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    現パロオンリー用の展示です。捏造しかないです。
    大学生ネロ×吸血鬼ファウスト。
    全年齢の軽いギャグコメディです。お好きな方はよろしくお願いします!
    注意:ファウが嘔吐します。お気をつけください。そして、フィガロに対してめっちゃ弟子です。

    読んだよ!とか、一言もらえるととても喜びます😂
    https://odaibako.net/u/nigawam

    狭いけどゆっくりしてってよ 生まれてこの方見舞われたことのないほどの空腹を感じながら、僕は夕暮れの街を飛んでいた。
     何の変哲もない住宅街はオレンジ色に染まって輝いている。コウモリの飛翔はもともと安定しているとは言い難いが、力が入らなくていつも以上に上下左右にぶれてしまう。エネルギー切れで目がかすみ、真下の道路を走る選挙カーのウグイス嬢の大音量の囀りが頭痛を誘っていて、いよいよ絶体絶命であることを悟る。そろそろ何かを食べなければ。だがこの街には食べるものがない。回らぬ頭で、なんとか垂直落下は避け、手近なところにあったマンションのベランダに飛び込む。誰かが住んでいる部屋のベランダだといいが、空室だったら、本当にもう終わりかもしれない。誰かがやってくることを祈りながら、僕は物音を立ててベランダの冷たいコンクリートの上に落下した。
    「ん?」
     その時、部屋の中から誰かの声が聞こえた。ああ、神様はまだ僕を見放していないらしい。最後の力を振り絞り、僕は子猫に変化する。
    「誰かいる?」
     部屋のカーテンとガラスが開いて、部屋の主が顔を出した。そして、ベランダに横たわる僕を見つけて駆け寄る。
    「お前、どこから来た? ひとり? 衰弱してんじゃん」
     降ってくる優しい声色にホッとする。部屋の主である男は僕を抱きかかえて室内に戻ると、そこに置いてあった座布団に僕を寝かせる。よし。招き入れられた。
    「ちょっと待ってて。牛乳持ってくるから」
     男は軽い足取りでキッチンに向かった。男が冷蔵庫のドアに手をかけたところで、僕は大元の変身を解く。あたりの闇を吸収するように僕の体積はむくむくと膨れ上がり、人間の男性の姿に変化した。体が完成したので、男を呼ぶように咳払いをする。
    「えっ!?」
     まあまあな声量で驚きの声をあげた部屋の主と目が合う。歳は20歳前後の若い男。伸びた水色の髪をハーフアップに結えていて、服装は部屋着らしくラフなTシャツにジャージのパンツを身につけている。リラックスタイムを邪魔してしまって申し訳ないが、僕もちょっと死にそうなのでご容赦願いたい。
    「驚かせて大変すまない」
    「えっどっから入ってきた!? 子猫は!?」
    「すまない。さっきの子猫が僕だ」
    「子猫があんた!? 意味がわかんねえ。猫は?」
    「急に人になって驚くのはわかるんだが、さっきの猫は僕だ」
     同じこと、数秒前に言ったんだけどな。
    「ええ……猫でいろよ。ミルクとか飲めよ。あっためてやるし」
    「ちょっと落ち着いてくれ……」
     男が猫に謎の執着を示すので困惑する。確かに猫は可愛いのでむさ苦しい男になるよりは猫の方がいいのはわかるのだが……。途端、くらりと目眩にふらつく。いけない。完全にタイムアップの時が迫っている。もはや立っているのもやっとだ。早くこの人間を説得しなければならない。
    「僕の名前はファウスト。ファウスト・ラウィーニア・3世だ。君の名前は?」
    「俺? ネロ・ターナー」
    「ターナー君。実は僕は吸血鬼なんだ」

    そう、僕は人間の血を命の糧にする吸血鬼なのである!

    「……はあ?」
    「信じられないのはわかるよ。わかるんだが、僕はどうしようもなく吸血鬼なんだ。子猫から人間に姿を変えたろ? それが証拠さ」
    「はあ……」
     ネロ・ターナー君は怪訝な顔でこちらを見ている。
    「ちょっと長い間食事をしていなくて、とても腹が減っているんだ。だから」
     目のかすみがひどくなってきて、言葉を切って、横の壁に手をついた。脚に力が入らず、思わず膝を折る。喉にも力が入らなくなってきて、蚊の鳴くような細い声しか出ない。なんとか口を動かしてネロ・ターナー君に本題を告げる。
     ーー君の血を分けてくれないか。
     ところが、である。僕が降り立っている日本という国は民主主義国家である。つまり、皆の多数決で各々の意見を反映してくれそうな代表者を選び、その代表者達が政治を行う。したがって、選挙前になると、政治家はこぞって自分に票を入れて欲しがり、自分を売り込もうと躍起になる。
    「君の……」
    『ネコは世界を救う新党でございます! ネコ、ネコと覚えてください! ネコは世界を救う! ネコは世界を救う!』
     タイミング悪く選挙カーが通りかかり、2階のこの部屋の僕の声はかき消された。
    「え? なんて?」
    「だから、僕はお腹が減ってるんだ。だから、君の……」
    『あら、お嬢ちゃん、こんにちは! ありがとうございます! おじさまもこんにちは! ありがとうございます!』
     ウグイス嬢め、住民に手を振っていやがる。
    「えっ? 聞こえないんだけど」
     ネロ・ターナー君も困惑気味だ。
    「……させて欲しいんだ! 君の……」
    『こちら、略してネコ新党でございます。ネコは世界を救う新党の、犬飼鳥作です!』
     なんだその名前は。猫に謝れ。もはや騒音と言っていい囀りを聞いて、僕はげんなりした。とにかく、この男から早く吸血して体力を回復したい。
    「えっ? 腹が減ってる?」
    「そうだ。そうなんだが、……」
    『犬飼鳥作に清き一票を! 犬飼鳥作でございます! どうかお願いいたします!!』
     お前には絶対に票を入れない。だが、僕は人間じゃないから投票権もないのであった。ネロ・ターナー君は頭上に大量のはてなマークを浮かべて困っている。そりゃそうだ。急に自分の部屋に見知らぬ男が現れ、選挙カーに阻まれたせいであるとはいえ、意思の疎通が取れないとなると困惑するのも無理はない。選挙カーの声量に勝てないので、過ぎ去るのを待とうかな、と思ったところで、ネロ・ターナー君は何かを思いついたように僕に背を向けて駆けていった。
    「う……」
     限界が訪れて、僕はずるずると座布団の上にうずくまる。本格的に動けない。まずい。
    「なあ、あんた、ハヤシ食う?」
     ところが、次に差し出されたものは、皿いっぱいのハヤシライスだった。

    「うまい、すごくうまい。ありがとう。本当にうまい」
     ネロ・ターナー君はとりあえず僕を空腹で死にそうになっている人だと思ったらしく、食事を恵んでくれた。僕としても根本的な飢えは解消されることはないものの、人間の食事を食べればひとまず栄養面の不足は解消され、しばらく体が動かせるようになるのでありがたい。
    「え、ほんと?」
     ネロ・ターナー君は、僕が食事をするのをテーブルの対面で肘をついて目を輝かせながら見つめている。
    「うん、ほんとほんと。今まで食べた食事の中で二番目に美味しい」
     もちろん一番は人間の血である。血というものは僕らにとって命の源であるため、他の食べ物とはちょっと比べ物にならないくらい異次元の美味さである。
    「ほんと? 二番目っていうのがなんかリアルだよな。マジで嬉しい」
     そして、本当にネロ・ターナー君の料理は美味しかった。吸血鬼は人間の食事も取れるが基本的に血を飲めば全ての栄養もエネルギーも摂取できるため、僕はあまり人間の料理を食べたことがなく、その味にも興味関心がなかった。しかし、ネロ・ターナー君の料理は感動的な美味しさだったのだ。
    「うん、こんなに美味しい料理食べたことがないよ」
    「あんまり褒めんなよ。まあ、結構拘って作ってはいるんだけどさ、そんなに言ってもらうと逆に居た堪れないっていうか……」
     ネロ・ターナー君はシャイなタイプらしい。
    「それでね、あの、さっき聞いたかわからないけど、僕は吸……」
    「ちょっと待って、じゃあ他にも食べて欲しいもんがある」
     ネロ・ターナー君は興奮気味に立ち上がって、僕の話を聞かずにキッチンの方に行ってしまった。僕の話をきっちり遮りながら忙しなく行ったりきたりし、僕に次から次へと美味しい料理を振る舞った。
    「あんた、結構な量食うな。いい食いっぷりだよ」
    「うん、僕は人間とは違うからな。実は……」
    「俺、実家が大家族で、皆の飯作ってたんだ。今は実家でてここに一人暮らしだからそんなに作らなくていいのに、癖で前と同じだけ作っちまうんだよな。だから今山ほど余っててさ。たくさん食べてくれると助かるよ」
    「なるほど。君は若いのに、家族の食事を? それは立派なことじゃないか。ところで……」
    「あ、そうだ。ハヤシに合いそうなワインがあってさ。開けんね」
     聞けよ。なんで急に現れた押し込み強盗かもしれないやばそうな男が自己紹介しようとしてるのに聞いてくれないんだよ。
     そう思っている間にネロ・ターナー君はワインボトルを惚れ惚れとするような鮮やかな手つきで開栓し、この狭いワンルームには場違いといっていいほどぴかぴかに磨かれたワイングラスに注いで僕に手渡した。ネロ・ターナー君の分のワインはマグカップに注がれていて、一人暮らしであることが察せられる。
    「かんぱい」
     そういいながら、ネロ・ターナー君は機嫌よく笑っている。ワインが好きなのか、それとも、料理を処分せずに済んだから機嫌がいいのか。僕にはわからないが、ニコニコしながら酒を飲んでいるのを邪魔するのは悪い。ネロ・ターナー君がそうしたいのであれば今日のところは晩酌に付き合ってやろう。血はその後、寝ている間にでもいただけばいい。チン、とグラスを合わせて乾杯してワインを口に含む。ああ、美味しい。赤ワインは少し血に味が似ているのでするする飲んでしまう。飢えに飢えていたので、栄養摂取に一生懸命になってしまった。

    「しまった」

     目覚めると翌朝であり、家にネロ・ターナー君はいなかった。朝日の眩しさに目が溶けそうになるので慌ててカーテンを閉める。
     見てみると僕はベッドの隣に敷かれた布団で寝ていた。昨晩はご機嫌で3本目のワインを開けたあと、ネロ・ターナー君が風呂に行くと行ってバスルームに消えていったあたりで記憶が消えている。飢餓感はしっかりあるので、悔しいことに吸血はし損なってしまった。なんだか頭も痛いので、普通に酒を飲みすぎて寝てしまったのだ。ローテーブルの上にメモがある。『学校へ行ってきます。飯はあるもん勝手に食べていいから』上がり込んできた吸血鬼の食事の心配をしているネロ・ターナー君に笑ってしまう。
     血への飢えは切ないが、体は動くようになった。限界がもう少し先に伸び、しばらくは活動ができそうだ。こうなればこっちのものなので、ひとまずネロ・ターナー君をターゲットに定めて彼から吸血するべきだ。なんとなく脇も甘そうなのでいけるだろう。
    「それにしても」
     部屋中が散らかっていた。昨日の食事の片付けすら終わっていない。楽しく飲んで、ネロ・ターナー君もすぐに寝てしまったのだ。でも僕に布団は敷いてくれたのだ。しかも、冷蔵庫を開けると昼食も用意してあった。なんて優しい子なのだろうか……。胸がじーんと暖かくなった。ネロ・ターナー君はどちらかというとぼんやりした感じの子だったが、客人に布団を出すようにちゃんと育てられている。しょうがない。ネロ・ターナー君が家に帰ってくるまでに部屋をきれいに片付けておいてやろう。昼間は本来は寝ている時間なのだが先ほどたんまり寝たので眠くはない。テーブルの上やそれらしき場所を漁ってみたが、鍵がないので部屋を開けたまま勝手に帰ることもできないし。そもそも日光に当たると体が溶けてしまうので、別ルートのジ・エンドを迎えてしまう。

     ***

     家に帰ってきたネロ・ターナー君は家中がピカピカになっているのにたいそう驚いていた。
    「え? あんたクリーニング業者なの?」
    「昨日と今日の食事と寝床のお礼だよ」
    「礼? 割りに合わなくねえ? 洗濯もしてくれてるし畳んでくれてる……」
     ネロ・ターナー君は部屋中を物珍しげに見回っている。僕はできるかぎり片付けたり整理したり綺麗にしたりしておいただけなのだが。
    「いや別に。今日のお昼のオムライスもすごくおいしかったよ」
    「ああ……どうも」
     ネロ・ターナー君は恥ずかしそうに顔を伏せた。
    「本当はふわふわとろとろの卵にしてやりたかったんだけど卵が足んなかったんだよな……」
    「ふわふわとろとろ?」
     なんだそれは。
    「焼けてるとこと生のところがあんだよ。説明しにくいからまた作ってやる」
    「あの、そのことなんだけど……」
    「今日の晩御飯は餃子。俺は餃子を包むから、あんたはキャベツ刻んでくんね?」
    「うん……」
     ネロ・ターナー君は料理のことになると本当に僕の話を聞かない。でも、笑顔が眩しいので許してしまう。今どうやりとりしたところで、この後吸血させて貰えばお別れだし。
     ネロ・ターナー君は作ったタネを餃子の皮に包んでいるので、僕はキャベツをスライサーで擦りながら、念のため再度話しかけてみる。
    「ねえ、僕が吸血鬼だって言ったの覚えてる?」
    「え? ああ……なんとなく」
     なんとなく? スルー力ありすぎじゃないか? 吸血鬼だと自称する男を残して家を出てこられる神経がわからない。
    「あの、僕がおかしいわけじゃなくて、本当なんだ。急に現れたろ。吸血鬼の特殊能力なんだ。変身ができる」
    「あ、そういうこと? すげえじゃん」
     そういうとネロ・ターナー君は手元の餃子を手際よく包んだ。すげえじゃん、で済ませるなよ。普通の人間ならもっと驚くのだが、ネロ・ターナー君は動じないタイプらしい。
    「だから君の血を吸わせて欲しいんだ。僕は今腹が減りすぎて死にそうなんだよ。強くて怖い吸血鬼だけど、血を飲まないと餓死するんだ」
     やっと言えた。昨日から経過すること24時間、やっとである。
    「うーん、じゃあさ、なんか吸血鬼っぽいもん見せてよ」
     ネロ・ターナー君はまだ信じられないらしく、じとっとした目で見てくる。だからここまでは身の入らない曖昧な返事だったのかもしれない。こうなったら吸血鬼に特有の特徴を見せてやらねばなるまい。だがこれ以上魔力を消耗するわけにはいかなかったので、ごくシンプルに口を開いて人間よりかなり大きな犬歯を出して見せてやった。吸血鬼の犬歯は猫の爪みたいに出したり直したりでき、尖った犬歯の先端からは鎮痛作用のある体液がぽたぽたと滴っていた。
    「うわ、すごいの生えてる」
    「吸血鬼はみんな大きいんだ。これで噛み付いて、血を吸わなきゃいけないから。最初はチクってするけど、本当に最初だけだから。ちょっとしか痛くない。大丈夫だよ。吸血されて死んだ人はいないし寝てる人も起きないくらいだから」
     僕が真剣に言うと、ネロ・ターナー君は吹き出した。
    「なんかあんた、律儀だな。吸血鬼って、いきなり夜道でガブ、みたいな感じだと思ってた」
    「普段はそうなんだ。でも君をびっくりさせると悪いだろ」
    「うん? 夜道で血吸われたらびっくりすると思うけど」
    「びっくりしないように、僕はいつもは夜道で寝ている酔っ払いから血を吸ってる」
    「は? わざわざ酔っ払いから? 変なの。なんかイメージと違うな」
     ネロ・ターナー君は不思議そうな顔をした。
    「相手が動かないから探すのも吸うのも楽だよ。吸血鬼によってやり方は色々だけどね」
     ちなみに、酔っ払いは“探索”のスキルを使って探す。それは吸血鬼に使える特殊能力で、先述の“変身”や、人間を思い通りにする“服従”や“魅了”などのスキルもある。使うには魔力が必要なので、どれもエネルギーが枯渇した今の僕には使えない。
    「……ていうか、酔っ払いってクサくねえ?」」
    「多少は。でも血の美味さに比べたら大したことない。最近は酔っ払いが妙に少なくて、ここのところ全く見つからないんだ。というか、人口が激減してないか? 全然外を歩いていないんだが」
    「コロナのせいだな」
    「は?」
    「伝染病が流行っててさ。しゃべったりするとうつるからって皆外出は控えてんだよ」
    「かなり流行ってるのか?」
    「ああ。前学期まで学校もオンライン授業だった。ちょっと収まって今学期は通学してるけどな。ずっと家にいたから俺も料理に今まで以上に凝っちまって」
    「なるほど」
    「実家の時から飯作るのは好きだったんだけど、料理ってすげえ面白いよな」
     ネロ・ターナー君はちょっとはにかんで笑った。その笑顔が子どもみたいに無邪気で、僕も思わず頬が緩んだ。
    「好きなことに夢中になれてよかったな」
    「うん」
     ネロ・ターナー君は恥ずかしそうに俯く。
    「ネロ・ターナー君には悪いんだが」
    「あ、ネロでいいよ。ネロって呼んで」
     食い気味に言われるのでたじろぐ。こんなこと、言われたことがなかった。血を吸ったらさようなら、捕食者たる吸血鬼からの呼ばれ方を気にする人間などいない。
    「ネロ。だから、すまないんだけど、君の血が欲しいんだ。僕の牙から痛みを和らげる成分が分泌されるから吸う時は痛くない。そんなにたくさんは飲めないから君が失血死したりすることも絶対にないし、君は血を飲まれたからって吸血鬼にならない。僕は血を吸ったらすぐ君の記憶を消して君の前から消えて、それ以上の迷惑はかけないから。だから、君は何も変わらないし、何にも影響を及ぼさないと思ってくれ。血は少し失うけれど」
     ネロ・ターナー君……ネロは、まじまじと僕を見た。
    「そういうことなら構わねえよ。でもさ、餃子食ってからにしてくれねえ?」
    「え?」
    「もったいないじゃん。餃子余らせたらさ。餃子がかわいそう」
    「ええ……」
     話が通じたのかと思ったらあまり通じていないのかもしれなかった。ともかく、血は飲んでいいと言っていたから、辛抱してもう少しだけ付き合おう。

     僕が片付けをしている間にネロはもう2、3品作り足していて、テーブルの上はかなり賑やかだ。きつね色に焼かれて見るからに美味しそうな餃子を囲んでテーブルに向かい合わせに座り、二人で手を合わせる。
    「いただきます」
     この食事を終えれば、僕はネロの血を吸い、お別れだ。ネロはちょっと変わった奴だったが、警察を呼ばれたりするよりはよっぽどよく、僕はやはり運がいいと言えた。若干迷惑だが食事も食べさせてくれたし。

     ところが、結果として餃子は食べられなかった。
    「おええ」
    「ええ!?」
     餃子を口にした直後に僕が嘔吐したからである。他のおかずをそこそこ食べたところで、さてネロが包んでくれた餃子をいただこうと箸を伸ばしたらこうなった。
     体が細胞レベルで拒否する突発的な嘔気に負けず、なんとかそばにあったゴミ箱に吐いたのはファインプレーだったと思う。
    「ファウスト、大丈夫!?」
    「うう……」
     ネロが背中をさすってくれるが、中のものを全部排出しようと胃が不随意に痙攣して何度もえずいてしまう。恥ずかしい。
    「ど、どした……!?」
     ネロが顔色を悪くして僕を覗き込んでくる。嫌な予感がしたので息も絶え絶えで尋ねた。
    「もしかしてこれ、ニンニクとか入ってる……?」
    「入ってる」
     ネロはごく自然に肯定した。ニンニク、むしろマシマシ。などとほざいていた気がするが、吐き気が込み上げてきたので聞かなかったことにした。気持ち悪い。ビッグウェーブが過ぎ去った後に、僕は顔を上げて思わず喚いた。
    「なんでだよ! 僕、吸血鬼だって言っただろ!?」
    「マジで駄目なの?」
    「駄目に決まってるだろ! 吸血鬼だぞ!」
    「令和の吸血鬼がそんなベタベタだと思わないじゃん。ていうか、食えないもんあるなら先に言ってくれよな……」
     ネロはちょっとムッとした顔をしていた。
    「今が令和だろうと僕は400歳の元和生まれなんだ! ていうか、君は気がつくタイプだからそんなことしないと思ったんだよ!」
     僕が言い返すと、ネロは、へらりと笑った。
    「あ、そう……?」
    「ていうか、餃子って何? どうかしてる。ニンニク、スライスくらいなら見て気づけるのに、これじゃ見てもわからないだろう。全部ミンチにしたタネを更に皮で包むとかまわりくどいにも程がある。しかもそれを焼くなんてどう考えてもおかしい。人間の食文化進化しすぎ。食に執着しすぎ!」
    「それは中国4000年の歴史というか人類に喧嘩売ってるんだけど……」
     僕は不思議に思っていたことをこれ幸いとばかりに捲し立てたが、ネロは理解できないという顔をした。
    「とりあえず風呂入ってきたら? ちょっと汚れてるし、色々、片付けるから」
     下を見ると、胸元に吐物が付着していた。ゴミ箱も異臭を放っているし、このまま食事が続けられる状況とは言い難かった。
    「それは悪いよ……」
    「いいよいいよ、こういうのの処理はバイト先で慣れてるから。風呂入ってきなって。思ってたけどあんた、若干匂うし」
     言われてみれば、ここしばらく風呂に入っていなかった。
     臭くはないんだけどさ、とネロがフォローしてくれるのがいたたまれない。
    「わかった」

     あまり動きたくなかったが、渋々風呂に入ることにした。

     嘔吐するというのは本当に疲れる。もともとない体力を無駄に消費しぐったりしながら、日に焼けていない白い膝頭を湯船に浸かりながら見るともなく見ていると、急に湯面に男の顔が写った。青い髪の、30代の男。その眼差しは若そうな外見に反して冷たく、威厳がある。
    「フィガロ様!」
    「ファウスト、無事?」
    「無事です。ご心配おかけしてすみません」
     その凛とした声に思わず背筋が伸びる。
    「お風呂? てことは人間の家だったりする? 君、監禁されてるとか、これから凌辱されるとかじゃないよね?」
    「違います! 人間の家なのはそうですが、今血を飲ませてもらう交渉中です」
    「交渉中に風呂? やっぱりいかがわしい奴なんじゃない? 今から行こうか?」
    「いえ、僕の服が汚れてしまったのと、二、三日入ってないみたいだからよければって」
    「よければ? そんな親切な奴がいるかなあ……。君、顔も性格もかわいいから心配だよ。ほんと、俺が行こうか?」
     吸血鬼は鏡に類するものに映らない。だから自分の顔は知らない。
    「フィガロ様の手を煩わせるほどでは……」
    「監禁でしょ。絶対監禁だ」
     フィガロは顔をしかめた。
    「違います。お恥ずかしい話なんですが、長らく食事をしていないせいで動けなくなってしまったのを助けてもらったんです。まあそいつがまた変な奴で、お腹が減ったって言ったらやたら滅多に人間の食事を食べさせられてるんですが……。学生で二十歳くらいの料理上手ないい子です。一応血を吸わせてくれる約束は取り付けてあるので大丈夫ですよ。なかなか吸わせてもらえないだけで」
    「フィーダーか。あんまり危険はないと思うけど、やっぱり変態じゃないか」
    「フィ……? 別に危なくはないですよ、多分」
    「君が言うならそうなのかな。一応信用しておくよ。でもあんまり渋られるなら、"魅了"だとか"服従"で言う事聞かせて無理やり飲むべきだよ。その方が負担がかからなくて結果お互いのためになる。君のそのスタンスは立派だと思うけど、もっと強引にいくことも時には必要なんじゃないかな。まあ俺が口を出すことじゃないけどね」
    「……そうですよね」
    「くれぐれも危険なことはしないように。君の葬式には出たくないからね。ピンチになったら呼んで。フィガロ先生、参上しちゃうから。……頑張って」
     心配げにため息をつきながら、フィガロ様は消えた。フィガロ様は僕の学校の先生で、学問や吸血鬼にとって必要なことのすべてを教えてくださった先生だ。露悪的に振る舞ってはいるが、とても気にかけてくれていて、卒業してから何百年経ってもこんなふうに時たま様子を見てくれる。いつも突然でびっくりするが、顔を見るたびに嬉しく温かい気持ちになる。

     風呂から出ると、ネロはオムレツを作っていた。
    「さっきは悪かったよ」
    「ううん、僕こそ……」
    「ああ、サイズどうかと思ったけどちょっとでかいな。いい感じ」
     僕の服を指差し、すぐにネロはオムレツのフライパンに視線を戻した。僕は今ネロの部屋着を借りているのだが、袖も丈も結構長かった。最近はオーバーサイズの服が流行っているらしいので変ではないのだろう。いつも着ている襟付きのシャツとスラックス、下着その他もろもろは今洗濯機の中でぐるぐる回っている。
     鮮やかな手捌きでネロはオムレツをうまくまとめると、フライパンごとひっくり返して皿に盛った。
    「どうぞ。オムレツ」
    「ああ、さっき言ってた」
    「うん、たくさん練習したからやっぱり誰かに食べてほしくて。あ、いや、食えそうならでいいけど」
     そう言われると笑みがもれる。ネロの努力の結晶か。どんな味か楽しみだ。
    「いただくよ。いただきます」
     テーブルに座って手を合わせ、スプーンでふっくら膨らんで湯気の立っているオムレツを崩すと、中からとろりと卵が流れた。
    「わあ、美味しそう……すごいね、ネロ。こんなのも作れるの?」
    「ああ」
     ネロは恥ずかしそうに目を伏せるので、オムレツを口に含む。
    「見た目だけじゃなくて味もすごく美味しい。塩味がちょうどよくて優しい味だね」
    「ありがとう。あのさ、ファウスト」
    「ん?」
    「血ならいくらでもやるからさ。もう二、三日でいいからここにいられねえ?」
    「……どうして?」
     監禁、捕獲、リンチ、解剖、などのいやな単語が脳裏をよぎる。僕をここに足止めして、研究機関だとか警察だとか、裏社会的な人々だとかを呼ばれてしまうと面倒なことになる。最初は驚きもあって好意的に受け入れていても、落ち着くと違和感を感じて然るべきところに突き出そうとするのが人間である。仕方ない。このまま話が進まなければフィガロ様のアドバイス通り、最後に残された魔力をかき集めて“服従”の能力を使い、無理矢理血を頂いてここを去ろう。もうらちが開かない。僕が決意したところで、ネロがおずおずと口を開いた。
    「あんた食いっぷりがいいからさ、もっと色々食ってほしいんだよね」
     は? と口に出しそうになった。想像の斜め下の申し出に困惑する。どういうことなのだろう。意図がわからない。そんな僕の様子を見て困惑を察したのか、ネロが慌てて言う。
    「ダメならいいよ。ごめん……久しぶりに誰かに飯食わすのが嬉しくて舞い上がっちまってる。あんたが食べてくれるのも褒めてくれるのもすげえ嬉しくてさ。もっといて欲しいと思っちまった。困らせたよな。……悪い」
     ネロは視線をうろうろ彷徨わせ、気まずそうに頭をかいた。その様子が妙に寂しげで、胸が痛くなる。
     人間の前に姿を晒すというリスクのあることはあまりしたくない。でも、目の前の彼の寂しさをほんの少しでも埋められるのなら埋めてやりたい気持ちもあった。はじめての一人暮らし。不揃いな食器。食べさせる相手はここにいないのに作ってしまう大量の料理。
    「……構わない。2、3日だけだからな」
     僕は逡巡したのちそう返した。するとネロは困ったように眉を下げつつも、今まで見た中で一番嬉しそうな顔をした。
    「ありがとう」

     ベッドと布団で横になると、今日はネロが話しかけてきた。
    「あんた、よく食うよな。それでも飯は血の代わりにはなんねえの?」
    「ならないね。血とそれ以外は根本的に違うんだ。吸血鬼は摂取したものからエネルギーを吸収するんだが、人間の食べ物はあまりエネルギーがない。体の組織を作る材料になるから食べるのが全くの無駄というわけではないんだが、食べてもあまり腹は膨れないな」
    「へえ」
    「それに対して血はエネルギーの量が桁違いだ。何せ生きた生き物の体の一部そのものなわけだから。同じ理由で体の組織を作る材料としてもピカイチさ」
    「じゃあ肉や魚はどうなの」
    「僕らにとっては死肉だ。悪くはないがそこそこといったところかな。やっぱ生き血が一番いいよ。何より味がすごく美味しい。口にするだけで、生きてる、って感じがする」
    「ふうん」
    「人間の食べ物は食べなくても生きていけるけど、血を飲まずに生きていくことはできない。僕らはそういう生きものなんだ」
    「そっか……」
     ネロは眠いらしく、程なく寝息を立て始めた。僕も疲れたので少し眠って、明け方に起きて物音を立てないように気をつけつつ部屋の掃除や洗濯をした。朝になって、ネロにおはようを言って、一緒に朝ごはんを食べたあと、僕はまた布団に潜って眠りについた。僕ら吸血鬼は日が登っている間、一日の大半を寝て過ごすのだ。

     その日の晩は、バイトから遅く帰ってきたにも関わらず、ネロが豪華な夕食を作ってくれたので美味しく頂いた。
     その次の日も、次の次の日も。
     二人でのんびりとしながら、取り留めのない話をしたりするのはそれなりに楽しい。数日だけのことと思って割り切れば悪くない生活だった。鍵のかかる安全な家があるのはありがたいし、多少の家事はして当たり前だ。適度に生活時間がすれ違っているのでずっとべったり一緒ではないから息苦しくもない。ネロがバイトで帰りが遅くなると少し寂しく感じるほどで、僕は彼に親しみを感じ始めていた。
     最後にこんなに人間と仲良くなったのは300年以上前だろうか。結局はうまくいかなくて、あれ以来、人間との交わりを徹底的に避けてきた。山奥に居を構え、吸血鬼族ともあまり交流せず、吸血は意識のない者からのみ。そんな風にずっと生きてきたのに、記憶は薄れ、愚かにも僕は失敗を忘れてしまうらしい。人間の友達なんてもう絶対作らないと誓ったのに。
    「できたよ、そろそろ食べよ」
     さっきバイトから帰ってきて、人間としては遅い夕食を作り終えたネロが声をかけてきた。僕はベランダのバジルを収穫し終えたところだったので、「うん」と返事をしようとした。だがそれは叶わずーー僕は返事をしようとして、床にぶっ倒れた。がん、と体と床がぶつかる派手な音がどこかで聞こえる。意識が朦朧として、電源が急に切れたみたいだった。

    「大丈夫!?」
    「うう……」
    「あんたさ、弱すぎない!? 強くて怖い吸血鬼なんだろ!?」
    「ううう……」
     ネロの声で目を覚ますと、僕はべッドに寝かされていた。全く体に力が入らない。目が霞んでいて、かろうじてネロの焦った表情がぼんやり見える程度だ。
    「……エネルギー切れだ。タイムアップ」
    「そんな……」
    「ごめん、もう無理だ。もう死ぬ。もうこれ以上は死ぬ」
    「ファウスト! 死ぬなよ……」
    「君のせいなんだが……」
     そう伝えると涙目のネロはきょとんとした顔をした。
    「血?」
    「そう。わかってくれた? 僕、死にそうだって最初から言ってるだろ」
    「じゃあ今できた飯は?」
    「食べないよ……」
     この後に及んでご飯の話をしてくる。とんだクレイジーボーイを捕まえてしまったものだ。
    「そういう約束だろ、頼むよ。……なんなら」
     もう“服従”や“魅了”といったスキルも使えないほど消耗してしまったので、人類にしぶられた時の必殺フレーズを使うしかない。飛び道具なのであまり使いたくないし、このご飯大好きクレイジーボーイに効果があるのか不明だが、もう僕にはこれしかない。
    「血を飲ませてくれたら、抱かせてやってもいい。血さえ飲めば力が戻るから、女でも男でも、君好みの見た目に変身して抱かせてあげる」
     エロに訴えかけろ。フィガロ様もそう言っていた。
    「えっ……マジで?」
    「ああ、まじだ」
     ネロは一気に頬を赤くして狼狽える。
    「いや、そういうのはよくないんじゃねえの? 別に俺ら、付き合ってるわけでもないしさ」
     唐突なエロ系の話題のせいか、ネロはいつになくあたふたしていた。はじめて僕が姿を現した時より慌てている。
    「今日までの付き合いだから、別にいいんじゃないか?」
     僕が返すと、ネロは「あ〜」とか、「う〜」とかうめいて、かなり逡巡していた。これは効果ありなのか?
    「まあ……最後の思い出に、って思えばいいのかな……うーん……俺としてはあんまなんだけど……いや、でも、抱かせて。いい?」
    「いいよ」
     ネロは顔を上げて、無理矢理微笑んだみたいな顔をした。
    「わかった。ごめん、もう仕方ないよな。……どうしたらいい?」
     なんとか納得してくれたらしい。ここまできて、やっぱりエロより俺の飯を食えとか言ったらどうしようかと思ってヒヤヒヤした。
    「僕の隣に横になって」
     ネロはいそいそと僕の隣に横になった。僕はよっこいしょ、と体を横に向けるとネロを引き寄せる。
    「ありがとう。君の記憶は消すけどーーこの数日間、楽しかったよ。限界まで頑張ってしまうほどには」
    「そっか。ごめんな。ありがとう」
     お別れを言うように一度目と目をしっかり合わせてから、僕はネロの首筋に犬歯を突き立てた。
     尖った歯が皮膚に沈み込み、生暖かい血液が口の中に溢れる。体中をびりびりと電気みたいな震えが駆け巡り、直後、頭の中がしんと冴える感覚があった。ああ、美味しい。夢中で血液を啜り、もっと、もっとと欲してのめり込む。殺さない程度ならいいだろう。僕は殺されかけたのだから。
    「あ、めっちゃ気持ちいいこれ、やばい」
     僕が食事をしていると、ネロが口を開いた。これも学校で習った。吸血行為をされている人間は性的に気持ち良くなることもあるのだと。ネロは僕の体に腕を回し、ぎゅっと抱きしめてくる。
    「なあ……あんたのことさ、多分好き」
     熱に浮かされた声で、ネロは耳元でささやいた。
    「はじめて見たときにきれいな人だと思った。関わっちゃいけないってわかってたのに、最初の晩飯でどうしようもなく惹かれて、翌日には引き返せなくなってた。あんたって、一緒にいるとすごく居心地がいいんだよ。いっぱい食ってくれるし、褒めてくれるし、優しいし、好きになるなっていう方が難しいだろ」
     ネロの声が切なく揺れた。
    「吸血鬼だっていうのも最初は嘘だと思ってたけど、本当だってわかったらもう迷うことはないよな。でも、あんたが血を吸ったらいなくなるって言ったのにはすげえ焦ったよ。引き留め方がわかんなくて飯いっぱい食わしちまった。ごめんな」
     ネロは腕に力を込めて、僕をぎゅっと抱きしめる。そういうことだったとは。
    「もっとうちにいてよ。血だって、一回と言わず何回でも飲んでいいからさ。俺で腹一杯になってよ。だめ?」
     ネロが想像もしなかったことを言うので驚いた。僕のことが好きだって? 僕も嬉しくて息が詰まる。吸血しながら顔を上げて、上目遣いでネロの方をみると、頬を赤く染めて恥ずかしそうにしていて可愛い。しばし、見つめ合う。今は吸血していて口が塞がっているので、後でなんと答えるか考えておこう。
     ところが、吸血された快感で理性が緩んだのか、ネロは饒舌に心情を吐露し始めた。
    「あ、あとさ……あんたが飯食ってるの見るとなんかムラムラすんだよな」
     は?
    「小さい口で頬張ってんのとか、上品にちょっとだけかじるのとかさ、見てるとやばいんだよ。ちょっと勃ってる時もある。他の奴にこんな風になったことないんだけど……」
     何を言っているのか全くわからない。人の食事を見て勃つ? お前の体はどうなっているんだ。
     はあ、とネロが息を深く吐きながら、僕の体に回した腕をそっとシャツの中に突っ込んできだ。
    「!!」
    「さっきの嘘……やっぱめちゃくちゃ好き」
     吐息まじりに言いながら僕の裸の肌を弄る。その手つきは性的なニュアンスを含んでいて固まってしまう。背骨をなぞられ、肋骨を撫でられ、腰骨を掴まれた僕の太ももにはすっかり硬くなったものが押し当てられていた。それから、優しく僕の胸まで手のひらが滑ってきて、乳首をそっとつまんだ。
    「ひゃっ!」
     びっくりして思わず口を離してしまう。
    「ファウスト、俺はあんたのままがいい。そのままのあんたを抱きたいな」
     耳元で囁いてくるネロの声に腰が砕ける。それに、つままれた胸のむずむずした変な感触に泣きそうになる。
    「ひ……」
     びくん、と体が震え、手足がどんどん冷えていった。どうしよう。
    「や……」
    「や?」
    「やだ……」
     耐えられず、涙がほろりと溢れた。
    「あれ、痛かった?」
     ネロが困惑した顔をする。震える喉で僕はなんとか言葉を紡いだ。びっくりして、頭の中が真っ白で、もう取り繕うどころではない。

    「こわい……!」

     ***

     ネロはベッドでげらげら笑った。それはもう盛大に爆笑した。
    「あんた、エッチしたことないのに、腹が減りすぎてあんなこと言ったんだ……ふふ、可愛い奴」
    「うるさい。学校ではそう習ったんだ。最後はエロだって」
     性行為なんて、引きこもって孤独で酔っ払いからしか吸血しない僕がしたことあるわけがない。僕が怒ると、ネロは涙を拭ってごめんと謝った。
    「学校で? 本当可愛いよな。参るよ」
    「くそ。君が本気で抱きたがるだなんて思わないだろう」
     “血を吸ったら力が戻るから、好きな姿になって抱かせてやる“ という誘い文句は、『力が戻ってから』と言うのがミソで、吸血したあとに変身するふりをし人間の記憶と意識を奪うというものだ。吸血されている時の性的な気持ちよさは力が抜けてだらんとする方向性のため、吸血している吸血鬼に対して元気にその気になることは想定されていない。振り払えなかった僕も悪いのかもしれないが、なんともいえない感覚が渦巻いて体が動かなかった。

     肌に触れたところ僕が縮こまって震えるので、ネロは様子がおかしいのに気付いてすぐに飛び起き、僕に布団を被せて謝った。元はと言えば僕が悪いにも関わらず、ネロは自分が無作法なことをしたように真摯に頭を下げてくれた。

    「ごめんごめん。怖がらせただけだった」
    「別に怖くなんてない」
    「……本当ごめんな」
     ネロはさっきまで笑っていたのに、急に悲しそうな顔をした。本当に、そういう意味ではないのだ。けれど、あの時体の中を渦巻いた感覚を言葉にするのは難しい。拒否感と同じくらいネロを受け入れてしまいたい気持ちもあって、なのに体がついてこなくてどうしてもあれ以上はできなかった。
    「君の言葉はすごく嬉しかった。でも、触られた感覚が知らない感じで頭が追いつかなかったというか」
     僕がなんとか伝えると、ネロはぴたりと動きを止める。
    「そっか」
     そして優しく微笑んだ。
    「俺が怖いんなら記憶全部消してもらった方がいいって思ったんだけど、諦めきれなくなるじゃん」
    「え?」
    「なあ、血を飲ましたらエッチさせてくれるって約束だっただろ。約束は守らなきゃいけないと思わねえ?」
    「いや、でも……」
    「お願いだから、もうちょっとだけここに留まって考えてみねえ? 結論がダメならダメでいいんだ。何年かかってもいいし、俺の家にいる間は血も飲み放題だから」
     言っていることが支離滅裂になってきた。でも、その眼差しは真剣そのもので、本気だからこそ手を替え品を替え本気で僕を口説き落とそうとしているのがよくわかる。
    「あんたをその気にさせるように俺も頑張るからさ。狭いけどゆっくりしてってよ。あ、もちろん無理矢理押し倒したりはしねえし」
     ネロは人好きのする笑みを浮かべながら、だめかな、いいだろ、俺の飯、うまいだろ、なあ、頼むよ、俺と一緒にいた方がいいよ、とのんびりとした口調ながらしつこく駄々をこねた。

     おいしい3食昼寝付きワンルーム。口説いてくる同居人は結構いい子。そのひたむきさが可愛くて、僕は顎に手を当ててもったいぶってつい意地悪をしてしまう。
    「とりあえず、ご飯でも食べながら考えようかな」
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