雨の桁下 ──貴方は壁である。橋脚の壁面である。
ぽつん、ぽつん。水滴が落ちてくる程度だったのも束の間、大粒の雨に変わる。橋の下に駆け込んだ兄弟は息を整え、ざあざあ降りになった雨を恨めしそうに仰いだ。二人が学校を出た時点では蒸し暑さはあれど快晴だったのだ。しかし帰宅途中で突然空が暗くなり遠雷まで聴こえ、一番近くにあった雨をしのげそうな場所に退避したのである。
「雨が降るなんて一言も言ってなかったのに」
衰えることを知らない雨粒を見ていると気が滅入ってしまう。光は「これじゃ帰れそうにないな」と独り言ちる兄の背中に呼びかけた。
「あぁ、そうだな。帰ったら鞄に折り畳み傘入れておこうぜ」
振り向いた充のシャツはじっとりと濡れており肌に張り付いている。透けた肌色、浮き上がる逞しい体の線。意識してしまうと直視できなくなり、光はさりげなく視線を外した。
しばらくそうして黙りこくっていると、とんっ、とんっ、と軽い音が響いた。音のする方を見ると、充がリフティングをしているところだった。
「そのボールどうしたの?」
「そこに落ちてたんだ。誰かが置き忘れたんだろうな」
光の質問に答えながら一〇、二〇、三〇と回数を重ねていく。ボールの動きに合わせて体の様々な部位で受け止めリフティングを続ける。まるで生きているかのように錯覚してしまうほど、ボールを思うままに操っている。止めの声がかからなければ永遠に続けられるであろう動作に光は思わず見惚れた。
「九十九、ひゃーく!」
充は朗らかに百回目のカウントをすると、ふわりと緩やかな軌道で光の方にボールを蹴った。光がこれを咄嗟に胸で受け止めると充は「ナイストラップ」と親指を立てた。
「勝負しないか? 百回以上できたら光の勝ち、出来なかったら俺の勝ちな」
「へぇ、面白そう。いいよ、やろ? 百回で止めたの後悔させてあげるから」
光は挑発的に宣言し、ボールを頭上に放った。
「そうそう、負けた方は罰ゲームあるから」
「えっ!? そんなの聞いてない!」
思わず両手で受け止めてしまう。
「い、今のはノーカウントで!」
「今回だけだぞ? うーん、そうだな……勝った方の言うこと聞くってことで」
「……今考えたでしょ」
「罰ゲームあった方がやる気出るだろ」
半分呆れつつも、気を取り直してボールを打ち上げる。
いーち、カウントを始めようとした瞬間。ふくらはぎに何かが触れた。驚いた拍子に高く蹴り上げすぎたボールが橋桁に当たって地面に落ちた。
転がるボールを追いかけた影は「にゃあん」と一声鳴いた。
「猫がいたのか。あーもう、びっくりした」
光は胸を撫で下ろし、既にボールに対する興味を失ったらしい猫の元へ歩み寄る。猫は逃げる素振りを見せない。恐る恐る手を伸ばしてみると、一瞬びくりと体を硬直させたものの、光に撫でられることを大人しく受け入れた。
「触っても嫌がらないね。多分兄ちゃんも触れるよ」
充が返事をしようとすると、猫はそれに被せるように「にゃおん」と鳴いた。
「鳴き声と勘違いしたのかな。もしかしたら、みーちゃん、みたいな名前付けられてるのかも?」
耳の付け根を揉みながら「兄ちゃん」と再び呼びかける。すると猫はやはり返事をし、しゃがみ込んだ光の脚に体を擦り付けた。
「この猫人懐っこくて可愛いね、兄ちゃん」
ここでもやはり猫が返事をする。光は更に笑みを深めて猫と戯れるが、充は無性に腹立たしかった。光の兄ちゃんは一星充ただひとりであるのに、野良猫は傲慢にも自分が呼ばれていると勘違いしただけでなく一時的とはいえ光の心まで奪った。それが面白くないのだ。
充は静かにボールを拾い上げると、それを橋脚に向けて力強く蹴った。
ずばんっ、と響いた大きな音にびくんと地面から跳ね上がり、猫は逃げてしまった。
「ちょっと! いきなりなに──」
しゃがみ込んだまま振り向く光に覆い被さるようにして、充は文句ありげな光の口を唇で塞いだ。
「雨が止むまでは俺以外見るの禁止。これ罰ゲームな」
「もしかして、猫に嫉妬したの?」
「悪いか?」
光の頬がほんのりと上気する。
「……ううん、全然」
貴方は、壁である──