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    9293Kaku

    @9293Kaku

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    9293Kaku

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    力尽きました。続きを書きたい気はあれど……。

    ノーモアベッド ラグジュアリーな室内から歴史的建造物が見える、というシチュエーションはなかなかエキセントリックだ。
    夕陽に浮かぶピラミッドの鋭角的なシルエットを横目に、日向龍也はデコラティブな姿見で己の身なりを確認する。このホテルのカジノのドレスコードはスマートカジュアルだが、スーツは龍也の戦闘服のようなもので、そこは崩すつもりはない。
    192㎝の均整の取れた体躯にピッタリ沿うようにカッティングして仕立てられたツーピースは光沢のあるネイビーの無地、レジメンタルのタイと合わせて一見してビジネスマンのようだが、龍也の内面から滲み出るオーラが、凡庸な印象を裏切っていた。
    硬く逆だった琥珀色の頭髪と華やかで男らしい顔立ちが、ありふれた服装をステージ衣装のように見せている。何より印象的なのは髪と同じ琥珀色の瞳——「鬼の龍」の二つ名のとおり、その気になれば肝の小さい人間ならば悲鳴をあげて逃げ出すほどの眼光を放つその目は、今は穏やかに、むしろ期待に輝いている。
    鏡に映る己の姿に満足の笑みを浮かべ、部屋を出る。彼が、この異国の地まで赴いたのは他でもない。ある噂の人物に会うためだった。

    ホテルから続く広い廊下を通り、カジノのあるアミューズメントタワーへと向かう。エントランスを潜ったとたん、喧騒が飛び込んで来た。
    ホテル併設の公営カジノの大半がそうであるように、ここのカジノもファミリーサービスを意識しており、入り口付近のフロアはゲーム機に群がる家族連れでごった返している。健全さをことさら打ち出したようなポップな装飾のフロアを尻目に、龍也は更に先を行く。タワーの地層を、長大なエスカレーターでいくつも上へ——やがて、シックな中にもゴージャスな内装が目を引く一角へと辿り着いた。喧騒とざわめきが耳を打つ。
    無数のスロットマシンが林立する騒々しい区画を更に奥へと進むと、開けたフロアに出た。ギャンブルテーブルが整然と並び、マホガニーのバーカウンターとパピルスの大鉢が目に優しいその場所が、龍也の目的地だ。
    無意識に詰めていた息を吐く。騒がしいのは好みではない。この場所も静寂とはほど遠いが、さざ波のようなざわめきと肌を刺すある種の緊張に満ちた空気は心地よかった。
    通りすがりに秋波を送ってくる赤毛のバニーガールの盆からマティーニのグラスを受け取って止まり木に腰を落ち着け、龍也はフロアをぐるりと見渡した。
    目当ての人物はすぐにわかった。
    その男はポーカーのテーブルに着いていた。年は若い。今年32になる龍也よりも更に下——ハタチそこそこに見えた。肩までかかるハニーオレンジの髪、ラファエルの宗教画のように整った顔立ち、笑みに和む瞳は地中海のように澄んだブルー龍也と同じ日本人のはずだが、異国の血を継いでいるのだろうか。よくよく見れば服装もおよそ日本人のセンスではない。真っ赤なテーラードジャケットにシルバーグレーのピンホールカラーのシャツ。ネクタイは無く、大胆に開襟したカラーのホールにはダイヤモンドとおぼしき光が煌めいて、なるほど、いかにも羽振りが良さそうだ。
    「華やか」を地で行くその男——神宮寺レンは伏せたカードを前に、コールとレイズを繰り返している。自信ありげに微笑みながら。
    ここでのゲームはフロップ·ポーカーと呼ばれるスタイルだった。
    プレーヤーに配られるカードは二枚だけ。その後はディーラーが順番に場に出す五枚の共有(コミュニティ)カード=フロップとの組み合わせをもとに、四ラウンドの賭け(ベット)を行う。ポーカーは長丁場でしかも高度な心理戦が特徴のギャンブルだ。場に出ているカードから自分以外のプレーヤーの手持ちを予想し、上賭け(レイズ)で煽る。時には騙し(ブラフ)をかけて相手を惑わし、必要とあれば潔く降伏(フォールド)する。勝敗は明確で、最後に手元に残ったチップが多いものが勝者——ギャンブルの中でもハイリスク、ハイリターンな部類だった。
    ゲームは終盤に差し掛かっているようだ。プレーヤーはレンを入れて5人。各々の前に置かれたチップには著しい偏りが出来ている。
    龍也が見守るうちにも、最終ラウンドを前に二人がフォールドし、札を伏せた。もう一人はチェック——静観の構え。レンはレイズ、更にリレイズ——倍額のチップをテーブルに置いた。レンの強気に対して残る一人も負けじとコール。そして迎えた最終ラウンド。最後のフロップカードがオープンになり、先ほど様子見だった一人は潔くフォールド。レンのベットに、右隣の男はせわしなく手持ちの札とレンの表情を窺いながらコールしベットした。どこか気弱そうな印象のその中年男性を相手に、レンが涼しい顔でコールし、またもやレイズした。よほど良い手が来たのだろう。中年男性も、レイズをコールすることなく、悔しげに札を伏せた。
    これで必然的に勝者はレンとなった。微笑みながら、手元の札を開示する。周りから歓声と落胆の声が上がった。
    なんと、彼の役(ハンド)は♢2♧2、♧8♤8のツーペア、決して強い手ではない。
    最後までレンと競っていた男が大声をあげて自分の前に伏せたカードをひっくり返した。彼の手はスリーカード——レンよりも上位のハンドだ。つまり、フォールドしなければ彼の方が勝っていたという事だ。
    忌々しげに席を立ち、足音荒く男はテーブルを去った。高レートのテーブルらしく、残りの客も僅かに残ったチップを回収して席を立つ。どうやらゲームは一段落のようだ。
    レンはこの後もまだゲームを続けるつもりらしい。ディーラーに何事か声をかけると、チップが積み上がったテーブルをそのままに席を立ち、龍也のいるバーカウンターへとやって来た。
    「いつもの、頼むよ」
     顔馴染みらしい褐色の肌のバーテンダーに気前よくチップを渡し、レンは気さくに話しかける。間を置かず、ショートグラスにキリリと冷えたダイキリが興される。
    「ヘミングウェイ·スペシャルか」
     カウンターに凭れるように寄りかかり体ごと向き直ると、レンは龍也の声に、にっこりと微笑んだ。
    「甘いのは苦手なんでね。それに、彼のレシピは格別に美味しいんだ」
     賞賛を込めて軽くグラスを掲げる。若いバーテンダーが照れくさそうに小さく肩をすくめた。
    「貴方は日本人? ここじゃ珍しいね」
     レンの青い瞳が、値踏みするように龍也を上から下まで眺め回した。
    「遊びに来た、ってわけでもなさそうだけど。もしかして、オレに用があるのかな」
    「まあな。オレは日向龍也だ」
    「神宮寺レン——もっとも家からの使いなら今さら自己紹介なんて必要ないだろうけど?」
    「確かに、オマエのことは色々と聞いてるし、神宮寺家からも連れ戻すよう依頼は受けているが、そんなことはどうでもいいんだ」
     晴れやかに笑い、龍也は琥珀の瞳でレンを見据える。
    「オレはただ、オマエに会いに来た」
    「オレに?」
     皮肉な色を湛えていた瞳が怪訝そうに細められる。
    「どういうことだい?」
    「オレのものにならないか?」
     突然の告白に、レンの指から細いグラスが滑り落ちた。真っ白なクラッシュアイスが床に散る。
     すぐにダスターを手にしたバニーガールがやって来て、魅惑的な胸元をちらつかせながら跪き、処理をする。
    「ありがとう」
    立ち上がり蠱惑的な微笑を浮かべる金髪娘に、レンもまた悪びれない笑顔を返すとその白い手に多めにチップを握らせて、そのまま軽く口づける。どこまでもスマートなその仕草に龍也は軽く口笛を鳴らした。
    「手慣れたもんだな、さすがは愛の伝道師様だ」
    「——オレのことを色々と知っているようだけど、それならオレがレディーたちを愛していることもわかってるんだろう? どんなに魅力的でも、ジェントルマンのお誘いは遠慮しておくよ」
    「勘違いするなよ」
    台無しになったフローズンダイキリをレンの代わりにオーダーしてやって、龍也はにやりと笑う。
    「そういう意味じゃない。もっとも、魅力的だって評価には礼を言うが」
     様になるウインクを一つ。カクテルグラスを介して触れた指先に、レンは思わずびくりと肩を揺らした。早とちりを指摘されて赤くなる頬を冷ますように、冷えたダイキリをろくに味わうこともなく飲み干す。そんな様を龍也が面白そうに見ているのが、そらした視線の端にわかってますますいたたまれない気持ちになった。
     しかし龍也はそんなレンをからかうでもなく、止まり木に深く腰を預けるとオーダーのウィスキーを片手に話し始めた。
    「オマエも知っての通り、来年あたりから例の法案が動き出す。いよいよ日本でもカジノが合法になるんだ。詳しい経緯は省くが、オレも運良く利権のおこぼれに預かったってわけだ」
    「——なんとなくわかったよ」
    つまりその省かれた詳細の中に、神宮寺の名前があるわけだ。大方、自分を日本へ連れ帰ることが出資の条件でもあるのだろう。旧財閥の流れを汲む神宮寺家は多方面に事業を持つ資産家で財界にも顔が利く。
    「兄貴も懲りないね」
    これまでにも何度か家から使者が送られてきたことがあった。 その度にレンはけんもほろろに追い返し、 近頃ではようやく、そういった煩わしいこともなくなったと思っていたのに。
    「何度来ようとオレの答えは同じだ。家へは帰らない。おとなしく家の歯車になる気はさらさらないんだ。兄貴にはそう伝えてくれ」
     苦々しげに吐き捨てるように告げたレンに、しかし龍也は肩をすくめて見せる。
    「そんなことはどうでもいい。最初に言ったろう? オレはオマエに会いに来た。オマエと家との確執は、オレには関係ない」
    「……どういうことだい?」
    訝しむレンに琥珀の瞳が挑むような光を放つ。
    「もったいないと思っただけだ。このまま各地のカジノを転々としながら一介のギャンブラーで終わる気か? 母親譲りのそのディールの腕、思う存分奮ってみたいとは思わないか」
    「ハッ!ホントによく調べてるな」
    自嘲混じりに吐き捨てて、レンはまっすぐに自分を見詰める男から目を逸らした。

    レンの母、円城寺蓮華は伝説的なカードディーラーだった。日本人離れした華やかな容姿、華麗なカード捌きもさることながら、その魅力は何よりもそのホスピタリティの高さにあった。彼女のテーブルで遊んだ客はたとえ大負けしたとしても、心から満足して笑顔で帰ってゆく。その評判は高く、一流カジノからも引く手あまただったそうだ。
    レンは直接は彼女を知らない。人気絶頂の中、遊興で訪れていた神宮寺の総帥と恋に落ち、引退して日本へと渡ったと聞いた。そして、レンの出産と同時に命を落としたのだ。
    一度だけ、現地で撮影されたビデオを見たことがある。カジノの喧騒と興奮の中、母の細い指先からは魔法のようにカードが舞い、客たちは皆一様に輝く瞳をして彼女の一挙手一投足を見守っていた。勝った客の勝利に輝く笑顔は当然のことながら、少なからず懐を痛めたはずの相手でさえ、母の前では皆笑顔だった。
    ——あんな風に、誰かを笑顔にすることが出来たなら。
    幼いレンの、それは切なる願いだった。
    母は神宮寺当主の二度目の妻だ。当主には前妻との間に二人の息子がいたが、幼いころから、年の離れた異母兄たちとレンとの関係は残念ながらあまり良好とは言えなかった。物心ついた頃にはすでに次男は事情で家を出されていて、次期当主として厳しい帝王学を学んでいた長兄にはレンにかまっている余裕などない。母亡き後の唯一の肉親である父も、我が子を、愛する妻を死なせた元凶とみなし、辛く当たった。
    広い屋敷で、いつもレンは独りだった。誰も、彼に笑顔で接するものはなかった。父も兄も無関心だったし、使用人たちもみなレンを見ると目を伏せて笑顔を引っ込める。そんな環境の中で、彼の心には自然と亡き母への憧れが育っていった。
    父が亡くなり、それを機に高校卒業と同時に家を出た彼は母と同じ道を志し、働きながら独学でディーラーとしての勉強を始めた。めきめきと腕を上げ、20歳になるのを待って民間の資格試験を受け、合格した。その時急に、それまで疎遠だった長兄から「家に戻って事業を手伝え」と連絡が来た。当然レンはそれを無視したのだが。
    日本ではカジノは違法であり、賭博場としての合法的なカジノは存在しない。資格を取ったとしても、働ける場はギャンブルとは程遠いアミューズメントカジノやイベントでの余興しかない。当初、レンはそれでもいいと思っていた。ディーラーとしての仕事に変わりはないし、合法である分より多くの層の笑顔を見ることが出来ると思っていたから。
    しかし、長兄の誘いを断ったことにより、それすらも叶わなくなった。
    兄、神宮寺誠一郎が業界に手を回して、レンがカジノと名の付く場所で働くことが出来ないようにしてしまったのだ。怒ったレンは今度こそ家を——母が愛した日本を飛び出し、各国のカジノを転々としながら暮らすようになったのだった。
    そう、つまり、もともと彼はギャンブラーではなくディーラーなのだ。それが、こんなギャンブルで生計をたてる遊び人のような暮らしをおくっている訳は——。

    「最初はベガスのカジノだったな。オマエをめぐって、ディーラー2人が乱闘事件を起こした」
     レンに視線を据えながら、龍也は厳しいまなざしで淡々と言葉を紡ぐ。
    「二度目はリノで、言い寄ってきたオーナーを殴って解雇。三度目のモナコでは客とのトラブル、四度目のマカオでは——」
    「……もういいよ」
     数え上げる声を遮って、レンは深いため息をついた。
    「おっしゃるとおりさ。行く先々で問題を起こし、オレには不名誉な噂がたった。おかげでどこのカジノでもオレを雇おうなんで物好きはいなくなった。で、こんな浮き草暮らしさ。でも、不満はないよ。そりゃ、いつでも運命の女神が微笑んでくれるわけじゃないけど、今のところ不自由はないし、スリリングな暮らしも性に合ってる。運よく長逗留が出来れば、ガールフレンドも出来るしね」
     先ほど割れたグラスを片付けてくれたブロンド娘がこちらをみて微笑んでいた。それに片手で応えて、レンは龍也に向き直る。
    「そんなわけで、オレの心配は無用さ。もっとも、オレをアンタの店で雇いたいというなら、条件次第では考えないでもないけど?」
    「条件とは?」
    「オレとポーカーで勝負しよう。アンタが勝ったら、お望み通りアンタのものになってあげるよ」
    「承知した——では(プレイス)、始めよう(ユア ベット)」
     そうして互いに不敵な目線を交わし、2人の男はポーカーのテーブルへと向かって行った。

    「ところで、なんて呼んだらいい? 仮にもオレよりうんと年上の人をアンタ呼ばわりは失礼だよね」
     暗に龍也をおじさん扱いして、皮肉に尋ねながら、レンが一番端の椅子にポジションを取る。そんな挑発を鷹揚に受け流し、龍也はレンの右隣に席を定める。
    「別に好きに呼べばいい。龍也でも日向でも、なんならアンタのままだって」
    「……リューヤさんって呼ばせてもらうよ。オレのことはレンって呼んで」
    「レン」
     短く呼ばれた、耳に深く響く声に、なぜだか胸が暖かくなる。自然と緩みそうになる頬を引き締めて、レンはぽつぽつと集まって来た、自分たち以外のプレーヤーを観察した。
    まず目に付いたのは、先程の勝負でレンのブラフに引っかかって自ら勝負を降りてしまった中年の男だった。レンの反対側の端に座る。その隣に席をとったテンガロンハットの青年は知り合いでもあるのか、男と親しげに言葉を交わしていた。その隣に、慣れた様子のツイードの紳士、そして龍也の隣には大胆に胸と背中が開いたブルーのドレスのブルネットの女性が座った。
    総勢六名——それから十分ほど待ったが新たな参加者が現れなかったので、ディーラーが参加を打ち切り、ゲームの開始を告げた。先程同様、最低賭金(ミニマム)三十ドル、最高賭金(マキシマム)六十ドルの高額レートだ。
    まず気弱な男に一枚配られた。次いでテンガロンハット、紳士、女、龍也、レン、折り返してさらに一枚ずつ、各々の手元には計二枚のカード——ここから駆け引きが始まるのだ。
    あらかじめのくじ引きによって、賭け(ベット)の順番を決めるディーラーズボタンは一番右端の気弱な男の前にある。その左隣のテンガロンハットが最初の賭け——ブラインドベットを行うのだが、この時点ではまだ手札二枚分しか判断材料はない。よって、最低掛金(ミニマム)の半分かそれ以下の額を出せばよく、スモールブラインドと呼ばれる。
    十ドルチップが場に置かれた。その隣の紳士がビックブラインドと呼ばれる掛け金を置く。これには最初の十ドルに対する同賭け(コール)だけでなく上乗せ(レイズ)が強制されるベットだ。紳士はさらに二十ドルを場に置いた。これ以降のプレーヤーは計三十ドルでのコール、レイズするなら三十ドル単位で、ということになる。
     女性、龍也、レンがそれぞれコール、レイズは無し。これで第一ラウンド終了である。
     ディーラーがカードの山からいかさま防止に一枚を廃棄してから、三枚を伏せたまま中央に並べた。フロップと呼ばれるプレーヤーが共通して役(ハンド)として使えるカード。順に五枚出されるそれと、最初に手元に配られた2枚の中から役(ハンド)をくみ上げるのがフロップポーカー—ホールデムとも呼ばれる——やり方だった。
     ディーラーが一呼吸おいて全員をゆっくりと見まわす。それから無表情のまま三枚のカードを端から順に表向き(オープン)にした。
     フロップカードは♤2♤6♡8——。
    「あの…………」
    場と自分の手元を見比べていた女性が、ためらいがちに隣の龍也の腕に触れてきた。
    「私、こういったゲームは初めてなの。よかったら少し教えていただけないかしら」
     媚びを含んだ微笑を浮かべてドレスの胸元を誇示するように身を寄せる彼女に対し、龍也が答えるより先に反対隣の紳士がにこやかに話しかけた。
    「失礼、お嬢さん、カジノは初めてですかな?」
    「……初めて、ではありませんけれど。もっぱらスロットやルーレットで……カードゲームにはあまりなじみがありませんの」
     カードに不慣れな彼女がなぜこのゲームに参加したのか、紳士以外の目にはあまりにも明白だったが、当の紳士は気づかぬようで、なおも女性に向かって言葉を重ねる。
    「よろしかったら、私がお教えしましょう。手練れの皆様にはわかりきったことで多少退屈かもしれませんが……レディーファーストに免じてお許し願えませんかな?」
     ディーラーへ、次いでテーブルの面々に柔和な笑顔を向ける。
    「オレはかまわないよ、どうせならレディーには存分に楽しんでもらいたいからね」
     ウインク付きで応えるレンを横目に、龍也は軽く頷くにとどめた。反対側の二人は渋面ながらも反対はしない。それを確認して、最後にディーラーが口を開く。
    「皆様がご納得でしたらかまいません」
    「ありがとう」
     予想とはいささか違った展開にかすかに落胆のにじんだ声で女が礼を言って、龍也の腕に触れていた指を引いた。
    「さて、よく勝負は時の運と言われますが、カード、特にポーカーでは確率がものを言いましてな」
     皆の許しを得て、紳士は滔々と語り始める。
    「例えばこのラウンド、場に出ている今の時点で可能な役(ハンド)が何かはおわかりですかな? それに対して、貴女が作れる役(ハンド)は? ああ、もちろん、おっしゃらなくて結構ですよ、心の中でそっとご確認下さい」
     紳士の柔らかな語り口に、皆が無意識に自分のカードを確認する。
     龍也の手元には♤10♤8のカードが来ていた。現時点で可能なのは8のワンペアで、今後の出方次第で可能なのはスリーカード、フォーカード、♤を用いたフラッシュなどであるのだが……。
    「さて、皆さまの手元に二枚ずつ、場には三枚。五十一枚のうちすでに十五枚が消えている。コミュニティーカードはあと二枚です。その二枚で今以上の高位の役(ハンド)が作れる可能性はどれくらいあるでしょう? ちなみに、もっとも強いとされているストレートフラッシュの確率はおよそ〇.〇三%、ワンペアで四十三%ほどです」
    「よくわかったわ、ありがとう」
     紳士の丁寧な語り口に、女性は今度は心からの笑顔を返して再び自分のカードと向き直った。
    「終わったかい? ベットを始めてもいいかな」
     テンガロンハットの青年が苦笑して三十ドルをポットへ滑らせる。紳士はフォールドして再び女性に向き直った。
    「勝ち目がないと思ったら、早めに降りることです。初心者はよく一獲千金を狙いがちですが、間違えてはいけません、ポーカーは強い手を作って勝つゲームではない。最後までチップを失わなかった者が勝者なのですよ」
     紳士の忠告に従ったものか、女性もあっさりとゲームを降りた。
     次は龍也。コールして同額の三十ドルをベットする。レンも同様だった。最後にボタンを持つ男がコール、そして更に三十ドルをレイズした。テンガロンハットがこれをコール、龍也とレンもまたコールして、第二ラウンドの終了だ。
     第三ラウンド、フロップカードが一枚追加される。♢8——この時点で全員が8のワンペア——龍也はスリーカードだ。
     テンガロンハットがため息をついてベットすることなくフォールドした。間三人が下りてしまったため次は龍也の番だ。躊躇わずコール&ベット、レンがフォールドし、早くも中年男と龍也の一騎打ちになった。
     男のレイズを龍也が受けて第三ラウンドが終了し、最後のカード——リバーカードが開かれる。♤Q。これで龍也の役(ハンド)はフラッシュ、十分勝ちを狙える手だが、龍也はあっさりと降伏を宣言する。
    「フォールド」
     よく通る声に、勝った中年男は拍子抜けしたように一瞬動きを止めた。手持ちの(ホール)カードをオープンする。♡6♢6——コミュニティーカードと合わせて、6と8のフルハウス——龍也よりも上位のハンドだった。
     つまりこのまま続けていても龍也は負けていたわけだが、フォールドしたおかげで余計な損失を免れたというわけだ。
     勝った男は不満げな顔をしている。それを見て、レンがつまらなそうに言った。
    「リューヤさんって、思ったよりも堅実なんだね、オレの見立てじゃなかなかの手だったと思うんだけど?」
    「あの男、やけに強気だったからな」
    にやりと笑って。
    「先にオマエとの勝負を見ていて、ブラフをかけられる度胸はないと思った。強気に出るからには確実に勝算があるのだろうと踏んだまでだ」
    「なるほどね」
     目を見開いて、レンが小さく口笛を鳴らす。日本語での二人の会話に、件(くだん)の男が怪訝な顔をするのに何食わぬ顔で笑みを返す。
    「オレも評価を変えるべきだね」
     誰のとは言わず、レンは再び龍也に挑むようなまなざしを向けた。
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    PROGRESS長編曦澄13
    兄上、自覚に至る(捏造妖怪を含みます)
     姑蘇の秋は深まるのが早い。
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     彼の弟が言っていた通り、今年は寒くなるのが早かった。今にも雪が降りだしそうな空模様である。
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     断じて、彼が言っていたような義弟の代わりではない。だが、友でもない。あり得ない。
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    別れの夜は
     翌日、江澄は当初からの予定通り、蔵書閣にこもった。随伴の師弟は先に帰した。調べものは一人で十分だ。
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     夕刻、様子を見に来た藍曦臣に尋ねられ、江澄は礼を述べるとともに首肯するしかなかった。
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     十日間参加すると菓子が褒美としてもらえ、二か月休まずに参加すると、庶民ではなかなか手に入れることが難しい珍しい菓子がもらえるということで、幼い子どもから老人まで参加者は多い。
     雲夢江氏の大師兄を手本として、太鼓の音に合わせて全身を動かす体操を一炷香ほど行う。
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     その印は江宗主が東瀛へと船を出している商人から献上されたもので、可愛らしい鳩の絵と「江晩吟」と宗主の姓と字が彫られたものだった。なんでも八月十日にのみ作ることが許されているという特別な物らしい。ただ、あまりにも鳩が可愛らしいものだから、江宗主の通常業務では利用することが憚られ、また子ども受けが非常に良いこともあり体操専用の印となっているとのことだった。
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