物心付いた頃から家族というものを知らない。家族の名残と言える物は、おそらく僕の手元にある緑の石の付いた一対のピアスのみだ。
両親のことは、亡くなったという以外誰も何も教えてくれることはなかった。けれど、軍の施設内には同じ境遇の子供ばかりで、それは特に気になることではない。ただの事実というだけだ。
この施設は軍学校の様なものでもあり、教官達は良い成績を残せば褒められ、可愛がってくれた。幸いにもある程度のことは卒なくこなせるほどの器用さは持ち合わせていたし、世渡りも下手ではなかったから生活に関して特に不満を持つことも無かった。寧ろ彼らのことは、家族だとすら思っていた。
いや、思い込もうとしていたのかもしれない。若かった自分は、彼らの役に立ち認められることが全てだった。
けれど、何か埋まらない穴がある。何かはわからないがぽっかりと空いたその部分は、誰の言葉でも埋まることはなかった。
その虚無感が最大限まで強まってきた頃、ユニティオーダー本部への配属が決まり施設を出ることになった。
それと同時にピアスホールを両耳に開けてみることにした。そこには勿論、形見らしきピアスを下げる。ぶら下がったそれを鏡越しに見た時、初めて心の穴が少し塞がった。そんな気がした。
もしかすると、幼い頃から本当の家族というものに憧れていたのかもしれない。僕だけを見てくれる、そんな存在を求めていたのかもしれない。このピアスをなぜ僕が持っていて、どういう経緯で僕の元に来たのか。そこには僕だけの家族の欠片がある気がして、この繋がっているのかすらわからないようなモノに縋るのだろう。
鏡の中で軍のカラーと同じ緑の石が肩に掛かり始めた髪の間で揺れている。僕はしずく型のそれを、鏡を見る度に指先で撫でた。
外界に降りる任務は、基本的に新人に与えられる。施設を首席で卒業した僕も例外ではなく、まずは地上に配属された。
地上では、基地周辺を基準とした見廻りと取締りが主な仕事だ。階級が上がるまでは、大方この任務に就くことになると伝えられていた。
取締りという名を使ってはいるが、実際のところ不穏な組織を見付ければその倍の勢力で攻め入り鎮圧する。それが、僕らの取締りだ。その町、村ごと、危険因子は一粒残さずに徹底駆除を行わなくてはならない。
僕も何人の地上の人間を手に掛けてきただろうか。だが、それが僕らの普通であり当たり前だった。それに対する疑問など持ったことすらなかった。
配属されて数年はあっという間に過ぎていく。勤務にも慣れ新人の教育も請け負い始めた頃、とある勢力と別班が戦い、場を治めたとの報告が入った。相手方が相当な手練れだったこともあり、こちら側もかなり痛手を追ったらしい。僕達の班は、人手の足りなくなった後処理のためにその場へ呼ばれた。
現場に広がる惨状には、それなりの場数を踏んできた僕でも流石に鼻を抑え眉をしかめるしかなかった。
辺りには肉の焼け焦げる匂いが充満している。敵味方どころではない、元が生き物なのかすら判別の出来ない物がゴロゴロと辺りに転がっていた。
本部からの追加の連絡によると先行班は最後の抵抗にとありったけの火薬での自爆をくらわされたらしい。広範囲の焼け焦げから相当の量だったことは容易に伺えた。これは鎮圧したと言っても良いのだろうか……。
動ける人間はひとりも居らず、何とか生き残った者は既に救助され既に輸送されていた。
情報が若干違うが、とにかく僕らはやることをやらなければならない。
部隊には、僕らの様な施設育ちではなく普通の家庭から入る者も居る。殉職した場合、その者たちの最後を記録し、彼らの家族に報告する義務が僕らにはあった。勿論、僕らも記録されるだろうけど、重要度としては前者が上回る。
心情的なものもあるのだろうが、信仰の問題だろう。アークの住人は皆がナーヴ信者だ。そんな彼らへ誠意のある対応をし、子供の死という憤りは地上へ向けさせる。そうすればまたナーヴへの信仰心が上がるのだ。
こんな言い方をしたが、僕がそのやり方に何かを思っているわけではない。ただナーブを心から信仰していないだけだ。そして、地上への蔑みも持ち合わせていない。仕事だから地上の勢力と戦う。だからその行為には自分の思いは一切のっていなかった。僕は僕のために生きている。彼らを殺すことに躊躇いなどないのだ。
そんな僕が今は途方に暮れていた。目の前に落ちているのは黒焦げのかたまり。この肉片たちを識別するなど無理な話だった。全員、爆死以外書けることがない。
奥の方には無事と言って良いのかわからないほどのオンボロな小屋が残っていた。あちら側なら、多少は綺麗な遺体があるかもしれない。そう思い足を進めた。
仲間から50メートルほど離れただろうか。ここに居た者達は無事だったのかもしれない。人らしきモノは見当たらなかった。
シンとした空気を土埃の混じった乾いた風が揺らす。なんだか無駄に疲れた。重いため息が溢れそうになった瞬間、聞き慣れた音が辺りに響いた。僕の好む短銃の発砲音だ。それとほぼ同時にけたけましい爆発音が鳴り響く。
爆風でその場の地面に身体が叩き付けられた以外、何が起きたのかは全くわからなかった。だが数秒の間を置いて感じる左腕激痛から状況を把握する。左肘の少し上に3ミリほどの厚さの鉄板が刺さっていた。そこから下は二の腕と見事に切り離されている。
正直、痛みで何も考えられない。だからこそ冷静になれと、施設での教えを頭で反覆した。
痛みに悶絶しながらも辺りの様子を伺えば、同僚ふたりは爆風で吹っ飛んだのか先程彼らがいた場所よりも僕側に倒れていた。爆発源があちらの方が近かったのだろう。
身体の欠損まではここからはわからない。だが僕でこれだ。あの爆発を直撃して内蔵が無傷なわけがない。彼らが助かることはまずないだろう。
爆風の打撃と切断された腕の痛みから、脂汗が首筋や額に滲んでいた。それは玉になり地面に零れていく。
身体がどうであろうと、この状況でこの場に留まるのが危険なのだけは確かだった。無事な手を動かすのですら全身に激痛が走る。それでも左腿のホルスターガーターを外し、切断面の少し上に何とか巻いて血止めを施した。痛みに気を失いそうだったがガーターから外した銃のグリップを歯で挟み、食いしばりながら何とか側に落ちていたライフルを支えに立ち上がった。
銃の発射音がどちらから響いたかだけは幸いにも判別出来ている。近辺小屋のどれかに見逃された生き残りが居たのだろう。
トリガーに指を通し、できる限り影を通り慎重に小屋ひとつずつ調べていく。人の気配は感じなかったが、それでも油断はできない。爆発源からここまでの距離を考えると的がある程度大きかったにしろ、一発で当てるなんて相当な手練だ。
警戒を緩めず、崩壊しそうな小屋の裏へ回った。すると、弱々しい呼吸音が不気味なほどの静寂の中聞こえてきた。その音は尚も続いているが、段々と弱ってくのも感じ取ることができた。相手は瀕死だ。最後の抵抗にと準備していた爆薬にでも打ち込んだのだろう。
僕は銃を握り呼吸を整えた。
絶対に生きて帰る。
祈る代わりに耳飾りを触りたくなったが触るための手はもう失かった。
更に呼吸音が小さくなった頃を見計らい、僕は小屋の中へ銃を構え立ち入った。
予想もしなかった光景に息を呑んだ。中には4、5歳ほどの幼子が床に転がっている。栄養失調からか露な脚も腕も骨と皮に近い。
僕の腕を失くした原因だろう短銃は、持つ力も残っていないのか傍に転がっている。こんな子供まで武器を握らなくてはいけないとは、ここは地獄か。いや、地獄なのだろう。予想もしなかった光景に、僕は指一本すら動かせなくなっていた。
僕の物音に閉じられていたまぶたが開き、虚ろなガラス玉が姿を現す。弱りすぎて見えなくなっているのか、子供の瞳は僕を捉えているのに視線が合わない。
そんな姿に呆然としていると、子供が小さく唇を動かした。
「ぉ……と……さん……」
掠れた声が聞こえ、子供は力なく笑った。そして、僕へ震える手をのばしている。
「……きて……くれ……た……んだ……」
おそらく、この子の親は先行班に殺られている。そうでなくとも、もうこの世には居ないだろう。そんなことは深く考えなくてもすぐわかることだ。
それなのに、その腕に手をのばしてしまったのは無意識だった。膝をつき銃も床へ放おる。気づいたら片手でその子を抱きしめていた。抱きしめれば、弱々しい腕が僕に被さる。子供の色素の薄い髪と僕の銀髪が混じり合うのが目に入り、色が少し似ているな、なんてこの場にそぐわない呑気なことを考えてしまった。
腕を失くした原因がこの子だろうが何だろうが今の僕にはそんなことはどうでも良かった。この子を死なせたくない、ただそれだけを想う。腕の痛みなど遠に忘れていた。
何故かこの時、僕の心の穴は完全に埋まってしまっていたのだ。
ユニティーオーダーには、公にされていないある制度がある。幼い子供は地上から保護して良いというものだ。公にされてはいないだけで暗黙の了解であり、ナーヴも黙認している。
僕はこれを使おうと、この一瞬で頭をめぐらしていた。しかし、そうするとひとつだけ破らなければならないことが出てくる。この制度は、取締りを行った地域の子供へは施すことが出来ないのだ。理由は単純、復讐を望む危険因子となりかねないから。
僕は、常備していた栄養剤のフタを歯で開けると片手で何とか子供に飲ませ、近辺にある布地をかき集め冷え切った小さな体を身体を包んだ。その後、同僚のふたりの元へ戻ると、やはり即死だったのだろう。ふたりは息をしていなかった。
それから基地へ2回目の爆発の報告を通信機を使い行った。幸いにも発信機は僕が持っていた。
上官へは、「最後の生き残りが自爆。自分はニ次的爆傷による左腕の損傷、他隊員は一次的爆傷によりふたり死亡。その後、辺りを確認したが生存者は無し。一度目の爆発時の現場に残されていた遺体は損傷が激しく全て身元判別不能。現場到達前に子供をひとり保護済み。子供は安全な場所に避難させていたため無事だが、元々の栄養失調から衰弱しいる。自分を含め救護の要請をしたい」と伝えた。幸いなことに射撃の目撃者は僕以外にこの世には居ない。
これが危険な賭けなのはわかっている。彼が僕らをどういう認識でいるのかはわからない。目が覚めた彼がどういう反応をするのか、それ次第で僕のこの行為は無駄として終わるだろう。処罰も受けるかもしれない。
それでもこのままここへ置いていけばこの子は確実に死ぬ。それなら選択肢はひとつしかなかった。僕は彼を死なせたくない。
手続きはそれは面倒だった。保護だけでなく養子縁組の手続きも加わり、その上、義手の調整や動かすためのトレーニングまである。今までの僕ならば絶対にこんな面倒なことは自ら進んでやらなかっただろう。
彼は今、軍病院で治療されている。彼と呼んでいるのは、男児だと診断時にわかったからだ。保護した時は、痩せ過ぎていて性別もわからなかったし顔自体も中性的だったからどちらかといえば女子なのかと思っていた。
まだ彼には会えていない。彼の話は、義手の調整で病棟に行く度に聞いているだけだった。極度の栄養失調だった様で、今は順調に回復しているらしい。そして、何も話をしないらしないという報告もされていた。これには申し訳ないがホッとしている。
そんなわけで僕は今、諸々の手続きに追われている。想像の数倍、いや、十倍はいくだろうか。
僕は彼を養子にすることにした。僕が育てられた施設へ入るという話もあったが、あの手を僕は離したくなかったのかもしれない。
書類作成やら養子縁組をする上での家庭監察やらで毎日忙しい。幸いなのは、失くなった腕のおかげで有給中ということだろう。二人暮らしになれば出費も増える、頂けるものは貰っておきたかった。
手続きのことを調べれば調べるほど、僕はずっと胸に引っかかっていた疑問が正しかったのではないかと言う思いに駆られていた。僕は、彼よりも幼い赤子の頃にアークに拾われた地上人なのかもしれない。
だがこれを考えたとして、仮に本当に地上の人間だろうが何が変わると言うのだろう。どちらだろうと親の顔すら知らないのだ。
そして、アークに蔓延る矛盾に気づいてしまった。地上とアークの人間に違いなんて無いのだ。ただ、生まれた場所が違うだけ。それだけのこと。
それなのになぜ彼らは人間ですらないように扱われなくてはいけないのか。
明らかに何者かによる情報操作だろう。いつから行われているかはわからない。けれど、これは確実に『誰か』の利益に繋がっている。そして、僕らの利益にも繋がっている。
それがわかっても、その『誰か』のことを口にしてアークで暮らせなくなることは避けなければいけない。大事なのは、僕があの子を養えるだけの給料を手に入れ安定した生活を送れること。ここならばそれが保証される。それを自ら手放すわけにはいかないのだ。
義手の方もこの調子で行けば仕事面でも問題なく動かせるだろう。復帰は来月の予定だった。
あぁ、早く君と家族になりたい。僕は君の家族になれるだろうか。なれたらいい。
心よりそう願った。
あれから幾年もの月日が経った。アークでは16が成人の歳となる。月日が経つのは早いものだ。息子は今年、ユニティーオーダーへの入隊が決まっていた。
「シャオ、成人おめでとう」
今日は僕がシャオと出会った日だ。彼のライラック色の髪に映えそうな、小さなプラチナのリング型のピアスを贈った。
「……ありがと」
形見などではない、僕が息子へ贈る彼への愛の証。返事は素っ気ないが気に入ったのだろう、シャオは何度か指先で滑らかな曲線部をなぞっていた。
「穴、お父さんが開けてよ」
君からそう呼ばれるのに慣れてどれくらいが経っただろうか。こう呼んでくれるまで掛かった年月も僕の中では大事な時間だった。だけど初めて呼んでくれた時の感動は、これから先も忘れることは出来ないだろう。
「もちろんだよ、シャオ」
僕は、生身の手を彼へのばすと彼の耳たぶを撫でた。