あとしまつ編⑤ コーヒーを飲んでなおうつらうつらとするハンくんを一旦2階で寝かせて、俺と足立さんもマスターのコーヒーをご馳走になっていた。
「コーヒー1杯で目が覚める、とは思ってなかったけど布団かけたらぐっすりだったよ。かなり疲れてるね。あれは」
そう投げかけて、マスター特製ブレンドの香りを楽しむ。
「コーヒーには安眠効果もあるからな。昼寝の前に飲むのがいいんだぜ」
「いやいや足立さん、それは逆に目が冴えちゃうでしょ。どうなのマスター。足立さんが言ってることって本当?」
「そうらしいぞ。町内会でも話題になってたからな。まぁハン・ジュンギの場合は別の理由だろうな。そもそもがお前が無理矢理起こして連れてきんだろうが。それでもお前らのために無理して起きてたんだろうよ」
そう言われてみれば、マスターの言う通りである。電話を折り返すとは言ったがハンくんは「サバイバーに行く」とは一言も言っていなかった。だがそうすると医療班の彼から渡された着替えが入ったバッグは何なのだろう。
「そういや趙、その荷物は何だ?」
やはり足立さんも気になるらしい。ごく普通のボストンバッグだ。金が入っているような重さではなかった。
「これ?多分……ハンくんの着替え一式」
ああん?と足立さんは訝し気に唸った。
「じゃあ合流する用意はしてたって事か?」
「どうかな。その割には常識的な重さなんだよね」
そう。ハン・ジュンギの荷物にしては軽いのだ。非常に常識的な重さである。
「なあ、開けてみようぜ。野郎の荷物なんてこの世で一番面白みのねえもんだが、やべえもん入ってたら困るだろ。あのよく分からんビンとか」
「確かに」
たまに面倒な相手に蹴っ飛ばしている謎の液体が入っているビン。間違いなく有毒物質である。漏れ出たら大変どころではない。最悪サバイバーに消防車が来るし保健所が入る。仲間の荷物を物色するのは少々気が引けるが、渡された時の言葉を信じるなら衣類と常識的な日用品だろう。ファスナーを開けると1番上に紙が入っていた。手紙のようだ。三つ折りの便せんだろうか。俺たちはお互いに顔を見合わせた。
「どうする?さすがに手紙はまずくない?」
「でも普通手前ぇの荷物は一番上に置かねえだろ」
「そうだな。見られちゃマズイなら封筒に入れるなりして見られねぇようにするもんだ」
おっさん二人は早く手紙を開けと急かしてくる。だがそう言われても、まだ嫌悪感が勝っていた。
「三つ折りなんだしよ、宛名だけ確認すりゃいいんじゃねえか?それならギリセーフだろ」
「そうだな。案外ソンヒからの手紙かもしれんぞ」
まだ嫌悪感はあるが、確かに自分で用意した荷物とは思えない。
手紙を読む前に、バッグの中身を確認したかった。正直なところ、手紙よりも危険物が入っていないかの方が気になる。本当に毒ビンが入っていたらたまったものではない。だが、その心配に反してバッグの中身はありきたりな衣類と衛生用品。物騒なものは、いつものメリケンサックと護身用のハンドガンに予備のマガジンが1本だけだった。まったく彼らしくない。
「おいおい普通に銃が入ってんじゃねえか」
俺たちはマスターの言葉は無視した。
「普段持ち歩いてる分を考えると少なすぎる。これは自分で用意したものじゃないね」
「そうだな。いつもの二丁拳銃とナイフが入ってねぇ。おい趙、その手紙はやく読め」
ハンくんのチョイスにしては少なすぎる。そういえばいつものコートも預かっていない。俺と足立さんはお互いに頷き合い、手紙を開いた。
『趙へ』
俺宛だ。見覚えのある筆跡だ。
「……お前宛てか。この字は女の字だな」
「これはソンヒの字だね」
上の3分の1は宛名しかない。本文を確認するために手紙を開く。
———
趙へ
1月末までハン・ジュンギを預ける。あいつに用がある時はこちらからお前に連絡する。
あいつにはコミジュルの一部の業務からは外してある。あれこれうるさいとは思うが、帰ってくるなり寝ずに働いて倒れたお前が悪いと言っておいてくれ。話すのが面倒なら、この手紙をそのまま渡しても構わない。
以下申し送り事項
・内服薬は1日2回 頓服は状況に応じて趙が管理すること
・必要なものがあれば趙を経由して私に連絡して欲しい 必要かどうかの判断は私が行う
・定時連絡は不要
追伸
おそらくハン・ジュンギは足立に手を貸すことになるだろう
足立には、突然韓国語で喋りだしたら殴っていいから気絶させろと伝えてくれ
横浜流氓兼コミジュル総帥 ソンヒ
———
「何これ、取説?」
「なんかそんな歌あったな」
「最後の1行が不穏だが、つまりあいつは上司から暇を出されたって事か」
マスターにつられて俺たちも天井を見上げる。
「これあいつが読んだらうるさそうだな。隠しとかねぇか?」
「足立さん、俺を一人にしないでよ」
「まぁ、その話はハン・ジュンギが起きてからでいいだろ」
マスターはカウンターに戻っていった。
「足立さん、今日サバイバーに泊まらない?」
「残念だったな趙!俺は朝イチで銀行の貸金庫に行かなきゃ行けねぇんだなー残念だなー」
足立さんはこれ幸いと笑っている。明日、足立さんが来るまで寝ててほしいな、と窓から見える西日で伸びる電柱の影を眺めてた。