降志ワンライ;「残暑」 ジリジリ。ギリギリギリ。ギギギギギギ、と。
風情ある――というには、かなり耳障りな鳴き声が、ひっきりなしに響き渡るリビングで、志保はひとりだらんと腕を投げ出し、大の字で寝そべっていた。
九月初旬。未だ残暑の厳しいこの季節。日中ともなればエアコンにはまだまだフル稼働で仕事をしてもらわねばならないのに、いきなりブツンという音と供に一切の反応を見せなくなって、五時間あまり。窓は当然のように全開にしているが、気密性の高いマンションの一室は、殆ど蒸し風呂状態だ。
人間にすら毒となるであろうこの環境は小型犬であるハロには猛毒になる。
予約がいっぱいなので訪問は明日になる、という修理業者からの平謝りの連絡が入ったと同時に、阿笠の元へ彼を預けてきて、志保自身は一時帰宅した。
網戸全開の窓の外では、蝉の大合唱が響いている。
いわゆる『セミファイナル』の開催地に選ばれてしまったベランダの様子は、正直見たくない。
サンサンと降り注ぐ太陽は低くなりつつある夕刻。
本日の最高気温は、35度を超えたという。じきに暗くなってくる時分だが、それでもスマホで確認した本日の最低気温は27度。
じっとりと額に浮かんだ汗を拭うことすら鬱陶しくて、志保は大人しく瞼を閉じた。
ジリジリと身を焦がすような――否、文字通り己の身を焦がしているのであろう、夏の風物詩。最後の命の灯火を精一杯に奏でる合唱がやがて遠くなってきたころ、「こら」とよく知った声がかけられた。
ぬっと志保の頭を見下ろす影は、丁度西日となった窓を背にした男。
金色の髪に夕空の朱が溶けて、綺麗だな、となんとなく思った。
「君も阿笠さんのところに泊めてもらうように言っただろう。熱中症になったらどうする」
家主――降谷には、エアコンがご臨終になったとトークアプリで連絡を入れてあった。
帰宅した降谷は、庁舎に詰めていたのだろう。スーパークールビズ推奨通りの、ノーネクタイのシャツ姿。
愛車で帰宅した彼が外気に触れた時間は駐車場からエントランスまでのごくわずかな距離だ。涼しい顔をしていることがどこか憎らしかった。
でも――
「だって、今日は早くに帰れるって、言ってたじゃない」
残暑の折。
エアコンの壊れたリビングで寝そべったまま。
どこか朦朧とする頭で考え無しに、志保は呟いた。
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朝食の席、まだご健在だった快適な空調のリビングで、彼と交わした会話を思い出す。
『今日は久々に早めに帰れると思う。夕飯どうする?』
「なら、一緒に作りましょ。久々にあなたのオムライスが食べたいわ」
何気ないひととき。
当たり前のような日常。
それこそが、奇跡のような一日であることを、二人は二人とも、よく知っている。
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「……君、たまにとんでもない口説き文句を言うよな」
志保の無意識の受け答えにハァ、と息をついた降谷が、熱中症でもあるまいに頬を赤く染めた。
が、すぐに志保のだらんと伸びた腕を引き上げて身を起こさせると、彼自身もフローリングに腰を下ろして志保と視線を合わせてこつりと額を突き合わせる。
時折行われるどこか子どもっぽいコミュニケーションだが、志保は嫌いではなかった。
「で、予定通りオムライスを食べる気力は?」
「……流石にこの熱気の籠った部屋で火を使う気は起きないわ」
「同感。リクエストはまた今度にしてどこかに食べに行こう。それで、僕たちも外泊にしようか」
修理は明日。一晩はこのままの蒸し風呂なのだ。むしろ夜は防犯上窓を開けておくのも危険だから尚更熱中症の危険性が高まる。異論はない。
「博士の家?」
「いや、」
一晩二人きりでいられるところ、と。
彼の言葉にそれこそ、熱中症のように頬を染め――彼女はコクリと、頷いた。