あとしまつ編④ 3徹明けでダメダメなハンくんに、どうしてサバイバーに無理やり連れてこられたのか理由を説明する。実は足立さんが荒川組事務所からパソコンを持ち帰っていたこと、その違法に持ち帰ったパソコンから荒川組と堀ノ内十郎の繋がりの証拠を手に入れてほしいことを端的に伝えた。
一応聞いてはいるが、サバイバーのボックス席で目を瞑って難しい顔をしている。眠気を我慢しているようで眉間の皴が深くなっていた。そこへすかさずマスターがコーヒーを差し入れる。
「……マスター、ありがとうございます」
半分目を開いて、彼はコーヒーを一口飲んだ。カチャリとソーサーが音をたて、ハン・ジュンギが本当に困った時にしか見せない顔をした。
「事情は分かりました。納期はかなりタイトですが、できなくはないと思います」
「おぉ!さすがハン・ジュンギだぜ!!やっぱり頼りになるなぁ」
「え、ハンくん本当に大丈夫?めちゃくちゃ忙しそうだったじゃん」
「そうだぜ、ハン・ジュンギ。足立の頼みを安請け合いすると痛い目みるぞ」
実際に納期はかなり短い。12月前半に逮捕された沢城の事件処理はとっくに終わっている。取り調べには素直に応じたと聞いたから、検察の拘留期間も終わっているだろうし、検察側の起訴手続きが進んでいるはずだ。仮に起訴が決定していれば、裁判が始まるまで2か月弱。沢城のあの雰囲気から察するに起訴内容は認めるだろうし、控訴しないと思う。もしかしたら即日結審で最短日数で判決が出ると思われる。
「ハンくんさぁ、それ本当に2か月でいける?」
彼は黙ってもう一口コーヒーを飲んだ。その苦々しい顔がコーヒーのせいではないのは明白だ。
「足立さんの頼みなら聞かないわけにはいかないでしょう」
「ハン・ジュンギお前、足立に何か弱みでも握られてんのか?」
「マスター、俺の事なんだと思ってんだ?」
マスターの言うとおりだ。正直なところ足立さんにそこまでする理由が思い浮かばない。俺は、足立さんの無理なお願いをなだめすかして説得するつもりだった。「足立さんに私の弱みが握られるわけがないでしょう。逆はともかく」
さすがの足立さんもハンくんの好意的な態度に思うところがあったらしく、何も言い返さずに黙って聞いていた。
「できるだけ早く取り掛かりたいのですが、そのパソコンはどちらに?」
「市外の銀行の貸金庫だ」
「貸金庫の利用時間に制限はありますか?」
「あぁ、15時か16時までだな。今日はもう厳しいかもしれん」
時計を見るともうすぐ15時だった。足立さんの記憶も曖昧だし、パソコンを取りに行くなら明日朝一が良いだろう。
「そうですか。では作業は明日からということでよろしいですね。逆に皆さんにお尋ねしたいことがあるのですがよろしいですか?」
カフェインが効いてきたようで、言葉が先程よりも明瞭になっている。
「春日さんたち、他の皆さんはどうしています?」
その質問には足立さんが答えた。
「おう、春日とナンバと紗栄子は青木遼の病院手続きに付きっきりだ。秘書の姉ちゃんがいい子でな。マスコミ対応も大変なのに融通してくれているみたいだぜ。ナンバと紗栄子は春日のサポートをしている。えりちゃんは一番製菓の対応をしてるぜ」
ハンくんはうんうんと頷いて、首を傾げた。
「なるほど。まだマスコミから春日さんと異人三の繋がりに探りは入っていないということですね」
そこでようやく合点がいった。この男、あれからずっと春日周辺の反社会的勢力の繋がりの証拠を消していたのだ。コミジュルのシステムが碌に使えない中、情報戦の先手を打っていたのである。
「もしかして、ハンくんそれで3徹してたの」
「3徹!?天童とやりあったときから寝てねぇのかお前」
「まぁ……おっしゃる通りですね」
コーヒーを飲むペースが速まっている。気を抜くと寝そうなのだろう。
「おっしゃる通りって、お前何してたんだ?」
足立さんが少し前のめりになった。真剣みのある低い声でハンくんに尋ねる。こういう時の足立さんは誤魔化しがきかない。
「……端的に申し上げると、情報操作です。コミジュルの復興作業と並行して行っていたので、まだ粗があります。春日さんと異人三の共闘関係に関する情報を差し替えていました。特に選挙では星龍会の車をお借りしていましたからね。ナンバーから遡れば星龍会のフロント企業か構成員関係者に繋がってしまいます。ただ、陽だまりの城の一件が表ざたになっていないことと、あのシノギは登記上はカタギのフロント企業でしたので、車両の所有者情報は陽だまりの城の所有へと書き換えさせていただきました。ついでに浜北公園周辺と伊勢崎ロード周辺の防犯カメラ映像は2週間で上書きされるため、星野会長と春日さんが会話している姿は残っていません。コミジュルのデータからも削除させていただきました」
今さらっと選挙カーのこと言ったけど陸運局の登記情報を書き換えたということでは、と足立さんに目配せする。足立さんも、そんなことが可能なのかと俺たちは目で会話していた。
「さらに幸いにも乙姫ランドの事件のおかげで、春日一番候補と横浜流氓は表向きは敵対関係にあります。そしてナンバさんがブリーチジャパンに一時的に協力していたおかげでコミジュルという韓国系マフィアはブリーチジャパンの運動の結果壊滅したこととなっています。春日さんが露出するたびにナンバさんが対応していたこともあって『春日候補とその選挙運動従事者及び中韓マフィアとの繋がり』を辿るのは少々骨が折れるレベルにまで精査させていただきました。それこそ秋葉正一並みの執念が無ければ辿り着くことはできないでしょう」
秋葉正一は贋札工場と荻久保幹事長の繋がりを追っていたジャーナリストでナンバの弟だ。結局コミジュルにうまい事引き入れたんだったか。確かに、彼くらい執念と情報収集能力が無ければ無理だろう。相手は、公的記録を改ざんできるレベルの現役マフィアで本職ヒットマンだ。万が一、辿り着いたとしてもそこのパチカスにしか見えないイケメンに消されるだけである。
「そういうわけで、春日一番候補を調査した場合『元東城会系荒川組の構成員で懲役満了した後、一番製菓の社長に就任し衆議院議員選挙に立候補して爆発事故に遭ってもなお諦めず、青木遼の3K作戦以降の反社会的勢力との繋がりを追求し暴露した英雄』とであると多くの人がそのように判断するように誘導させていただきました」
俺達はただ黙って聞いているしかなかった。正直に言ってそこまで考えていなかったし、ニック尾形がなんとかするだろうと高を括っていた部分はある。それは、今この場にいない春日くんたちも同じだろう。肉の壁崩壊以降、俺たちの行動範囲は思っていたより広い。
「まだ蒼天堀の騒動については精査しきれていません。えりさんが出張扱いで社長と秘書の新幹線代を経理しているので、滞在場所の書き換えは必要でしょう。宿泊場所の領収書はあらかじめアドバイスしていますので、細かい部分での調整は必要ですね。今度えりさんとも打ち合わせをしなくては」
一番製菓の社長が大阪出張中に偶然大解散の騒動に巻き込まれたという筋書きは無理があるが、そこは元荒川組若衆の肩書でなんとなくおさまるのかもしれない。
「ただし久米が逮捕された以上、あの男が何を話すのか予想するのは難しいですね。あまりにも春日さん達とのトラブルが多いですから。それこそ春日さんへの私的な怨恨から異人町の反社会的勢力との繋がりをでっちあげる可能性も想定しなければなりません。……まぁ、でっちあげではないのですが。それに、青木遼は元東城会系荒川組組長・荒川真澄の『死んだ息子の荒川真斗』であり、春日さんは若衆時代に世話係だったそうではありませんか。仮に彼の弁護士が久米の話を真に受けて、そこから遡った場合どうしても3K作戦と大解散との繋がりから我々に辿り着いてしまう。それはお互いのためにも避けなければいけません。『久米が青木幹事長を刺殺した動機』はあくまで久米の個人的な怨恨に留めなければ」
そこまでまくしたてて、ハンくんは残っていたコーヒーを一気に飲んだ。
「私が異人町に戻ってきてからの二日間、趙から電話が掛かってくるまでの行動は以上です」
俺達は何も言えなかった。足立さんとマスターはともかく、俺は特にサバイバーの二階でごろごろしていたとは言えない。変な汗が出てきたし、足立さんとマスターの視線が痛い。
「それに、足立さんの物語だけがまだ終わっていません。そういうのって気持ち悪いじゃありませんか」
足立さんがぽかんとした顔でハンくんを見ている。
「報酬はそうですね……あれからまだケーキを御馳走になっていないので、SESIL CAFEのスペシャルパンケーキで手を打とうじゃありませんか。どうです?足立さんの懐具合では少々厳しいかもしれませんね」
「お前、本当にいいのか?寝不足で判断力が鈍っているんじゃないのか?」
こんなの報酬なしで調査すると言っているのと同義だ。ちょっと前までのハン・ジュンギなら絶対に言わない。
「これは報酬の最低条件です。下げるつもりはありませんよ足立さん」
ハン・ジュンギは得意げに笑った。