「甘いの?旨いの?しょっぱいの?」「俺んちは甘いのでしたね〜。今日は旨いのの気分」
「なら白だし取って来てください」
「えぇ……」
腰に回された腕に、きゅっと力がこもる。緩く保たれていた二人の距離が縮まって、背中がほんのりと暖かくなった。肩口にすりすり擦り付けれられている額は無視し、カップに卵を割り入れる。カシャカシャとかき混ぜ終える頃に、ようやく背後の大きなお子様が腕を離した。
「いばらぁ、ダシの買い置きありましたっけ?」
斜め後ろで冷蔵庫が開く音がして、冷やされた空気が背中を撫でる。
「なんです? 無いんですか?」
「いや、ある。けど少ないっすよ」
視界の端に、にゅ…と伸ばされた手がチャプチャプと白だしのボトルを揺すって見せた。
「ジュンが玉子焼き玉子焼き言うからでしょう。……それだけあれば今日は大丈夫ですね。予備はその下の引き出し。無ければ明日買っといてください」
「うぃ〜っす。……全部入れていい?」
「入れていい」
「ん」
隣に戻ってきたジュンの方へ菜箸とカップを押しやり、ごま油を敷いたフライパンを温める。小窓から差した日がジュンの寝癖を優しく照らし、ふにゃふにゃと緩む口元が小さく歌を口ずさんでいた。すい…と視線が交わり、眠たげな眦がトロリと垂れる。
「はい茨、たまご」
「これ毎度自分が焼く必要ないのでは?」
「そんなことないっすよぉ〜。俺上手にくるくる出来ねぇもん」
「はいはい。貸してください」
じゅわりと香ばしい匂いが換気扇に昇った。2度3度と玉子を転がした後、ジュンが呟く。
「茨って卵焼き器使いませんよね」
「唐突ですね。もしかして、フライパンで焼いたやつは玉子焼きじゃない派の方ですか」
「いやいやいや、そんなこだわりないっすけど!……でもあんた、いろんなこと結構きちっとするタイプじゃないですかぁ。プロテインもシェイカーで作るし、味噌汁はお椀でスープはスープ皿だし。なのに玉子焼き器うちにないんで、なんでかなって」
「ははぁん。さてはジュン知りませんね?」
「え、な、何を?」
ふっくら仕上がった玉子をまな板の上にころりと転がし、用意しておいた包丁で適当に切り分けていく。最後の端っこ、玉子焼き器で焼けば絶対に生まれない、丸く弧を描いたペラペラの端っこをヒョイと摘み上げ、ジュンの間抜けな唇に押しつけた。
「ん!?」
思わずといった顔でその欠片を食んだのを見て、そのままもう片方をパクッと口に放り込めば、ほのかな出汁の旨みと玉子の甘さが舌の上に広がった。
「覚えてくださいねジュン。フライパンで焼くと、玉子焼き器で焼くよりこの端っこの分お得なんですよ!」
そう言ってニヤリと微笑みかければ、見開かれた瞳の上で段々と眉が顰められていき、やがてゴクリと一つ喉が鳴る。
「……それ、誰から。いややっぱなんでもないっす」
「あっはっはっは! 実に素直なことで!」
「も〜! あんたわかってやってんでしょ〜!? 揶揄うのも大概にしねぇと、また昨日みたいになりますからねぇ!!」
「アイ・アイ! 肝に銘じておきますとも」
そう言って、まな板に残っている内の一切れを斜めにカットし、片方をくるりとひっくり返してくっつける。少し甘すぎな気もしますが、まあ今日くらいはいいでしょう。
終