栄えある大国の王子は、小国の姫を結婚相手に指名する(仮題) 厳かなベルが鳴り、鳥が青空に羽ばたいていく。
ここはリンデ国にある、国立の専門学校。
授業が終わると、中庭で歓談するのが習わしだ。
昨日から、ここの生徒たちの間では――否、生徒に限らず教師や、この国の人々も――浮ついた話で持ち切りだった。
なんでも、リンデ国の王位第一継承者である英智王子が、自身の結婚相手を選ぶパーティーを催すのだという。
「どんな人が選ばれるんだろう?」
「由緒あるお家のお嬢様とか?」
「近衛大臣の妹、かわいいらしいよ?」
「まぁ、私たちには関係ないわ……招待状がまず来ないもの!」
「雲の上の存在、まるでおとぎ話よね。素敵だわ!」
「誰か誘ってくれないかしら。英智王子をひと目見るだけでいいから!」
そんな生徒たちとの会話を避けるように、中庭の端を歩く少女がいた。ほかの女生徒とは違う衣服を身にまとっていて、すれ違った生徒がぎょっとした目で見て通り過ぎていく。
少女の名はあんず。服飾の勉強のため、列車で十日はかかる距離にあるエス国から、はるばるこの地に留学に来ていた。
エス国は、染織業が盛んな国だ。絨毯やタペストリーなど、織物を名産としている。
豊かな自然が生む染料と職人が紡ぐ糸は、素朴な風合いを持ち、伝統的な意匠が華を添える。
しかし、リンデ国において、エス国は貿易や外交でも重要視されていない国だ。エス国が誇る染織品も、リンデ国では日用品以上の意味を持たない。
あんずは、その祖国の生地を使った衣服を自作して、学校に通っていた。
曰く、制服で表現を縛られるのは嫌だから――と、そのように校長に直談判して、私服登校の権利を得ていた。
談笑する生徒たちで溢れる中庭を突っ切り学校の門の外に出ると、あんずはそそくさと帰路についた。背中に冷ややかな視線を浴びているのは、気のせいではない。
ほかの留学生さえ用意が整えば指定の制服に袖を通すのだ。あまつさえ慣習に従わないあんずの行動を問題視する生徒はしばしば見られた。
だからといってクラスになじめないわけでもなく、からかわれるわけでもないのは、彼女の地位を意識しているからだろう。
学校から十分ほど歩いた場所に、あんずの住居がある。作業場付きの小屋だ。
入学当時は同級生と同じく寮に住んでいたのだが、学年がひとつ上がったのをきっかけに一人暮らしを始めた。
膝の高さしかない、形だけの柵をぐるりと回りこむようにして玄関へと進む。途中で郵便受けを見て何も届いていないことを確認すると、小屋の鍵を開けた。
自室の明かりをつけてカバンを置いたあと、鏡台の上に置いた手紙を見てあんずは思わずため息を吐いた。学校で話題を弾ませている生徒たちの無邪気な声が思い出されたのだ。
「明日には、広まるだろうなぁ」
昨晩届いた、一通の手紙。
厳格に押された封蝋は、紛れもなく王室からの便りの証である。
中には、パーティーへの招待状が入っている。もちろん、リンデ国の国王と王子が主催するパーティーだ。
これがこの家に届いたことが一夜にして広まらないのは、リンデ国らしい、と、あんずはすぐに話が伝播する祖国を思い出し、苦笑した。
招待は、お客様として扱われているとみていいのだろうか。
あんずが注目を集めるのは、なにも衣服や行動のせいだけではない。彼女の立場こそが、遠巻きに見られる所以でもあった。
あんずは、エス国のたった一人の姫である。
---中略---
壇上で、国王が問う。
「して、本日の主役よ。結婚相手にふさわしい者は見つかったか」
英智は会場全体をぐるりと見渡すと、一度頷き、そして応えた。
「決めたよ」
厳かなやりとりに、おお、と会場がどよめく。張り詰めた空気のなか、拍手が巻き起こっていた。
あんずもその発表に手を叩いていた。このあとは王子が結婚相手を自ら迎えに行って、そしてダンスを披露するのだと、年老いた権力者が招待客の誰かに解説していた流れを思い出しながら。
儀式がフィナーレを迎えるのなら、ようやくこの会場から解放されると、安堵さえしていた。
お立ち台から階段を降りてくる姿勢がきれいだな、と思ったのをきっかけに、あんずは自然と移動する英智の姿を目で追っていた。
淡い金色の髪がシャンデリアの光を反射して、祖国で作っているシルクよりもキラキラとして見えるので、不思議だと首を傾げてまじまじと見つめる。
(あ、瞳は水色なんだ)
そして自身と似ている特徴があることに気がつくと、思わず笑っていた。
瞳の色が見えるほど彼がそばまで来ているのなら、王族が身に着ける装飾品の様式を間近で見ることができるかもしれない。
そう考えて礼服に視線を移そうとする直前、英智があんずに微笑み返した。
あんずは、え、と戸惑い、気のせいかと思いながら、けれど視線はその顔に釘づけになる。
英智が歩いてつくった道が、覗き込む人垣によって埋められていく。
人垣は一定の距離を取り、円を描くように二人を囲んでいた。
英智は、あんずの目の前で歩みを止めていた。
「迎えに来たよ」
まさか、と緊張で何も考えられずにいる。ドレスの下で冷汗が止まらない。こういうことは先に根回しがあるものだと思っていたけれど。
笑顔を張り付けたままのあんずに英智はうやうやしく一礼をする。顔を上げ、形のいい唇が動くのを、あんずは見るしかできない。英智は穏やかな声で宣言した。
「僕の結婚相手になってほしい。……と、その前に。一曲踊ろう」
英智が指揮者に目配せしたのを合図に、オーケストラの演奏が始まった。あんずは返事をする間も与えられないまま、差し伸べられた英智の手を取った。
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to be continued...