覚めて、秘めて④ どうしてこんなことをしているのだろう。そう思うのは今日だけでもう何度めか。手のひらに乗せたスティック状のリンゴを囓って持っていくウサギの毛並みを撫でながら、三宙は辺りを見回した。
とりあえず知った顔が居なくて安心するのも不思議な感じだ。少し前までなら誘えそうな相手が居たら声を掛けていたはずだった。賑やかなのは楽しい。
それが今はその逆で。目の前にあるのは癒しの空間に違いないけれど。
「ほーら。みんなで分けあって食うんだぞ」
どうにも落ち着かない。
「やっぱこうやって小動物に餌やったりすんのは楽しいっすね」
空回りな言葉が木の葉のさざめきに溶けていく。
ふれあいコーナーの木陰のベンチに並んで座っているが、餌をやっているのは三宙だけ。四季はといえば、隣でそんな三宙とウサギの様子を黙ってぼんやり眺めている。
どういうつもりか分からない。たぶん四季もそう思っている。わざわざ誘ってきた用事はこれなのかと。
そもそも実際には予定にない行動だった。かといって、最初から予定を済ませてしまうことは三宙も気が進まなくて。
四季と一緒に過ごす時間が終わってしまうのも惜しいし、四季と一緒にそこへ行くことが少し怖い気もする。そんなこんなで悩むうちにやってきたのが回遊庭園だった。
つぶらな瞳でウサギたちがじっと三宙を見上げている。そういえば片手に乗せていたリンゴは好評を頂いたようでもう無くなっていた。おかわりの催促か。それとも隠している緊張が伝わってしまったか。
小動物は繊細だ。申し訳なくなり、向き合う白や茶色の毛並みに順番に指を滑らせる。
「お。うまかったか? もうちょっとだけあるから待ってろよ」
ごそごそと追加のリンゴを取り出して、また片方の手のひらに乗せる。嬉しそうに群がってあっという間に平らげていくウサギたちに三宙が顔を綻ばせていると、ちょうど前屈みになった目の高さに何かが差し出された。
何かと思って振り向けば、四季が手にしたビスケットの半円を三宙に向かって差し出している。たぶん。ウサギにやるのには位置が高すぎる。四季からは何も言われていないが、つまりはそういうことだろう。たぶん。
好きになってしまった相手に食べさせてもらうなんて、こんなの気が引けるけど。なんか動かないし。そのままにしておくのも変だし。四季がくれるのなら。
脳内で言い訳を展開しながら視線を彷徨わせて、最終的には隣を向き、ビスケットにだけ意識を集中させると半円の反対側を囓ってサッと戴く。止まったように流れる体感数十倍の時間。真正面のどこかを見ながら固めのビスケットを無になって咀嚼していると、押し殺した笑い声が三宙の耳に届いた。
「お前、食うのかよ」
ちらりと横の四季を窺えば、見間違いかと目を瞬かせた。三宙がまだ見たことのない種類の表情。小さく毛先を揺らしながら屈託なく笑う顔。
こういう顔をしない人のように勝手に思っていたせいで、描く少しの弧が鮮烈に映った。しかもそれが自分に向けられていて、笑われているのを認識すると抑えていた恥ずかしさが込み上げてくる。
差し出されたビスケットは冷静に考えれば手で受け取っても良かったのだ。けれど、からかうような空気も嫌な気分にならない。
「まだあるけど、いるか?」
「ここのウサギはビスケット食わないっすからね」
「じゃあ。ほら」
さっきの残りを差し出されれば三宙に断る理由はない。もう一度、ビスケットの端を咥えて持っていく。
再び正面を向くと、次の分け前を待っているらしいウサギと目が合った。心の中で謝りながら、三宙はこっそりと隣を盗み見る。浮かべる弧は消えずに今もこちらに向けられていて、首筋がくすぐったい。
いつも顔を合わせておいて今さらだけど、四季のあの面立ちはやっぱりズルいものがある。買い出し先で偶然見かけた時にも実はけっこう人目を引いていたことを思い出す。印象は言うなれば真冬の月の綺麗さ。触れられないもの。
けれど、この悪戯っぽさはその印象とは全く違うように三宙の瞳に映っている。
他に誰も居なくて良かった。ついそんな風に思ってから、すぐさま胸の底にしまいこむ。それでも、ひとつだけ。これは自分の前だから見せた顔ならいいと密かに願うくらいは許して欲しかった。
「まあ確かに楽しいかもな」
「もしかして、さっきの話っすか? 小動物に餌やったりすんのは楽しいって。黙ってるから聞いてないかと思ってた」
「聞いてはいたよ。見てもいたし。だから、参加してみたんだけど」
パキッと小気味のいい音をたてて割れたビスケットを四季が指先でつまみ上げる。また差し出してくるのかと三宙が思っていると、途中で手元を翻されて、ビスケットは四季の口に収められた。
それだけの事なのに、やけにドキリとした。
「ん。なかなかいける」
「つか、オレは小さくねーし。むしろオレの方が四季サンより背ぇたけーから」
「それを言ったらお前の方が僕より年は下だろ」
「まあ、それはそうっすね」
思わず素直に肯定して、何人かの顔が浮かぶ。自分以外にもこんな風にするのかと問いたいような気もしたけれど、きっとそれは考えない方がいいことだろう。余計な不和はたくさんだ。
「三宙。最後の半分」
「ほんと。オレで遊ぶのやめてくれません?」
「でも食うんだろ、お前は」
むくれてみせた顔の横で、つまんだビスケットをわざとらしく揺らされる。いつの間にか四季がこんな調子でいるものだから、三宙の欲が張るのは仕方ない。これではじゃれる期待を誘われてしまう。
ここへ来るまでの張りつめた気持ちが嘘のように弾んでいる。予定になかった寄り道だけれども、結果的には来てみて良かった。
「あ、割れた」
「全部やるとは誰も言ってないからな」
白熱して奪い合ったビスケットの半円は二人で分ける結果になった。そうして食べ終えて考える。そろそろ四季を誘った目的を切り出してみも、きっと大丈夫だろう。