ちょはん 知り合いの知り合い編③ 建前上、他に何かないか調べる体でやってきたが、これと言って何かがあるわけではない。
選挙事務所には書類が少し置かれている程度。仮に個人情報だったとしても、ブリーチジャパンの支持者の情報だ。今は余計な情報を持ち帰る必要はない。とはいえ、この部屋にあるのは応接セットと執務机。あとは表彰状と新聞記事の額装だ。机の上のファイルも書類も今じゃなければ使いようはいくらでもあったのだろう。流氓のメンバーに流すことも一瞬脳裏によぎったが、もう総帥ではないぞ自分の理性が働いた。
唯一表彰状ではない額の中では、少し若い頃の青木と小笠原が握手を交わしている。そういえば俺は荒川真斗を知らない。青木だろうが荒川だろうが、その人自身が変わるわけではない。むしろ名前と戸籍が変わっただけで、人生を変えられたのは青木本人の努力も大きいだろう。できれば違う方面でその才能を発揮してくれれば、少しは違ったかもしれない。
「春日さんは、その記事を見て青木遼が荒川真斗だと分かったそうですよ」
ハン・ジュンギの声の張りがわずかに戻っている。
「まったく具合悪いんでしょ。おとなしく寝てなぁ?」
声の主の方を振り返ると彼が手招きした。
「何?」
腫れ物に触れるような態度は違うような気がして、普段通りに応える。ソファに近づくと彼は何かを指差した。
「ちょっと私のコート取ってもらえます?」
彼の指先は目の前のソファの黒い塊を差している。俺は視線をその凶器の塊に落とした。このよく分からない素材の重たいコートにはそれこそ様々な刃物、薬品、飛び道具が収納されている。
一瞬時が止まった。正直に言って渡したくない。危なすぎる。
「危なくないですから、コート、取っていただけます?」
「俺の心読むのやめてくれない?何が欲しいわけ」
望んでいた言葉と違ったことに深くため息をついて、彼は手を下ろした。舌打ちが聞こえた気がして指摘する気持ちをぐっとこらえる。
「お手を煩わせて申し訳ありません。コートの内ポケット。左の内ポケットに入っているケースを取っていただけますか?趙総帥」
久々の慇懃無礼な態度に、彼の余裕のなさがにじみ出ていた。何が欲しいのか分からないが相変わらずいい度胸をしている。
「もう総帥じゃありませ~ん。怒ると心拍数上がって余計ひどくなるよぉ参謀くん」
言われたとおりにコートの内側を見た。予想通り、左のポケットが思っていたよりも多い。
「左のどのポケットよ」
「あー……多分タバコポケットに入ってます」
コートにタバコポケットなんてあるのか、とスーツと同じ個所を見ると、確かにそれらしいものがある。中をさぐると、タバコの箱とシルバーのケースが入っていた。ミントケースだろうか。いや、そんなわけないだろうとこれ見よがしに振りかざす。
「あったあった。これかなぁ?」
シルバーのミントケースをカチャカチャ鳴らして、にかっと笑ってやった。それに答えるように彼の口角も上がる。笑顔にしては、眉間の皴が深い。ハンくんは、俺がお目当てのケースを中々渡さないことに痺れをきらしたのか体を半分起こした。
「寝てろよ」
「お心遣いいただきありがとうございます趙総帥。お手数をおかけいたしました」
そう、嫌味たっぷりに手のひらが差し出される。彼が纏う苛立ちと怒気をはらんだ空気に、ケースの中身に確信を持った。
「で?」
「言葉足らずで申し訳ございません趙総帥。私に、お手元のケースを、渡して、いただけませんでしょうか?」
「何錠?」
ハンくんがぴしりと固まった。度々コミジュルの医療班に回収されていた頃の彼を思い出す。あの頃から考えると随分と良くなったが、そう簡単ではない。個人差はもちろんある。すぐに忘れる奴もいれば、一生引きずって身を崩す人間だっているのだ。『調子が良すぎる』という彼の上司の言葉はさすがとしか言いようがない。彼は、目をつむり眉をさらにひそめた。
「これ、水いるやつ?」
「…………おっしゃる通りです」
諦めがついたのか、ハンくんはも~と唸ってソファに突っ伏した。
「OK。じゃ、水買ってくるから趙お兄さんが戻ってくるまでおとなしくしてるんだよ~」
わざとケース鳴らして見せてから、部屋を出た。今戻ったらすごい顔をしているんだろう。刺し抉るような視線を背中に感じて、口元が緩んだ。