司レオ♀【女の子の魔法】 卒業したら、もうこの制服を着ることはなくなるのだ。そのことに気付き、レオはほんの少しだけ勿体無いような気持ちを抱く。
「……女の子っぽい格好とかしたら良かったかもな〜」
言葉にするつもりはなかった。誰かに聞かせるつもりもなかった。しかし、卒業式が終わった直後ということできっと気が緩んでしまっていたのだろう。気が付いた時にはその言葉はレオの口から溢れていた。
「なぁに、れおくん。今更後悔してるの?」
せめて、自分以外に誰もいなければ良かったのだが、残念なことにそれは叶わない。傍らにいた泉にはしっかりと聞こえてしまっていたようで。先程までは携帯を見ていた泉が視線を外し、こちらへと覗き込んでくる。
「う〜、まぁ……女の子らしくしてたら、ってちょっとだけ」
泉がレオにそんなことを聞く理由には心当たりがあった。それは、レオが泉にだけは胸に秘めていた恋心を相談していたからであろう。
「……あの子に、振り向いてもらえてたかもって?」
泉の言葉にレオは眉を下げて、笑う。泉もそれがレオの肯定であることを理解していのだ。「本当に、あんたは」なんて呆れたような声音を出しながら、泉はため息をつく。きっと、友人として長く時間を共にした泉だからこそ、レオの葛藤も飾らない願いも察しているのだろう。そのことが嬉しくもあり、少しだけくすぐったい。
「言ってみたら、変わることだってあるでしょ?」
「そうだけど、おれのこの気持ちはあいつにとって重荷にしかならないよ。これから、Knightsの王さまとしての責任もある。それなのに、スオ〜のおかげで身軽になったおれが邪魔したら駄目だろ」
「あんた、面倒臭いね」
心底嫌そうな表情を浮かべる泉に、レオは思わず吹き出してしまう。どちらかと言えば、泉の方が多方面で面倒臭くてややこしい。それなのに、その泉にそう言われてしまうことがおかしくてたまらない。レオはくすくすと笑い声を上げながら、「セナに言われたくないなぁ」なんて返すのだった。
「れおくん、こっち」
泉に手招きされ、レオは不思議そうな顔をしながらも言われた通りに従う。泉は近くにあった椅子にレオを座らせると、レオが適当に括っていた髪ゴムを解く。ぱさ、と広がる少し伸びた髪は緩く癖が付いたままだ。
「あんたはさ、難しくなんて考えなくていいんだよ」
鞄から櫛を取り出し、泉は優しい手付きでレオの髪を梳かしていく。
「今まで、俺たちのために必死に戦い抜いてくれたからこそだとは思う。でも、ゆっくりでいいからさ、れおくんが本当にやりたいことをやってほしいよ」
「……うん」
本当にやりたいこと。別に、Knightsのために努力していたあの日々も、レオの本当にやりたいことではあったのだ。途中で逃げ出しちゃったけれど、それでもレオは戻ってくることを選んだ。それはずっと待ち続けてくれた泉や凛月、嵐のおかげであることは明白だ。
しかし、何よりもあの生意気な新入りが両手を広げて包み込んでくれたからでもあるのだろう。最初こそ自分たちの関係はあまり良くなかったとは思うが、それでも司は自分を「Leader」と呼んでくれた。慕ってくれた。少しずつ、新しいKnightsの形を心地良いと感じるようになったのはきっと司の存在のおかげだと、レオも気付いている。
「あいつ、変だよな。男として振る舞ってたのに、あいつはずっとおれのことを女の子として扱ってくれたんだよ」
「そうだね。でも、かさくんもきっと気付いてた」
私服の入ったクローゼットの中身を全てメンズものに変わっていたことを泉は知っている。だからこそ、レオの口には出さなかった願いを理解していた。そして、きっと司も。
「あんたが、こうやってスカートを履いていたことが何よりの証拠だよ」
唯一、残していた女の子としての部分だ。レオも無自覚だったけれど、周りにいる泉たちだからこそレオの本当の願いを察することができたのだと思う。視界が、じわりと滲んでいくことを自覚する。
いいのかな、素直になってもいいのかな。
レオは、静かに髪を弄り続けていた泉を振り返る。いつの間にか、泉の手元にあるアイロンで髪は緩く巻かれていた。高めの位置で結ばれた髪が、首元で楽しそうに揺れている。振り向いた先の泉の表情は、どこか嬉しそうだったことに少しだけ驚いた。
「おれ……、あたし、女の子になりたい」
レオの言葉に、泉は優しそうな笑みを浮かべながらも「ほら、動かないで」と身体を戻してしまう。大人しく従ったレオに満足げに笑った泉は、仕上げにと結んだ髪に黒いリボンをつけたのだった。レオの正面に回り込んだ泉は、そっとレオの唇にリップを塗る。まるで、魔法にかけられたようだった。もう一人の女の子として生きていいんだよ、と泉に言われている気がする。
「はい、おしまい。この間の撮影でもらったけど、使わないからあげる」
そう言って手渡されたのは新品の口紅で。鏡に映るほんのりと色づいた唇は、まるで最初からレオのために用意されていたかのように馴染んでいた。所謂ポニーテールと呼ばれる髪型に、黒いリボンをつけた自分の姿はどこからどう見てもただの女の子にしか見えない。
「女の子、みたい……」
レオの言葉に吹き出すと、泉は泣きそうな表情を浮かべるのだった。
「あんたは最初から女の子だったよ」
俺たちが、女の子でいさせてあげられなかっただけで。
「セ、」
「ほら、あんたの携帯貸して」
レオの言葉を遮るようにして、泉は突然そんなことを言い始める。なんで、と疑問に思うけれど、泉はそんなレオの様子はお構いなしにこちらに手を出してくるだけで何も答えようとはしない。断る理由もないため、すぐに携帯を差し出すと、泉は慣れた様子でロックを外して何かを打ち込んでいる。
「セナ? 何してるの?」
「ん? 臆病なあんたの退路を断ってるの」
「は!?」
携帯を投げて返した泉に慌てて画面を確認すると、司とのトーク欄だった。そして、「会いたい」とただ一言だけ送信されている。勿論、レオが送ったものではない。
「おま、おまえ〜っ!」
「折角ならかさくんにも見せてあげた方がいいでしょ」
わなわな、と拳を震わせていると、手元の携帯から電子音が聞こえてくる。視線を向ければ、そこには司からの「どこにいらっしゃいますか」という返信であった。送信取り消しをすればやり過ごすことができたかもしれないが、返信が来てしまえばもう逃げられない。
「この俺がお膳立てしてあげたんだから。無駄にしたら許さないからねぇ?」
勝ち誇った笑みを浮かべる泉に、レオは顔を真っ赤にさせて震えることしかできない。嵌められた! 優しくするふりして、最初からこうするつもりだったのだろう。
「ほら、あとはそのダッサいスパッツも脱いでから行きなね」
最後の最後まで、泉はおせっかいだ。
「う〜っ! 言われなくても!」
肩の荷が降りたかのように、穏やかに笑う姿がやけに印象に残るのだった。
*
呼び出したのは、弓道場である。理由としてはあまり人目につきたくなかったというものが一つ。ただでさえ、司に今の姿を見せることすら緊張するのだ。それなのに、不特定多数に見つかることだけは避けたかった。
「はぁ……、大丈夫、かな」
緊張する。司と出会ってから、初めて女の子として対峙するのだ。おれに、リボンなんて似合わないかもしれない。この口紅だって……あまりにもおれらしく、ない。真っ向から否定されたら、なんて不安が残る。きっと、司ならそんなことはしないと分かっているけれど。
「お待たせしまし、」
司の声に肩をびくり、と跳ねさせながらレオは声の方へと振り返る。司は扉に手をかけ、目を丸くさせて不自然に言葉を途切れさせていた。やっぱり、変なのかも。思わず俯きそうになったレオだったが、「すみません、いつもと雰囲気が違っていて驚いてしまいました」という司の声に動作を止める。
「とってもよくお似合いです」
レオの目の前まで歩いてきた司は、そんな言葉を発しながら甘く目元を緩ませる。まるで、可愛いと言っているように。
「へ、変じゃない?」
「どこがですか? Ribbonをつけているのは初めて見ました。普段のあなたも素敵でしたけど、今日はよりお綺麗ですね」
「そ、そう……?」
司のまっすぐな褒め言葉にレオの顔は熱を持つ。きっと、司にも自分の顔が赤くなっていることはバレているはずだ。しかし、司はそのことに関しては何も言わず、ただ溶けちゃいそうになるくらいに甘い視線を向けてくるだけ。こんなの、勘違いしちゃうじゃんか……
「あ、」
喉が、カラカラに乾いてしまいそうになる。この言葉を発してしまったら、きっと何かが変わってしまうかもしれない。でも、レオはそんな不安を押し切ってでも司に聞いてみたかったのだ。
「あたし、ちゃんと可愛い……?」
今日は、もうシークレットシューズもインソールも履いていない。いつもよりも離れた距離にある司の顔をじっと見つめ、レオは泣きそうな顔をする。似合っている、素敵、そんな言葉では満足できなかった。レオは、司に可愛いと言ってもらいたかったのだから。沈黙に耐えきれず、レオは自分の手元に視線を落とす。
「や、その、学生のうちに女の子らしいことしたらよかったな〜なんて思ってさ!」
緊張で、上擦る声は不自然ではないだろうか。
「ちゃんと女の子で、デートとか、好きな人としてみたかったかも、なんて」
「Date……」
「あっ、ちがっ!」
何を口走っているのだろう。司の反応が怖くて、ベラベラと余計なことまで話し過ぎてしまった。これでは、レオが司のことを好きなのだと白状してるようなものではないか。どうしよう、失敗した。こんなはずじゃなかったのに……っ!
このままでは本気で泣いてしまいそうだ。レオが耐えきれず、その場を離れてしまおうと思った瞬間であった。司は、俯くレオの手のひらをそっと包み込むと、首を傾けてこちらを覗き込む。緩く、細められた菫色に、レオの心臓はドクリ、と大きな音を立てるのだった。
「レオさん。これからお時間ありますか?」
「えっ? あ、あるけど」
司は「それならよかった」と、より一層笑みを深める。
「あなたがやりたかったこと、私に叶えさせてください」
突然の申し出に、レオは頷くことしかできなかったのだった。
司に連れ出された先は、電車に乗って少し先にある遊園地であった。遅めの時間からのチケットもあったようで、司に手渡されたチケットで入園することができた。代金を払おうと財布を出そうとしたが、司は笑顔で首を横に振る。
「Dateで女性に払わせる程、世間知らずではないですよ」
そう言って、レオは手を差し出される。これは、手を繋ごうというやつなのだろうか。まるで、本当にこれからスオ〜とデートするみたい。レオは自分の思考にまた顔を赤くさせ、司の手のひらと司の顔とを交互に見やる。
元々、レオは司から女の子扱いはされていたように感じている。しかし、ここまで分かりやすいものではなかったはずだ。だから、思い当たるのは先程の自分の発言によるものだろうと推測する。きっと、さっき「女の子らしいことをしたかった」と溢してしまったからなのだ。だって、スオ〜は優しいから。
「……手を、繋ぐのは嫌ですか?」
迷っていたせいで、レオが嫌がっていると思わせてしまったのだろう。少しだけ寂しそうに眉を下げる司を見て、レオは慌てて否定する。
「や、そんなことない! ただ、ちょっとびっくりしちゃっただけ」
レオはそう言って、恐る恐るといった様子で司の手のひらに自分のそれを重ねる。……あぁ、もう。そんな、嬉しそうな顔しないで。勘違い、しちゃうから。自分に都合がいいように考えてしまいそうになる。司はレオの様子には気付いていないようだ。呑気にあっちの方でパレードが始まるらしいことを嬉しそうに教えてくれる。
「おや、途中にCrepeもあるみたいです。レオさん、食べますか?」
あくまでもレオに聞くようにしているみたいだが、きっとクレープを食べたいのは司の方なのだろう。キラキラと瞳を輝かせる様子は、やはり可愛い。レオはふふ、と笑いながら頷く。
「うん、クレープも食べたい」
あぁ、本当に普通の女の子みたい。自分の手を引いて歩く司にバレないように、レオは目尻に浮かんだ涙を拭うのだった。
いつもだったら、選ばないような味を選択してしまったのもきっと浮かれてしまっているからなのだろう。生クリームがたくさん入っている苺のクレープなんて、いつもだったら選ばないはずだ。でも、せっかくなら女の子らしいものを食べてみたい。そんな気持ちになったレオは「何がいいですか?」と聞いた司に苺味をねだったのだった。
「ん、おいし」
口に含むたびに、苺の瑞々しさと生クリームの甘みが広がる。パクパク、と口に運ぶレオを見ながら、司は笑顔を浮かべる。
「口についていますよ」
どうやら、口元にクリームがついていたようだ。司はそう言うと、ハンカチを口元に当ててクリームを拭き取ってくれる。レオは動揺する。確かに女の子扱いして欲しいとは思っていたけれど、あまりにもこれは変わりすぎでは?
「スオ〜、なんか慣れてる?」
「いえ? 遊園地に女性と来たのは初めてですが」
「うぅん……?」
スオ〜の天性によるものなのだろうか。それとも自分がちょろいだけ? レオはだんだんとよく分からなくなってくる。クレープを食べ終え、レオは熱くなった顔を手で仰ぐ。
「それより、今日は遅めのTicketでしたからそろそろいい時間になってきましたね」
司に言われ、レオも時間を確認する。遅すぎるという訳ではないけれど、確かにそろそろ帰らなくてはKnightsでの卒業パーティーに間に合わなくなる時間だ。名残惜しいが、もうこの夢のような時間は終わってしまう。そのことを自覚して、レオは少しだけ寂しい気持ちになる。
「……最後に、観覧車乗りたい」
「観覧車ですか? 確かによいですね。乗りましょうか」
にこり、と微笑む司を見てレオの心は少しだけ軋んだ音を立てる。スオ〜を独り占めするのも、これで最後だ。明日からは、またただのユニットのメンバーに戻るのだろう。学生生活の最後にいい思い出ができたことに満足して、一生の宝物にしよう。レオはそんなことを考えながら、司と一緒に観覧車に乗り込む。
大きな観覧車は、この遊園地の全てを見ることができる。先程、見てきたパレードの場所や、クレープ屋、メリーゴーランドなど、今日司と一緒に楽しんだ記憶を反芻する。あぁ、楽しかったな。楽しかったけれど、それと同時に寂しさが込み上げてくるのだった。だって、周りきってしまえばこの魔法みたいな時間は全て終わってしまう。そのことが、無性に寂しかった。
「……レオさん」
不意に、司がレオの名前を呼ぶ。それにしても、先程までは気付いていなかったが、呼び方がLeaderからレオさんに変わっていた。そのことを自覚し、レオの心臓はより大きな音を立てるのだった。
「なぁに、スオ〜」
「私は、あなたが望んでいたようにEscortできていましたか」
夕焼けに照らされ、司の髪色が燃えるように光っていた。自分の色でもあるオレンジ色と溶け合う赤色に目を奪われ、一瞬思考が停止する。しかし、すぐにはっと我に帰ると、レオは笑顔を浮かべて頷く。
「うん。ありがとう、これでいい思い出ができた」
だって、他でもない司にエスコートしてもらえたのだ。デートの真似事さえしてもらえた。それだけで、明日からも今まで通りに頑張れると思える程。だからこそ、レオはそのままその気持ちを吐露する。
「思い出、だけでよろしいのですか」
諦めようと、押し込めようとしていたのに。司はそんな言葉をレオに向けるのだった。ひゅ、と喉が鳴ったのを司に聞かれてしまっただろうか。
「どう、いう」
「私は、あなたを女の子として大切にしたいです」
まっすぐな瞳が、まるで射抜くかのようにしてこちらに向けられる。
「女の子として、好きな人とDateがしたい、と仰っていましたよね」
そうだ。自分は確かにそう言った。そして、レオが選んだのは司で。司にこのデートを提案されて、断らなかったのは他でもないレオ自身だ。それはきっと、秘めていたはずの想いを知られてしまうには充分すぎるくらいのヒントだったのだろう。
「自惚れても、よいのですよね?」
確信を持って、司は穏やかにレオに問う。
「……うん」
もう、逃げられなかった。
「あたし、スオ〜に女の子扱いされたい」
ボロボロ、と溢れる涙を止める術をレオは知らない。溢れる涙をパーカーの袖で拭っていると、「濡れてしまいますよ」と司がハンカチで目元を拭ってくれる。
「先程は、きちんとお答えできずにすみません。大事なことですから、私の方からお伝えしたかったのですよ」
「ちょっとだけ、不安だった」
「すみません。これからは、あなたを不安にさせないように努めます」
レオは、司の胸に顔を埋める。ぐす、と鼻を啜りながら止まらない涙を司のワイシャツに預けて、一番聞きたかった問いを再度口に出すのだった。
「スオ〜……今日のあたし、ちゃんと可愛かった?」
「ええ。とっても。いつものレオさんも可愛らしかったですけど、今日は特に可愛くて……好き、ですよ」
スオ〜に可愛いって言ってもらえたなら、好きだと言ってもらえたなら、もうこれ以上に望むことはない。
「スオ〜、好き」
「私もです」
どれだけ拭っても、溢れる涙は止まることを知らない。レオはしばらくの間、泣き続けることになるのだった。
「これから、全部教えてください。あなたがやりたいこと、今までやりたかったこと、全部」
「うん、全部、教える」
司はレオの言葉に満足そうに微笑むと、「約束ですよ」と言って額にそっと唇を寄せるのだった。