僕と人魚と鶴と桃(3/3) ぱりぱりと真白い提灯が燃え散って、月明かりが池を照らす。ばさりとはためく鶴翼が茶室の広縁へ降り立って、人間が・怪異の指先を舐めるシルエットを見ていた。
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今年も盆が始まる。
産屋敷家には【怪異】が棲んでいる。
まことしやかに語られる噂は、その広大な敷地内にある自然に紛れた何かのせいである。動物とも人間ともつかない【生物】がいるという。
ただの【自然現象】ですよ。
屋敷の主はいつもそう語る。果たして【自然現象】とは。
その秘密は、誰も知らない。
カナヲは今年も盆の準備を任されていた。今回は、兄が忙しいからだと聞かされている。
恋人の竈門を誘うかとも思ったが、カナヲ自身の荷物が多くなるため逡巡していた。
『宅配で送ってしまえばいいじゃないですか。受け取りは僕がしますよ』
(……?!)
穏やかな声が聞こえる。ふわりと揺れるたばこの匂い。そうだ、現地でどうしても買うもの以外は宅配で送ってしまってもいい。それに気づいたカナヲは、竈門に連絡をしようとして、やはり逡巡し、屋敷の一家である煉獄家の千寿郎へ連絡をした。
【千寿郎、盆の買い物を任されたんだけど、付き合ってほしい】
【わかりました 銀座ですよね いつごろ行きますか】
返事はすぐに返ってきた。
明日の十時でどうだろう 空いているか
夏休みなので自由です
十時に屋敷の大門前にて待ち合わせ、地下鉄に乗って銀座へ向かった。男子高校生になった千寿郎と、いくつか会話をした。クラスメイトのことや、授業内容の事。それから
「栗花落さんって、怖い話に興味あります?」「恐い話、って」
「僕、栗花落さんの母校に通っているんですよ」「ああ、知ってる」
かたん、かたん。地下鉄の空気圧を裂いて、電車が走る。金属の音が響く。
「屋上に、幻の生徒が住んでいるってご存知ですか」
屋上、幻の生徒。怪談、カイダン、階段……? カナヲの脳裏に、黒づくめの旧友が浮かぶ。特徴的な髪型の、ええと、あれは。彼とは、よく屋上で会話をしていた。クラスを聞けば、カナヲの隣だった。授業に出ていたのだろうか。体育祭でも、文化祭でも、彼の姿を見たことはない。
「……りさん、栗花落さん?」
「ああ、すまない」
もうすぐ着きますよ。そうだね。電車を降り、改札を出る。地上に出れば、日差しが照りつけた。焼けてしまいそうだ。いつもの店をはしごすれば、あっという間に荷物が溜まった。配送のできないもなか屋、かりんとう屋、ついでに、二人でかき氷を食べた。
脳裏に、何かが引っかかっている。それを解決しないまま、カナヲと千寿郎は帰宅して盆の飾りつけをした。
「千寿郎、幻の生徒って」
興味があるんですね。よかった。そう言って、千寿郎は怪談を語り始めた。
屋上に降り立つ幻の生徒がいる。視る者と同じ学年の背格好をした、黒づくめの男子生徒。名前はわからないが、生徒たちの間では「ゲンヤ」と呼ばれているらしい。
「マボロシ、の幻だと聞いています」
てきぱきと盆棚を組み立てながら、千寿郎は言った。カナヲの脳裏で、なにかがちくりとしている。
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「玄弥ァ、まだあの学校にいんのかァ」
兄ちゃん。産屋敷の森から少し離れた神社に、不死川――実弥は降り立った。実弟と兄弟子を眷属とし、現世に縛り付けている。単独での行動をさせるため、縛りはすこし緩くした。生きられなかった分、現世を謳歌してほしい。自らのエゴだとは思っていた。ただ、楽しそうにしている玄弥を見ると。こちらまで、楽しくなってしまう。
「もう少しで卒業するよ」
産屋敷の人間が多く通う中高一貫の学校。その屋上に、玄弥はよく降りている。鬼殺隊の同期であった栗花落、竈門、我妻、嘴平、それに、時透と、学生生活を送りたいと言った玄弥の願いを実弥が叶えた。その五人が卒業し、玄弥はマボロシとして学校の怪談となっている。
「学生生活って、案外楽しいんだね。兄ちゃん」
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ぽたり。桃の汁が女の唇を伝う。ヒトの歯でしゃくりと噛んだ桃からは、あまい、何もかもを包み込むような汁が垂れている。それが口の端を伝い、顎を伝い、ぽとりと胸元に落ちる。零れてしまったとひとりごち、女は胸にこぼれた雫を指で掬った。
盆のはじまり。大広間では一族が集合し、僧が読経を行っている。
そのなかに、新しく。 コチョウシノブの名が追加されている。
(コチョウシノブ、どこかで……聞いたような)
霞がかったような脳内で、栗花落カナヲは考えた。そうしているうち、カナエに声を掛けられ、そのことはどこか遠くへ飛んでしまう。
あの大池には、怪異がひとつ増えたという。