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    07tee_

    @07tee_

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    07tee_

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    『青い監獄』の無い世界線で出会うhois♀️

    ⚠️受けが息するように女体化してる
    ⚠️horの淡泊描写が多い
    ⚠️hor家描写多い
    ⚠️tdちゃんが噛ませキャラ
    ⚠️krsパイセンが結構出てる

    #hois
    #hois♀️

    君を求む(氷潔♀️) 僕は、潔さん(君)を待っていた。



     時候の挨拶だと、この季節は初秋というらしい。国語の授業で先生がそう言っていた。テストにも出るから要暗記とも。氷織は真面目なので、授業はきちんと聞いている。それが成績に反映されているかは別として。でも、両親は特に気にしないだろう。あの二人にとって、学校の成績よりも、サッカーの方が最重要事項だからである。
     その日は監督の都合で練習がかなり早く終わってしまった。チームメイトは浮足立っていて、京都の街中に繰り出そうとしている。烏が先に誘われて、次に氷織にお声がかかった。
    「俺は行かん。はよ帰ってエムワンの再放送が視たいんや」
    「僕はええよ」
     突き放すような口調の烏とは反対に、穏やか気味に返した。烏は着替えが終わるとさっさと帰ってしまった。ハメはずしすぎんなや~、と余計な一言を吐き捨てて。
     どうして烏がさっさと帰ってしまったのか、市内に向かう途中で勘付いた。どこ行く~?やっぱ嵐山じゃね?清水寺は当たりやすい!京都に住んでてよかったな~!行き交う会話を一歩後ろから聞いて行く内に、察したのだ。
     京都と言えば、修学旅行。つまりそういうことである。全国一斉に来るのではなく、直ぐに終わらせて受験戦争に投げ込む学校もあると言えばある。見たことのない制服で街がいっぱいになる季節が来ると、浮足立つ者が少なからずいるのだ。
     今年こそかわいい彼女ゲットしてえ~!遠距離恋愛憧れる~!チームメイトのはしゃいだ声に合わせて作り笑う。合わせているだけであって、氷織はあまり興味が無い。チームメイトが期待に胸を膨らませるとは反対に、氷織は完全に無関心であった。それでも協調性はあるので、彼らに合わせてにこにこと笑顔を貼り付けている。
     清水寺に行くぞ~!鶴の一声によって方向性が決まり、最後尾を氷織は付いて行く。道中、地図を持って屯する、他県の制服を着た集団を発見した。あの子可愛くない?困ってたら声かけようぜ!と意気込む声とは反対に、氷織は冷静だ。ブレザーを着ている集団の一人…黒髪の女子生徒に、自然と視線が行ってしまう。その女子生徒の鞄にぶら下がっているアクセサリーが起因だ。
     サッカーボールのアクセサリーと、世界一のストライカー…ノエル・ノアの限定マスコットキーホルダー。あの子、サッカーやっとるんやろうか?と思考が働く。サッカーのアクセサリーをつけた女子生徒に、同じ高校の男子生徒が得意げに笑っているのが見えた訳だが、その時になってああ~!と前方から突発的に叫ぶ声が上がった。
    「どうしたん?」
     一番に尋ねると、開口一番が、困った~まじ困った~。であった。前から欲しかった本の入荷日が今日であったこと、それが東山区近くの古本屋にしかないこと、かなり稀少な古本なので取り置きが出来ないから今日を逃してしまったら入手困難になってしまうこと、等。
    「ほなら、僕が行こうか?」
     すると、マジでホンマにと食いつかれたので、いいよ、と答える。
     サンキュー氷織!マジ神!今度奢らせて!沈んでたのが一変して明るくはきはきとして、ナンパ組に加わっていくのを、手を振りながら見送った。
     氷織が付いてきたのは家に帰りたくない…両親と一緒にいたくない、という理由だけなので、他校の女子生徒にはあまり興味が無いのだ。ナンパするぞ~!と意気込む彼らには悪いことをしたとは思う。なのでこれは氷織なりの贖罪のつもりであった。
     東山区は直ぐ近くなので徒歩で行く。集団で行動するのもいいけれど、一人の方が氷織にとっては気が楽だ。あと烏が付いていれば気兼ねしなくて済む。本人には絶対に言わないけれど、ちょっと皮肉が言えるぐらいには信用しているのだ。
     教えてもらった道筋に従っていると、また自然と視線が動いた。
     あ。反対方向に、十数分前に見たあの子がいた。困ったようにスマホを見ている。あの子だけではなく、男子もいる。集団から離れてと二人きりの様子だ。デートかな?見ていたら失礼になると、気付かない振りをして通り過ぎようとしたけれど、その子の顔から目が離せない。何やら、困っているように氷織には見えた。
     協調性の高さが仇になって、足は自然とその子に向かう。
    「ねえ、何か困ってる?」
     声を掛けた直後、目が合った。丸くて、大きくて、吸い込まれそうな青。優しい色をしていると思った。その眼がぱちぱちと瞬きを繰り返して氷織を見つめている。一瞬見入ってしまったのを悟られないように言葉を続けた。
    「道が解らないの?僕が教えたげようか?地元やからよう知っとるよ」
     こういう時、母親譲りの顔立ちで良かったと思う。女性的な顔立ちと柔和な雰囲気のお陰で、いきなり話しかけても怪しく引き下がられることは滅多に無い。
     男子の方は、デケエと呆気に取られている様子だった。女の子の方は…顔を緩めた。
    「ありがとう、ございます!助かります!」
     声を聞いた瞬間、心地良い声だと思った。
    「どこ行くの?」
    「あの、この本屋を探してて…」
     スマホの画面を見てみると、氷織は軽く驚いた。今、氷織が向かっている場所であったからだ。
    「ああ。そこやったら案内してあげる。丁度僕も行くところやったんよ」
     ほっと胸を撫で下ろす仕草に、氷織まで安心の心地になってしまった。不思議な子だなと胸中で呟く。
    「でもよう知ってたね?あまり知られてないし、裏道にあるから地図でも解りにくいんよ」
    「アプリの案内通りに行ってもたどり着かなくて困ってたんです」
    「そこで何か買うの?」
    「欲しい本があって。実は私、サッカーが好きで」
     だろうな。鞄に下がっているサッカーボールとノエル・ノアのマスコットキーホルダーを再び一瞥する。
    「ノエル・ノアが好きなんやね?」
    「うん超好き子供の頃からの憧れ」
     途端に、顔がきらきらと輝いた。まるで夢を語る子供のような純粋な光を放って。ふふふ。口から何か出た。笑みだ。自覚がなく自然と笑みがこぼれた。
    「ノエル・ノアの特集本初版が絶版になってて。でも、この店だったら置いてあるってネットに書かれてたから、修学旅行のついでに来たんです」
     女の子は、輝かしく笑っている。氷織には眩しかった。もっとその笑顔を見たい、とは思った。と同時に氷織とは反対側の隣を陣取る男子に心中で謝る。女の子が氷織と話せば話す程、眉間に皺を寄せていた。
     談笑しているうちに、目的の場所に着いた。あっという間すぎて、氷織の方が驚いていた。
    「あの~、こんにちは~!」
     女の子が控え目に声をかけると、奥から老年の店主が出てくる。
    「あの、電話で注文していたの、取りに来ました」
     と女の子が告げると、あ~はいはい。待ってたよ~。とカウンターへと引っ込む。少し埃が待っている、古本特有の匂いのする店内に、女の子の後に続いて敷地を跨ぐ。棚には新品同様から傷の目立つものまでずらりと陳列している。種類も雑多だ。料理本、趣味、歴史、スポーツ雑誌からゲーム雑誌までと、統一感が無いと感じさせる。商売というよりも趣味で集めたって言われた方が納得する。
     老店主がカウンターに戻ってきた。本当は取り置きしないんだけど、わざわざ遠くから来てくれたし、特別だよ。と、カウンターに雑誌を置いた。若きノエル・ノアが表紙を飾ったサッカー雑誌を前に、丸い目にきらきらと星が宿った。
    「ありがとうございますこれ、すっごく欲しかったんです」
     素直に喜ぶ反応に、老店主もにっこりとほほ笑んでいる。まるで孫を見る祖父のような優しい眼差しだ。では、これにサインもらえる?と、メモ用紙とペンを置いた。女の子がすらすらと書いていくのを、氷織は横からこっそりと盗み見た。
     潔世一。と、メモには書かれてある。なんて呼むのだろう?と思っていると、“いさぎよいち”さん、だね。と老店主が代わりに口に出す。
    「あの、ありがとうございます。助かりました」
    「良かったね」
     うん。ノエル・ノアを宝物のように胸にしっかりと抱きしめながら、氷織に向かってほほ笑む顔が、薄暗い胸の内を暖かくさせた。もっと話がしたいと思うが、後方で氷織を怪訝に睨む視線に気づいてるので、これ以上は邪魔をしてはいけないと律する。
     それじゃあ僕もよろしいですか?と老店主に代理で取りに来たことを告げる。氷織羊ですと答えると、連絡が行っているらしく、すんなりと目的のものが差し出される。レトロゲーム取り扱い雑誌を受け取ってすぐ、氷織は退散した。
    「じゃあね。修学旅行楽しんで」
     手を振ると、向こうからも手を振られた。男子の方は完全にむくれている様子だった。申し訳ないことをしたとは思いつつも…やはりもう一度、あの子と会いたいな、という欲がむくむくと騒いだ。
    ――――初めて抱いた感情も、家に帰れば、無となる。
     母が作ったアスリート向けの食事を終えるとすぐに部屋に逃げ、ゲームの世界に逃げる。そして、朝になるまで、部屋から出ない。ここは、氷織の唯一の逃げ場。ここで、明日になるのを、ひたすら待つ。ただ待つ。部屋の外に意識を向けないように努めて。
     最近の氷織の流行はゾンビゲームである。画面に映るゾンビを両親に見立て頭部破壊(ヘッドショット)を決めると少しだけ清々する。今日も夜更けまで続けそうだ…。
     ランキングを更新して達成感を得たところで、ベッドに横になる。目を閉じて、身体が眠りに就くのを待つ…………が、いつもより寝つけが悪かった。何でだろう?引っかかるものがある。両親?サッカー?いや違う。閉じた瞼の裏に、古い雑誌の表紙が浮かんだ。若きノエル・ノアが表紙を飾った、あの。
     気もそぞろになって、寝るのをあきらめて、スマホに手を伸ばした。記憶に残っていた雑誌名とノエル・ノア特集の文字で検索する。検査結果をただ無心に目を通した。内容が気になりだしてレビューを探しても絶版になっていてほとんど書き手がいない。
     いや。気になっているのは、内容じゃない。きっと……大好きなものを読んでいる彼女の表情が、見たいのだ。



     氷織!昨日のお礼がしたいから、今日も繰り出そうぜ!
     監督の都合で今日もまた練習が早くに切り上げられ、何をして時間を潰そうかと考え込んでいる氷織の肩を叩いたチームメイトの言葉に、苦笑を浮かべた。
    「今日も行くの?」
     あったりまえだろー!昨日は氷織に損させてもうたから、今日は特別に、お前を主役にしたる!と親指を立ててやたらと自慢げな様子に、氷織は愛想笑いを浮かべながらも逃げる理由を必死に探した。
    「僕は気にしてないよ」
     ええってええって!まじ氷織良い奴すぎ!たまには発散せな!一人、また一人と同行者が増えていき、ますます断りづらい空気になっていく。烏に一瞥を投げるも、烏は背を向けて見て見ぬふりをしていた。俺は助けんぞ。自分で何とかせえ。と背中が語っており、内心で烏に対して悪態をつく。
    「じゃ、じゃあ、少しだけ…」
     結局断れなくて、また修学旅行生目的の出陣に加わってしまった。
     みんなが浮足立つ中で、氷織だけは空気に乗れなかった。それもそうだ。氷織には欲が無いからだ。みんなのような出会いだの可愛い彼女が欲しいだのと、年相応に欲が…氷織には彼らのような青春を謳歌したい欲は全くなく、常に空っぽだった。今回もまた協調性の高さが仇となってしまった。
     京都について早速、氷織は内心、後悔に際悩まされる。はよ帰りたい、ではなく、どこかに逃げたいである。家じゃないどこかに逃げたい気持ちでいっぱいだった。そんな氷織の心境を知る由もなく、チームメイトは浮足立っている。もし彼らのように、普通の家に生まれていたら、氷織だって楽しんでいたかもしれない。
     いや、余計なことを考えるのは止そう。折角誘ってくれたのに、それを無下にすることはできないし。だからといって長時間付き合うのも申し訳ないので、間を計らって抜けようと決める。
     鹿苑寺に到着した時だった。氷織の機嫌が変わった。鹿苑寺…金閣寺と通称されている場所は、いつもながらたくさんの観光客がぎゅうぎゅうと詰まっている。その中に、見覚えのある制服を見かけた。昨日出会った、あの子が着ていたのと同じだった。
     あの子が来てる。そんな予感に駆られた瞬間、沈んでいた気持ちがすうっと持ち上がった。
     もしかして、ときょろきょろと辺りを見回す。確率は奇蹟に近い。顔ははっきりと覚えているから見逃さない自信さえもあった。それは、絶対に等しい直観だ。ぶつかり合いが勃発する程の雑踏の中であったとしても、必ず見つけられる予感とも言う。
     そして、自信も、直感も、予感も、見事に的中した。
     広い視野をぐるりと回した時のこと。本当に偶然だった。絶対に忘れない双眸が直ぐ真横にあって、目が合った。
    「あ」
     氷織の声と、彼女の声が、見事に重なった。
     彼女は足を止めて、氷織を見つめている。吸い込まれそうになる青から、氷織は目が離せなかった。
     彼女の名前を、氷織は知っている。忘れられなかった。そう。彼女の名は。
    「潔世一さん―――――」
    「氷織さん―――――」
     また、声が重なった。彼女の薄い唇から自分の名前が紡がれたのだと自覚すると、心臓が不自然に強く鼓動を打った。
    「え…名前…」
     氷織が面を食らっているのと同様に、彼女も同じく目をまん丸と瞬かせていた。
     名乗る前からお互いの名前を知っているこの状況が、昨日からの不思議な縁が、愉快に思えてきて、笑いが込みあがってきて、我慢しようとかみ殺そうとした結果、小さく噴き出してしまった。彼女もまたくすくすと小さく噴いている。殊更愉快に感じた。
    「僕の名前覚えられてしもうてたん、恥ずいなあ」
    「昨日店長さんにそう名乗ってたの、覚えてて…そっちこそ、私の名前、どこで知ったんです?」
    「昨日店長さんにそう名乗ってたの、僕も覚えてて」
     ハズ。ホンマやね。と、またくすくすと笑いが込みあがる。
     顔を見てしまったら、欲が出てきてしまった。もっと彼女と話がしたい。だけど…一緒に訪れていたチームメイトらを広い視野の端に捉えて、どうしようかと逡巡していると。潔―!はやく行こー!数十歩先から、彼女と同じ制服を着たグループが手を振っているのが見えて、時間切れを悟る。ここで本当にこの縁も終わり、と自分に区切りをつける。
    「ごめーん!先に行っててー!あとで追いつくから!」
     氷織の予想が裏切られた。手を振り返す彼女から目が離せない。彼女の級友らは不思議そうな顔をするもの、わかったーと先へ行く。が、一人だけ人並を強引にかき分けてやってくる。昨日、彼女と一緒に歩いていた男子だ。
    「おい潔!大丈夫なのかよ?」
    「え?何が?」
    「何がって…」
     怪訝な視線が氷織に向く。その視線には敵対心も混ざっているのは確か。解りやすい反応に、氷織は申し訳なくなってきて、チームメイトの元へ戻った方がいいかもと踵を返しかけたけれど……視野の端に、彼らが氷織に向かって親指を立てて退散していったのが見えてしまった。
    「潔が残るんだったら俺も…」
    「ごめん、二人で話したいことがあるから…多田ちゃんはみんなのところに戻ってて」
     手を合わせて謝る潔からは、下心は感じられなかった。かといって、その男子への特有の雰囲気も感じられなかった。どちらかというと、男子の方が必死だ。
     断られた男子は口をへの字に曲げ、渋々と先へ進んだ。氷織は我慢できず問うた。
    「良かったの?」
    「え?」
    「彼…付き合ってるんじゃないの?良かったん?」
     すると、彼女は目を丸くした。
    「付き合ってるって、多田ちゃんが、ですか?多田ちゃん彼女いないって聞いてたけど…」
    「いやいや。潔さんと彼…」
    「私と多田ちゃん?いえいえ!違います。ただのチームメイトですよ」
     にっこりとした笑みは純粋そのもの。嘘をついているようには思えない程、きらきらしていた。同時に氷織は彼に対して同情を覚えた。
    「それで、僕に何か用?」
    「はい、えと…」
     彼女は鞄の中をごそごそと弄った後、はい、と控え目に根付を手にして、氷織に渡した。京都らしい水色布の。
    「これ、昨日のお礼です。もし会えたら渡そうと思って…昨日は本当に、ありがとうございました」
     純粋に礼を口にする彼女が、氷織には眩しく映る。
    「ええよええよ、そんな気を遣わなくても。地元やし。でも、嬉しいよ。おおきに」
     掌を差し出すと、彼女の手ずから渡される。ただの土産物の筈だけれど、暖かい熱を帯びていた。
    「でも、本当に助かりましたし。私にとって、あの本が本命だったんです。だから助けてもらって嬉しかったっていうか…それもあるんですけど…」
     彼女は若干照れくさそうに笑って、氷織を見た。
    「もっと、氷織さんと、話がしたいなって思ってたんです」
     一瞬、心臓が止まったかと思った。不整脈なんて、人生に一度だって感じたことが無かった。動きが止まった反動で、心臓が強く収縮し、脳からどぱどぱと溢れる熱によって血流が勢いづいて、耳まで熱が広がった。
    「ありがと……」
     僕も同じ。勝手に言葉が口から零れていた。それは、氷織の、滅多に無い本心のものであった。自分の考え、感情、事情を、口にするのが苦手の筈な自分の口から漏れたものだと気付いた時、自分がいつもの自分じゃないと自覚する。
    「良かった。嬉しいです」
     言葉通りの笑みを向けてくる彼女によって引き出された心だと、氷織は理解する。
    「敬語はええよ。潔さん、高二やろ?僕も同じ高二」
    「あ、そうなん?じゃあ、氷織って呼んでもいい?」
    「何でもええよ」
     彼女と二人、並んで歩いた。人込みの中を。がやがやとうるさいけれど、賑わいの中でも、彼女の声は耳朶によく通った。
    「潔さんはユースでサッカーやってんの?」
    「ううん。一難高校男子サッカー部。FWでレギュラーなんだ」
    「二年でスタメンってすごいんとちゃうん?僕はユースやからよう知らんけど。ちなみに僕もFWやで」
    「マジで?私達、共通点多いね!好きなサッカー選手は?」
     声が、言葉が、馴染むように入ってくる。頭に、心臓に。心地いいのは声だけじゃない。一緒にいるこの空間が、会話が、心地いい。一周回って、お土産店も一緒に入り、一緒に店内を物色するのも、心地良すぎてずっと続けばいいとすらも願った。
     お土産店を出て、潔のグループの面々が見えたところで、終わりを悟った。
    「あっという間だったね。楽しかったよ。ありがと、氷織」
    「僕も楽しかったよ」
     笑顔を貼り付けたもの、もっと、と内なる自分は欲張りの声を上げていた。このまま別れるのが、虚しいほどに寂しい。
     あの。今度は氷織の方から声をかけようとした、その寸前だった。にたにたと笑う潔の級友が、潔の背を、氷織に向かって押した。
     潔、ホテルで合流しよ。潔には一生に一度しかない好機(チャンス)なんだからさ。じゃあね。と、ぞろぞろと、潔を置き去りにしていった。へあ?と潔は固まり、置いて行く面々の背中を丸くした目で凝視する。一人、潔に好意を向けていた男子が苦々しい表情を浮かべており、同級生から、多田ちゃんドンマイ。俺達の青春はここからだぜ。と慰めていたのが見えた。
     氷織と潔は互いに目を合わせた。ぱちぱち。と瞬きを繰り返して固まること一分弱。
    「良かったら、案内しよか?」
    「うん…お世話になります…」
    「あはっ。なんで敬語?」
     野暮すぎる気遣いであったが、もっと潔と一緒にいたいと願っていた氷織は、彼女たちに感謝した。
    「行きたいところはある?」
    「えーっと…じゃあ、ここ。でも、ホテル間に合うかな…」
    「ホテル集合は何時?場所はどこ?」
    「十六時。場所はここ」
     『修学旅行のしおり』を開く潔の横から覗き込むと、匂いがふんわりと香った。心地の良い、この匂いだけでも酔いしれそうになる。頭二つ分低いところから見上げる目と合うと、胸がぽかぽかと暖まって、心臓が不整脈を起こしてしまう。
    「うん。大丈夫やと思うよ。僕が案内するから、安心して」
     彼女はふんわりと笑った。花開くような、柔和な笑みが、向けられる。
    「ありがと、氷織」
     名前を呼ばれるだけでも、不思議なことに、足元が浮いてしまう。まるで雲の上に乗っているかのようだ。
    道すがら潔とはたくさん話を交えた。潔との会話はサッカーが大半で、あとは高校のことや、好きなものの話、京都の見どころ…多岐にわたった。途中、お土産屋に寄ると、控え目に袖をくいっと引っ張られて、潔に視線を向けると。
    「あのさ。これ、一緒に買わない?私と氷織の記念にさ」
     根付を二つ手に取って、潔は笑った。二人の記念という言葉が、氷織の脳みそを占めた。心臓がまた高鳴った。
     お守りを二つ買った。水色と緑色。氷織と潔の色だ。水色を潔が持ち、緑色を貰う。氷織がくすりと笑うと、連動するかのように潔も笑った。
     楽しい。初めての感情だった。氷織にとっては。昨日初めて出会った潔のお陰で、氷織は生まれて初めて楽しいと感じた。誰かと一緒にいる、会話をする、歩く、買い物をする…単純だけれども、潔と一緒にいるという要素が、氷織に感情を与えたのだ。今まで誰かと一緒にいても、楽しいと感じることは無かった。烏でさえ感じたことがない。クラスで浮いている訳でもないし、チーム内でもうまく協調できている。だけど、何時でも氷織と他人の間には不透明な壁が存在している。薄い壁のせいで、他人との間に十歩以上の距離が空いている。それは、家族相手にも同じこと。両親の方が厚くて遠いぐらい。でも、潔が相手となるといとも簡単に壁は薙ぎ払われた。
     楽しい時間とは過ぎ去るのは早い。ホテルに着いてしまった。入口前に、先程別れた潔のグループが待っている。
    「着いたよ」
    「うん」
     潔の顔が俯く。氷織も俯いた。立ち止まって、向き合ったまま、沈黙が続く。心臓が締め付ける。緊張しているのだと自覚する。
     言うか、言わないか、氷織は迷っていた。嫌がられてしまったらどうしよう、がっつきすぎって引かれたらどうしよう、と不安な声が頭の中にいっぱい木霊する。
     でも。ここで別れるのは惜しいのは事実。今日だけの縁で終わらせたくないのも事実だ。
    「あの」
     切り出した途端、潔からも同じ言葉が発せられた。
     きょとんと眼を合わせて固まる。耳が熱っぽい。潔の耳も真っ赤だ。身体が緊張して、ごくりと生唾を呑み込む。どうか、一緒であってくれ、と強く念じる。
    「LINE、教えてよ」
     異口同音。氷織は安堵するよりも、潔と思考が全く一緒だったことに歓喜した。



     氷織の両親は、表面上は仲の良い夫婦を演じている。親戚の前でもそう見えるように振る舞っている。よく知らない親戚一同、知人らは、みんな氷織の家を羨ましがる。
     その実、夫婦喧嘩は毎晩絶たない。それどころか、夫婦らしい会話すらも無い。会話はいつも羊のサッカーの成績ばかり。羊の前では喧嘩はしないように努めているが、羊が寝る時間が過ぎると途端に鬼のように怒り狂い、何時間も罵倒し合う。やれ、数値が足りないのはお前の管理不足のせいだ。やれ、私ばかりのせいにする気?あんたのトレーニングが間違っているんじゃないの。だのと散々言い続けて、離婚って言葉を何回も繰り返す。何百回も続くその言葉を聞きたくなくて、寝る時もイヤホンをつけるようになった。毎日毎日続くののしり合いの余波を、浴び続けて来た。
     そのせいで冷めた性格になってしまったのは否めない。告白して付き合ってキスをしてセックスをして…最終的に別れる。そう決まっているなら、付き合わない方が良いんじゃないだろうか?そもそも氷織は好きだの愛だのという感情が理解できない。これまで女子に告白されたことはあった。でも、恥を忍び、傷付く覚悟で付き合ってくださいと告白してくる彼女らに対して、氷織は同調できないし、喜びも感じない。性欲が無いという訳ではないけれど、多分人よりも薄いのだと自分を分析している。誰かと付き合いたいという願望を抱くことができないのだ。
     冷めていると自覚してから、氷織の生活は灰色だ。白黒テレビの音声無しドラマを視ているような感覚に近い。自分の人生を客観的に見ているような毎日だ。自分というドラマの主人公を俯瞰し、こんな人間もいるんだなあと他人事のように感じている。そんな冷めた毎日が、氷織の日常であり、人生だ。
     永遠に続くと思っていた毎日が、彩った。潔のおかげで。
     今日はありがと。おやすみ。そんな些細なメッセージとスタンプが送られるだけでも、氷織は嬉しくなる。
     潔との出会いが、確実に、氷織の毎日を変えたのだ。



     日曜日、氷織は大阪のテーマパークのど真ん中で、憂鬱な表情を浮かべていた。何に対して?それはこのただ広い敷地に蠢く人の多さと、生まれて初めての娯楽施設にさほど心が躍っていない自分の淡泊さと、仕方ないとはいえ適任なのがこの人物しかいなかったという不条理からである。
    「帰りたいわー…」
     ごちゃごちゃする様々な感情を一言に集約した直後、隣から即座に反論が上がった。
    「オイ。それが人の休日を台無しにした奴の言うことか?しばくぞ」
     蟀谷に青筋を立てて、烏は詰る。だが、氷織にとってはどうでもいいことだ。
    「てか、何で男二人でユニバ来んとあかんのや。ふざけんな、一人で行けや」
    「どうせ暇やろ」
    「勝手に決めつけんなやボケ。俺かて暇とちゃうんや。あと何でお前ジャージなんや?そんな恰好の奴の隣歩く俺の気持ちになれや」
    「親には練習に行くって言うてしもうたんや」
     ゲームは許されたが、遊園地に遊びに行くことは許されなかった。今日のことを知れば怒り狂うことは間違いないだろう。お前に私らの人生すべてを賭けとんのにそんな俗物に行くなんて、とか言い出しかねない。
     だが、嘘をついてまで、ここに来る価値が、氷織にはあった。
     潔とLINEを交換してから、やり取りは毎日続いている。朝一番とか、授業の合間とか、練習前とか…些細なやり取りを続けている。おはよう、とか、今日も練習がんばろうな、とか、数学得意?全然ダメ。とか…本当に些細な日常のやり取り。それだけで氷織は胸が暖かくなるし、灰色だった毎日が彩る。ゲームを中断してまでする価値があったのだ。
     そんな中で、潔が送ってくれた画像…それが修学旅行の最終日に訪れた、この国内五本指に入る超特大娯楽施設であった。楽しかったー。期間限定のイベントやってるって。行ったら感想教えてよ。…そんなこと言われてしまったら、行くしかないのだ。烏を呼んだのは大阪人だから知っているだろうという何となくの偏見と、一人では心細かったからである。とはいえ、ジャージと私服の長身の男二人は結構目立つ。
    「…深くは聞かんけどな。せめて昼は奢れや?それで不問にしたる」
    「お茶一本ぐらいは奢ったる」
    「お前ええ度胸やな。置いて帰るぞ?」
    「なあなあ。あれ、値段やばない?帽子一つでゼロ三つもつくもんなん?」
    「お前テーマパークの物販なめんなや?全財産使い果たすつもりで来い」
     ぞんざいに扱っても、烏はなんだかんだで面倒見のいい男なので、不満は口にするけど付き合ってくれる…つまり、苦労人体質なのだ。烏のこういうところは、氷織は評価している。
    「あれ行きたいねんけど」
    「お前目腐っとるんか?二時間待ちとか正気か?却下」
    「二時間ぐらいええやん」
    「お前と二時間待ちなんて地獄やんけ」
    「しりとりしたらええやん。しりとり。リンボーダンス」
    「するめ…て勝手には始めんなやこのボケ」
    「この後ここも行きたいねんけど」
    「アホか却下やそれ水ぶっかけられる奴やん今何月やと思ってるんや」
     つまらん。結局店をぐるりと回って、ダイナーに入った。ウーロン茶をストローで少しずつ飲みながら、とりあえず回ったという証拠写真を送っていると、正面から鬱陶しい視線を感じた。
    「なに?」
    「お前、好きなやつでもできたんか?」
     直球な質問に、氷織は胸の内をかき混ぜられた錯覚に陥った。
    「ちゃうって言うとるやん。興味あるん?興味なさそうな顔しとったくせに」
     あれからチームメイトらから氷織は散々からかわれた。あの女子とどうなった?とか、氷織がまさか先を行くとは思ってなかったわーちゃっかりしとんなオイとか、この裏切りもんがーで今度いつ会うん?とか、俗世的に絡まれて。数日したら落ち着くやろとそろりそろりと躱していたが、一日一回は、遠距離恋愛はどう?と訊かれるのだ。この人達は暇なんやろうか?と氷織も流石に呆れてきた。
    「あんな。そういうのとちゃうねん。ただのサッカー友達やって」
    「相手もサッカーしとんのか?」
    「しとるみたいやで。毎日忙しそうにしとる」
     メッセージも途切れ途切れだ。昼は学校、終わったらユースと氷織もそれなりに多忙であるので、返信に長い空白が起きるのは仕方ない。相手も同じ。
     でも。それでも。一つ一つに返してくれるのはうれしいし。楽しい。最近は潔から返信が来れば、ゲームを中断して優先するようになった。それほどの価値があるのだ。
     でもきっと、これは、恋愛ではない。氷織はそう思っている。だって、自分は冷めているのだ。冷めた人間がそんな感情を持っているとは思えない。恋愛自体、求めたことが無い。それを潔に求めてもいない。だから、恋愛ではないと断言できる。だからこの胸の熱は、憧憬に近いものだと思う。潔に憧れているのだろう。サッカーが大好きだという彼女が。友達が多い彼女が。性差関係なく活躍している彼女が。そう。きっと、そうなのだ。
     すーっと冷めた自分に戻っていく最中、バイブ音が現実に戻してくれた。スマホを開いた瞬間、熱がよみがえる。
     早速行ったんだ!人めっちゃ多い。休日の方がやばそう。これ私も回ったよ。スライダーには乗った?
     待ち時間二時間だったから諦めた。と打とうとしたところで、カメラシャッター音が鳴った。現行犯を睨むと、頬杖をついたまま、スマホの画面を突き付けてきた。
    「こんな顔しとる奴に説得力も何もあらへんやろ」
     氷織はスマホから目が離せなかった。これ誰?と間抜けた質問に、お前や。と厳しい指摘が返る。
     氷織は冷めていると自覚している。自分には感情も情熱も無いんだと。誰かを好きになることはないのだと、そう思っている。潔に対するものは憧れなんだと。
     だが――――突き付けられた画像には、目尻を落とし、口角を少し上げ、頬を緩ませて、耳を赤くする――――自分が写っていた。
     こんな顔をしていた。烏に見られた。羞恥心を武器に横殴りされた気分だ。頭のてっぺんからつま先まで熱い。
    「誰か僕を殺せ…」
    「こういうのをな、自爆言うんやぞ」
    「うるさいこのバ烏…」
     熱は当分冷めそうにない。



    「よし」
     京都駅前で、氷織は自分自身に喝を入れた。
     準備はすでに万端である。両親にはユースの練習に行ってくると言っている。偽造工作としてジャージを着て出たし、出た後は先日購入したばかりの勝負服に着替え直した。服と荷物は烏の家に置いてきた。烏にももしもの時のために口裏を合わせるようにお願いしている。両親も今日は遠方の祖父母のところに出かけると言っていたから街中で発見されることは無いと考えていい。
     朝からすでに観光客でごった返ししている構内へ踏み入り、新幹線口の近くで立ち止まり、スマホを確認する。
     着いた。エビのイラストのスタンプに、心臓が妙に早打ちする。こんなに緊張したこと、試合でも一度も無かった。
     がやがやと降りてくる人波の間を見分けるように慎重に見回す。絶対に見逃さないという自信があった。
    「氷織!」
     その中から、手をいっぱいに伸ばして振っている彼女を見つけた。
     手を振り返すと同時に、首をかしげる。
    「ごめん、待った?」
    「ううん。今来たとこ」
     制服ではなく私服でやって来た彼女を見返しながら、疑問を深める。
     潔さん、こんな、可愛かったっけ?
     きっと私服が似合ってるからと、氷織は結論づけた。
    「氷織の私服って…なんか、大人びてるよね」
    「そう?僕、おしゃれしたことなくて。潔さんの方こそ似合ってるよ」
    「ありがと」
     実に一か月ぶりの再会だった。この一か月は毎日メッセージを送り合っていたけれど、直に会うと胸がどうにも高鳴って仕方がない。
    「じゃあ行こうか?」
    「うん、よろしく」
     氷織の隣に並ぶ潔との距離は、あと少しで手が触れ合うぐらいに近い。でもそんな邪なことは絶対にしない…期待はするけども。
    「一日乗車券買った方がええよ。基本バスに乗ったらどこでも行ける」
    「うん、えーと、どこにある?」
    「先に買ってるよ。はい」
    「ありがと、お金…」
    「ええよそんぐらい。気にしないで。潔さん遠くから来てくれたん。今日はたくさんもてなすよ」
    「いやいやそんな悪いって!払う」
    「ええってええって」
     と繰り返し応酬の後に、飲み物を奢ると約束を結んだ。
     神社仏閣観光地に向かいつつ、ご当地でしか食べれない京都スイーツがメインだ。甘いものに目が無い潔の希望に沿ってのお出かけである。
     一件目の抹茶スフレの喫茶店に入り、お目当てのものを目の前にすると、潔は解りやすいぐらいに顔を輝かせた。
    「ん~!デラウマぁ~!」
     頬が落ちると身体で表現する潔が面白くて、氷織は小さく噴き出した。
    「笑うなよ。マジでうまいんだから。ほら、氷織も」
     スプーンで差し出された一口に、氷織は笑顔で一瞬固まったが、ぱくりと口に含んだ。甘い。甘さが広がるけども、抹茶の味ではない。間接キスによるものだ。潔は得意げに、ほらうまいだろ?と胸を張って、氷織の心情に気付きもしない。これは多田なるチームメイトも苦戦するわけだと二度目の同情に駆られる。
    「潔さんは歩くの好き?」
    「好き。休日は散歩するし」
    「だったら歩いてもええ?すぐそこやから」
     歩きながら店を回り、仏閣にも寄ったし、伏見稲荷神社をぐるりと回った。お土産参道で狐の面を見て回った。
     北へと進んで、鞍馬山の、牛若丸が夜な夜な修行をしたという山登りに挑戦してみた。潔さん大丈夫?平気。氷織こそ大丈夫?僕も平気やよ。鞍馬山から隣の貴船山へと移り、神社でお参りする。
    「氷織はどんなことお願いした?」
    「無病息災交通安全」
    「交通安全って何?」
    「大事やで。事故に巻き込まれて試合に出れませんでしたってなるかもしれへんやん?」
    「ああ、そっか。そういうこともあるよな」
    「冗談なんやけど」
    「コラ」
    「潔さんは?」
    「私はもち!世界一のストライカーになりたい!」
     道すがら、たくさん話をした。機械越しでは物足りなかった分を埋めるように。長く、長く、語り合ったし、冗談を言い合った。笑いすぎてお腹が痛くなって、途中の休憩所で腰を下ろした。
    「僕、こんな笑ったの初めてや」
    「私も。めーっちゃ楽しい!今までないぐらい!氷織のおかげだよ」
    「そんなことないやろ?潔さん友達多いし、充実しとるんとちゃうん?」
    「うーん、そうなんだけど…」
     潔は身体を反らして、空を見上げた。
    「ちょっと、違和感っていうか…自分の感覚と他人の感覚がずれてる感じがするんだよね。友達と遊びに行っても楽しいけどそうじゃないっていうか…多田ちゃんたちとつるんでる時もちょっと違うっていうか…心から楽しめないんだよね。私って、サッカーやってる時が一番楽しいんだよ。だからサッカーやってるんだ」
     そっか。と答えながら、羨ましさが込みあがる。
    「氷織は?サッカー好き?」
     真っすぐな視線が氷織に向いた。氷織は答えに迷った。
     サッカーは、正直好きじゃない。両親が自分らの無念を晴らすために押し付けてきたもので、氷織が望んだものじゃない。ゲームはただの現実逃避。両親から許された唯一の娯楽だからやってるだけで、楽しいって感じたことはない。
     眩しいな。潔さんは、眩しい。世界一になるって夢を持ってる。自分をしっかりと持ってる。何も持っていない氷織(自分)とは違う。
     だからかも。こんなにも、惹かれてしまうのは。
    「僕は…」
     もし先に潔さんと出会っていたら。好きになっていかもしれない。
    「潔さんとサッカーがしたかったな…」
     心情が、ぽろりと、口から滑る。
    「じゃあしようよ」
     それを、潔はすかさず拾って、掬い上げてくれる。
    「今度はスパイク持って行くから、しようよ!」
     そして潔は笑う。笑顔が眩しくて、氷織の心を温かくしてくれる。
    「ほんまサッカーしか頭にないんやなこの子」
    「でも、氷織と一緒にサッカーしたい!ユースの実力知りたいよ」
    「僕そんなうまくないよ?毎日みんなについていくので必死や」
     潔さんが好きだ。好きだ。
     今だったら自分に“好き”って言ってくれた子たちの気持ちがようわかる。一緒にいるだけで嬉しいし楽しいしわくわくする。自分に期待できそう。彼女のためなら何でもできそう。そんな力がわいてくる。
     好きだなあ。ずっと、好きでいたい。伝わらなくていいから、好きで、いたい…。
    ――――でも、時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。
     潔は今日中には帰らなければいけない。実家は京都ではなく埼玉だからだ。新幹線の時間が近づくにつれて、口が次第に重くなっていった。
     京都駅で見送る予定だったけれど、入場券を買って、最後まで見送りたかった。構内に並んで立つが、あれほど饒舌に語り合っていたのに、互いに口を閉ざしていた。
     帰ってほしくない。帰らないで。もっといたい。関東と関西ってなんでこんな遠いん?同じ国内やん。どうしてひょいって帰れんのんかなあ。このまま別れるのがしんどい。
    「来たね」
    「うん」
     東京行きの新幹線が口を開けて待っている。潔はそれに乗り込んだ。
    「じゃあね。また遊ぼ」
     振り返る潔に手を振る。潔さんが行ってしまう。嫌やなあ。明日からまたしんどい日常が待ってる。しんどい親が待ってる。しんどい練習が始まってしまう。そんなのよりも潔さんとずっといたいのに。嫌やなあ。
     もっと―――――潔さんと、いたいのに。
     でも。そんな我儘は、言えない。いえるほど、立派な人間じゃない。
     だからここで、さようなら。笑顔で、さようなら。



     閉まる直前。軽やかに、潔が舞った。宙に、舞った。
     氷織の胸の中に納まるように、落ちてきた。戸口は閉まり、新幹線は行ってしまった。
    「潔さん…?」
     幻覚?いや違う。潔はこの手の中にいる。混乱したような顔で、今にでも泣きそうな顔で、氷織を見上げていた。
    「な……何しとんねん!アホちゃうん!」
     潔には明日があるのに。氷織とは違って、恵まれた毎日が、日常が、あるのに。なのに今ここにいる。氷織は思わず慌てて叱ってしまった。潔がびくんと跳ねたのが分かった。目尻に小さい涙が。
    「ご、ごめん…わかんないけど、自分でも意味解んないけど………」
     氷織と、まだ、いっしょに、いたくて。
     確かに潔はそう言った。小さな呟きは、氷織にしか聞こえていない。
     この子は…ていう苛立ちより、歓喜があふれてくる。
    「……次、終電やから…それまでやったら、おるよ…」
     もっと言うことがあるのに。あまり遅くなると親御さんが心配するよとか。気にしないでいいからはよ帰りとか。色々あるのに。言えたのはそれだけ。
     一緒にいたかったのに会話ができるような雰囲気じゃなかった。ただ隣にいるだけ。それだけで、氷織は、嬉しかった。このまま時間が止まってしまえばいい。時間を止める道具が欲しい。
     手が、握られる。死ぬほど驚いた。見なくても誰の手か解る。初めて触れた彼女の手は冷たい。温めてあげたくて……否、生まれて初めての衝動に駆られて、握り返した。手が震えるせいで力が入らない。初めて繋いだ手は、気持ち良い。
     最後の新幹線がやってくると、お互いに手を離した。
    「じゃあね」
    「また連絡する」
     今度こそ終わり。潔は新幹線に乗り込んだ。入口から氷織を見返す目は、今にでもこぼれそう。サイレンが鳴る。行ってしまう。帰ってしまう。閉まってしまう。嫌や。サイレン音。嫌や。
     離れたくない―――――――。
     まさに、無意識による…いや、願いの衝動だった。
     背後の扉が閉まる。足元が遠心力で揺れる。目の前の潔が目をこれ以上なく大きく見開いてじっと見ている。
    「はは……やってしもうた……てかこれ、無賃乗車……」
     烏のところにまだ荷物置いてる。両親からの電話が止まない。なんとかなるかな?取り返しのつかないことをしてしまった。
     額を抑えている手が掬い取られる。潔は目と鼻の先にいた。
     ぎゅうっと握られる手を握り返して、潔の肩に額を乗せた。
     この熱も、衝動も、潔さん(君)のせい。
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