじゃないか。その時あんたが気まぐれで買ってくれたスノードーム、覚えているか?」
「……グリューワインに酔っていたから、覚えてないな」
膝の上に置いた手元に目を落として、オルコットは嘯いた。
「はは、あんた、相変わらず嘘が下手だな」
あれから三年。ずっと探していたオルコットの在所がわかり、グエルは多忙の合間を縫って地球を訪れていた。
「あれには、対になるデザインがあるって知ってた? 俺、ここへ来る前に、地球の古美術店でこれ見付けて買ったんだ」
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店の窓辺でスノードームを手に取り、陽光に透かして熱心に眺めるグエルに気が付いた店主は
「お気に召しましたか?」
と、話し掛けてきた。
「手持ちのスノードームと、同じ物かと思ったら違うみたいで」
それは、赤ん坊が星に照らされている意匠だった。
「昔々、まだ宇宙に人々が飛び立っていなかったころ、信じられていた言い伝えをデザインした、と聞いています」
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オルコットとグエルの三年ぶりの再会は、きっかり三時間で終了した。
名残惜しそうに
「また逢えるよな?」
と言うグエルへ、オルコットは
「もう会うことはない。俺のことは忘れろ」
とだけ言うと、先にホテルを後にした。
上着のポケットへ入れられたスノードームに、オルコットは最初から気が付いていたが、捨てはしなかった。
宇宙では忘れられた、遠い過去の祝祭。
罪ある人々を救うため産まれた奇跡の子の誕生を祝う、輝く星が宿る樹を模した置物。
(あの日、俺を救ったあの、お前の星を連想してしまい思わず買い求めお前に与えてしまったが、もうとっくに捨てたと思っていた。)
グエルがくれた、星に照らされる幼子のスノードームは、何も持たず放浪を続けるオルコットのポケットの中で唯一微睡み、移動中の車や安宿の窓近く、光射す場所へいつも置かれて、オルコットにずっと寄り添ってくれることとなった。