第23回「癇癪」「花束」「穴」 急転直下。天変地異。
足元から崩れて、奈落の底に落ちていく。
ある種覚悟めいたものを決めて、なすがまま身を任せた。
ついさっき、恋人と口論の果てに地の果てまで落ち込んだ。
だから、崖っぷちに立たされた気持ちになった…などという話しではない。
猗窩座の足下の地面が、忍者屋敷の罠のように、衝撃ニュースの映像で見た事のある地盤沈下映像のように、ぽっかりと口を開けて大きな穴が空いのだ。
「おっ」
踏み締めるはずの地面が沈み、体を支える事が出来なくなるとそのままバランスを崩し、崩落していく地面と共に落ちるしかなかった。
危ない、と思った次の瞬間には、体が落ちていくのを感じて、ほんの一秒にも満たない間に、危機的な状況であるにも関わらず頭の中は冷静に「こういうとき、意外と悲鳴って出ないものだな」と悠長に考えていた。
呑気な脳内とは裏腹に、一気に背筋に嫌な汗が浮かび心拍数までも跳ね上がった。
最悪の想像すら過る、一秒未満、瞬きも忘れている間に、直ぐに衝撃が全身を襲う。
深さにして約二メートル。猗窩座の体は直ぐに大きな穴の底に辿りついた。
「いい落ちっぷりだ!お手本みたいだったよ。」
冬の訪れを想起させる乾いた空気に、手を叩く乾いた音と楽し気で、軽薄で、音色だけは一丁前に笑って聞こえる声が響く。「流石、猗窩座殿」と続く言葉に背中に浮いた冷や汗が煮えてしまうのではないかと危惧するほど全身に怒りがこみ上げるのが分かった。
「おい、ふざけるな!」
陽も沈んだ閑静な住宅街、からは少し足を伸ばした駅からもほどほどに離れた、家賃帯のお得な団地の一角。
不法投棄の自転車捨て場もとい、無断駐車の横行する空き地兼、近所の子どもたちが走り回る広場にぽっかりと開かれた穴の底から怒号が湧き上がる。
「おいおい、大声は近所迷惑だぜ」
「誰のせいだと思っている!」
「まったく、怒りんぼうも困りものだなぁ」
なんとか言ってくれよ、と調子の良い声の主である童磨は、近所迷惑を危惧する格好だけは丁寧に真似ながら、もう一つ浮かんでいる人影に向かって声を掛ける。
「怪我はないようだな、感心!」
「…杏寿郎?」
穴の底を覗き込むのは、見紛うことなく恋人の姿だった。この世で一番反りの合わない男の隣に、この世で最も大切にしている男が並び立っていることにすら神経が逆撫でされる。
「おい、杏寿郎の半径3メートル以内に入るな!」
「ツレないこと言うなよ、これから三人で夜通しつまんない映画見て遊ぶんだぜ?」
「俺は明日も早いので遠慮しておこう!遊ぶなら二人で楽しみなさい!」
ふざけるな!と悲痛な声が再び穴の底から響く。
こだまする声に重なって、童磨の鈴を転がすような笑い声が響いたところで、杏寿郎が胸に抱えたままの荷物を穴の底で二人を見上げる恋人のもとへ投げ込む。
先に落ちた恋人よりも軽く、ゆっくりと放物線を描きながら重力任せに落ちていくのは、春の花を束ねたブーケだった。
真っ赤なリボンが解け、色とりどりの花々が猗窩座のもとへ降り注ぐ。
メッセージカードには日頃の感謝が、達筆ではねとはらいがやや大袈裟な筆致で認められていた。
「いつまでそこに居るつもりだ!今日は、記念日だぞ!」