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    ベルジャン(2010/06/01)

    AstilbeAstilbe











    「さて、ジャンカルロ。突然だがシレア夫人は身嗜みのなっておらん若いもんが大嫌いじゃ」



    始まりはカヴァッリ顧問のその言葉だった。
    いや、大元はそれよりも少し前、今はむせ返るような芳香を放つ花束片手に一晩を約束したという女優のものへ向かっているカポ・アレッサンドロの指令か。

    シレア夫人――ベルナルドも幾度か名前を聞いたことはあったその女性は、イタリア本国では知る人ぞ知る資産家の老婦人だった。人柄は良いが商才と頼りがいは無い夫の尻をひっぱたきながら、傾きかけた名家の財政を見事に立て直して見せたというイタリア女そのもののような頼もしい女性だ。
    彼女は築いた財を、そして家を守るためなら手段を選ばなかった。番犬としてどちらが有能であるかを堅実に秤にかけ、夫の禿頭のように光り輝くばかりで中身の無い官憲の正義ではなく、確りとした対価を支払えばその分の働きを示してくれるコーサ・ノストラを選んだのだ。結果として彼女は、いつしかシチリアの裏社会に多大な影響を及ぼす女主人となった。

    その女性が、とある用事のためにこのデイバンを訪れるのだという。
    『あのご夫人には俺も些か世話になってなあ。こちらにいる間は失礼の無いようにせにゃならんのだが、生憎その日程で俺はシカゴへ行ってしまっている。そこで、お前達に俺の代わりに彼女のホスト役を頼みたいという訳だ』
    どうだ、簡単な仕事だろう?
    ニィと男臭い笑みに口の端を持ち上げながら指令を下したアレッサンドロに、ジャンカルロは素直に頷いた。
    夫人は特に外出の予定も無いそうで、護衛というわけでもない。要は、お世話になっているスポンサーのご機嫌伺いのようなものだ。確かに楽な仕事なのだろう。
    けれどベルナルドは、無邪気に喜ぶジャンカルロを楽しそうに見下ろしているアレッサンドロの様子にふとした違和感を覚えた。ここ最近の彼は、ジャンカルロに仕事を言い渡す際に「これは大変な仕事だぞ」と緊張感を煽るような台詞を言っては、ジャンカルロが強がり混じりに受けて立つのを楽しんでいた節があったからだ。ジャンカルロは知らないこの二人の結びつきを知っているベルナルドは、そんなアレッサンドロの様子を息子の成長を喜ぶ父親のものとして微笑ましく見てきた。
    だからこそ、今回に限っての真逆の言動に、首をかしげたのだが――

    たとえ気に掛かる節があろうと、ボスの命令は絶対だ。
    楽勝と喜ぶジャンカルロを横目に、ベルナルドも素直に命令を受けた。用事を済ませるとご機嫌に去っていったアレッサンドロと入れ替わりに、筆頭幹部であるカヴァッリがやってくる。
    ――そして、冒頭の発言である。

    それってどゆこと?
    砕けた口調で首をかしげたジャンカルロの脛にステッキの一撃をお見舞いして悶絶させ、言葉遣いを正したカヴァッリ曰く。

    シレア夫人は、女手一つで時代を生き抜いてきただけあってか非常にこだわりの強い性格をしている。
    気に食わない人間は、自分の傍へはけして近寄らせない。
    礼儀にも人一倍厳しく――それ故に、アレッサンドロも彼女を少々、苦手としているらしい。

    なんだよそれ、ヤな仕事押し付けてきやがったのかあのオヤジ――言うならばせめて俺と二人きりになってから言えばいいのに、と思うベルナルドの横でまたも降り注ぐステッキの制裁。
    今度はうずくまり床に頭をつけそうになって痛みを堪えるジャンカルロ。
    杖など要らないのではないかと思えるくらいしゃっきりと背筋を伸ばして立つカヴァッリは、そんな少年とベルナルドを見比べ、言いたいことはわかるじゃろう? と、無言のままに訴えかてくる。
    ベルナルドは勿論、ジャンカルロをどこか孫のように可愛がるこの老幹部の言いたいことが、簡単にわかった。



    それからシレア夫人がデイバンを訪れるまでの三日間、ジャンカルロは半ば死んだような眼でうわ言を呟くような有様になるほど、デイバン中の服飾店やサウナを連れまわされ、一夜漬けの礼儀作法を叩き込まれる羽目になったのだった。
    「――っくしょー、あのクソオヤジー!!」
    組織の人間には聞かせられないボスへの罵詈雑言を、盛大に叫びながら。











    ――そして。

    「なーに、ニヤニヤ見てやがりますか、ベルナルド?」
    「痛。こら、押すなジャンカルロ」

    夫人が到着する予定の駅の構内に、二人の姿が現れる。
    列車の着予定時刻まではまだ間があった。万が一にも遅れてはならないと余裕を持ってやってきた二人は、ホームの一角で柱を背に立ち話を始める。
    いつもどおりに柔らかな笑みを刻んだ――いや、常よりも少々甘さを増した、機嫌の良さそうな表情のベルナルド。
    けれどその横でジャンカルロは、普段は飄々とした明るい笑いをこぼしている唇をぷっくらと尖らせていた。機嫌は、あまり良さそうには見えない。正確には、機嫌が良くないのを、隠そうとしているかのようだ。
    髪を丁寧に撫で付けて、全身を質のよいスーツに包んでいるジャンカルロ。
    元々、きちんと身だしなみに気を使えば人並み以上に華やかな容姿の少年なのだ。きちんと風呂にも入って埃を洗い流された金髪は、本物の黄金のような輝きを持っている。その輝きで人目を引き、そして思わず注視した者たちの視線を、今度は髪色以上に鮮やかな表情が捉える。スーツと言う大人びた服装をしていながら、どこか拗ねたようなジャンカルロの表情は彼を勝気そうな少年に思わせ、さりげなく使われたカフやチーフの上質さが、まるで彼を本物の御曹司のように見せていた。
    ホームで列車を待っている客の中からも、ちらちらとジャンの様子を気にしているご婦人方がいる。年頃の少女であったり、ベルナルドより年上の妙齢の女性であったりと様々な年代の女たちが、瞳の端で彼の金髪を追っていた。
    上機嫌には見えない彼の様子が、おそらく女性たちに正面からジャンカルロを見つめることをためらわせるのだろう。気の無い素振りを装いながらも、幾度もこちらを垣間見る女たちの努力が微笑みを誘う。そして、彼女らが気にしていながらも近づけないこの金髪の少年の隣に、自分が立っているということはベルナルドの胸にささやかな昂揚を齎していた。
     
    (なんだろう、これは……坊ちゃんとお付の従者っていうか、なんだか……うん、いいかもしれない……)
    ジャンは別に生意気な性格じゃないけど、この恰好だったら少しぐらい我侭を言ってくれたほうが楽しそうだ。いや、普段はいつもどおりの明るいジャンで、俺と一緒のときにだけ思わず我侭が零れてしまうとか――って、そうじゃなくて。

    「どうしたんだい、ジャン。せっかくの色男なのに、ご機嫌斜めじゃないか?」

    妙な方向へ向かいかけた思考を正して、ベルナルドは問いかける。
    元々が明け透けな性格の少年だ、時には機嫌の悪い日もあるだろう。昨日までの強行軍を思えば、疲れて多少不機嫌になっていてもおかしくは無い。
    だがついさっき、駅の前で車を降りるまで彼の様子に変わったところは見られなかったし、突貫工事のような変身もそこは年頃の少年だ。出来上がりの姿を自分で見て、満足そうだったはずだ。
    仕事が終わったらこのスーツ着てオネーチャンのいる店でも行ってみようか、なんて話を、浮き浮きとしていたはず。

    それが急に、どうしたことか、

    「うるせぇバーカ」

    明らかにやさぐれている。
    ぷいと顔を背けたジャンカルロは、柱を背にしたまま数歩ベルナルドから身を離す。あんま近づくんじゃねえよと、ひどい言い様だ。

    (小さい頃から従者の俺にべったりだったジャンについに反抗期が来て、急に独り立ちをしようとし始めてだな……俺は寂しいながらもジャンの成長を喜んで、離れようとするけどそこにジャンが…… 『どこ行くつもりだよベルナルド!?』『ジャン? 俺は……、俺の仕事は、お前が独り立ちするのを見守ることだからね』『ざけんな――俺は、アンタに世話掛けたくねえだけでアンタと離れたくなんて……!』 なんて言って……、――いや、いや待て、俺。なんの筋書きだ、これは?)

    いかん、ジャンの恰好がいつもと違うせいで、どうにも妙な空想が――

    それをジャンカルロのせいにして良いものかは甚だ疑問ではあるが、ベルナルドは再び思考回路を矯正する。
    大切な仕事を前に、何か気にかかることがあるのならば聞いてやらなくては。それが、兄貴分としての務めでもある。居住まいを正したベルナルドが、「ジャン」と呼びかけようとしたその矢先、

    「悪い、――もしかして、気ぃ悪くしたけ?」

    今度は不安気な色を瞳に揺らし、おずおずとベルナルドを見上げてきた。
    ――ぐっ、と。思わず腹に力を込めて息をとめそうになったのはどういうことだろうか。
    ジャンカルロはベルナルドの顔色を伺うように、そして僅かに気まずそうに眉尻を下げている。撫で付けた金の髪が一房、はらりと落ちた額に、皺が寄っていた。
    ベルナルドは慌てて首を振る。

    「いや、そんなことはないが……」
    「そか? なら良かった。急に黙りこくって厳しい顔するし、眼マジになるし……怒っちまったかと思った」
    「――う、いや……それはだな……」

    ちょっと空想をしていただけで、――などと、言えるはずも無い。

    「そ、それより、お前のほうこそどうしたんだ? さっきまではご機嫌だっただろう。何かあったかい?」

    とっさに作ったごまかしの笑みに、我ながらぎこちない――と苦笑したベルナルドだったが、他に気になることのある様子のジャンカルロは、上手くごまかされてくれたようだ。
    ほっと息をつくが、そうすると今度はジャンカルロの不審な様子が気にかかり始める。
    もごもごと言い惑いながらベルナルドの顔を見上げたり、一転して顔を逸らしたり。また見つめてきたかと思えば、今度は上から下まで眺め回して――溜息。

    「ジャン? 本当に、どうかしたのか?」

    真剣に心配になり、思わず顔を覗き込む。けれど彼は視線を逸らし、首を左右に振った。
    そーゆーんじゃない。否定の声は小さく、そっぽを向いていて不明瞭。
    その頬が微かに赤い。もしや、体調が? 
    大丈夫か? もしも具合が悪いのであれば、無理をすることは無い。今日は休んで――、けれど言いかけたベルナルドの唇を、ジャンカルロの手が遮った。

    「あーもう! そういうんじゃねーってば! 別に具合も悪くねーし何もへんなことなんか無かったし――くそ、ちょっと劣等感に浸ってただけだっつの!」
    「――劣等、感? ……何にだ?」
    「アンタ、マジで気付いてないのけ? 幹部候補のインテリヤクザの割には注意力散漫なんじゃなくてダーリン――つか、もしかして日常茶飯事すぎて気付かないとか? うわ、なんかむかつく」
    「ジャン。すまんが、何のことを言っているのか、俺にもわかるように――」
    「……あそこのシニョーラ」
    「――はあ?」

    指差された先、視線を向ければひとりの女性と眼が合う。同い年ぐらいだろうか、くすんだアッシュブロンドの大人しそうな女性だ。ベルナルドと視線がかち合うなり、弾かれたように顔を背ける。

    「……彼女が、どうか?」
    「あと、あっちの二人連れとか、――向こうのベンチのマダムに、さっきまでそこの端にいた人妻もだ」

    次々と、ジャンカルロは周囲の女性を指し示す――途中から、指差しの非礼に気付いたのか他には聞こえない声で言うようになったけれど、彼の言った方向へベルナルドが視線を向けると、女性たちは決まって即座に顔を背けた。まるでこちらの動きを注視していたかのような反応速度に、少々面食らう。
    先ほどは気付かなかったが、彼女たちもジャンの様子を伺っていたのか?
    首を傾げざるを得ないベルナルドの横で、ジャンカルロが小さくホームのコンクリートを蹴った。ざり、と靴底が砂粒に擦れる音がして、灰色の地面を小さく砕けた砂礫が転がる。
    蚤が跳ねるような小さな動きを見下ろし、ジャンカルロは唇を尖らせた。

    「――こんな恰好したの、俺初めてだしさ。風呂に放り込まれて芋みてえにわしわし洗われたり、人に髪の毛いじくられたりして疲れたけど、やっべえ俺すげえ恰好良くなってんじゃんとか、お仕事終わったらこの恰好のままオネーチャンのいる店にでも行ったらモテモテかも? とか思ったけど、さぁ」
    「珍しいな、お前がそういうのを気にするなんて」
    「そりゃ、俺だってオトコノコですから? カッコ付けたら楽しいし、女の子にキャーキャー言われたらそりゃ嬉しいって」
    「だったらいいじゃないか」

    お前を気にしているシニョーラたちは大勢いるだろう?

    「……アンタ、そんなに鈍かったっけ?」

    じろり、睨まれる。理不尽だ、という気もするがジャンカルロにはきちんとした理由があるらしい。
    けれど彼が欲しいという、女性からの熱い視線も実際に注がれているのだから、やはりベルナルドには意味が分からない。戸惑う顔を見上げていたジャンカルロは、やがて尖らせていた唇を緩め、眉根に寄せていた皺を解いてふっと笑った。苦笑じみた笑いではあったが、それまでの不可解な反応に比べればずっといつもの彼の表情に近い。
    ふわりと肩の力が抜けたように、ジャンカルロは大きく伸びをする。
     
    「――あー、もういい。いーや、アホらし」

    そして再びベルナルドを見上げてきたときには、彼の面差しから不機嫌な様相はすっかりと拭い去られていた。
    青い空を背景に、黄金色に縁取られた笑顔が溌剌と輝く。
    状況がつかめずに取り残されたかのようなもどかしさはあったが、そのジャンカルロの表情を見た瞬間、ベルナルドの意識からももやもやとした疑問が一気に吹き飛んだ。

    (やっぱりこうして笑っているほうがジャンらしくていい。さっきまでみたいな顔は――いや、あの拗ねたみたいな顔もアレはアレですごく良かった、良かったがやはりこちらのほうがジャンと言う感じがする。うん、しかしこの恰好で満面の笑み……無邪気な坊ちゃんと従者……反抗期を終えて、ぶつかり合いの後に分かり合ったふたり――――じゃなくて!)

    突然大きく首を振ったベルナルドに、ジャンカルロが驚いて声を上げる。

    「おわ、どうしたんだよベルナルド? さっきから、たまに変だぞ?」
    「ははは、なんでもないよ。――ああ、ほら、列車が来たようだよ」
    「え、マジ? ああ、あの煙かー」

    青空に浮かんだ白い雲と競うように、鉄の箱が吐き出す黒い雲が遠くの空を埋めていた。 

    遠かったはずの黒煙は、ぼんやりと眺めている内に、どんどんと近づいてくる。高らかに鳴り響いた警笛の音が、列車の到着を告げた。
    車掌が一等列車の扉を開きに向かってくる。
    直前に迫った気難しいと評判の要人の相手に、ベルナルドの身体の芯を電流のように緊張が走りぬけた。身体を硬直させてしまうようなものではない、適度に身を引き締める類の心地よい緊張だ。
    背筋がすらりと伸びた気がする。
    見下ろせば、少年はいつもの軽妙な表情を浮かべながらもどこかぎこちなさを宿している。その背を叩き、振り返った金の瞳に向けて笑いかけた。
    ジャンカルロは眼を見開き――応えるように、にやりと笑う。
    ぎこちなさはすっかり取れていた。

    扉が開き――

    数人の客が降りてくる。
    シレア夫人ではない。
    ベルナルドもジャンカルロも、移動中の荷運び役兼護衛としてカヴァッリの部下の数人が派遣されたことを聞いていた。先ずは彼らが先触れとして現れるはず。
    そのとおりに、女物のトランクケースを両手に抱えた見知った男がひとり、降りてくる。
    男は、出口の前で待ち構えていた二人に挨拶をしようとして――開いた口を、閉じるのを忘れた。

    「――おっちゃん、どうかしたのけ?」

    カヴァッリの元で鞄持ちをすることの多いジャンはなじみの相手なのだろう。気安い口調で、ぽかんと口を開いたままの男に問いかける。
    硬直の魔法を解かれたかのようにハッと我に返った男はあわてて頭を下げる。ベルナルドよりも、勿論ジャンカルロよりも年嵩の男だったが、次期幹部候補といわれるベルナルドのほうが組織での序列は上だ。
    生真面目に深い礼をしたあと、男は改めて、しげしげと二人を見つめた。

    「シニョーレ・オルトラーニ、それに……ジャンカルロ、だよな?」
    「なんだよ。見りゃわかるだろ? ちょっと会わない間に呆けちまったのかよ」

    相手が厳しいものであれば殴り飛ばされても文句の言えない――もしもカヴァッリがここにいればステッキの一撃がお見舞いされたに違いない物言いだったが、男は気にする様子も無い。元々、あまり階級を嵩に着るような性格ではないのだろうし――それ以上に、今はそんな余裕が無いのだと見て取れた。
    二人の姿をまじまじと眺めた男は、やがて大仰に感嘆の溜息をつく。
    ベルナルドよりも気安いジャンカルロの胸を叩き、

    「なんだよ、二人揃ってむかつくくらいの色男になりやがって! シニョーレ・オルトラーニだけじゃなくて、お前もかジャンカルロ!」
    「だっ! うわ、ばっかやめろって! 髪の毛崩れる――チーフだってこの形壊れたら俺、自分じゃ直せねえんだから!」
    「――ははは、なんだ、中身は同じか」

    盛大によろめかせて、ジャンカルロをあわてさせた。

    「自分がどうがんばっても二枚目にはなれないからって、人に当たるのはやめて欲しいわまったく」
    「ぬかせ、この――こら、シニョーレ・オルトラーニの後ろに隠れるな」

    ベルナルドをはさんで、二人は快活に笑いあう。
    それにつられて、ベルナルドも思わず笑みをこぼした。

    「……おお」
    「あ! すげえだろ! な! な!?」
    「……どうかしたか?」

    目の前の男が改めて感じ入ったような声を上げ、それに反応してジャンカルロが身を乗り出したので、ベルナルドはたずねた。
    男は輪郭の太い顎を撫でながら、いやはや、となにやら感慨深げに呟いている。
    ジャンカルロも男に頷きかけていて、自分ばかり置いていかれてベルナルドは疑問顔だ。ついさっきもこんな局面があった気がする。自分の顔に何か付いてでもいるのだろうか――眉をしかめたとき、男は頷きながらしみじみと語った。

    「ジャンカルロがチンピラ小僧からどこぞの御曹司に化けるんだからな。元が良けりゃ、この色男ぶりも当然か――」
    「だよなー。さっきからさぁ、ホームの視線独り占めしてやがんのに、ベルナルドってば全く気づかねえし。絶対慣れすぎてて鈍感になってるんだぜ?」
    「そりゃすげえ。俺も一日でいいからこんな男前になってみたいぜ」
    「――――はぁ?」

    彼らは何を言っている――?
    突拍子も無い二人の会話に、思わず眼を丸くする。その反応を見た二人はまたも、「ほらな、全然意識してないんだぜ?」「おお、すげえな」などと顔を寄せ合ってひそひそ声だ。
    自分が、どうしたって?
    ジャンカルロも、さっきから何を言っていたのかと思えば、まさかそんなことだとは。あきれて、ベルナルドは眉をしかめる。見栄えがよいといわれて悪い気はしないが、こんな風にからかうように言われては話が別だ。

    「何を言っているんだ。ホームには、ジャンカルロ、お前を見るのに忙しいご令嬢ばっかりだっただろう。俺を見ていた奴なんて――」
    「なに言ってんだよ! さっき俺が指したオンナたちみーんなアンタのこと凝視しまくりだったぞ!? 隣にいるのが俺でスイマセンって謝りたくなったぐらいだっての。俺が服装でちょっとばかり恰好つけたって、並ぶと雲泥の差だしさ。……スーツに穴が開くんじゃないかってくらいの熱視線だったのに――マジで気付いてなかったのけ?」
    「そんな馬鹿な」

    弾けるように反論してきたジャンカルロに面食らう。
    ベルナルドとて木石ではないから、自分に好意の視線を向けてくる女性がいれば当然嬉しい。だからこそそんなに熱烈な視線を浴びていれば気付かないなんて事はないはずだ。
    第一、今はまがりなりにも任務の最中である。
    周囲の状況に気を配るのは当然のことだ。その自分の意識に上らなかったのだから、そんな女たちなどいなかったはず――

    ベルナルドは、しばらく前のホームの様子を脳裏に思い出そうとして……

    (――ジャンの顔しか、覚えていない……?)

    拗ねたような表情、尖った唇。
    ふいと顔を背けたときに赤みを帯びていた耳たぶに、襟足から覗く項の肌色。
    ジャンカルロの様子であればコマ送りで再生できるというのに、何故だ――

    周囲の様子どころか、確かに存在を認識していたはずのジャンに熱視線を送っていた女達の顔や服装も、まるで記憶に残っていない。覚えているのはやはり、その視線が向かう先にあるジャンカルロの姿ばかり。
    彼の後ろに広がった空の青さを覚えている。
    彼が眺めた黒煙の揺らめきを覚えている。
    彼が蹴り飛ばした小さな砂礫の転がりも覚えているのに、彼と関係の無いものはまるで残っていない。

    それはまるで魔法にでもかけられたかのように。

    「――おい、ベルナルド? ベルナルドー?」
    「――っ!」

    呆然としていたベルナルドは、はたはたと目の前で手のひらを振られてようやく、はっと我に返った。

    「いや、これは、違う!」
    「は? なにが?」

    何が、――って。
    反射的に飛び出た言い訳は不審を招くが、そんなものは答えられるはずも無く。
    ベルナルドは慌てて、彼にしては非常に見苦しいいいわけを重ねる羽目に陥った。

    「アンタ今日、ちょくちょくおかしいよな。どうかしたのか? もしかして熱でもあるとか?」

    熱? いやそんなはずは。
    動揺するベルナルドの顔を、ジャンカルロが覗き込む。
    熱――が、あるのか?
    急に、熱くなったような気がした。

    さっきから――思わず湧いて出てくる妙な空想といい、今日はなにやら調子がおかしい。

    こんな顔を――意味のわからない混乱を、人前で見せる訳には行かない。
    ましてや、仕事中だというのに――そうだ、仕事だ!

    「なんでもないよ、大丈夫だ。それより、そろそろシレア夫人が降りてくるだろう。お前達も妙なことを言って遊ぶのは終わりにしろ。ああ、ジャン……タイが曲がっている。直すから、ほら、こっち来て」

    ふやふやと収まりの悪かった精神を、意図して硬い殻で覆う。
    呼吸を整えると、すぐにいつもの通り。
    怪しげな戸惑いから仕事に逃れたベルナルドは、ジャンカルロのタイの乱れを直しながら自身の感情をも落ち着かせる。
    そういえば仕事の途中であったのだと思い出したジャンカルロとカヴァッリ隊の男は、慌てて居住まいを正した。
    馬鹿話に盛り上がった男達が、仕事用の猫を被りなおした機を待っていたかのように、列車の戸口に一人の老婦人が姿を現す。
    列車を降りる手伝いをしようと男が彼女の元へと向かい、ベルナルドとジャンは二人並んで待ち構える。

    ふと、何かを感じて視線を落とすと、ベルナルドの腕を肘でつついたジャンカルロが、小さな声で語りかけてきていた。


    「――なあ、ベルナルド。この仕事終わったら、どっかのやっすい酒場で酒でも飲もうぜ?」
    「うん? 俺はいいけど。――女の子のいる店に行くんじゃなかったのかい?」
    「なしなし。 だって、んな恰好したアンタと行ったりしたら、店中のオンナの視線全部持ってかれるに決まってんじゃん。それじゃあなんかムカツクから、今日のベルナルドは俺と二人でオトコの飲み会な。オンナんとこなんて行かせてやんねー」
    「…………」

    他愛ない軽口でしかないジャンカルロの言葉に、けれどベルナルドは返答に苦心した。
    少年の言葉はまるで、ベルナルドが女性達の眼に触れることを不愉快だと言っているように聞こえる。

    いいや、これはきっと、ベルナルド自身が意図して本来の意味ではなく聞こうとしているのだ。

    この瞳で見るものも、この耳で見るものも。
    すべて都合よく黄金色に染め替えてしまうもの。
    いつの間にかベルナルドの胸の内に訪れ、巣食っていた存在。
    その名に気付いてしまえばもうおしまいな気がして、ベルナルドは気付かぬ振りをして、笑みにて応える。

    けれど、にかり、と笑い返してくるジャンカルロの笑みは驚くほど眩く、――ベルナルドは、最早手遅れであることを、薄々と悟った。










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