新幹線編 番外 俺たち3人は、どちらかというと体つきがしっかりしている方だ。その3人横並びで新幹線の狭い座席に押し込まれている。幸いだったのは、お互い全く知らない者同士ではなかったということくらいか。
新横浜のホームで予め決めた通り、足立さんが窓側席、ハン・ジュンギが中央席、俺は通路側に座った。ホームでのアクシデントを思い返すと、指定席でなければ少々面倒なことになっていた。どうやらうっかり自分で地雷を踏んだらしく、ハン・ジュンギがうんともすんとも言わなくなってしまった。動きはするものの目は虚ろで、俺たちの声は聞こえていないらしい。先日サバイバーの2階の戸棚でカトラリーをいじっていた時と同じだ。
「まぁ、だいぶお疲れみたいだね」
ハン・ジュンギはこのまま静かに休ませておく方が良さそうだ。
眩しくないようにフードを整え、ソンヒの話を思い出す。
『最近調子が良すぎる』
『神室町で壊滅したジングォン派の残党』
『頭目は広島で死んだ』
贋札工場と共にコミジュルのアジトは焼け落ちて10日あまり。ハン・ジュンギに火をつけるように言ったのは、ソンヒだった。緊急事態だったとはいえ彼女もなかなか酷なことを言う。確かに彼は現場責任者であったし、上司の命令は絶対だ。だが、一度「家」を失った人間に「今の家」を焼かせたのは、さすがの俺でも唸ることしかできない。
「おい、趙」
足立さんがビールを差し出した。俺は黙って、缶を受け取った。一気飲みしたバーボンは抜けていたし、何より手持ちぶたさだった。
「足立さん、蒼天堀に着いたら飲むんじゃなかったっけ?」
「いいんだよ、気にすんな」
茶目っ気たっぷりに足立さんはプルタブをあげる。爽快感たっぷりの音を立てた缶を掲げ、一口目を味わった。
「ハン・ジュンギの分、余っちまうな」
「起きてたらさ、文句言いながらも飲むんだろうね、こいつは」
左肩の重みから、彼がすっかり眠ってしまったと分かった。
「そういや、お前らサバイバーに来るまでの間どうしてたんだ?」
「あぁ、そうだね。ソンヒに総帥を譲ったでしょ?それで流氓のメンバーが揉めて、馬淵に着いて行った奴らが何人か戻ってきてまた揉めて、コミジュルの奴らと一緒にやっていけるか~ってまた揉めて。その都度、ソンヒとハンくんと俺の側近たちが説得してたみたい」
「みたいって……お前、その場にいなかったのか?」
「俺これでも、殴られて顔が信じられないくらい腫れてさ、おまけにあばら折れたし熱が出るわで。しんどかったなぁ」
3日熱が引かなかった。今も胸は軋む感じがする。おまけにシャツの下はまだアザだらけだ。
「俺が総帥降りて二度とその席につかないって分かってもらえないと、流氓のメンバーがコミジュルの人間を受け入れるのは心理的に難しいからね。本当は、合流するつもりなかったんだんだけど、こいつがうるさくて」
と、隣の黒い塊を見つめた。呼吸は落ち着いているようで、口が少しだけ開いていた。
「多分だけど、俺が春日くんたちと行動することで、みんなが流氓に目をつけられないようにしたかったみたいだね」
「なるほどな。俺たちが2回も慶錦飯店に殴り込みに行った事実は変わらねぇ。お前を助けるためとはいえ馬淵までぶっ飛ばしてるからな。ま、普通なら目をつけられるどころじゃねぇわな」
ほれ、と足立さんからサラミをいただいた。
「そゆこと。そういう風には言わなかったけど、多分そういうことかなって。俺もさ、行き場もないし、やることもないし。なにしろ春日くんといたら退屈しなさそうだったからね」
「そりゃ違ぇねえ。俺もあいつと出会ってから退屈する暇がねぇさ」
「それに近江にケンカ売るなんて血が騒ぐじゃない?」
「お前も春日と同類か?仕方のねぇ奴らだぜ全く」
足立さんが声を出さずに笑った。
「で、ハン・ジュンギはどっか悪いのか?」
まぁ、当然そっちが本題だ。朝食を振る舞った日の足立さんの言葉を思い出す。免許センター勤めだったと聞いていたが、なるほどベテラン刑事なだけはある。足立さんが神奈川県警に刑事として残っていたら、かなり手ごわかっただろう。
「十中八九、寝不足と過労だね」
「おいおい、今さら誤魔化すなよ。そうじゃないことくらいさすがに分かるぞ」
さすがに、無理か。俺は見ていないが、足立さんはしっかり見ているのだ。皮肉を言うか、丁寧を通り越すかしかしない男がフリーズしたのだ。誤魔化すつもりはないけれど、そこまでなかが良いわけではない。彼とはあくまでもビジネスパートナーの関係だった。
「足立さんはハンくんのこと、どんなふうに聞いてる?」
さすがに無断で話すことはできない。
「あ?そうだな。前の組織でボスの影武者をやってたってことと、コミジュルの参謀でポテトチップスはコンソメ味が好きってことくらいだな」
「ハンくんってポテトチップス食べるんだ。俺はそれ初耳」
「俺は、馬淵の野郎に捕まった時に刺される直前で助けてもらったからな。一応、命の恩人ってやつだ」
「おっと、それも初耳」
初めて聞くことだらけだ。馬淵はどうしているのだろうか。ソンヒはなにこかも見透かしている。本来なら、熟睡している隣のヒットマンがとっくに防腐処置済みの首を意気揚々と持ち帰っている。ついでに処理動画もダークウェブの動画専門コンテンツにメンバー限定で投稿しているだろう。あの10日間は治療に専念していたが、馬淵の情報集めには余念がなかった。異人町から生きて出て行ったことにほっとしたし、それについてハン・ジュンギは何も言わなかった。もう馬淵には彼の独断で手を下すほどの価値はないのかもしれない。
「広島でなんかあったのか?縁があるようには見えねぇが」
「そうかもね。知ってはいるけど、新幹線の中で話せる内容じゃないかな」
「なるほどな」
足立さんがビールをあおる。
「頭では理解していても、口にしたが最後、平静を保てないってことはあるわな」
さすが足立刑事。察しが良い。もしかしたら本物のハン•ジュンギがどうなったのかアタリがついていたのだろう。今までも、そういった人間を何人も見てきているのだろう。口に出せば認めなければならない。向き合わなくてはならない。彼にはまだ少し、時間が必要なのかもしれない。
「そうだね。あとハンくんがとっても疲れてるのは本当。だってコイツここ数日まともに寝てないし」
「そういや趙の歓迎会した時くらいか。こいつが横になって寝てたの」
「300万円集めにみんなで奔走しながら、コミジュルからの連絡に対応して。あと何か別件でも動いてるみたいだし。働きすぎなんだよコイツ」
左肩を揺するがハンくんが起きる気配はない。新大阪まで2時間弱、それまでゆっくり眠らせてやろう。
***
顔を叩かれている、気がする。事態を把握する前に反対側の頬を思いっきり叩かれた。
「趙、起きてください!」
「え」
叩かれた頬を撫でる。何で叩かれたのか、全く身に覚えがない。
「ほら、足立さんも起きてください!新大阪に着きましたよ!」
足立さんは、う~んと唸っている。心地よい揺れは止まっていて、通路を見るとぞろぞろと乗客が歩いていた。何で揺れていないんだろう。何でみんな歩いているんだろう。新大阪?
「新大阪!」
「だからさっきから言っているじゃありませんか。趙、はやく立って。降りますよ!足立さんも早く!」
あれからもう少し話をして、気分良く目を閉じたそのまま寝てしまっていたようだ。適度なアルコールに適度な揺れ。そして左肩にもたれかかる体温が思いのほか心地よく、すっかり眠ってしまっていたのだ。
「何ぼんやりしているんですか!春日さんたちに置いて行かれますよ!!」
ハンくんに容赦なく足を蹴られる。
「ちょっと~蹴ることないじゃん。なんで蹴ったの?」
「あなたが動かないと私が降りられないからです」
さっきまで人の肩を枕にシャットダウンしてた奴に言われたくない。何なんだこいつ。
「お、着いたのか?」
容赦なく肩を揺すられ起きたのか、のん気に足立さんがあくびをする。俺のことは平手打ちで起こしたくせに、と蹴られた足をさっさと手で払う。通路を行く人の流れが左右で混ざってきて、俺たちは慌てて新幹線を降りた。
足立さんが降りてすぐ新幹線は次の駅へと発車した。ギリギリだ。降りた先は夜の大阪。さすがに人が多い。駅の看板の下に赤いスーツのもじゃもじゃ頭の男が立っている。間違いなく春日くんたちだ。
「すみません。趙と足立さんがなかなか起きなくて」
ハンくんが開口一番、みんなにチクる。お前も爆睡してただろ、と言葉が喉を通る前に、
「あっ!しまった。ビール置いてきちまった」と、足立さんが悲壮感たっぷりの声で叫んだ。そういえば、座席のフックにコンビニ袋を下げたままだ。もしかしたらハン・ジュンギのビールはそのまま終点の広島までたどり着くかもしれない。
「あのなぁ、お前ら!遊びに来たんじゃねぇんだぞ!!」
反省する様子のない俺と足立さんにしびれを切らした春日くんに3人まとめて叱られた。
「一応聞くけど、いつから起きてたの?」
「京都駅を出発した時ですね。それよりも、2人とも私に黙ってビール飲んで。ずるいですよ。何で起こしてくれなかったんですか」