名前くらい自分で書ける「俺にはちゃあんと持ち主がおんねんで、て主張するための名前やって考えたらかわいいもんやろ」
「かわいいわけあるか」
僕のからだに跨った狂児のてのひらが腹の上にひたりと乗る瞬間、その筋張った腕に確かに記された自身の名前をいつも目の当たりにする。眼鏡をはずしてしまえば見えずに済むであろう距離だけれど、それはしたくない。眼鏡をはずしたってこの男のことを僕はきっと間違えようがないけれど、「僕にすべてを許しているのが他の誰でもない成田狂児である」ことをいつだって深く鮮明に刻み付けておきたかった。そうはなってほしくないし狂児さんもそのつもりはさらさらないとは言うけれど、もし仮に最悪の事態が訪れたときだって、「あのボヤボヤの視界で交わした時間が僕らの最後やったんか」なんて思いたくはないのだ。
「そもそも僕、狂児さんの持ち主になった覚えありませんから。」
「名前書いてたら持ち主やで」
「勝手にそっちでやったもんに勝手に意味見出して所有権押し付けるのやめてください。同意もなんもないわ」
「え~しゃあないなあ、そんなら飼い主でもええヨン。バター犬よりえぐいことしてるけど」
何が面白いのかくつくつと笑うその顔が、妙にむかつく。僕の名前を記した腕を引いてバランスを崩してやれば、うわ、と小さな声がこぼれた。僕の身体を挟んでいた膝がずるりと開いていくのと同時に、より深く呑み込まれていく感触。近づいた頭から、整髪料の匂いがする。乱れた髪を直してやるように頭を撫でつけ、ついでに後ろ頭に手を添えてもっと近くに。ちょお待って、とすこし慌てたような熱っぽい声がしたけれど、繋がれる場所全部で繋がることが途方もなく気持ちいいことだなんて、もともとは狂児さんが僕に教えたんだからちゃんと責任を取ってほしい。
「……は、聡実くん、ずいぶんおイタ、するようになったなあ……」
「うっさい」
口を塞いでまた腕を引けば、喉の奥でくぐもった声が響く。この古くて小さな部屋は声を響かせられるような環境ではないからと始めたことだったように思うけれど、動きに連動するように喉が鳴るのは悪い気分ではなかった。多分どこか、声を出したって何したって平気な環境へと場所を移してこうして触れ合ったとしても、僕は多分今みたいに狂児さんの口を塞ぐだろう。
掴んだまま揺らす腕が、キスの合間も視界の隅にちらつく。「聡実」の二文字がたしかにそこにある。こんなもんは勝手に記されたもので僕の意志は何一つかかわっていなくて、これから僕が狂児さんの傍にいようがいまいがそこにあり続けるものだ。そんなものに、何の意味があるんだろう。それならば。
思いついたことを実行するべくゆっくりと動きを止めて、焦れたように揺れる腰を両手で抑える。
「狂児」
「……な、に……聡実くん」
「僕がおらんと消えてしまうもんやるわ、なんべんでも繰り返したるから、それずっと刻んどいてください」
「ッ……――」
目をまっすぐ見ながら一気に言い切ると、すこしくたびれた首筋に噛みつくように吸い上げた。息を詰めたような響きが、狭い部屋に溶ける。色濃く跡が残るように、つよく、つよく。それは僕と狂児さんが一緒に生き続ける限り、こうして愛を交わし続ける限り、何度も繰り返し刻まれて残り続ける。
唇を離す。滲むように残った紅を、舌先でなぞった。
「これが、僕がつけた僕の名前や」