「夏休みがほしい」 「夏休みがほしい」
うっそりどんより、という形容を音にしたような男の声に、バインダーを手に資料室から戻ってきたレオナルドは(あ、だめかも)と心のなかで十字を切った。
机のうえに山と積み上げられた書類の間から覗く、機械的にペンを走らせているスティーブンの目は澱み切っている。
マグカップの中の泥のようなコーヒーはもう空のようだ。持ち上げ、口をつけ、空なので机に戻し、また持ち上げ、マグカップの端を噛んで。
レオナルドはバインダーを机の端の残り少ない空白地帯に置くと、そっとスティーブンの手の中からマグカップを抜き取る。
澱んだ目でその動きを追ったスティーブンの目からは光が消えている。たれがちの目元の下には黒々とクマが刻まれ、髪はシャワーだけは最低限浴びているので脂っぽいということはないが今日はブラシを通していないのかレオナルドに及びそうなほどに乱れ、そして剃り残しの無精髭が顎の下にみえている。
目は虚ろ、ペンを持っている手はしっかりしていると思いきや、よく見ると署名の字がだんだんとのたうってきている。
ペンを走らせている書類ではなく、レオナルドに視線を固定したままスティーブンは背景にオドロ線を背負いながらうめく。
「夏休み……少年とサマーバケーション……白い砂浜、青い海、水着のポヨポヨ腹。サンオイルを君の背中に塗って、海の中で戯れて。ふふふふふあれはそう、ほら亀だよ。トータスじゃなくてタートルだけどねって」
レオナルドは書類が壊滅的なことになる前にスティーブンの手の中からペンも抜き取ると、それを机の端に置く。
そしてくるりと後ろを向くと、別フロアにいるであろうもう一人の上司に届くようにと声を張り上げた。
「クラウスさーーん! スティーブンさん、げん、かい、でーーーーーす!」
他に片付けてくれる人員のいない書類仕事の山に埋もれて完徹三日目のスティーブン。その後、バカンスに行けなかったことは言うまでもない。