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    asaki

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    ハグの日と聞いたので

    #笹仁
    sasahito
    ##笹仁

    【笹仁】hug you tight! - side:SN - 朝、出かける前に「打ち合わせに行ってくる」と声をかけたが返事はなかった。
     返事がないのは集中している証拠。いつものことである。
     リビングのパソコンデスクに置き物かというくらい物静かに佇んでおり、仁科は進捗が芳しくないのだなとそっと部屋を後にした。
     今日に限ってすべての訪問場所が離れており、時間のロスができない状況で広範囲を移動することになった。おかげで笹塚の様子を見に戻ることもできず、夕方になった。幸いにも最後の打ち合わせは早く終わり、仁科はいまだパソコンデスクの前に鎮座しているだろう笹塚を思った。
    (あたたかくて、栄養がありそうなものがいいかな)
     仁科が料理をすることもあるが、帰宅時間を考えるとデパ地下で買っていくのがいいだろう。
     真夏のヒリつく太陽はオレンジ色を溶かしてゆるりと地平に広がっていき、まるでそれを覆い尽くすかのように濃い夜が染みこんでいく。夏はオレンジ色が優勢で、グラデーションになる境目が明るい色で夜を薄めていた。
     目で見ている限りは暑さが和らぐ風が吹く夏の宵と言った風情だが、残念ながらじっとりと肌にへばりつく湿度がそれを許さない。汗が滲み、とめどなく流れて来る。まだ潮風の方がマシな気がする。
     早く帰って汗を流して涼みたい。
     そんな気持ちを抱きながら、仁科は夕方のデパ地下という戦場へと向かった。



    「ただいま」
     仁科の帰宅の合図に対し、返事があるのはおおよそ二割。「おかえり」がないことは承知の上なので、大量の戦利品でガザガサと音を立てながらリビングに踏み入った。
     そこには時間が巻き戻ったのかと錯覚しそうなほど、朝に見た光景と寸分違わない笹塚がいた。
     それはつまり今日一日食事をしていない可能性があるということだ。
     デスクにマグカップがあることから、水分――と言っていいものかどうか――はちゃんと取っているようである。今も集中が切れていないところを見ると、どこか躓いているフレーズか構成があるのだろう。
     仁科はそんな笹塚を尻目に、キッチンに買ってきた総菜を並べていく。
     暑いのでさっぱりしたものが食べたい気持ちと、冷房で体が冷えてるので温かいものが食べたい気持ちが共存した結果、統一性のないおかずになってしまった。
     ビーフシチューにローストビーフ、マッシュポテト、中華サラダ、南蛮漬け、鶏肉の甘酢あん――改めて見ると、自分もお腹が減っていたんだなと思う。
     お皿を出すのも面倒なのでパックのままなのは容赦してもらうとして、食べる直前に一部を温めればすぐに食べられる。
    (まだ、かな……)
     笹塚の瞳はディスプレイを睨みつけ、口元に添えられた手が何か悩んでいるように見える。
     本当はすぐにでも食べさせたいところだが、仁科も汗を流したい。仁科がうろうろとしても微動だにしないので、シャワーを浴びる三十分くらいならこのままだろうと浴室に向かった。



     ぬるめのお湯で頭からつま先まできれいさっぱり洗い流すと、気疲れも一緒に流れ出ていくようだった。それと同時に腹の虫がぐうと鳴くので、早々に食事にしようとリビングに再度足を踏み入れる。
     湿ったままの髪をタオルで拭きながら、リビングの奥を見つめた。
    (さすがにタイムアップ)
     昨夜からあの状態なのだ。いい加減、どんな状況だとしても笹塚を休ませる必要がある。
     持っていたタオルはソファに引っ掛け、仁科はなんとなく忍び足で笹塚の背後まで近付いた。大きく一歩踏み出せは背中に寄り添える距離で、もさっとした笹塚の後頭部を見つめる。
     ヘッドフォンをしていることもあり、仁科の存在には気付いていなさそうだった。
     一歩踏み出すのと同時に、仁科はその長い腕を笹塚の首の横ににょきりと挿し込み、そのまま抱き寄せるようにハグをした。首に絡めるのではなく、胸元を押さえるようにすると鈍い心臓の音が聞こえる。それが少し跳ねてとくとくと音を早めるので、無反応に見えて驚いてはくれたのだなと仁科は小さく笑った。
     笹塚はヘッドフォンを外すと「なに?」と画面を見たまま答えた。
     声は平坦で驚いてる素振りはなかったが、仁科は「休憩。飯にしよ」と告げる。画面には五線譜があり、美しい音符がびっしりと並んでいた。どうやら悩みの理由はアレンジのようである。
     笹塚は効率を重視するが、行き詰った時はとことん追求し、気分転換という道には到達しない。一旦見切りをつけて時間を置くというのもひとつの手段だとは思うのだが、試行錯誤の海に沈んでしまうのだ。
    「根詰めすぎだろ。お前、今日が何日で何時だか分かる?」
    「――…………どれだけ経った?」
    「おおよそ丸一日」
    「ハァ、そうか。どうりで糖分をとっても腹が減るわけだ」
     深い溜息をつくと、笹塚は自身の異変を口にする。
    「糖分もいいけど、夏なんだからちゃんとした水分もとれよ」
     ずっと涼しい室内にいるとはいえ、水分摂取は疎かにして欲しくない。陸上をしていた笹塚であれば、そのあたりは理解していそうだが――集中してしまうと、それも忘れてしまうのかもしれない。
    「出来合いだけど、色々買ってきたからさ。すぐ用意するから、風呂行って来たら?」
     仁科が体を離そうとすると、笹塚の胸の前で交差している手が両方とも笹塚によって掴まれた。寝不足の笹塚の体温は、風呂上がりの仁科よりも熱い。
    「もう少しこのまま」
     笹塚の頭が、仁科の肩口に寄りかかる。珍しく甘えるようなそれに仁科は「仕方ないなぁ」と答えたが、口元がにやけてしまい、笹塚の背後でよかったと内心ほっとした。
    「俺、腹減ってるから――少しだけ、な」
    「――やっぱり、お前の匂いは落ち着く」
     ふうとゆっくりとした深呼吸をされ、仁科は思わずどきりと鼓動が跳ねた。
     普段口にしないくせに、うっかり漏れたようなその言葉に一人で浮かれてしまうなんて不毛だ。それでも笹塚の様子を見る限り事実のようで、事実ということは――本当だということだ。
     そんな当たり前のことに色々と言い訳を付けようとしたが、それはできなかった。
     じわじわと頬に上る熱を風呂上がりのせいだと誤魔化しながら、笹塚に掴まれた手が解放される瞬間を待ったのだった。

    fin.
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