ちょんと一緒1寒室にて、閉関中の藍曦臣は戸惑っていた。
目の前にいるのは、手のひらに乗るくらいの小さな江晩吟が見上げてきているのだ。
「ええっと、江宗主ですか?」
「ちょん!」
「……江晩吟?」
「んーん!ちょん!!!」
首を横に振る小さな江晩吟に、困惑しながら「ちょん?」と声をかけてみた。
すると「ん!!」と満足気にうなづいたと思うと、ととと……と足音を立てて、藍曦臣の懐に入ってくる。
「ちょん?」
「しー」
人差し指を口元にあてると、静かにしろと言う。
すっぽりと懐に入った瞬間、寒室の前で「どこに行った!」と声が響いた。
「静かにしろって」と宥める声や「江宗主、落ち着いてください」と、魏無羨や藍思追の声が聞こえてくる。
「落ち着いてられるか!!」といつにもまして、怒気が含まれていた。
「……どうかなさいましたか」
扉のそばに寄って声をかけると、一瞬だけ静まり返る。
しかしすぐに返事が返される。
「閉関中に失礼します。江晩吟です」
「はい、それでどうかなさったのですか?」
扉を開けないのは失礼だとは思ってはいても、閉関の修業は本来こうして他者と話すことも許されない。
今まで話すとすれば、叔父と弟に対してあいさつ程度だった。そのためか、彼以外に息をのむ息遣いが聞こえた。
「探し物をしております。私によく似た生き物が、こちらに逃げ込んではおりませんか?」
「生き物ですか?」
「手のひらに乗るくらいの小さな生き物です。それを消すので、お返し願いたい」
「消す?」
消すと聞いて、懐の小さな江晩吟は藍曦臣を震えながらつかんだ。
「それは、妖魔なのでしょうか?」
「いいえ」
「では、害があると?」
「いいえ」
「でしたら、どうして?」
安心しなさいという意味を込めて、優しく懐を撫でてやる。
藍曦臣の私室である寒室には、いくら江晩吟とて無理やり入ってくることはない。
「必要がないからです」
きっぱりと言い切った江晩吟の背後から、魏無羨が「おい!」と止める声がした。
きっと肩でもつかんだのだろう、ざりっと地面の玉砂利がこすれる音がする。
「あれは、お前だって言っただろう」
「あの甘ったれが?だったら、なおのこと不要だ」
イラついているのか、声が殺気立っている。
「沢蕪君、あの話しておきたいことがあるんです」
「なんでしょう」
「その生き物は、江澄本人です。今、江澄は体が二つあるような状態なんです」
「どういうことです?」
懐の小さなちょんをのぞき込んでから、扉の外の魏無羨の言葉に耳を傾けた。
「江澄に、俺の金丹が移植されていることはご存じですよね?」
「ああ……」
詳しいことは知らないが、金光瑶の言葉と江晩吟の態度からそれは推測できた。
「その生き物は、その副作用みたいなものなんです。
もしも江澄自身の金丹が復活したら、その時に体が耐え切れなくなるので江澄の中に器を作ったんです」
「では、江宗主の金丹が復活したのですか?」
「いいえ、俺の金丹が江澄の金丹となった為にそれが分離したんです」
「必要がなくなったから?」
「はい。でも、本来ならただの腫瘍ですぐに治るはずだったんですけど……。
人の形になって、心があったんです」
「心……」
懐のちょんを見ると、じっと見上げてきている。
「それは、もともと器だったので江澄いらないと思った感情や我慢してきた感情を持ってたんですよ」
「だから、必要がないと申し上げているのです。もし心当たりがあるのなら、返してください。今すぐに消すので」
「おい!江澄!それを消したら、お前がどうなるかわからないんだぞ」
「必要がなくなったから、俺から分離したんだろう。なら、問題がないはずだ」
江晩吟の声が聞こえたためなのか、ちょんは体を震えさせて涙ぐむ。
「お返しする事は、出来かねます」
「な!!!」
「江宗主。あなたが必要ないというのなら、あなたの心を私にください」
ぽんぽんと懐を優しくあやす様にたたくと、扉の向こうにはっきりと言い放つ。
言い放ってから、言葉選びを間違えた気がしたが出てしまったモノは仕方ない。
「なっ」と何度も繰り返して言葉を詰まらせている声が聞こえてくる。
「沢蕪君が、そいつ預かってくれるんですか?」
「はい、責任をもってお預かりします」
「なら、安心だ。
さっきも言ったんですけど、それは江澄が我慢してた感情で構成されてるんで、
子供っぽいところもあると思うんですけど甘やかしてやってください」
本人は、甘やかすつもりがないみたいなんで。と言った後に、江晩吟を連れてその場から立ち去った。
藍思追から「失礼します!お声が聞けて良かったです」と声が聞こえた。
心配をかけているのは、解っていた。
弟夫夫にとっては、あの子は息子同然。藍曦臣も甥のように接してきた。
「にーに?」
懐の中から、小さく心配するような声が聞こえてくる。
哥哥と呼ばれるのは、いつぶりだろう。
弟からは、兄上とばかり呼ばれていた。藍曦臣を哥哥と呼んだのは、幼いころの江晩吟だった。
「なんだい、ちょん」
ちょんは、懐から上ると出会った頃の江晩吟の姿になって抱きしめてくる。
「慰めてくれるの?」
「ん」
「ありがとう」
その懐は確かに温かくて、心音が聞こえた。
確かにこの生き物は、生きている。
「江宗主も、私を慰めたいと思ってくれているのかな…」