流星にまたがって(双子話/無印) ふと目が覚めてしまったカガリは、外の空気を吸いに寝床から出て夜の砂漠を歩いていた。昼間の焼けつくような熱をすっかり手放し、冷え込むような静けさに包まれている。月の光は頼りなく、風が吹くたびにサラサラと砂が音を立て視界をゆっくりと削る。
そろそろ戻ろうかと踵を返そうとした所、視界の端に人影を見つけた。
「……ん?あいつ、確か……」
薄暗い月明かりの中を、誰かがふらふらと歩いていた。カガリは目を凝らした。制服の裾が風に揺れている。その歩き方はどこか現実から切り離されたように頼りない。細身の身体、ブラウンの髪。見覚えのある少年。
「あんな所で何してるんだ……?」
思わず足を動かしていた。戦闘がようやく終わりみんなが寝静まった時間に、何故か夜の砂漠を歩いていた。帰る場所があるはずなのに、何故。
カガリは追いつくと、やや強めの声で呼びかけた。
「おい、何してるんだ。こんな時間に」
少年——キラは足を止め、ゆっくりと振り返った。
目の焦点はぼんやりしていたが、声の主を認識すると、ほんの一瞬だけ光を取り戻す。月の光だけで分かりにくいが、それでも不自然に痩けた頬と目の下の隈が分かりまるで幽霊のようだった。
「……きみは、」
「大事なパイロットサマが何歩いてんだよ、こんな真夜中に」
問い詰めるような口調になったのは、自分でも自覚があった。でも、仕方ない。彼の顔はあまりにも疲れていて、もう少しで崩れてしまいそうだったから。
「……歩いてただけ。眠れなくて」
キラは目を逸らしてそう答えた。小さい声だった。風に紛れそうなほど、弱々しい。
「戻れば休める場所もあるだろ。ベッドも飯も揃ってるのに」
あの艦には赤い髪の可愛らしい彼女が待っているだろうに。彼女を巡るやり取りを思い出し、こいつは何言ってるんだと言葉をにじませながらじとりと見つめる。
「……ひとりに、なりたかったんだ」
しばらく間を置いて、蚊の鳴くような声で答えた。
「ひょっとして、誰にも言わずに出てきたのか?」
問いかけにキラは口を開きかけたが、言葉にならなかった。うつむいたその肩が、小さく震えたように見える。
「別に良いだろ……いまは、誰にも見られたくなかっただけ」
その言葉に、カガリは小さく息をついた。
「何もない砂漠を、歩き続けるつもりかよ」
「……」
「はぁ、まあ良い。ついてこいよ。歩き回るよりもっと休めるところを教えてやる」
そう言って、カガリはくるりと踵を返す。キラは一瞬ためらったが、やがて小さな足音を立てて彼女の後をのろのろと追いかけた。
突然歩みを止めてしゃがみ込んでいたカガリにようやく追いつくと、砂地の上で火が穏やかに燃えていた。
「これは……」
「知らないのか?これは、焚き火って言うんだ。なんでも、リラックス効果があるらしい。なんとかっていう成分が、出てるとか出てないとか……とにかく、気分転換になるだろうから、ちょっと休んでけよ」
かなり適当な説明だったが、なんとなく、少年を一人にさせたくなかった。理由なんて何でも良かった。キラは目を瞬かせたあと、ためらうように視線を移す。そして、そっと頷いた。
それを確認すると、カガリは何も言わず隣を空けた。促されるまでもなく、キラはその隣に静かに座る。ぱち、ぱち、と焚き火の乾いた音が広がる。炎が砂を照らし、橙色の光が二人の横顔をゆらゆらと照らしている。炎のゆらめきで、痩けた頬の影がより際立つ。
こんな、今にも折れてしまいそうな、今にも吹き消されてしまいそうなくらい弱々しい少年に我々は命を助けられたのが、不思議で仕方なかった。
自国が秘密裏に開発したモビルスーツ——ほとんどが奪取され、唯一残った白い巨躯——が戦場を駆ける。それを操る彼は、日々激しさを増す命の奪い合いによって疲弊しているようだった。血と火薬の匂いにまみれた世界で戦い続けている、不思議な雰囲気の、危なっかしい少年兵。
「ちゃんと……休めてるのか、お前」
静まり返った中で、口を開いたのはカガリだった。
「……うん……まあ、ぼちぼち」
返事は曖昧で、やはり歯切れが悪い。キラは火を見つめたまま、目を伏せる。
「私は地球軍でもお前の友達でもないんだから、別に嘘つかなくて良いぞ。言いふらしたりもしないし。お前、目も赤いし寝てないんだろ。目を瞑るだけでもある程度休めるからそうすると良い。その間何か食えるものを持ってきてやる。食えば少しはましになるだろ」
「……きみは、」
ぶっきらぼうにみえて自分を心配しているのだと分かり、キラは少しだけ口角を上げた。
「君は、変な子だね……出会ったばかりなのに」
「なんだと」
「ううん、意外だっただけ。思ってたよりも面倒見がいいっていうか……小煩いお姉ちゃんみたいな」
「おい!」
「怒るところがまた、それっぽい」
「おい、私にはきょうだいはいないぞ。お前な、せっかく連れてきてやった人間にうるさいって言ってるんだ。不敬だろ」
「ふけい……?」
「……っ」
言葉に詰まりかけたカガリは、眉をひそめてキラを睨んだ。
「お前の方こそ、変だろ」
「……?君ほどじゃないと思うけど」
ふんと鼻で笑う声はどこか優しくて、硬かった空気がほんの少し和らいだ。火が、心の凍えた部分を少しずつ温めてくれる。言葉をたくさん交わすわけじゃない。でも、柔らかな火を囲んでいるだけで、少しだけ救われる気がした。
「……早く、終わるといいな」
ぽつりとカガリが言った。小さいけれど、真っ直ぐな声だった。何を、とは言わなかったがそれだけで理解したキラは火を見つめたまま頷く。
「……うん。もう、誰も死んでほしくない」
それきり、二人は口を閉じた。
しばらくして、ふとカガリが空を仰いだ。その動きに気づいたキラも、ゆっくりと顔を上げる。
広がる夜空に、いくつもの星が瞬いていた。
冷たいはずの光が、なぜか温かく感じるのは焚き火のぬくもりのせいだろうか。それとも、隣に誰かがいるからだろうか。
その時だった。
一筋の光が、夜空を横切った。音もなく鮮やかに尾を引いて、砂漠の夜を裂いていく。
キラもカガリも思わず息を止めた。誰も何も言わなかった。ただ、同じ空を、同じ流れ星を見ていた。
何を願ったのかなんて言葉にはしなかったが、それはきっと同じ願いだった。
戦いが終わりますように。
これ以上、誰も傷つきませんように。
——どうか、生き延びた意味がある世界でありますように。
焚き火が、ふわりと風に揺れた。火の粉がわずかに舞い上がり、またすぐに夜の静寂に溶けていく。
火のぬくもりと、空の冷たさ。
追加で燃えるものを持って来ようと辺りを見渡していると、ふいに肩にかすかな重みを感じた。
「……え?」
驚いて視線を向けると、そっとカガリの肩にもたれていた。
すうすうと静かな寝息を立てている。まるで、緊張の糸が切れたように。まるで、何かから解放されたように穏やかに眠りこけている。
戦場で眠れぬ夜を過ごしていたのだろうと、カガリは思った。学生だった筈の少年がどうして戦っているのかは知らないが、色々な経緯があったのだろう。根本的な解決にはならないが、今の安堵がほんのわずかでも自分に由来するものだったなら、それだけで良かった。
「やっぱりお前、変なやつだ」
そう呟いた声は、自分でも驚くほど柔らかい。夜の冷え込みが、じわじわと肌に染みる。砂漠の地といえど夜は冷たい。手元にあった薄手の布をふたりで肩にかけた。
身を寄せ合うようにして、静けさの中に身を置く。ふたりの体温が、火のぬくもりよりもはるかに優しく感じる。
カガリは再び空を見上げた。夜空に浮かぶ星は何事もなかったように輝いている。
——戦争が終わったら、この夜のことを思い出すことがあるのだろうか。
名前くらいしか知らない相手が、こんなにも近くにいる夜。
肩に感じる重み。星の光。焚き火のぬくもり。
何一つ、忘れない気がした。