7.B(side:L) ローレンツが厩舎の管理をマリアンヌと共に担当していた時に上空警備を担当していたクロードとヒルダが戻ってきた。金鹿の学級で軽業師の真似事が流行ったことがある。ナイフ投げも軽業もレオニーが飛び抜けて上手いのだがクロードも負けていない。下馬の際に左足を鎧から抜き忘れた人の真似、というのがクロードの得意技だ。羽ばたきやペガサスの嗎に混ざってヒルダが楽しそうに笑っている声が聞こえる。
「また同じことを繰り返して……ヒルダさんも飽きたと言ってやれば良いのに寛容なことだ」
「最初拝見した時は心臓が止まりそうになりました……」
それはそうだろう。普通の馬であったとしても肝が冷える光景だがクロードはなんとそれを上空でやっているのだ。何かひとつでも間違いがあれば死にかねない。好きな人に良いところを見せたいと言う気持ちは分からなくもないがレスター諸侯同盟の次期盟主として相応しくない振る舞いなのは言うまでもなかった。
「おい!クロード!愚かなことはやめてさっさと下馬したまえ!先生も待っているし僕とマリアンヌさんの仕事が終わらん!」
ローレンツが口に両手を添えよく通る声で上空にいるクロードに向かって叫ぶと何故かヒルダが私が見たいって言ったの!と言い返してきた。ローレンツの声が耳に届いたのかクロードは鞍に触れている指先と足首の力だけで身体の向きを変え普通に鞍に跨った。
「でもお二人ともとっても楽しそうです……」
マリアンヌはそう言って眩しそうに降下してくる二人をみつめた。何となく腐してはみたもののローレンツにもそこだけは否定出来ない。大はしゃぎしながらも二人は正確にローレンツたちがペガサスのために用意した水桶の前に着地した。腕は良いのにとにかくふざける二人を見ているとローレンツの心は何故かかき乱されてしまう。
「えへへ、女神の塔を上から見てきちゃった!どこも壊れてなかったよ!」
「そうでしたか。すぐに汗を拭いてあげないと冷えてしまいますから急ぎましょう」
騎乗していたペガサスの汗を拭きながらヒルダがマリアンヌに話しかけているが会話が微妙に噛み合っていない。
そろそろ白鷺杯がありそれが終われば舞踏会だ。舞踏会が行われる日に女神の塔の中で男女が交わした約束は女神が必ず成就させてくれるという。若い男女の交わす約束と言えば内容はほぼ決まったようなものだ。
「いやあ誰と誰が塔に行くのか見るのが楽しみだな!」
素直になった方が良い時に限ってクロードは露悪的なことを言う。ヒルダが近くにいるのにどうしてそんなことを口にするのかさっぱり分からない。ローレンツは横目でちらりとペガサスの尻尾やたてがみを手分けして櫛ですいてしているヒルダとマリアンヌの様子を伺った。どうやらクロードの問題発言は彼女たちの耳に届いていないらしい。何故かローレンツはほっとした。
「君はそんな物言いばかりするがそれで得をしたことはあったのかね?」
「お前こそ間口狭めて得したことあるのかよ!」
確かにクロードが言う通り散々な目にあっている。担任であるベレトから素行を改めるように直々に注意され平民の学生からはあらぬ誤解を受けた。ローレンツは基本、父の言うことに逆らわない。だが結婚相手を自力で探そうともしないのは嫌だと思って学生のうちに見つけられなければ素直に見合いで結婚すると言う条件付きで猶予が欲しいと父に願い出たのだ。
「僕は本当に自領を共に治めてくれる妻を探しているだけで君のように秘密はない!」
クロードが騎乗していたペガサスの手入れを手伝いながらローレンツは低い声で言い返した。声を張り上げたいところだがそうするとペガサスがおびえてしまう。そういえばリーガン公はクロードの将来についてどう考えているのだろうか。紋章を持っゴネリル家のご令嬢であればなんの不満もないはずだが気になった。
「ふふ……綺麗になりましたから馬房に戻りましょうね」
「マリアンヌちゃん羽根の手入れすっごい上手で感心しちゃった〜!」
マリアンヌが優しくペガサスに語りかけている。贔屓目かもしれないがペガサスもどことなく嬉しそうだ。他者のために手を動かすマリアンヌからは日頃の卑屈さが失せて内面の美が表に現れている。早く本人がそこに気付くべきなのに彼女は無頓着だった。
「マリアンヌさん申し訳ない!もう少し待ってくれたまえ」
「悪いヒルダ!もう少し待っててくれ!」
クロードと無駄口を叩いていたせいかローレンツたちはまだ羽根の手入れが終わっていなかった。ペガサスは空を飛ぶので普通の馬のように蹄に塵や汚れがたまることは殆どないのだがその代わり羽根に色々と塵が引っかかってしまう。それを羽根の流れに沿って優しく取り除いてやらねばならない。
「お待ちしますので急ぐよりも丁寧に手入れしてあげてください」
「男の子の方がよっぽどお喋りなんじゃな〜い?」
担任への報告は二人揃って、という規則になっている。ローレンツもクロードも口を閉じ必死になってペガサスの羽根を繕ってやった。