「あ?」
辺境惑星ルビコン3。ベイラム基地内、レッドガン部隊に宛がわれた建物の廊下に見慣れぬカードケースを見つけて、イグアスは足を止めた。
革製のずいぶん使い込んで年季が入ったそれは、ところどころ変色してはいるが元は良い品なのだろう、縫製がほつれることもなくいっそう滑らかになった革が良く手に馴染む。
このぐらいの品を使っているのなら、年上の連中だろう。中身を見れば誰のものかわかるだろうか。
イグアスは拾い上げたそれをなんのためらいもなく開いた。ここが生まれ育ったスラムならば中身なんて改められることもなく二束三文で売り飛ばされるか、個人情報をコピーされてあっという間に悪用されただろう。
落とす方が悪いと思いながら取り出した一枚目には、腹が立つほど見慣れた、しかし知った顔よりも若干若いクソ親父――ミシガンの顔写真がプリントされている。ライセンスカードだろう。
「チッ」
ともかくこれで持ち主は誰かわかった。後で渡せばいいのだが、イグアスはそのまま重なった何枚かを取り出してみる。ちょっとした悪戯のつもりで。
大した枚数もないカードケースの中には似たようなカードがいくつか入っているだけで、面白みは何もない。最後の一枚もどうせそうなんだろうとめくって――イグアスは思い切り顔をしかめた。
歩く地獄の経歴と取得資格等を示すお堅いカードの一番後ろに入っていたのは、やや黄ばんだ薄っぺらいラミネートカード。カードケース同様年季の入った雰囲気は傷み具合だけではなく、そこで溌溂とした笑みを向ける女性の髪型やメイク衣装からも感じられた。
カードの端には大豊核心工業集団の文字とロゴマーク。それから「大豊娘娘」の文字。
大豊娘娘は毎年その役を務める女性が公募で選ばれる。
この女性が誰なのかがわかれば何年前の写真なのか判明するだろうが、そんなことよりもイグアスの目を引いたのは規制だのなんだのとうるさい昨今ではありえないほどの露出度だった。
ロケ地は明るい砂浜だろう。青い海と見慣れない木を背景にした女性は水着姿なのだが、とにかく布の面積が少ない。見るからに柔らかそうなたわわな胸を支える肩紐は文字通りの「紐」で、胸の重さに耐えかねてプツリと切れそうだ。
さらに下半身はハイレグ。太ももの付け根のきわどいところまで露になって、明るい背景や場所のお陰で逆にエロスは感じにくいが、だとしても大豊娘娘に選ばれるような若い女性がするべき格好ではない、とイグアスでさえ思うほど。
「あのエロジジイ……」
昨今では水着はともかく、ここまで露出度が高い格好を公にすることはできないだろう。今はできない、かつこの古さも相まって、きっとこれは「お宝」なのだろうが、だとしてもこんなものを後生大事に持って歩く地獄のことを考えて、イグアスはなんだか苦々しい気分になった。
◇◇◆◇◇◆◇◇
もっと面白いものならからかえたのだろうが、あれはあんまりだ。
というわけでイグアスはあの「お宝」カードには触れず、珍しく素直にカードケースをミシガンに返却しまっとうに感謝されて、やはり苦々しい気分になった。
あのG2ナイルが惚れ込んで口説き落とし、今ではレッドガンの多くの連中が慕うG1ミシガンが、あんな猥褻物を常に持ち歩いているなんて、いっそ忘れてしまいたい。中身なんて必要以上に見るんじゃなかったぜ。
イグアスは思う。
思いながらいつの間にか短くなっていたタバコを灰皿に押し突ける。
そうして新たに一本を取り出そうとしたところで、シガーケースが空になっていることに気が付いた。
「チッ」
イライラする。あのクソ親父のせいだ。何が歩く地獄だ。お堅い軍人面してスケベな事考えやがって。反吐が出る。
「イグアス先輩、ここにいたんですか」
「? なんか用かよ」
「いえ、姿が見えなかったのでまた耳鳴りがひどいのかと」
「勝手に心配してんじゃねえよクソが」
「お宝」カードの件についてヴォルタに言い出すこともできず、当然レッドになんか言えるわけもない。
クソ、と空っぽのシガーケースを放り投げそうになって、イグアスは閃いた。
総長はいい煙草を吸っている。わざわざ星外から取り寄せているらしい――いつか聞いた話が過る。
さんざんイライラさせられてんだ、一箱ぐらい貰ってもバチは当たらねえだろ。イグアスはほくそ笑んだ。
「おいレッド、総長の部屋、入ったことあるか?」
「は?」
「入ってみたくねえか? 憧れの木星戦争の英雄の私室によ」
「い、いいえ……G1の部屋ですよ、セキュリティが――」
「鍵、開いてんだよ。いっつも。いや、あいつが部屋にいる時は閉まってるけどな。いねえときはがら空きなんだ」
「ま、まさか」
「まさかかどうか、確かめに行こうぜ。別に、荒らしたりするわけじゃねえよ、入って出る、それだけだ。な?」
「……」
◇◇◆◇◇◆◇◇
「せ、先輩、本当にいいんですか?」
「鍵開けてるほうが悪いだろ、オラ行くぞ」
「し、失礼します!」
かくしてイグアスの言う通り、G1ミシガンの部屋に鍵はかかっていなかった。
いつもそうなのだ。不在の際に何かあった時のために、そうしているらしい。
レッドが知らなかったことを以外に思いつつ、イグアスは慣れたそぶりを装ってドアを開け、歩く地獄の部屋に踏み入った。
番号付き隊員の部屋もそれなりに広く、MT部隊やそのほかの連中よりかは優遇されているが、総長ともなれば別格だ。
部屋はドアで隔てた続き間がある二部屋構成。そうして入ってすぐの一室を、ミシガンは書斎のように整えていた。
上位隊員が事務処理を行うための部屋は別にあるので、ここは彼が望んでそうしたのだろう。ぐるりと見まわした室内に、目当てのものはない。
「……総長、お休みになった後も、ここで情報の精査等を行っているようですね」
「あっそ」
机の上、置かれたままの端末。
ノートや資料など、紙ベースのものが多いのは好みだろう。彼は端末にそうするよりも、紙にインクペンで書きこむことを好んだ。
その並びに灰皿もあるが、シケモクばかりで手がついたシガーケースなどは見当たらない。机の引き出しも軽く漁ってみたが、入っていたのは資料や文具、封が切られた手紙などばかりだった。
「先輩! 勝手に引き出しを開けるなんて……!」
「うるせぇぞ。ここまで来たらテメェも共犯だからな」
「なッ!」
本命は隣室だろう。寝室になっているだろうそこが、G1ミシガンの本当の私室というわけだ。
イグアスはドアに手を掛ける。鍵はやはりかかっていない。
「先輩! その先はッ――」
レッドが止めるより早く、ドアを開ける。
やはり隣は寝室だった。だが豪華なテーブルセットや大きく豪勢なベッド・寝具があるわけでもなんでもなく、イグアスやレッド達と変わらない、シンプルな家具が置いてあるだけ。
強いて言えば、イグアスたちに与えられているベッドがダブルサイズなのに対し、ミシガンのベッドはもっと大きいキングサイズという点ぐらいだろうか。
広い室内とはいえ基地内の施設なので、キングサイズのベッドは室内を圧迫している。壁に追いやられるようにクローゼットや小型の冷蔵庫があり、向かい合った簡易ソファとその間にあるテーブルの上には――イグアスの目的、タバコの箱が三つほど置いてあった。
「よし。出るぞ」
「先輩、今総長のタバコを!」
「は? 知らねえよ、さっさと行くぞ」
「戻してください! 総長にまた殴られますよ!」
「うっせぇな! テメェはだまって――」
箱を一つ拝借してポケットに入れる。
昔ならレッドのような素人に見つかるようなヘマはしなかった。だがイグアスはあくまでシラを切り、部屋を出ようとする。
だが服を掴んで引き留めるレッドに怒鳴りながら振り返ったところで、言葉を失った。
「……」
「先輩? 俺の後ろになにか……?」
イグアスの目線を追って、レッドが後ろを見る。
後ろ――これまでクローゼットの死角になっていた壁には、「お宝」カードと同じ場所、同じ時に取られたであろうあの女性のポスターが貼られていた。
縦長だったカードと違ってこちらは横型で、砂の上、上半身を軽く逸らして座った女性がどこか気だるげな表情でこちらを見つめている写真がプリントされている。
ポスターの端にはカード同様しっかりと大豊核心工業集団とロゴマークがあしらわれ、カードでは潰れて見えなかった大豊娘娘役の女性の名前までが記されていた。
カードの表情は溌溂としていたが、どこか誘うような顔のこれは完全に……。
イグアスは舌打ちをして「エロジジイ! ふざけやがって」と声を上げた。レッドも「え、と、これは……」と戸惑っている。
当然だろう。
憧れの人がこんな卑猥なものを部屋に飾っていたなんて、知りたくなかったに違いない。
「レッド、行くぞ。これは忘れろ」
「はっ、はい」
だがポスターのおかげでタバコのことは忘れたらしい。
エロポスターも役に立つじゃねえか、と思いつつイグアスの胸から苦々しいものは消えず、むしろポスターを見たことでいっそうムカつきが強まったような気さえする。
まあパクったタバコを吸えば少しは気が晴れるだろう。
二人はミシガンの部屋を後にした――瞬間。
「二人とも、そこで何をしていた?」
「チッ」
運が悪い。舌打ちをしたイグアスに対し、まさか本人に遭遇すると思っていなかったレッドは完全に動揺していた。
言葉を発せずとも、その動揺が伝わってくる。イグアスはますます苛立たし気にため息をついて、それから向かい合うミシガンを睨みつける。
「別に。鍵が開いてたから入ってみただけだ」
「ほう? そうか」
「んだよ、見られたくねえものでもあんのか?」
「あったら鍵など開けておかん」
「チッ」
我らが歩く地獄は、あのエロポスターが貼られた部屋を見られてもどうにも思わないらしい。
クソ野郎、エロジジイ、ふざけんじゃねえ。
瞬間、イグアスの苛立ちが弾けた。衝動と同時に殴りかかるイグアスを、しかしミシガンはあっさりと交わして、逆に押さえつける。
「エロジジイとは、新しい文句だな」
「んな卑猥なポスター貼って、後生大事にカード持ち歩いておいて、否定はさせねぇぞクソッタレ!」
「ん? ああ、あれか。お前、この前俺のカードを拾った時に中を見たな?」
「持ち主を確かめんのに必要だろうが!」
「レッドも見たのか?」
「……ポスターを……」
「つか痛ェから離せよ!」
「殴りかかってきたのは貴様だろう」
「チッ!」
ミシガンが力を抜く。その瞬間拘束から抜け出して、イグアスは距離を取った。
だがミシガンは追うそぶりなく、自身のジャケットに手を入れて内ポケットからカードケースを取り出す。
中を開くと、あのカードを取り出した。
「ガキには少々刺激が強いだろうが、昔は大豊娘娘のグラビアといえばこれが普通だった」
「言い訳かよ、エロジジイ」
「その通りだ、G5イグアス。当時の俺はこの女とヤれるならいくらでも稼いでやると躍起になってACに乗ったもんだ」
にやりと笑うミシガンに、イグアスは舌打ちをひとつ。
別に彼を聖人君子と思っていたわけではない。酒もたばこもやれば女がべたべた引っ付いてくる店に行くことも知っている。
だがエロポスターを部屋に貼り、カードを持ち歩いていたばかりかそれを誇らしげに語る変態だとは思わなかった。
感じていた苦々しさが落胆と嘲笑に代わりつつある。
ミシガンを睨み続けるイグアスに対し、レッドはミシガンの手のカードを覗き込んでその頬を少し赤らめると、「……美人、というか、溌溂とした笑顔が似合う、素敵な女性ですね」なんて発言をした。
「G6! お前は見る目があるぞ!」
「だとしてもこんなカード持って歩けるかよ。つかテメェ、嫁いんだろうが!」
見たのは一、二度だろうか。
品の良い淑女と言った風で、ミシガンとは似合わなそうなのに、隣に立つと夫婦という言葉がこれ以上ないほどしっくりくるような、そんな二人に見えた。
二人でいる時、ミシガンは殊の外彼女を大切に扱い、ナイルも「相変わらずのおしどり夫婦だな」なんて微笑んでいたのを、イグアスは覚えている。
仲の良い夫婦、嫁を大事にするいい夫。そんなのを装っておきながら、別の女の写真を飾り持ち歩いていたのだと思うと、イグアスは妙に腹が立って何故か悔しくて仕方なくて――だがミシガンはからりと笑うのだ。
「そうだが?」
「嫁を溺愛してます~って顔しといて、このクソエロジジイ!」
「貴様がそんなに潔癖だったとは知らなかったぞ、G5。だが安心しろ」
「?」
「これは俺の嫁だ」
「は?!」
「えっ!?」
「この頃とは雰囲気が変わったが、今でもイイ女なのは変わりがないぞ?」
驚く二人を前に、ミシガンは笑う。やはり勘違いをしていたな? まあ仕方がないか、なんて言いながら「最愛の妻に免じて俺の部屋に入ったことは不問にしてやろう」と続けた。
イグアスは盛大なため息をつき、なんだかここで座り込んで一服やりたいぐらいの疲労感と徒労感に襲われながらも、背を向ける。
レッドのことはもうどうでもいい。さっさと部屋に戻ってパクったタバコで一服やろう。そう思ったのだが――
「総長、失礼ですが、どうして今の奥方の写真ではなく、こちらを?」
レッドの言うことにも一理ある。
イグアスは立ち去ろうとする足を止めて、聞き耳を立てた。
ミシガンの答えは――
「はっきり言ってあの頃はヤりたい盛りの猿同然だったが、あの頃の野心があるからこそ今の俺がいる。これを手元に置くことで当時の気持ちを忘れんように、というのは建前で」
「え?」
「俺はこの大豊娘娘の、一番のファンだからな。女神像のようなものだ」
イグアスは思わず「ケッ」なんて声を上げた。
結局は惚気じゃねえか。ぼやくと「貴様もこれという目標をさっさと見つけることだな」と返される。
何故かレッドは薫陶を受けたようで「ますます精進します!」と声を張り上げた。
うっせぇ。そう呟きつつ、イグアスは今度こそ退散すべく背を向けて。
「G5イグアス、そのタバコは我が愛妻がわざわざ送ってくれたものだ。味わって吸えよ」
ドキリ、と心臓が跳ねる。「タバコなんか知るかよ」と返したが、きっとミシガンにはお見通しなのだろう。
クソと舌打ちするイグアスの後ろで「本日はありがとうございました」とレッドが頭を下げる。
「女神に会いたければいつでも来てもいいぞ」
ミシガンは妙に上機嫌にそう言う。
何が女神だ、と返そうとしたが、脳裏に浮かんだ彼の妻の姿は確かにちょっと女神っぽくもあったような気がしたので、イグアスは返事もせず、自室に向かった。