降志ワンライ「きみはポラリス」「手袋、」
「ん?」
「忘れたわ」
「……ではお手をどうぞ、お姫さま」
素直じゃないなぁ、なんてカラカラと笑う降谷は、志保の回りくどいおねだりに従順に応えてその手を握った。
志保のそれよりずっと大きな手にすっぽりと包まれると、じわじわと温かい体温が移ってくる。同時に彼の体温を奪っていることになるのではないかと懸念した頃もあったが、自身への過小評価癖こそが彼を悲しませる一番の要因なのだと気付いてからは、純粋な厚意に甘えることも身についてきた。
冬の夜。
新年も明けて三週間あまり。お正月ムードは完全に立ち消えて、社会は皆、変わり無いようで日々異なる日常を、当たり前のように繰り返している。
住宅街を並んで歩く二人の周囲は、吐き出す吐息で白く染まる。一月の空気はシンと冷え切っていた。
週末にはこの冬最大の寒波がやってくるという情報は、先ほどまで見ていた天気予報だ。
「初雪になりそうね」
「そうだな。交通課が大変そうだ」
返ってきた言葉は、なんとも色気のない仕事人間そのものだ。
けれどもそんな彼の物言いも思考回路も、すっかり熟知している志保は慣れたもので
さらりと聞き流すに務めた。
「博士たち、大丈夫かしら? 立ち往生してなければいいけど」
「山形の温泉宿だろう? 駅に迎えが来るっていうし、あっちの人の方が雪には慣れてる。心配無用だよ」
「……そうね」
阿笠博士とフサエ・キャンベル・木之下の結婚パーティが行われたのは、今日の昼のこと。
長年の初恋をとうとう実らせた二人は、身内だけを招待したこじんまりとしたパーティの後、記念旅行へと旅立っていった。世界的デザイナーであるフサエ・キャンベル・木之下の新婚旅行となれば、豪華客船でのクルージングになってもおかしくはないのに、そんなのは落ち着かないと温泉を希望したのはフサエの方だ。
せっせとパンフレットを取り寄せて、あっちがいいとかこっちはどうだとか、幸せそうに相談する二人を思い出すだけで、志保の表情筋も緩んでくる。
「二人とも、幸せそうだったわね」
「そうだね」
そんな幸福なパーティに出席後、帰宅した彼女が一人暮らすマンションに当然のように上がり込んだ降谷と二人、新婚の二人を肴に晩酌を楽しむひととき。
明日は非番だという彼のスマホが鳴ることもなく、穏やかな時間を楽しんだのち、酔い覚ましの散歩がてらコンビニへと出掛けた、帰り道。
はらり、と舞い落ちた白い粒に、あ、と小さな声が零れる。
「ああ、本当に降ってきた。今日は冷え込むな」
はらり、ふわり。
この冬最大の寒波がやってくるでしょう――
平野部でも、初雪が観測される予報です――
お天気キャスターのそんな声を思い出しながら、夜空より零れ落ちる冷え切った大気の粒を見上げた。
雪が降ると、どうしても思い出してしまう景色がある。
肩を走る激痛、硝煙の匂い、長い銀色の髪の男、降り積もる雪に流れた赤い血―――
「志保?」
知らず、繋いだ手に力を込めていたらしい。
なんでもないとかぶりを振るも、志保のそんな僅かな仕草で感じ入るものがあったのか、ぎゅうと強く握り返された。
「……痛いわ」
「生きてる証拠」
「昔のことよ、気にしてないわ」
「君の大丈夫、はアテにならない」
早く帰ろう、とにこやかに微笑む男の顔は、志保より頭一つ分高い。
見上げた金色の髪はまるで夜空を切り取るように――否、従えるように、きらきらと光を掬い零す。
阿笠はその色を、秋を彩る銀杏並木のようだと語った。
志保にとってのこの色は、果たして何に例えられるだろう。
「……ええ」
素直に頷いた志保の手を握る体温は、やっぱり志保のそれより高くて、温かい。
「ねえ」
「うん?」
「今日は、もっと甘えてもいい?」
「むしろ普段からでも大歓迎なんだけどな」
「それはイヤ」
くすくすと笑ってみせれば、彼もまた口元を綻ばせた。
繋いだ手の先。
寒く冷たい夜をも切り裂き導く、私の道標。