Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    shibuki_yu

    進捗あげ用。使い方がよく分かっていない。

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 9

    shibuki_yu

    ☆quiet follow

    類×花魁司の遊郭パラレルの2話目。

     ふと瞼の裏に暖かい光を感じて、ゆっくりと意識が浮上する。目を開けて始めに飛び込んできたのは、青く澄んだ初夏の空だった。頭の半分はまだ温かい泥のような無意識の領域に留まっていたが、こんなにいい天気ならば外に出たい。
     何度か頭を振ってからようやく起き上がると、昨晩の名残りで腰がズキリと痛む。連日営業終了時間まで客の相手をして、舐めるような視線を全身に浴びながらただ永遠とつまらない話を聞く。それだけでも嫌なのに、昨日は馴染みの客が何人も訪れた。
     短い休憩を挟んで何度も床入りして、最後の方は気を遣りかけてしまった。腰が立たず、ふらついているところを運悪く楼主と女将に見つかってしまって、花魁らしからぬと激しく叱責された事も、体が重い要因の一つだろう。突き刺すような女将の金切声が未だに頭に鳴り響いて耳が痛い。
     せっかくの休みの日なのに、すっかり憂鬱な気分になってしまった。こんな日はさっさと支度をして出掛けてしまおう。薄手の着物に着替えて、手近にあった紫苑の髪紐に手を伸ばした。ーー紫、その色を無意識に選んでしまったせいで、あの錬金術師のような男、類のことが脳裏に浮かんだ。

     あの日から、遊郭以外で会うことが増えた。というよりも、司が休みの日でも遊郭に来て、何の目的もなくただ街を出歩くことが多くなった。のんびりと茶屋で過ごしたり、小物屋に行ったり。時折、何の前触れもなく花街の外れで絡繰達と見世物を始めるから、初め見たときはどうしようかと一人で狼狽えたものだ。今となっては自分も混ざって、類と絡繰と共に簡単な寸劇を披露して、休日のちょっとした楽しみの一つになっている。
     気のせいか、遊郭で過ごしている時よりも類との距離が近く感じて、どこかむず痒い。それに加えて最近は、どこか淡白さのある檸檬色を柔らかくして見つめてくるものだから、まるで恋人になったんじゃないかと錯覚をしてしまいそうだった。
     ……自分が警戒しているおかげか、身請け話はあの日以降はされなかったが。

     もしかしたら今日も来るかもしれないと思い、紫色の髪紐で緩く纏めて着物に着替えた。別に会う約束をしているわけではないが、会えるかもしれないと思うと、ただ出かける時よりも気持ちが弾む。
     鏡台の前に正座をして、花魁の時よりも薄く白粉をはたいた。面倒だが仕方がない。休みの日といえど、外を出歩くならば多少なりとも化粧をしろと口酸っぱく言われているので、丁寧に塗り込んでいく。
     こんなことを言われたのは、十中八九、司が花魁だからだろう。楼主からは遊郭全体の印象が落ちるからだとか何だか言われたが、結局は周囲に見栄を張りたいだけではないだろうか。 
     司は男なのだから、化粧もせずただの着流しを纏って歩いていても、誰からも気づかれないだろうに。どこまでも自分を拘束する横暴さに嫌気がさして重く息を吐き出すと、ふと金糸雀色に染められた磁器が目に入る。手のひらに丁度よく収まる大きさのそれは唐紅色の紅が入っており、つい先日出かけた時に、類から貰ったものだ。

    『僕に会う時は、それをつけてくれたら嬉しいな』

     照れ笑いをしながら渡された時はただただ嬉しかったので、どこの銘柄のものかは正直興味がなかった。けれど、遊郭に戻った後も紅が入った紙袋を胸に抱いて頬を緩ませていたぐらいには、相当嬉しかったらしい。その姿を仲の良い遊女に目敏く見つけられてしまったので、貰い物をしたんだ、とそれを見せたら、ギョッとした顔をしながら興奮気味に教えてくれた。桁が一つ違うんじゃないかと思うぐらいには上等な品物だったことに目を瞬かせてから、こんなに簡単にほいほいと金を出すことはやめさせようと固く誓った。遊郭で会うだけでもかなりの金額なのに、外で会う時でも貢がれているようでは、何処となく居心地が悪い。

     数秒迷った後に類から貰った紅をさして寝所を出た。買い物にでも行こうか、それとも茶屋でゆっくりと過ごそうか、今日の予定をぼんやりと考えながら階段を降りると、帳場のあたりが賑わっていることに気がついた。まだ朝なのに珍しいなと思いつつも、何があったのかが気になって、駆け足で階段を降りる。一歩、また一歩とその賑わいに近づくと、ここにいるのは似つかわしくない、しかし聞き覚えのある少女の声がはっきりと聞こえて、先ほど思い浮かべた予定が早速狂う予感がして頭を抱えた。

    「おねえさん、今日もおはようわんだほ〜い! 司くんはいますかっ!」
    「こ、これはこれは、鳳のお嬢様。生憎ですが、太夫は本日不在にしておりまして……」
    「え〜⁉︎ そんな〜……。一緒に遊ぼうと思ったのに……」

     そこには案の定、桃色の髪の毛を揺らす少女がいた。ーーなんでどいつもこいつも、突然やってくるんだ。事前に言ってもらえれば、予定は開けておくのに。頭の中でぶつくさと文句を垂れ流して、悲し気な声を出すその少女……えむに視線を向ける。
     せっかくの休日だったが、これはゆっくりできそうにない。顔を俯かせて落胆という言葉を全身で表現するえむの姿に我慢ならず、つい声をかけてしまったのは、しょうがないと言えよう。

    「……オレならここにいるぞ、えむ」
    「およ……? わわっ! 司くんだ〜! わんだほわんだほわっほっほ〜い!」

     はあっと短い吐息をついてからえむの元へ歩み寄る。背後から名前を呼ぶ声にくるりと振り返って司の姿を視界に入れると、落ち込んで小さくなっていたのが一転、萩色の瞳を瞬かせて大きく手を振り回した。謎の掛け声と共に。

    「その珍妙な挨拶はなんなんだ……。まったく、元気があるのは良いことだが、二階まで聞こえていたぞ。朝なんだから、もう少しだけ声を抑えてくれ」
    「はーい! 次来る時は気をつけるね!」
    「また来る気なのか……。まあ来るなと言ってもお前は来るだろうが……」

     やれやれ、と力なく笑いを浮かべて、その小さな頭を撫でる。えむが司目当てに遊郭を訪ねてくるなんてことが鳳家の人間に知れ渡ったら、きっとただでは済まされない。男性が遊女を買って、ひと時を楽しむ。こんな爛れた場所に純粋なえむを長居させるのはよくないと思い、華奢な肩を押して一緒に遊郭から出た。

    「あれれっ? どうしたの、司くん」
    「どうしたもこうしたも、お前がオレと一緒に遊ぼうと訪ねてきたんだろう? まあ貴重な休みではあったんだが……。ちょうど外出しようと思っていたところだったしな」
    「じゃあじゃあ、一緒にお出かけしよう、司くん!」
    「ああ。えむと出かけるのは久しぶりだからな、オレも楽しみだ」 

     今日一日ぐらいなら振り回されてもいいか、と肩の力を抜いて隣を歩く。えむはと言うと、小さく跳ねながらワンピースをふわりと広げて、上機嫌に鼻歌を歌っていた。そこまで会うことを楽しみにしていたのかと思うと、何となく擽ったい。
     踊るような足音につられて前を向くと、先ほどまで隣を歩いていたはずのえむの姿がどんどん小さくなっていることに気がついた。すぐに追いかけようと小走りで人の波をかき分けながらえむの元へ辿り着く。司を置いて先に進んでいたとは知らず呑気に笑っているえむに、もう少し周りを見るように注意をしようと辺りをゆっくり見渡すと、活気を帯びた街の中での奇異な行動と、あまり見かけない洋装に周りからの視線を集めていた。えむ本人はまったく気にしていないようだが、ここまで人々の目が一斉に注がれると、流石に居心地が悪い。
     粘りつくような視線に思わず顔を顰めると、何を思ったか、えむが着物の裾を引っ張って、無邪気な明るい笑顔を見せる。

    「司くん、こっちだよ〜!」
    「っおい、あまり引っ張るんじゃない……!」
    「今日はね、お姉ちゃんから教えてもらったところに行こうと思ってるんだ〜! だから早く行こう、司くん!」
    「だからと言って走る必要はないんじゃないのか!?」

     腕を引かれて、雑踏の中を駆けていく。砂利を蹴って、小さな土煙を立てながら、ぐんぐんと前へ。途中、道ゆく人々とぶつかりそうになったり、足がもつれそうになったが、なんとかえむの言う場所に辿り着いた。そういえば、こんなに全力で走ったのは久しぶりかもしれない。遊郭の人間に見られたら、花魁なのに、はしたないと怒られてしまいそうだ。……けれど、素の自分でいられたような、そんな気がして、少しだけ心が軽くなる。花魁じゃない、ただの天馬司として過ごしたいと、……類と出会ってから、そんな思いが強くなってしまった。どうせ叶わない望みだと分かっているのに、何度も願ってしまう。どうか自分を連れ出してくれないか、と。
     目当ての場所に着いてはしゃぐえむの横で、震える膝に手をついて、息を整える。あれだけ走ったのに、なぜ息の一つも切らしていないのか、不思議でしょうがない。年下の少女に体力で劣っているのはなんとも情けないから、どうにかせねばならないな、と大きく息を吐いた。
     やっとの思いで呼吸を整えると、えむが隣にいないことに気がついた。どうやらまた先に行ってしまったらしい。店の入り口に立つ売り子らしき人物と談笑するえむに声を掛けようとして、思いとどまる。
     ゆっくりと瞬きをしてから店の外観を見て、それから店内の客層を見て、たらりと冷や汗が垂れた。……そうだ。あまりにも普通に接しているので忘れていたが、こいつは鳳家の娘だった。一度見たら忘れそうもないほど立派な門構えからは、心が休まりそうな、それでいて穏やかな木の香りがするし、客も売り子も、どちらも上等な衣服を纏っていることが遠目でも分かる。

    「あ、司くーん! ここに座っていいよってお店の人が言ってたよ〜!」
    「お前……この店、すごく良い所なのでは……」
    「ほえ? えーっとね、ここはお姉ちゃんが色んな人と一緒に考えたお店なんだって! まだ開店したばっかだから、気にせずにたくさん頼んでね〜って言われちゃった」
    「なっ……。さすがは鳳家、と言ったところか……」

     さらりと告げられた言葉に口元を震わせて、深紅の布が敷かれた床机に腰掛ける。とてもじゃないが沢山なんて注文できるはずもなく、側に控える店員には抹茶だけを注文した。チラリと周りに視線を巡らせると、身なりが小綺麗な人や、貫禄のある人しかいない。
     自分たちの場違い感が否めないなと身を縮こませていると、もう抹茶が運ばれてきた。早いな、そう関心していたのも束の間、隣に置かれたものにギョッとする。団子だ、それも山のようになっている。頼んだ覚えはないが、と店員を恐る恐る見上げると、お嬢様が一緒に食べたいそうで、と会釈をして去っていってしまった。
     店員の姿が見えなくなったことを確認してからえむに小声で文句を言うと、あっけらかんと笑い、団子を一本渡される。

    「なんで笑っていられるんだ、オレはそんなに金は持ってないんだぞ」
    「気にしなくていいって言ったのに司くんお抹茶しか頼まないんだもん! 一緒に食べていっぱいお話ししようよ〜」
    「はあ……。まさかそれだけのためにオレは連れ出されたのか……? 貴重な休みの日に……?」

     肺に溜まった重い空気を吐き出して、顔を伏せる。ただ話をするだけなら、わざわざこんなところまで連れて来なくてもいいだろうに。鳳家の名前を出せば、たとえ客が居ようとすんなりと花魁の座敷まで通されるし、予定を強引にねじ込むことだって出来るはずだ。それをしないのは、何か言いにくいことでもあるのか、それとも。
     ーー気を、遣わせてしまったか。
     ここに連れて来られる直前。……あの、舐め回されるような視線。休日のはずなのに、客から注がれるものと似たようなものを浴びてしまって、少しだけ気分が悪くなっていた。それを見られたのだろうか、直後に腕を引かれてこの店に連れて来られている。意外にも周りを良く見ているえむのことだから、なんの考えも無しにここまで来たわけでも無いだろう。
     とにかく一度話をしようと顔を上げると、頬を膨らませているえむと目が合う。さっきまで笑顔だったのに、なんでそんなにむくれているんだ。

    「だってだって〜夜は行っちゃダメってお兄ちゃん達に止められてるし、今日なら司くんに会える気がしたから……」
    「それはそうだろう。えむ、お前は遊郭が何をするところなのか、本当に分かっているのか……?」
    「むむ? うーんと……。えへへ?」
    「いや、まあいい。世の中には知らなくていいことが山のようにあるからな。えむはそのままでいてくれ……」

     何も分かっていなさそうなえむの頭をそっと撫でる。出来ることならこのまま、司が何をしているのかを知らないままでいて欲しい。えむが度々訪れているあの場所で、男に身を売っているなんて知ってしまったら、きっと悲しい顔をさせてしまうだろうから。

    「ねえねえ司くん、最近あんまり会えなかったのはどうして? あたし、今日以外にも何回か行ったんだけど、先約があるからって言われちゃって……」
    「そうだったのか……。それはすまなかった。先約、というか、近いうちに祭りが開かれるらしくてな。その関係者がよく訪ねてくるんだ」
    「お祭り? いいないいな〜! あたしも行きたい! 司くんも一緒に行こうよ〜!」
    「……いや、その日はきっと客が押し寄せるから、と止められていてな。オレたちは祭りには行けないんだ」

     去年の今の時期のことを頭に思い浮かべる。この花街の周辺だけでなく、夏になるとあちらこちらで祭りが行われるから、どこの遊郭にも人が押し寄せていたそうだ。
     実のところ、祭りはあまり好きでは無かった。……いや、好きになれなかった。この時期になると、毎晩のように駆り出されて、代わる代わる相手をさせられて、死んだように眠っていた。だからきっと、今年もそうなるのだろう。唇をぎゅっと噛み締めて、これから待っているであろう痛みに耐えるように両腕で体を抱き締める。

    「……そっか、司くんと行きたかったな……」
    「そんな顔をするんじゃない。オレの代わりに楽しんでこい! また会う時に祭りの話をしてくれたら、オレは嬉しいぞ」
    「……‼︎ うん! あたし、司くんのためにもお土産いっぱいいっぱ〜い持ってくるね!」

     考えると今から憂鬱になり、気持ちを落ち着かせようと抹茶を一口飲む。その苦さはまるで司の心情を表しているようで、顔を顰めた。
     
     祭りには、一度も行ったことがなかった。小さい頃は病弱な妹に付きっきりで祭りというものも知らなかったし、家を出て遊女として働くようになってからは、祭りの時期に外に出ることは許されないからだ。
     祭りなどの催し物の時期に遊郭を訪れる大抵の客は、独り身であったり、恋人と過ごせない人ばかりで、周囲に不満をぶつけるかのように、燻らせた熱を遊女へ吐き出す。行為が終わったら死んだように眠るのも、どれだけ休んでも痛みが取れないのも、きっとそのせいだろう。
     しかし、好きになれない祭りにも、唯一の楽しみがある。それは、祭りが行われると、必ずと言って良いほど空に打ち上げられる、大きな光を見ることだ。毎晩寝る前に窓の外を眺めては、僅かに見える綺麗な光を楽しみにして、毎日を乗り切っていた。
     あの、大きな破裂音と共に空に舞う光は、一体何なのだろうか。類ならば、あの光さえも作ってしまいそうだ、とふっと笑みを浮かべたところで、ぶんぶんと頭を振りかぶった。
     ーーなんで、類のことを考えているんだ。

     最近どうも、類のことをよく考えているような、気がする。今朝だって、この髪紐を取ったときに頭に浮かべてしまったし、今つけている紅は、類から貰ったものだ。自分が気づいていないだけで、知らない間に類の色に染められているのかもしれない。そう悶々と頭を悩ませていると、突然えむがあーっと大きな声を上げる。

    「そうだ! 一ヶ月ぐらい前かな? 類くんに会ったんだよ! 色んなお店のおっきな紙袋をいっぱ〜い持っててね、司くんに色々上げるんだ〜ってにこにこしてた!」
    「……なっ、類に? と、いうか、えむは類と知り合いだったのか?」
    「ううん! その時に初めて会ったよ! 司くんがお話ししてくれた人みたいだな〜って思ったから、つい話しかけちゃったの! いっぱいお話しできて楽しかったな〜」
    「いや、行動力が高すぎるだろう。……まあ、仲良くなれたのなら良かった。類とえむはなんだか感性が似ているような気がするからな、当然といえば当然か」

     気まぐれに類のことをえむに話した時、確かに興味を持っていたような気はしていたが、まさかそれだけで話しかけるなんて思わないだろう。しかも、すぐに仲良くなってしまうなんて。
     お互いに初対面だとはいえ、えむは仮にも鳳家の人間で顔も広いから、きっと類も知っていただろう。それに類もなかなかに派手な外見をしているから、好奇心旺盛なえむが話しかけるのも時間の問題だったかもしれない。
     それにしても、色々な店の紙袋を抱えていた、と言っていたか。何か作るための部品ならば類自身が使うものだし、そうだとしたら何一つ問題はない。しかし、その紙袋の中身が、司への贈り物だったら。
     ーーいい加減、やめさせなければ。
     類が思っているよりも、あの遊廓のやる事は綺麗ではない。司たち遊女は、上等なものを貰うような、貰って良いような立場にはいないし、第一、そんなものを貰っていることが女将にでもバレたら、すぐに取り上げられるだろう。実際、他の遊女への贈り物が奪われる所を、うんざりするくらいには何度も見てきた。
     ……この紅も、見つかってしまったら。もし、使われていないと分かったら、類はきっと悲しむだろう。類が悲しむことは、したくない。だから、また何かを渡される時があったら、それは受け取れないと、断らなければいけない。

    「あ、あとね、類くん、どうやったら司くんと一緒に暮らせるのかな〜って言ってたよ! だからあたし、ぐいぐい行っちゃえ! って言ってみたの!」
    「ぶほっ! ッゲホ、な、なっ……」
    「わ、わわわ〜! 司くん、大丈夫⁉︎」

     サラリと言ってのける衝撃的な言葉に咽せて、えむに背中を摩られる。最近、どうも距離が近いと感じていたのは、えむのせいだったのか。仲良くなったと言っても、せいぜい二言三言話した程度だろうと思っていたが、まさかそんなことまで話しているなんて、流石に思わない。
     えむは初対面の相手ともすぐに打ち解けられるぐらい、人と関わることに積極的だけれど、類はああ見えて警戒心が高いから、当たり障りのない会話をしたのだろうと、勝手に思っていた。
     一体何が類の心を動かしたのだろうか。えむの持ち前の明るさだろうか、それとも、ただの類の気まぐれだろうか。どちらにせよ、出会ってすぐの人間に話すような内容では無いし、助言するえむもえむだ。しかも、それを間に受けて実行するなんて。

    「……はあ、最近妙に積極的だなと思ったら、そういうことだったのか……」
    「おお〜! 司くん、どきどきぎゅるるん! ってなってるね!」
    「お前なあ……。そんなこと、簡単に言うんじゃないぞ」
    「……どうして? 司くんは類くんのこと、好きじゃないの?」

     不思議そうに目を丸めるえむを一瞥してから、目を伏せる。類はただの遊郭に訪れる客だと、頭では分かっている。ただ、よく話すだけで、特別扱いをしてはいけない。他の客と同じように接しなければいけない。そう分かってはいるものの、どうしても、類の手を取りたくなってしまう。
    『僕は、本気で、君をーー』
     類の手をとって、そしてそのまま、自由に生きられたら。自分の思うままに、好きなように生きることが出来るのなら、どれだけ幸せだろうか。朝起きてから一番に類におはようと言って、一緒に朝餉を食べて、二人で散歩をしたり、たまに街中で見世物をしてーー
     そこまで考えたところで、目がハッとする。こんなことを願ってはいけない。願ったところで、どうせ叶うはずもない。あるはずもない幸せな未来を打ち消すようにぎゅっと目を瞑って、拳を固く握る。

    「……どうだろうな。類はただの客だろう。オレだけを買っているわけではないだろうし」
    「そんなことないよ! 類くん、司くんに会いに行くためだけに遊郭に行ってるんだよって言ってたよ! 司くんは大切な人だからって」
    「……大切な……? オレが……?」
    「…………あたしね、司くんには、誰よりも幸せになって欲しいんだよ」

     あの遊廓に連れてこられて5年ほど経った時に、えむと出会った。いや、出会った、という言い方は間違いかもしれない。あの日、遊郭に迷い込んでしまったえむを助けたのが、司とえむの出会いだ。
     えむ曰く、兄達が大人の男の人に連れられて遊びにいった店が気になって、こっそり跡をつけていたら、楼主と女将に見つかって、遊女にさせられそうになっていたらしい。二人から必死に逃げ回っていたところに、司が偶然通りがかって、誰にも見つからないように、裏口からこっそりとえむを逃した。
     これにて一件落着……とはいかず、その日以降、なぜか定期的に現れるえむとお付きのものが、司に謝礼をと、ぐいぐいと押し寄せてくるようになってしまった。助けた時は気づかなかったのだが、相手が鳳家と言うのもあり、うまく断れずにいるうちに、だんだんと仲良くなってしまい、今のような関係になった。

    「あの時、お兄ちゃん達からはすっごく怒られちゃったけど……。でも、司くんっていう子が助けてくれたんだよって言ったら、すぐにお礼をしに行きなさいって言われたんだ」
    「まあ、一族の大事な令嬢が助けられたら、誰でもそうなるだろう」
    「お礼がしたかったのもそうだけど、あたしは司くんと仲良くなりたかったから……。だからあたしは司くんに会いに来てるんだよ」
    「……あそこは、遊廓はお前が来るようなところではない。純粋に話をしにくるやつなんか、えむと……類、しか……」

     本当は、えむも類も、会いに来るのをやめて欲しかった。遊女をしている以上、司は沢山の人に触れられて、求められて、……穢されて、しまっているから。こんな汚い人間は、純粋な二人には、きっと相応しくない。
     それでも、その綺麗な瞳に見つめられると、真っ直ぐに自分を求められると、手を伸ばしそうになってしまう。どうしても、縋りつきたくなってしまう。
     どうかここから連れ出してほしいと、叶うはずもないことを、何度でも。

    「……本当に、類くんじゃだめなの? 類くんなら、きっと司くんをーー」
    「オレは! …………オレは、遊廓からは出られない。あそこから逃げることは、出来ないんだ」
    「…………それでも、あたしは、」
    「えむ、……気持ちは、とても嬉しい。でも、もう諦めることにしたんだ。だから、いいんだ」

     司の言葉に、こぼれ落ちてしまうんじゃないかと思うぐらい、萩色の瞳を潤ませて、顔を伏せる。しばらく考え込んだのか、そっか、と小さく呟いたと思ったら、勢いよく顔を上げて、山になっている団子を頬張り始めた。
     どうやら司の想いを理解してくれたらしく、その手の話題はもう挙げられることはなかったので、ほっと息をついて、抹茶を飲み干す。
     しばらくえむとの歓談を楽しんでいたら、あっという間に時間が過ぎていったので、別れを惜しみつつも帰路に着く。結局買い物は出来ず終いだったので、せめて遠目からでも小物を眺めようと、普段はしない回り道をしたら、人混みの中でも目立つほど特徴的な、紫苑の頭を見つけた。
     誰がどう見ても、あれは類だろう。えむとのやり取りがあった直後だから、声をかけるかどうか迷ったが、普段あれだけ尽くされていて、このまま無視するのはきっと失礼だ。たまには自分から何かしようと、声を掛けようと手を伸ばしたところで、体が石のように硬直した。
     ーー人混みの縫い目から、類の隣で、淡緑色の少女が笑っているのが、見えて、しまった。
     何を話しているのか、とてもじゃないがここからは聞き取れない。けれど、こんなところで、二人きりで買い物に出かけるなんて、きっと浅い関係ではないのだろう。誰の目から見ても仲睦まじい二人は、店頭で何かやり取りをした後に、司とは反対方向に足を向けた。

    「…………なんだ、オレ以外にも大切な人、いるんじゃないか……」

     えむが類を見かけた、と言った時も、もしかしたらあの少女が隣にいたのではないだろうか。あと少し、ほんの少しの距離が、あまりにも遠く、司の胸に伸し掛かる。沈んでいく自分の気持ちとは対照的に、街中はどんどん騒がしくなっていく。

     祭りの足音は、もうすぐそこまで近づいていた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💖💖💖💜💜💜💖💖💖🙏🙏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works

    razuruprsk

    INFO2022.12.24-12.25に開催された類司Webオンリーのペーパーラリ―の全文を掲載いたします。
    【クリスマスマーケット】【スノードーム】で書かせていただきました。

    ※二人が高校三年生です。

    ネットプリント
    セブンイレブン【66552775】12/31まで
    ローソン・ファミマ【L7YDGDUKZ5】1/1 6:00まで
    「クリスマスマーケットか」
    「覗いてみるかい?」
     駅前を通り過ぎようとした時に司くんが、広場に建てられたログハウスを思わせる小屋を見て、動かしていた足を止めた。隣を歩いていた足を止めて、彼の視線の先を見る。 
     クリスマスシーズンが近づくと街中で流れている音楽と、綺麗なイルミネーションが人々を呼び込む。暖かみのある木製の店舗では、様々な物が売られていた。
    「いいのか!」
    「僕も気になったからね」
     ソワソワと落ち着かない司くんの右手を左手で掴むと、自分のコートの左ポケットに突っ込ませて恋人繋ぎにする。
     初めて手を繋いだ日はお互いに緊張で体が強張っていたけれど、付き合って二ヶ月を迎える頃にはどちらからともなく繋ぐようになった。悪戯をするように指で手の甲を撫でれば司くんの表情は溶けて、兄や座長としての姿は消え、恋人としての司くんが隣に居る。それに僕の頬も緩み、胸の辺りが温かくなった。そんな僕達は出会ってから二回目、恋人になってから初めてのクリスマスを迎えようとしていた。
    1727