嫉妬には向かない彼1
――……だって仕方ないことだろう?
月島がおいよりも彼を気にかけることは。彼はおいとは違って、百年前、月島の目の前で死んでいったのだから。
かたや、おいは月島とその後、何十年も共にいた。
だから仕方ない。月島がおいよりも江渡貝に甘いことは。
「今日の午後の会議ですけど。午後は江渡貝が先方との打ち合わせに出るのに私はついていくんで。先方との打ち合わせが終わり次第戻ってきます。ただ外に出るんで、鯉登さんの方の会議には間に合わないかも……」
「ああ、わかった」
月島の中では江渡貝はいまだに二十代の青年のままだ。
「あなたなら大丈夫ですよ。私の代わりに尾形か宇佐美つけてもいいですが」
「いや、資料も準備してあるし、私だけで大丈夫だ」
「ですよね」
月島はそう言って頷く。それから鯉登に背を向けて江渡貝の席の方へ行ってしまった。
自分の席にひとり残されたまま、ぎゅっと手を握る。爪が食い込んで痛い。
自分に言い聞かす。
――……だって、おいは。前世では第七師団長にまでなった男だ。月島はもちろん、皆から閣下とまで言われてきた男だ。
大丈夫、できる。月島だって、できると言っていたではないか。
今は二十代でもかつては閣下と呼ばれるまで生きた男だ。……かつて二十代のまま死んだ彼とは違うのだ。
「江渡貝、ほら行くぞ。名刺と資料持ったか?」
「当たり前でしょう、もちろん持ってますよ。月島係長こそ、先方に行くのに、またそんなアイロン適当なワイシャツ着て」
「これでも一応、アイロンあてたんだが。ああ、このままちょっと早めに出て昼飯食ってから行くか」
「いいですね。いきましょ。あ、この前のイマイチな蕎麦屋は無しですよ」
「わかった、わかった」
月島と江渡貝がそんな会話をしながら席を立って出ていく。
夢物語のような前世とはいえ、六十年もの間一緒にいた鯉登より、ずっとくだけた会話をしている。
月島は鯉登には前世での六十年も、そして今も、ずっと敬語だ。くだけてタメ口で話せる彼が羨ましい。
だけど、仕方ない。鯉登はかつて六十年も月島の上官だったのだから。かたや、江渡貝は月島にとって、二十代で時を止めてしまった永遠の若者なのだから。
午後の会議は結局、一人で乗り切った。途中、他部署の奴からちょっと意地の悪い質問や痛いところをつく鋭い指摘も受けたが、なんとか最後までやりきった。
そうだ、自分はできるのだ。月島についていてもらわなくても。
会議後、なんだか甘いものが飲みたくて、自販機が置いてある休憩スペースに行ったら、先客が一人いた。前世ほどの坊主頭ではないが、短く刈り上げた頭とワイシャツの上からでもわかる分厚い筋肉の男。江渡貝と共に出ていた月島が戻ってきていた。
「あ、鯉登さん、お疲れ様です。会議どうでした?」
「ああ、いくつかその場で即答できなかったものは持ち帰りの検討事項になったが、問題なく終わったぞ」
「さすが閣下」
月島がそうやって言う。
「……あのな、月島。おいは……、俺は閣下じゃない」
「はい?」
「だから、俺は今は閣下なんかじゃなく、ただの二十代の若手社員だ」
「はあ、それはもちろん知ってますよ」
「だから! それが嫌だ!」
「え? はい?」
「月島係長の方が俺の上司なんですよ! なんで敬語で話すんですか⁈ 俺だって、……俺だって、」
ぎゅっと手を握る。目の前の月島が、相変わらず低い鼻の上にある目を丸く見開いている。
「俺だって、江渡貝みたいに月島係長に面倒みて欲しい。俺はひとりで出来るからって、放り出さないでください。上司として部下放り出して、職務行動違反ですよ」
「な……、放り出すだなんて。だってあなたは……」
「だってもクソもないですよ! この俺は、今の俺はただの二十代のまだなにも出来ない奴なんです。江渡貝ばっかずるい。江渡貝にはタメ口なのに、俺には頑なに敬語使うし。なんかそれも嫌です」
「……いいのか?」
おそるおそると言ったように月島がきいてくる。タメ口で。それに、うん、うんと頭を縦にふる。
「はあ……――」
月島が大きなため息をつく。まいったな、と月島が苦い顔をした。
そんなに、鯉登のことを二十代の若者扱いするのが嫌なのか。
「……閣下じゃなく、上官じゃなく、ただの二十代の年下の男だなんて可愛いだけじゃないか……」
ぼそりと月島が苦い顔のまま、吐き出した。
「は?」
「鯉登に敬語のままで、一人でなんでもさせてたのは、そうしておかないと際限なくアンタのこと可愛いがりそうだったからだよ。……それこそ江渡貝に、鯉登ばっかりって怒られそうで」
「……な」
「だって六十年だぞ。お互い爺さんになるまで一緒にいたアンタが、今こうして二十代の若者で自分の部下にいて可愛いくないわけがないだろ」
「だって月島……係長、そんな風には、」
「そりゃ必死に自分に言い聞かせてたから。鯉登は今はこんな可愛いくても閣下にまでなった男だ……、逐一面倒みるのは失礼だ、って」
「……でも見て欲しかったです」
「うん、悪かったな……」
目の前の月島が鯉登の背中に腕を回してきて、ポンポンと背中を叩く。上背は低くても筋肉の厚い月島にそうされると、なんだかまるで抱きしめられているみたいだった。
「……俺もお昼一緒に連れていって欲しいです」
「明日の昼の前に、まずは今夜飲みに行くか、二人で」
月島の腕の中で、うん、うんと、勢いよく頭を縦に振った。今夜の飲みは月島係長に奢って貰おう。
――……俺だって。俺だって、今世は江渡貝と変わらず、ただ、今を生きる二十代の若者なんだから。
その後、席に戻って、隣の江渡貝に「今日、月島係長と飲みに行くんだ」と自慢げに言ったら、「……もう面倒なんでさっさと月島さんと付き合って欲しい」と、ウンザリした顔で返された。その時は「何言ってんだ」と答えたが、結局その日、飲みの席から、月島係長と付き合うことになったのは、また別の話だ。
2
「……なあ、近くないか?」
「はい?」
「距離感」
「は? え、僕、わりと潔癖なんでパーソナルスペースとってる方だと思いますけど。鶴見さん以外。鶴見さんは特別枠なんで」
「いや江渡貝くんのことじゃなく……」
「――――はあ、まーた鯉登さんのことですか?」
月島の隣の席で江渡貝がやれやれとため息をつく。係長の月島とその部下の江渡貝が座っている席から少し離れた先、社内の事務室に出入りする扉のそばで鯉登と、隣の部署の杉元が立ち話をしているのが見えている。
「だってほら、あの距離。あの人も江渡貝くんと一緒でわりと潔癖なところあるから、親しくない人とは結構パーソナルスペースとる方なんだよ」
「へえ。じゃあ、鯉登さんにとって杉元さんは親しくなくない枠ってことじゃないですか?」
「やっぱそういうことだよなあ――……」
月島の目線の先には、一緒にスマートフォンの画面を覗きこむ杉元と鯉登が見える。二人とも上背があって体格がいいので、杉元が持つ小さなスマートフォンの画面を覗き込むには触れ合うくらい肩を寄せ合っていた。上背もあってがっしりとした体型の杉元と、彼と身長は変わらないが、比較的すらりとした体型の鯉登の二人は、それぞれタイプの違うイケメン顔を真剣に付き合わせて何をしているのか。
しかもそんなことを昼時の部屋の扉付近のところでやっているものだから、部屋内に出入りする社員達、特に女子社員達からちらちらと視線を送られている。
だが、二人ともそんな奴らには全く気がつかず、スマートフォンの画面を真剣な表情で見たり、感嘆のため息をついたり、興奮気味に笑い合ったりしている。杉元も鯉登も意外に喜怒哀楽がわかりやすく表に出るタイプだ。それが余計に周りの者たちに好印象で目を引いているようだった。
どうも月島や鯉登と違って、杉元は江渡貝と同様、前世の記憶なんてものはないタイプらしい。前世の記憶のない杉元に今世、意中の相手がいるのかどうかは知らない。
だが少なくとも鯉登は月島と付き合っている。付き合うにあたり一悶着あったが、そのお陰で今世は鯉登とはれて付き合えることになった。
けれども鯉登が月島のものだということは、一部の親しい者達しか知らない。
「そんな気になるなら声かけたらいいじゃないですか」
目の前のパソコンのモニターではなく、扉の所の二人を凝視している月島に呆れたように江渡貝が言う。
「いや、でも鯉登さん、楽しそうだし」
そうなのだ。前世でも鯉登と杉元は犬も食わないような喧嘩をしょっちゅうしたり、命を本気で取り合うようなことまでしたが、本質的には性根のまっすぐな青年同士で気が合う所はしっくりあう。それを月島は見てきたし、知っている。
「なんだかんだで仲良いんだよな、あの二人……」
「はあ……本当どうでもいい話題すぎるので、僕はお昼行きますよ」
心底呆れたような顔で江渡貝が椅子から立ち上がった。
「月島さんも一緒に行きます?」
「ああ、行く」
ショートカットキーでパソコンの画面ロックをして、月島も席を立つ。どうせ杉元と鯉登の方ばかり見て悶々として、仕事になんて集中していなかったのだ。
「今日はどこいこうかな。あ、向かいのオフィスビルにサラダバーがあるイタリアンのお店が入ったんですよ。パスタも美味しそうだし、オーガニック野菜が売りで。外から見ただけですが内装もオシャレそうで気になってて」
「サラダバー? そんな葉っぱより、今日は米だ、米が食いたい。あ、あそこどうだ? 山盛り唐揚げのところ。ほら江渡貝くん、育ち盛りだからいっぱい食べた方がいいぞ」
「はあ⁈ 何そんな中高生の息子持ったオカンみたいなこと言ってるんですか⁈ それともなんですか、最近僕がもしかして地味におじさん体型になってきてるの皮肉で言ってます⁈」
「いや違う。なんかこう、今日は肉を食いたい。あと白米。がっつり白米が食べたい。…………わかってんだよ、杉元が不死身だってことは。奴は手強い」
「は? なんですか、それ」
「杉元は不死身だし、イケメンだし、……でも俺だって気合いじゃ負けない」
「え、待って、それ、杉元さんにジェラってる今の悶々とした気持ち、白米と肉食べて解決しようとしてます?」
「悪いか」
江渡貝とわあわあ言いながら、扉の所で相変わらず立ち話を続けている杉元と鯉登の横を通り過ぎる。杉元は月島に気づいて軽く会釈したが、鯉登は変わらずスマートフォンを覗き込んでタップをしている。
ちらっと江渡貝が、そんな杉元と鯉登の二人を見やって、それから月島にやれやれと苦笑した。
「ああ、もう、わかりました、月島さんの食べたいとこ行きましょ、唐揚げいきましょ」
「お、じゃあ奢ってやるから」
ありがたい、と自分の食べたいものに付き合ってくれるらしい江渡貝に礼をいう。
「あ、鯉登くん、月島さんお昼借りるねー」
鯉登はこちらをちらりと見ることもなく、スマートフォンの画面に夢中のまま、気のない棒読みの「どーぞ」という返事だけを、月島達に返してきた。
※※※
「あれいいのー?」
「ん? なにが?」
一生懸命、スマートフォンの画面の中で可愛くぷかぷか泳ぐアザラシ達にスパチャを投げていたら、杉元が軽く腕をこづいて聞いてきた。
最近、鯉登はこれにハマっている。通称アザラシ幼稚園。オランダの、怪我などをして保護されたアザラシ達が飼育されている施設のアザラシプールの24時間ライブ映像配信だ。SNSで話題になっていたのをたまたま見かけて、ちらっと映像を覗いたら、そのなんともいえない、アザラシ達のぷかぷかと泳ぐ姿に癒された。前世からやはりアザラシ達は変わらず好きだ。周りの連中にも教えてやったところ、月島はあまりハマらなかったようだが、会社の同僚の杉元には「ええ、なにそれ可愛い」と意外に受けた。でも杉元はスパチャにどうもケチくさいので、鯉登が代わりに杉元の分まで課金している。
今日も、たまたま鯉登たちの部署に用事があって立ち寄っていた杉元を捕まえて、仕事の合間にちらっと一緒に配信を眺めていた。
「またまたあ、わざとあんな素っ気ない返事してさー。軍曹だよ、軍曹」
「月島は軍曹ではない。今は令和の立派な社畜係長だ」
「そりゃわかってるよ。ほら、えっとお前と同期の江渡貝くんだっけ? 二人で昼食べに行っちゃってたけど。わかりやすく拗ねてんのバレバレだぞ」
杉元の言葉に、はあ、とため息をつく。
だがそれはもうどうしたって仕方がないのだ、もはや。月島が江渡貝に優しいことは。
別にいくら月島が江渡貝と仲良くても、月島が付き合っているのは鯉登なのだから。月島が手をつないだり、チュウしたり、まあその先のことをするのは鯉登だ。大丈夫、それは鯉登だけのはずだ。
ふるふると頭を振って、スマートフォンをポケットにしまいながら、隣の杉元にきく。
「杉元、私たちもランチ行くか? 私が行きたいスペイン料理の店なら奢ってやってもいいぞ」
「はいはい、行きたいんだろ、ほら行こーぜ」
「あのさー、別に構わないけど、なんで俺に対してのみ、その口調なの?」
鯉登達の会社が入っているオフィスビルから五分ほどの所にあるスペイン料理屋は、夜はバルになるが昼間はオフィス界隈のサラリーマン向けにランチを出している。鯉登は本日の魚介とタマネギ、パプリカのパエリア、杉元は牛肉とアスパラとエリンギのパエリアを注文した。スペイン料理屋らしく出てくるお茶はマテ茶で、九月とはいえまだまだ暑い昼間には、冷たく冷えたそれが美味しい。
「口調?」
「そう。だって鯉登、会社じゃ月島係長にも敬語使ってさ。ちゃんと若手社員の喋り方じゃん。今風の。それがなんで俺に対してだけ明治モードの少尉口調なんだよ。俺、一応、今はこの会社では先輩なんだけど」
「特に深い理由はないが。私は基本、今世は今の私として話すようにしているが、杉元相手に敬語を使うのはちょっと……、というだけの理由だ」
「てめ、ぶっ飛ばすぞ」
以前とは違って傷ひとつない綺麗な顔をした杉元は大きな口で、パエリアを頬張りながらそう言うが、言葉に反して声音は意外に棘がない。前世では不死身の一等卒だったが、今世ではただのサラリーマンの一兵卒に過ぎないからだろうか。
「じゃあ逆に聞くが、なんでお前は前世を覚えていることを私以外には秘密にしてるんだ?」
「だってさー、なんか嫌じゃん」
「嫌?」
「あの時代の俺は、あの時代を生きた俺とその時そばにいてくれた人達だけのもので。今の俺だって、今を生きる俺だけのものだ。記憶はあってもそれに縛られたくはないし、そもそもそんなしがらみ受けたくない。俺自身も俺のそばにいる人達にも」
杉元にしては意外に納得のいく言葉を言うので、それは同意だ、と頷く。
「それはわかる。今の私は……、俺は、今の俺だけのものだ」
「だろ? ……だって前世なんてもんを考えるからお前もしんどいんだろ? 江渡貝くんだっけ」
――……あいつも明治時代の金塊争奪戦の時の一人だろ。
「…………」
知っていたのか。
「だから、お前のそれ、ただの単純な嫉妬じゃないんだろ?」
そうだ。その通りだ。
行儀が悪いが、パエリアの皿の中をスプーンの先でずぶずぶと思わず突いてしまう。サフランの黄色い色のついたライスがぐしゃりとなる。
「あの時、江渡貝は月島の目の前で死んだそうだ。……いや、正確にはまだ死んでいないところで、月島は鶴見中尉のため、意を決してその場を去ったらしい」
「……あー」
「……だから、月島は江渡貝には優しいんだ。江渡貝は全く記憶なんてないらしいが」
「……軍曹、江渡貝が今世で元気に生きてんのが素直に嬉しいんだろな」
うん、と頷く。そうだ。月島はそういう男だ。きっと月島の中で、どうしたって江渡貝は特別で。
でもそれは、どうすることもできないし、してはきっといけない。
「まあでも、皆それぞれいろんなもん抱えながら前世も生きたし、結局今世も生きてくしかないんじゃねーの? そこは案外変わんないかもよ? 悩むこともあるし、楽しいこともあるってのは」
杉元の言葉に再び、うん、と頷く。
「そういえば、お前は他の奴らにそこまで秘密にしてるのに、なんで私にはあっさり前世を覚えていることを言ったんだ?」
「いや、あれはむしろ事故だったというか……だってお前が……」
そこまで言って杉元はぶはっと吹き出した。それに眉を顰めると、悪い悪いとまだ笑いの引かない顔で言われた。
杉元とは同じ会社だが、実は今世、初めて出会ったのは会社の近くのジムだった。そこで一生懸命、一心不乱にランニングマシンで走っているところで杉元に会ったのだ。
「だって鯉登ショーイ、今世でもその上に向かって生えた変な眉毛で一生懸命走ってるんなだって思ったら……、スルーしようにも思わず吹き出しちゃって、そしたらお前が流石に気がついたもんだから目が合っちゃってさ……、」
目の前の冷たいマテ茶の入ったグラスを、いつぞやのようにぶっかけなかっただけ褒めて欲しい。
「いやそれは悪かったって。だって不意打ちで来た面白い絵面だったんだもん。あ、お詫びと励ましってわけじゃないけど、今度さ、動物園一緒にいく?」
――……オランダじゃなくて、日本の動物園のアザラシだけど、一緒に行く?
昼休み終わり、杉元と一緒に会社に戻ってきて、それぞれの部署の部屋に戻るところで「じゃあ」と別れた直後、月島に廊下で、「ちょっと」と固い声音で声をかけられた。
「月島、係長」
ちょっといいか、とすぐ近くの空いていた小会議室に入れられる。会議時にパソコン画面を映すモニターとプロジェクター、五人ほどが円形で座るテーブルと椅子だけでいっぱいの小さな部屋で月島と二人きりで向かいあって立つ。月島は腕捲りしたワイシャツの太い腕を組んで、鯉登を至近距離から見上げてきた。
「杉元と行ったのか、お昼」
「え? あ、ああ……はい」
「俺は、……」
「月島係長は江渡貝と行ってましたよね、知ってますよ」
「あ、ああ、うん」
なんだ、どうした、なんの話をする気だ、と、月島の行動がよくわからない。じっと見上げてくる瞳が何を考えているのか読めなくて、場繋ぎのようにしゃべってしまう。
「あ、そうだ、杉元が今度アシリパと一緒に動物園行くから、お前も一緒にどうか、って」
「一緒に……」
「月島係長と俺と。杉元とアシリパと……、あ、でも」
「でも?」
「でももし月島係長が江渡貝も連れて行きたいんだったら、杉元達も白石も誘ってやってもいいかな、って」
「……それはまた大所帯ですね」
ふっと、月島が苦笑した。
「……樺太のときくらいだな」
月島が不意に久しぶりに鯉登に向かって敬語を使うものだから、以前のような感覚にこちらも戻ってしまう。そうだ、樺太の時も、最後は結構な大所帯だった。でもあれはあれで、少し楽しい時間もあったのだ。
「……樺太のメンバーにはいませんでしたが。江渡貝くんも動物好きだからなあ」
心の臓がちりちりとする。そうか、月島は江渡貝のそんなことまで知っているのか。
「でも、」
そこで月島は一歩さらに鯉登の方へ近づく。会社の中では親密すぎる距離感だ。月島のうっすらかいた汗と制汗剤の匂いがグッと迫る。
「でも俺は二人で行きたいかな」
「え、」
「それ、鯉登さんと二人きりでいけないですか?」
「う、あ、えっ……と」
じっと見上げてくる月島の瞳。有無を言わせない瞳に少しだけたじろいだら、会議卓の端に太ももが軽く当たった。
「無理? 杉元達とどうしても行きたい?」
ふるふると頭をふる。そんなわけはもちろんない。
「月島……さんと二人で行きたい!」
「じゃあ決まり」
少しだけ口角を嬉しそうに上げて月島は笑う。それから、
「あと、今日家来て」
と、耳元で囁かれて、思わず目を見開く。さあっと顔が熱を帯びているのが自分でもわかる。
どきどきと心拍数が上がる。
そんな鯉登に、「ほら、午後の仕事始まるぞ」と月島は会議室の扉を開けてさっさと背を向けて先に立つ。
そうなのだ、月島はこういう男だ。惚れた方が負け、とは言うが。
真面目な男の月島が周りの奴らに優しいのは良い。前世からの繋がりからも離れてしまえないのも。
だが、月島の無表情で冷静そうな顔の奥にある喜怒哀楽が自分にだけ向けられることの快感を知っているのは、自分だけでいい。
――……たとえ彼でもそれだけは譲れない。
3.
「お邪魔します」
そう言って少し緊張しながら月島の部屋の玄関へ上がる。昼休み終わり、会議室で囁かれた「今日家来て」という言葉。囁かれた時の湿度を帯びた声でわかった。
……――抱きたいから、家来て。
だということに。
月島の家は会社から地下鉄で二十分、スーパーやドラッグストア、飲食店で煩雑な駅前を通り過ぎ、住宅街の中、いかにも単身サラリーマン用のワンルームマンションにある。素っ気ないワンルームマンションの、成人男性二人が突っ立ったらいっぱいになる玄関先で革靴を脱ぐ。
あんな湿度の高い声で囁いたくせに、月島は扉を開けるなり無我夢中で鯉登をかき抱いて、壁ドンをしてくるわけでもなく、きちんと鯉登が靴を揃えるのをじっと見守るように待ってスリッパを揃えて出してくれる。(もともと月島が一人で住むこの家にはスリッパなんて概念は無かったが、鯉登が思わず「スリッパもないのか!」と言ったら、次に鯉登が来た時には簡素なスリッパ立てに一揃えだけシンプルなスリッパが置かれていた。)
だが、間違いないはずだ。月島は定時になってすぐにパソコンの電源をシャットダウンして、それからチラリと鯉登の方を見た。帰るぞ、と声には出さないが、そう言っている瞳だった。
月島と鯉登の間の席にいる江渡貝が、はああーっと、ため息を吐いて、「おつかれさまでーす」とまだパソコン画面で資料を開いたままの鯉登に言った。だから鯉登も慌ててパソコンの電源を落として、席をバタバタと立って月島のあとを追いかけた。席を立ち際、江渡貝があきれた顔でまた再びため息をついていた気もしたが、よくわからない。
それから二人で夕食のためにどこかに寄るでもなく、まっすぐに月島の部屋まで来た。それはつまり、「セックスをする」ということだ。ヤルとあらかじめ決めているときには、あまり行為の前に食事は摂らない。突き入れられる側の鯉登を月島が気遣ってのことだが、実は鯉登自身はあまり気にはなっていなかった。ただ、月島のそういう生真面目な気遣いが嬉しいので、そのまま甘えている。
だから今日も食事を取らなかったということは、このままその流れになるはずだ。なのに……。どうにも空気がドンと重い。
月島はもともと、それこそ前世の頃から無口で言葉少なだった。それは今世もそうだ。だからあまり無駄口を叩かないのは常だが、ただ、じっとりと湿度の高い視線をよこすくせに今日はいつもより口が重い。
ドンとダイニングテーブルの椅子の上に置かれた月島の通勤リュックの重みが立てた音がやけに響いて、一瞬びくっとなる。
「で?」
「え?」
小ぶりなダイニングテーブルにもたれるように立った月島がじっとこちらを見てくる。月島の黒目は何を考えているのかわからない。かつての鬼軍曹時代、一兵卒達を厳しく訓練していた時の月島の姿が脳裏によぎった。あの頃は自分は訓練を取り仕切る月島を監督する立場だったが、今は自分が一兵卒の側だった。
「で、何してくれるの?」
「は?」
ポカンとして思わず、目の前の月島の顔をじっと見てしまう。……――何してくれるの、とは。どういうことだ。
「鯉登は俺に何してくれる?」
「え、あ、は? 月島?」
お前、それ、なんかそういうセリフ、キャラ違ってないか、と心の中で突っ込んでしまう。不意をつかれすぎたせいで、敬語がとれてしまった。
「俺、これで結構怒ってんですよ」
ハア、とため息をついた月島が鯉登にあわせて敬語になった。
「え」
「今日、なんであんな杉元とべったりしてたんですか?」
「は?」
「杉元、もともと仲悪かったですよね?」
じいっと月島が鯉登のことを頭一つ分下から見上げてくる。上背は鯉登の方があるはずなのに、なぜか妙に圧倒されてしまう。
というか、なんでいきなり、杉元が出てきているんだ。
「あれは別に。杉元と一緒にアザラシの配信観てただけで」
「でもその後、一緒に昼飯にも行ってましたよね?」
「それは月島、お前だって、江渡貝とランチ行ってただろ?」
「はあ。あなたが杉元とずっと話しているもんだから」
「はあ、じゃないわ。なんだそれは」
お前だって江渡貝と行っていたのを棚にあげて。だが、鯉登がそこまで言う前に月島が食い気味に口を挟む。
「なんだ、はこっちですよ。…………杉元、記憶あるんでしょう?」
「! ……なんだ、知ってたのか」
「いえ」
「ああ?」
「知りませんでした。今、実はかまかけてみたんですが、そうか、あったのか……。……ってことはアンタ、それを今まで俺には黙ってたわけだ」
じろっと見上げる月島の視線は穏やかではない。
「いや、別に故意に隠してたわけじゃ……」
「まあいいです。……俺、結構そういうの気にはしますけど」
「……す、すまない」
そうだ、なんで忘れてたんだ。月島はそうだ。月島には真実を告げないということは非常に重い意味を持つ。杉元が皆には記憶がないように振る舞っていたことや、所詮杉元のことに過ぎないと放っておいたのは、いけなかった。たかが杉元のことでも。
「月島、お前に本当のことを言わないままというのが、お前にとっては何よりも忌避すべきことだというのを忘れていた。すまない」
潔くそう言って頭を下げたら、月島は少し複雑そうな顔をする。
「……まあいいです」
ガシガシと頭をかいた月島から、重苦しかった空気が少し和らぐ。
「わかったなら、じゃあ、ほら来て」
手をひかれるようにして寝室に引っ立てられる。
月島ひとりだと少し余裕があって、鯉登とふたりだと少し狭い、シンプルなセミダブルのベッド。そのベッドひとつで結構いっぱいいっぱいな月島の部屋の寝室。そんなベッドの上に尻もちをつくように、ぽんと放り投げられる。
「恥ずかしいと思う格好して」
「は?」
「さっき謝ってましたよね? お仕置きって言ったらなんか安っぽいAVみたいですけど、でもアンタ意外にMっ気あるから嫌じゃないでしょ?」
「……っ」
「ね? 自分で恥ずかしいと思う格好して見せて」
なんだそのすけべ親父みたいなセリフは、と思うが、確かに先ほど謝ったのは事実だ。
だが月島の言うような恥ずかしい格好が即座には思い浮かばない。仕方なく、ハイハイをする赤子のように、ベッドの上で四つん這いになってみせた。ワイシャツとスラックスを着たままで、恥ずかしいというよりも間抜けな格好という気がする。
「これでいいか?」
「……ベルト外して、スラックスと下着、太ももまで下げて。上はそのままでいいんで。それで尻こっちに向けて」
「なっ……」
尻を向けろと言われた途端、急激に恥ずかしくなる。
「ほら、言われたとおりに。ああ、あと、そうだな、会話、会社で話すときのにするか」
「……っ」
恥ずかしがっても、月島は容赦ない。さらに会社のときのように敬語が取れた口調で話されると、より一層従わなければ、という気持ちになる。かつて、兵卒たちを束ねていた鬼軍曹の威厳すら、うっすら感じる。
ほら早く、と言われて、かちゃりとベルトのバックルを外してスラックスとボクサーパンツをそろそろと太ももまでおろす。
「下ろしたらまた手をついて、こっちに尻向けて四つん這いなって」
自分は服を着たままの月島がベッド脇に突っ立ったまま命じる。
「……ッ」
尻の方を月島に向けているせいで月島の顔を見ることはできないが、自分の恥ずかしいところを凝視しているじっとりとした視線は感じる。上はワイシャツを着たまま、裸の尻だけを差し出すような形の格好をして、薄いベージュ色のベッドシーツと素っ気ない白い壁の方ばかりを見ながら、羞恥で顔に血が昇ってきてしまう。
「あっ……っ♡」
いつでも少しひんやりとした月島の手が鯉登の双丘を撫でるように添えられたのがわかる。両手でさわさわと両側に押し広げるように撫で上げられる。
ふっと、軽く息を後孔に吹きかけられて、ひうっ、と悲鳴のような嬌声をあげてしまった。
「ハハ、この格好、恥ずかしいより、本当は自分がイれられるときに好きな格好だろ? エロいな」
「……っ、ち、ちが……っ!」
「俺も好きですよ」
後ろから覆いかぶさるようにして耳元で囁かれる。不意の敬語とともに、分厚い舌で耳をひと舐めされて、キエッ、と思わず声をあげてしまった。
月島に尻穴の皺を押し広げるように、指で力を軽く入れて執拗に撫でられる。見えていないからこそ、月島の太くて少しかさついた指の感触を生々しく感じてしまう。
「……ここ、だんだん縦に赤く割れてきてる。初めての頃は頑なだったのに、ほら、指、飲み込むのずいぶんうまくなったな」
そう言って、ぐいっと広げられたところから、月島の親指が自分の中に侵入してきたのがわかった。でもまだ親指一本を半分ほどだけだ。
それが後孔の襞を撫でるように中で蠢く。いつもの慣れた月島の太い陰茎よりずっと小さい。それが浅いところで、優しく、だが絶え間なく緩慢に動くものだから、もどかしくてたまらない。
自分のものも勃ちきらずに中途半端に硬くなり緩やかに首をもたげている。
本当はもっと刺激が欲しい。なんなら自分で自分の陰茎をしごいてしまいたいが、四つん這いの状態で、必死にベッドシーツを両手ともでぎゅっと握っているので、それもかなわない。
もどかしくてたまらなくなって、四つん這いのまま甘えるように月島の方を振り返った。
「あっ、あっ、……っ月島あ、もっとぉ♡♡」
「こら、敬語」
「月島さぁん♡、っもっと♡♡、してほし……っ、ですっ……っ」
「なにを?」
「……っ、まえ……っ♡」
「ん? 前?」
前の何?と意地悪く聞きかえされる。
「前の……ッ、ち……っ……」
ちんぽ、という単語を最後まで口に出すのが恥ずかしくて途中で止まってしまう。
「ち? ああ、これか」
そう言うと、月島は鯉登のワイシャツの下から片手を差し入れて、鯉登の乳首をきゅっと摘まんだ。
絶対わかってやっている。ちんぽと本当は言おうとしたところを、わざと乳首と勘違いしたように装っている。
「ひ、あっ……ッ」
ぐりぐりときつめにひっかくように左の胸をいじられる。月島はくにゅくにゅと摘んだり、押しつぶすように鯉登の胸の突起を捏ねくりまわしてくる。
「ひゃあ♡♡……んんッ!」
キュッとキツめに乳首を摘んで引っ張られて一際高い嬌声をあげてしまう。
「あ゙あ゙ん゙っッ♡♡♡」
「なんて声出してんだ」
喉の奥でくくっとおもしろそうに笑った月島が意地悪なことを言う。
「乳首だけでいいのか?」
なぜか今日は月島は執拗に意地の悪い聞き方をしてくる。
「胸以外っ、も……っっ!」
乳首以外も触って欲しいが言えずに、もどかしさだけつのる。
ワイシャツの裾から勃ちあがりながらも、四つん這いのせいでブラブラとする自分の陰茎を握って欲しいと、恥ずかしくてうまく言えない。代わりにベッドに膝立ちになっている月島のスラックスを履いたままの股に、自分の臀部を押し付けるようにしてやる。
「っ!」
スラックスの中で存分に硬くなっていた月島の陰茎にグリグリと自分の尻穴を擦り付けるようにしてねだる。
「……っっ、こんな腰振って……ッ」
ごくっと月島が唾を飲み込むのがわかった。
「欲しい?」
月島に問われてコクコクと素直に頷く。
「ほら返事」
「はい……っ♡♡……あ、と、前っ、前も触って……!」
ガチャガチャと月島が早急にベルトを外す音がする。
「前っ? 鯉登のどこ?」
「前……っ、おい……ッのちん……ぽ……ッ、も触って……っくいやいッ!」
「よく出来ました」
月島にそう言われた瞬間、指とは比べものにならないグンッと大きな質量を持ったものが、後孔から突き入ってきた。
「あッ、あ゙あ゙ッ♡ あ゙あ゙ん゙♡♡」
「……あーー、ああ、……鯉登の中、いい」
「いい? ……おいの中、月島ッ、いいッ⁈」
「……――あー、良すぎて……」
すぐ出そうですッ、と切羽詰まった月島の敬語口調を聞くと堪らなくなって、振り返ってぐっと首を伸ばしてキスをねだった。月島もすぐに気づいて、鯉登の唇を貪るようにしてキスしてくれる。月島がキスするためにぐっと寄った分、鯉登の中に入っている月島の陰茎がより深く押し入ってきて、「あ゙ア゙ア゙ッッ♡」と月島の口の中で太いひきつれた声をあげてしまう。
鯉登が月島の口の中に差し入れた舌を、月島の少しギザギザとした歯で軽く甘噛みされて、ぽたぽたっと唾液が顎を伝った。
「相変わらず、身体柔らかいですね」
息継ぎのために唇を離したら、フッと優しく笑って言われた。そこにかつての自分だけが知っている右腕然とした笑みを見て、少し懐かしい気持ちになった。
「ふふ、……セックスするには、っいいな」
切れ切れの息の合間に笑って言う。
「……、頼むから俺以外としないでくださいよ、こんなこと」
鯉登を背中側から抱きかかえた月島が、鯉登の肩甲骨に口付けるようにしてぼそりと言う。
「はあ? すっわけなかじゃろ!」
「…………杉元とべったりしてたくせに」
鯉登の背骨に顔を埋めた月島が恨みがましいくぐもった声をあげた。それに思わず、はあ?となる。
「月島だって、……ッ」
「?」
「江渡貝とッ……! 江渡貝にいつもべったりじゃらせんかッッ……!!」
「江渡貝くん?」
なりふり構っていられなくなって、涙目になりながら叫ぶと、月島が驚いた顔をしていた。
「そうだッ! ああっ、もう! ……おいの中に入ったままで、江渡貝の名前を呼ぶなッ!」
タガが外れて思いのままに叫ぶと力も入ってしまって、月島の陰茎が入った後ろをキュッと締める。
「なっ……、あ゙ッ!」
月島が鯉登の後孔の締まりのせいか、うめくような短い声をあげ、それから、グッと鯉登の腰を掴み直してきた。鯉登の中にある月島の硬度も質量もぐんと増す。
「ひあ゙っ゙♡、ああ゙あ゙ん゙ん゙♡♡……ン゙ン゙ッ!!」
身体の中の内臓が下から迫り上がってくるぐらい、バチュバチュと後孔から突きあげて押される。えずいているのか、嬌声なのかわからないような声をあげる。
それでも月島が自分の中をぐちゃぐちゃにするように力強く何度も腰を振って突き入ってくるのが、快感でたまらなかった。
「ほら、前も。ちんぽいじって欲しかったんでしょう?」
月島はそう言うと、鯉登の硬く屹立した陰茎もぎゅっと握ってくれた。ダラダラと精液を垂らし始めていたそれを、そのままきつく握って、上下に扱く。自分の陰茎からはニチュニチュという音が、後ろからはバチュバチュと月島の太ももと自分の尻がぶつかる音がひっきり無しにして、耳を犯す。
「ひや゙あ゙゙っ゙♡、ああ゙ん゙ん゙ッ♡♡……ッ!! ああ゙ん゙っ、もっとぉ……ッ、月……しま゙ァ゙ン゙ッ!!」
「……っッ!! アンタね、ほんっっと……!」
もっともっと、おいだけにこういうことをして、と腰を月島に差し出すように突き上げて、必死に振る。四つん這いのままで上に覆い被さってくる月島の熱い体温と重みが良かった。
「…………ッッ、出っる……っ!!」
最後にグッと思い切り、中の内臓を突き破るように、月島の太い陰茎で突き上げられた瞬間、びしゃっと月島の熱い体温を持った精液が自分の中に注ぎ込んでくるのを感じて、ゾクゾクッと一気に快感で身体中が痙攣したと思ったら、自分も陰茎から、ぼたぼたっと精液を大量にシーツの上に零していた。
はあはあと二人とも荒い息のまま、ベッドの上に倒れ込むように横たわった。ろくにワイシャツも脱がずのまま、汗と精液でどろどろだった。
月島の部屋の素っ気ない白い天井をぼんやり見上げてうつらうつらしていると、隣からぼそっとした声がする。
「鯉登さん、鯉登さんって足のサイズ28.5ですよね?」
「は?」
確かにそうだが……、と、隣に身体を横たえた月島を怪訝な顔で見る。そういえば、靴下すら脱がないまま必死でセックスをしていたな、と思った。
「ねえ、鯉登さん、俺、江渡貝くんの誕生日は知ってますが、たとえば足のサイズは知らないんです」
「は?」
また江渡貝の名を出して、と少しだけ固い顔をして身体を起こしかけたら、月島がごろりと抱え直すようにして鯉登を抱きしめてきた。
「鯉登さん、聞いて。江渡貝くんの誕生日は祝ってやりたいから覚えてるのは確かです。でも、俺、別に江渡貝の足のサイズまでは知りません。……別にそういう意味では興味のないことなので。……でもね、俺、鯉登さんのことは、頭の先から爪先まで、それこそ内臓まで食い尽くしてしまいたいくらい、知っておきたい」
「な……、」
「……たぶん、百年前からあなたのことを誰よりも知っておかないと気が済まないんですよ」
「…………っ」
「まあつまり、……そういうことだから、あまり気にするな」
そう言って月島にもう一度、ぎゅっと抱きしめられる。
……――あーあ、こんなよかにせだからこそ、やきもきするのに、百年前から何もわかってない男だな、と月島の分厚い胸に顔を埋めながら、目を閉じた。