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    朝食と猗窩煉
    ■現代パロディ、同棲

    #猗窩煉

    真四角のキューブ型をした食パンにパン切り用のナイフを入れる。細かい山型にカットの入ったナイフをのこぎりのように細かく押し引きすると、柔らかな食パンを潰さずに二つに切り分けることが出来る。恋人の猗窩座と二人で暮らす部屋を選ぶとき、互いの職場と実家から程よく近く、それでも近すぎない事が第一条件だった。その次の条件は、朝早く立ち寄れるパン屋があること。趣味のジョギングの帰りに立ち寄る事が出来ると少しだけ気分が上がるし、恋人が夜勤帰りに買い食いが出来れば、不寝番が少しでも楽しくなるのではないかと思って提案をした。間取りや収納、築年数なんかは二の次で、二人で生活が営めるなら部屋は何処でも構わなかった。

     この小振りな正方形の食パンは、部屋を決める一助を担った竈門ベーカリーに立ち寄った際に必ず買う品物だった。贅沢食パンと銘打たれたこのパンは、一斤売りをしている山型食パンよりも小さいうえに割高だ。それでも、小麦の香りやほのかに広がる甘みがあり、気に入っている。半分に切ると、だいたい四つ切の食パンと同じ程度の厚さになるのでそれをオーブントースターの中に並べる。恋人の見立てで揃えられた調理器具は、門外漢の自分でも大きな失敗がないように扱いやすく高機能な家電で揃えられていた。トーストと記されたボタンを押すと自動的に程よい焼き加減で火を通してくれる。何度か表面が真っ黒に炭化したトーストやバターロールをガリガリと齧っていた姿を目撃され、その度に丁寧に注意を受けたのはもう遠い昔の気がするが、実際はたった半年ほど前の記憶だ。贅沢食パンよりもさらに贅沢な家電のお陰で、かたくて苦いパンを食べる機会は失われた。

     二人暮らしにしては、大きな冷蔵庫の扉を開く。大中小、メーカーを揃えた保存容器が几帳面に整列している。側面に貼られたマスキングテープは名札のように中に何が仕舞われているか記している。この名札を書くのは自分の仕事で、休日に作り置きをまとめて作る彼の作業を待ちながら、適度な長さに千切ったテープに品名を書くのが習慣になっていた。「きんぴら」に対してテープが長すぎて余白を埋めるためにニッコリ笑った顔のマークを書いたり、かと思えば「ほうれん草の胡麻和え」が書ききれずに縦長の文字で「ホーレンソごま」と窮屈に書かれたりしているが、容器を取り違えたところで命が取られる事はない。それに、どれを手にしても美味しいので問題はなかった。

     作り置きを横目に、小さなパッケージに入ったつぶ餡とマスカルポーネチーズを手に取る。オーブンが焼き上がりを知らせるのと、恋人からメッセージが届くのがほぼ同時だった。カウンターに置いたままのスマートフォンに「これから帰る。」と簡素な内容が表示される。二枚焼いた食パンはどちらも一人で食べる算段でいたものの、予定を変更し食器を二つ分用意する。贅沢食パンを食べる時は、パンと正反対の真ん丸のプレートに載せるのがお決まりだった。真ん丸の真ん中に、真四角のパンを置くと見た目に気持ちが良い。
     二枚のパンにそれぞれ餡子とチーズをたっぷり乗せる。餡子の相棒には長らくバターを据えていたものの、弟の勧めでマスカルポーネチーズを試したところ、贅沢食パンとの相性が抜群に良かった。甘い餡子に、香りがよく甘さのあるパン生地の組み合わせには、こってりとしたバターよりもチーズの方が少しさっぱりと食べられる気がする。思わず、ベーカリーで買い物をした際に、明朝の店先に立っていた少年にも伝えてしまうほどに、弟からの助言は的確だった。

     離れてから知ることになる、実家で出されていた食事の質の高さをしみじみと感じる。母も、それを手伝う弟も、料理を趣味とし手間を惜しまなかった事実を、こうしてその手から離れるまで知りもしなかった。こうして自分でもキッチンに立つようになって、自分よりも手馴れている恋人に手解きを受けながら食事の準備をするようになって、実家で行われていた料理の手の凝りように眩暈を覚えた。
     そんな母仕込みの料理の腕前をもった弟から、一番最近教わったフルーツサラダを添えることに決める。パセリサラダをボウルにあけて、ひとりで過ごした昨晩、読書のお供にと摘まみ食いをしたマスカットを房から外す。半分にカットして、サラダボウルの中に投げ入れる。リンゴも半分、半身のマスカットと同じくらいの大きさに切り分けて瑞々しい緑色の中へ落とす。「火を使わないので兄上にもおすすめです。」と添えられたメッセージを思い出して、弟の心優しさと、実家では父と揃って一度もキッチンへ入った事のない自分が恋人の帰りに合わせて朝食を準備する日がある事は、信じ難いのだろうなと納得する。

     玄関の扉が開く音がして、直ぐに手を洗う流水音が聞こえる。程なくして長くない廊下を進むには早すぎる足音が響き、勢いよく扉が開かれる。
    「おかえり。」
    「ただいま、杏寿郎。」
     真ん丸のプレートを目にした恋人が同じように瞳を丸め、それから眩しいものでも見るように目を細める。長い睫毛が色素の薄い瞳を隠してしまう程で、マスクの下に隠れたままの口元もきっと緩んでいるのだろうと伝わってくる。手洗い後で冷えた指先が片耳のゴムを引っ掛けて外すと覆い隠されていた口元が露わになって想像通りの笑顔が見えた。
    「ただいま、美味そうだな。」
    「お帰りなさい、贅沢食パンと君の帰りを待っていた!」

     今日もまた、二人暮らしの部屋に二つ分の体温が宿る。八重歯を覗かせる唇に、俺の元まで無事に辿り着いたことを祝福するキスを贈る。
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