運 独特の高い音を立ててコインが宙を舞う。
指で弾かれたそれは回転をしながら落下し、 ラーハルトは手の甲で受け止め反対の手で覆い隠した。
鳴り止んだ音に合わせてヒュンケルが目を開く。
「表」
神妙な顔つきで宣言するヒュンケルをどこか気の毒そうに見つめながら、ラーハルトは覆っていた手を退けた。
「……裏、だな」
手の甲に乗るコインを見つめ溜息を吐いたのはラーハルトだ。
「こうも当たらないとは、呪われているんじゃないのか?」
「それはない……と、思うが」
「一度も当たったことがないではないか」
ラーハルトは呆れながら過去を思い返す。
晴れて恋人となり共に暮らし始め、少なくない時間が経った。
日々を積み重ねていけば当然二人の意見が割れることがある。
お互いを大切に思う二人は相手の意見を尊重するあまり、逆に決定に至らないことが増えてきた。そんな時の解決方法として、ヒュンケルよりコイントスが提案された。
ラーハルトが投げたコインの裏表をヒュンケルが当てればヒュンケルの意見を、外せばラーハルトの意見を採用する、という方法だ。
簡潔な決定方法にラーハルトも賛成したが、そこで発生した別の問題がこのヒュンケルの運の悪さである。
そろそろ両手で数えられなくなる程度の数だが、全てを外すとなるとそれなりの確率になるだろう。
一度、「裏だと思ったから表」と謎のフェイントを試みていたが、それすら外していたのは目も当てられなかった。
余談だが最初の一度だけは当てている。それはしっかりとコインが落ちる瞬間を見ていて判断したのであって、協議の結果無効となり、それ故にヒュンケルはコインが落ちる間は目を閉じるようになった。
あまりにも外し続けるので、ラーハルトは投げる役を変えるように提案したが、ヒュンケルがトスする姿が格好良いと褒めるものだから、投げ役は専らラーハルトだ。
意見が分かれると言っても、食事のメインは何にするか、出かける場所はどこにするか、などという些細な事ばかりなのだが、こうも自分の意見ばかりが通るとどこか不満が溜まってくる。
そんなラーハルトの心中など知らぬとばかりに、ヒュンケルはコインを回収し仕舞いながら、今日の晩ご飯は肉か、と暢気に呟いていた。
そんなこともありつつ穏やかな日々が続いたある日、再び意見が分かれる事態が訪れた。
「仕方ない、またコイントスで決めるとするか」
慣れた手つきでヒュンケルはコインを取り出し手のひらに乗せ、ラーハルトに差し出す。
しかしラーハルトはそれを受け取らず、その手を握らせた。
「今日は、お前が投げろ」
戯れに過ぎないコイントスに思いの外真剣に返され、ヒュンケルは僅かに目を見開いた。
真っ直ぐに己を射抜くラーハルトの瞳と握られた手を交互に見やり、静かに頷く。
ラーハルトの手が離れるとヒュンケルはコインを弾く構えをとり、滑らかにそれを天へと放つ。
確かに堂に入った姿は見ていて悪いものでは無いな、とラーハルトが思っていると、いつの間にかコインはヒュンケルの手に吸い込まれていった。
見蕩れてコインが隠れる瞬間を見逃した自分と違って、ヒュンケルは己もコインも見ていたことに悔しさを感じつつも、ラーハルトはそれを気取らせぬよう口元に手を当て考える素振りを見せた。
「表」
端的に述べられた答えに応じ、ヒュンケルがゆっくりと覆っていた手を退けると、そこには表面を見せるコインが鎮座している。
ラーハルトはきょとりと目を丸くした。
「もう一度やるか?」
なんてことは無いようにヒュンケルが言う。
「お前が納得するまで、何度でも付き合うぞ」
言葉はどこまでも穏やかだが、ラーハルトはどこか薄ら寒いものを感じた。
驚きの瞳のままヒュンケルを見つめれば、声に違わぬ穏やかな笑みを浮かべる恋人が目に入る。
「叶えてやりたいんだ、お前の望みなら何でも」
そんなはずない、とラーハルトが頭の中で否定するがどこかで本能が告げている。
これは運などではなく、もっと大きな、なにかの力が動いているのではないか、と。
そんな警鐘を振り切るようにぎゅう、と眉を顰める。
「それならば」
ラーハルトはそう呟きながらヒュンケルを抱きしめた。
動揺したヒュンケルの手からコインが滑り落ち、高い音を立てて地面にぶつかった。
「お前の願いを叶えてやりたいオレの気持ちをわかってくれ」
ラーハルトは祈るように抱きしめる力を強めた。
驚きに行き場をなくしたヒュンケルの腕が、戸惑うようにラーハルトに添えられる。
「……また、意見が分かれてしまったな」
「そんな訳ないだろう、オレの願いを叶えたいお前とお前の願いを叶えたいオレ、どちらも同じだ」
ラーハルトは抱きしめていた腕を離し、その手でヒュンケルの頬を包み額を合わせる。
「だから、聞き入れてくれ」
祈りの言葉は、誰に向けられたものだったのか。目を閉じ祈るラーハルトの手の甲に暖かいものが触れる。
ゆっくりと目を開けば、近過ぎてピントが合わない視界の端に己と色の違う手が重なっているのが見えた。
ラーハルト、と呼ぶヒュンケルの声と瞳はどこまでも優しい。
二人はどちらともなく目を閉じると、そっと唇を重ね合わせた。
そしてまた日は流れ、またしても二人の意見が分かれる時がやってきた。
ヒュンケルは日課の如く淀みない手つきでコインをラーハルトに差し伸べる。
今回はラーハルトも素直に受け取り、これまた慣れた動作でコインを弾く。
「裏」
目を開きながら宣言するヒュンケルは、いつになく挑戦的だ。
ラーハルトは僅かに緊張しながら覆う手を退けると、そこには裏を向いたコインがあった。
じわじわと込み上げてくる感情に、ラーハルトは思わず唸り声をあげた。
「おい、当たったぞ」
「そうだな」
ヒュンケルは嬉しそうに笑うが、その笑みは当たったことへの喜びではない、とラーハルトは思った。
そう思うと頬が熱くなるのを感じ、思わず動揺した弾みにコインが地に落ちる。
それを目で追っていると、コインは数度跳ね地面に直立した。
驚きお互いの顔を見合わせしばらく固まっていたが、それはやがて大きな笑いに変わった。