【笹仁】beauty in the movie ドラマの劇伴を作るときはストックの中から引っ張り出した曲をアレンジすることが多い。ふんわりとしたオーダーで、使用する場面などは特に指定されない。笹塚が依頼されるのはメインテーマだったり、エンディングのインストだったりと一部分が多いのでそれで事足りてしまうのだ。
だが映画は違う。事細かにオーダーがあり、監督の強いこだわりを延々聞いてイチから作らなければならない。そうなると笹塚はリサーチにかなりの時間を割くことになる。
前者は自由に笹塚が色付けをしておけば好き勝手に解釈してくれる絵画のようで、後者はバラバラのピースを渡されてきれいに当てはめろと言われているようなものだ。出来上がりの図は誰も分からない。携わる者の力量が試される。
オーダー中の要望が多ければ多いほど、笹塚も挑戦してやろうという気にはなるのだが打ち合わせの時間は面倒くさい。すべて仁科に任せたいがそうもいかず、仕方なく時間を消費するしかなかった。
笹塚だけでは心配だと仁科も同行していたが、仁科自身は打ち合わせと現場のはしごでかなり消耗しているようだった。
「笹塚、忘れないうちに映画チェックしとこうか」
打ち合わせ時に監督の話は抽象的過ぎた。彼の中には既に出来上がった画があるのだろうが、笹塚には全く通じてこない。いらだちを強めていると、仁科が「具体的なものがおありのようですが、それはなんていう映画ですか?」と尋ねた。まるで待ってましたと言わんばかりに、監督はひとつの映画について語り始めた。
どうやら監督はその映画のカメラワークや雰囲気をオマージュしたいらしい。
エンターテイメントではなく、芸術寄りの映画なので内容についてはあまり面白味を感じないかもしれない。しかし、画面に映る映像は絵画のようで、言葉少なく進む中で流れる音楽と合わさって美しいのだと熱弁されてしまった。
「同じ音楽が欲しいわけじゃない。ただあの静謐さを知ってほしい、求めているのはそれだけだ」
静謐さに音楽が必要かどうか。賛否両論分かれるところだが、知るためにもその映画を見た方がいいだろう。あれだけ具体的なものを抱いている監督に対して、知らないまま曲を作っても首を縦に振って貰えない。
仁科はそんな笹塚の胸中を見抜いており、アジトに戻って早々ソファに腰かけてリモコンで映画を検索している。
「あった、すぐ見る?」
「あぁ」
笹塚も仁科の隣に座ると、彼はするりと立ち上がってキッチンに消えていった。まるで逃げられたようで何とも言えない気持ちになるが、そう時間を置かずに同じ場所に戻ってきた。両手には湯気を立てるマグカップを持っており、テーブルに置いた。
甘い香りはカフェオレだろうか。
「笹塚の甘めにしといた」
「ん」
マグカップに口をつけると、見た目ほど熱くないようだった。飲みやすい温度に調整されていて、相変わらず気遣いすぎる男だなと思った。
「映画見るならポップコーンとかあったら楽しいけど、今日見るのはそういう感じの映画じゃないしなぁ」
「食べたきゃ、今度劇場行けばいいだろ」
「……付き合ってくれるわけ? お前が?」
「おかしいか?」
「時間の無駄って言われるかと思って」
「無駄なんてあるわけないだろ」
「それ、俺がベタベタの恋愛映画見たいって言っても同じこと言えるのかよ」
「映画の内容じゃなくて、お前と出かけることに無駄なんてないってこと」
「――なんだよ、それ」
仁科は拗ねたのかぷいと顔をそらして「始めるぞ」と映画の開始ボタンを押した。
三十年ほど前の全編モノクロで綴られる映画は、確かに興味をそそられる画だった。監督が魅せたいシーンは固定カメラでの撮影になり、まるでテレビという額縁の中で動く絵のような感覚に陥る。そのシーンでは、見える範囲にあるものにすべて意味付けがあるらしい。暗喩に彩られたミステリアスな空間で、ベタなラブシーンが繰り広げられているのは滑稽である。このあたりは監督の言う〝内容についてはあまり面白味を感じないかもしれない〟部分なのだろう。
ふと画面内に人が誰もいなくなった。スイッチングで変わる街も、部屋も誰もおらずかすかなメロディだけが流れている。聞き覚えのあるようなそれに耳を傾けるが、痛いほどの静寂に支配されて聞き取れない。
(これか)
監督の見ていたシーンはこれなのかと、笹塚はようやく理解した。
生活音が消えた中にある懐古的感情を煽るメロディは確かに説明がしにくい。
こういうような音が欲しいとは、なんとも難解な挑戦状を叩きつけられた気分である。だが面白い。こういうパターンは初めてだ。
「にし……」
仁科に意見を聞こうとして、笹塚は息を止めた。息まで止める必要はないが、そうしなければいけない気がした。
ソファのひじ掛けと背もたれの交差する場所に背を預け、ずるりと滑り落ちている。一見だらしない格好に見えるが、頬の近くに添えられた手が愛らしさを醸していた。無垢な表情で眠っている姿は人形にも見えて、テレビ画面の明るさが仁科の睫毛の影を深めていてますます人工めいたなにかに見える。
目蓋が閉じられているから――その奥の蜂蜜色の瞳が恋しくなる。
(画面から出てきたみたいだな)
胸板は上下しているが、呼吸する音はほとんど聞こえない。まさしく映画の静謐さを体現したような姿だった。
さすがにずっと息を止めているわけにはいかず、はあと新たな空気を肺に送り込む。それすら、仁科を起こしてしまうかもしれないと慎重になってしまう。
ここのところ休みなく動き回っていたので、疲れが溜まっていたのだろう。仕事として興味がない映画を見れば、退屈が眠りを誘ってくるのにそう時間はかからない。
(美人は眠ってても美人、か)
他人の視線を警戒する仁科が、アジトで――笹塚の前で無防備でいられることに、どれほどの喜びを抱いているかなんて仁科は知らないだろう。
笹塚はベッドルームに向かうと適当な毛布を引っ張ってくる。
体勢を直してやりたい気はあるが、そこまですると起きてしまうだろう。体を痛めそうだが睡眠優先ということで、慎重に毛布をかけた。
「おやすみ」
仁科のつむじあたりに唇を落として、笹塚は定位置であるパソコンの前に戻る。
映画はまだ続いていたが、笹塚はもう十分にインスピレーションを得た。脳内の五線譜が埋まっていく。
笹塚がカタリとキーを打つ。響くその音は、まるであの映画の中のように静謐さを知らしめるかのようだった。
fin.