ハネムーン「と、言うわけで結婚に至った」
ダイ捜索の旅の半ば、定期報告に訪れたヒュンケルよりもたらされた報告に、アバンは空いた口が塞がらなかった。
進展のない知らせに少々肩を落としつつ、気分転換にアフタヌーンティーにでも誘おうかと思った矢先、ついでのような口火で放たれた言葉は、いっそ小さな勇者が見つかるよりも衝撃的だった。
「それは……おめでとう、ございます?」
どうにか振り絞り出した言葉は、まるで祝いの気持ちが乗っていないどころか疑問系だ。そもそも追いついていない気持ちを乗せられる訳もなく、アバンは呆然としたまま件の二人を見やる。
「といっても何かが大きく変わる訳でもないですし、ダイの捜索は続行するつもりです」
「……」
師匠をここまで混乱させておいて己は通常運転のヒュンケルに対し、その相手であるラーハルトは、あまり顔を合わせている訳では無いアバンにもわかる程あからさまに不機嫌だ。
結婚報告の場に、あまりにも相応しくない表情にアバンはふつふつと沸き上がる怒りを覚えた。
「ラーハルトさんは、ヒュンケルとの結婚になにか思うところがおありですか?」
声だけ聞けば年長者が迷える若者に穏やかに問う音に聞こえるが、隠しきれない言外の圧がラーハルトにのしかかる。
「……ヒュンケルとの婚姻についてはやぶさかでないが、ダイ様が見つかっていないというのにこのような話が進んで苛立ちを感じているだけだ」
ある種大魔王と対峙した時以上のプレッシャーを感じながらも、ラーハルトはどうにか答えた。
するとアバンから発せられた無言の重圧が緩み、どうやら正解を引き当てたようだが、お前は娘を嫁に出す父親か、とラーハルトは傍らで見守っていたヒュンケルと同じ顔をしていた。
「そうでしたか、しかし焦ってもダイ君が見つかる訳でもないですから、どんな形であれ結婚については喜んで良いと思いますよ?」
先程までの凄みはどこへ行ったのやら、今度こそ雰囲気と言葉が一致した声が2人に投げかけられる。
「ダイ様がおられない現状でうつつを抜かす訳にもいかん」
「……」
頑ななラーハルトに、逆にヒュンケルが黙ってしまう。
ラーハルトから隠れてそっと送られたヒュンケルの視線に、アバンはどこか懐かしいものを感じた。
アバンは愛弟子を安心させるよう小さく頷くと、殊更明るい声音を上げた。
「では、まずは新婚旅行ですね!」
パン、とまるでいいことを思いついたとでも言わんばかりに手を叩きながら告げられた言葉に、ラーハルトはわかりやすく眉を顰めた。
「はぁ? どうしてそうなる」
「まともな手がかりがない今、闇雲に動いても無駄に消耗するだけです。 なら少しくらい休息をとるのも良いと思いますよ」
こうなってしまえば大勇者の独擅場だ。
師に解決策を委ねたヒュンケルはもとより口出しをしないし、調子を戻したアバンに口で勝てる訳もないラーハルトは碌な反発もできないまま、あれよあれよと話が進み、即断とは思えない速さでカール王国から遥か西の果ての街まで送り出されたのであった。
魔王の進軍にあまり被害を受けなかったその街は、穏やかな気候と海に包まれた賑わいのある街だった。
アバンが懇意にしているという街の住民に引き渡された2人は口を挟む隙なく街中を引きずり回され、その勢いのまま名物の料理や地元の特産品、美しい景色が見られる場所など案内され、気が付くとアバンが手を回していた宿のソファで項垂れていた。
「一体何が起きたというのだ……」
柔らかなソファにようやく人心地がついたラーハルトは深い溜息を吐いた。
「すまん、こんなことになるとは思わなくて」
「いや、いい」
振り回されっぱなしだった道中だが、楽しかったのも事実であるラーハルトは、申し訳なさそうに俯くヒュンケルの頭を軽く撫でた。
それに反応したヒュンケルが顔を上げるが、思わず西日の眩しさに目を細めてしまった。
つられるようにラーハルトが後方を見れば、大きな窓越しに夕日が見える。
「ヒュンケル、日暮れだ」
海沿いに建てられた宿屋の窓からは、水平線に沈みゆく太陽が美しく描き出されていた。
ラーハルトは誘われるようにヒュンケルの手を引き、バルコニーへ出るとその縁に並んだ。
一面赤に染まった海へ消えゆく陽はそれ以上に赤く、はっきりと見える円がゆっくりと飲み込まれていく様は荘厳であった。
「キレイだ」
人知れずヒュンケルが呟く。その瞳からは先程までの罪悪感は消え失せ、ただ感動だけを映している様子にラーハルトは安堵した。
「このような景色が見られたのなら、ハネムーンも悪くはないものかもしれんな」
ラーハルトが苦笑すれば、ヒュンケルもつられたように小さく笑う。しかしその表情はすぐに真面目なものに戻った。
「ラーハルト、オレはお前と結婚して良かったと思っている」
真っ直ぐな瞳に射抜かれ、ラーハルトは動けなくなった。
「オレには帰る場所も、行きたい所もなかった」
思えばラーハルトだけではなく、ヒュンケル自身も寄る辺無き身である。
「でも、お前という伴侶があれば、オレはどこに行っても、ここに戻ってくることが出来るんだと思う」
そっとラーハルトの懐に潜り込むヒュンケルを、当然の反射のように緩く抱きしめた。
腕の中から嬉しさが滲んだ小さな笑い声が上がり、ゆっくりと目が合う。
「だから、ラーハルトにとってもオレがそういう存在になれたらと思っている」
慈愛に満ちた眼差しに耐えきれず、それを隠すようにギュッと深く抱きしめた。
「もう、なっている」
万感の思いを押し殺し伝えた声は少しだけ掠れていたが、ヒュンケルはそれを聞こえないフリをした。
「良かった。 なら、大丈夫だな」
安心したようにヒュンケルも同じ強さで抱きしめ返す。
ラーハルトはその温もりと、大丈夫、の言葉に自分でも気付けなかった本心を見つけた。
ヒュンケルは最初からわかっていたのだ、ダイが見つからないことへの焦燥感の正体を。
それは焦りでも苛立ちでもなく、不安である。
バランこそ己の世界の全てと言っても過言では無いラーハルトにとって、先の主君を亡くしたことへの整理も出来ないまま、最期に託された新たな主すらも見失ってしまったことは、途方もない孤独を生み出した。
仕えること以外に生きる術を知らないラーハルトにとって、主の不在は思っていた以上に響いていたことと、それを見抜いていたヒュンケルに驚きを隠せなかった。
しかし、それを見抜けたのもまたヒュンケルだからだろうと納得した。
大勇者と共にあっても心を重ねることが出来なかったヒュンケルは、どれほど長い期間孤独を抱えて生きてきたのだろう。
それを思うと、こうして孤独な者同士が心を通わせ、めおとの契りを交わすまでに愛し合えたことがどんなに奇跡的なことか、ラーハルトの心に深く染み渡った。
「結婚相手がお前で良かった」
腕の中の愛おしい存在に頬を寄せれば、隙間を埋めるように合わせて寄せられ、2人は日が沈むまでお互いの温もりを感じあった。