凛と一緒(17) 予選は順調に勝ち進んでいった。凛と潔の猛攻は止まることを知らず、破竹の勢いであった。試合の後は草木も残らずに破壊され尽くされていた。試合開始早々は士気に燃えた対戦相手はこぞって試合終了後は屍のような青白い表情でピッチから退場していく。
――――分析も完璧、対策も完璧だった筈なのに、全部が水の泡になった。
――――あの連携は一体何なんだ。まるで糸師凛が二人いるようではないか。
――――気付いたら抜かれていた。個人戦も強いなんて嘘だろ。
――――一難高校のダブルFWを止める方法?そんなのこっちが教えてもらいたいぐらいだ。
このように称されるぐらいの快進撃であった。
予選最後の試合を迎える。最後の強敵は松風黒王高校…と予想されていたが、予想外にも吉良涼介率いる松風黒王高校は準決勝で敗退した。戦うの吉良涼介を破った強豪校である。
陣形は凛と潔のツートップ。監督は最後に凛に言い放った。
「糸師…お前のお陰でここまで勝ち進めた。最後はお前の好きなように動いていい。俺はもう何も言わない」
監督からの凛への最後の餞別のような一言に、ワンフォーオール・オールフォーワンの言葉を円陣みたくに繰り返しずっと口奏でていたチームメイトは、監督がついに凛に匙を投げたのではと固まって、凛はは?今更何ほざいてんだこのオヤジと冷めた視線を送り、潔はあんなにずっとチームプレーをこだわっていた監督らしからぬ言葉に寂しさを堪えているんだなと察したが隣の凛の冷めた視線にも気付いて小声でこらと嗜めた。
最後の試合のホイッスルが始まる。
相手チームは守備四人の布陣とした防御陣形で迎え撃った。ボランチもセンターサークルから出ずに、防御に徹している。硬い盾の布陣に、潔は攻めにくさを感じた。
攻めは甘い。だが、潔と凛以外の個人能力では板になるには弱い。その弱点を突かれて攻め込まれる度、潔が戻って何度も窮地を救った。中盤を攻め込んだ相手FWのドリブルをファールぎりぎりのカット。ボールはピッチ外に出てスローイン。
ナイス潔。ナイスカットだ。チームメイトらの称賛の声は耳朶を通るが、声が遠く聞こえる。
今のままでは駄目だ。
今、俺達が、ここまで勝ち上がったのは、“凛”がいるからだ。
現状、“凛”を中心に動いている。みんな、“凛”がいるからと思って安心しきっているんだ。“凛”さえいれば勝てるって思ってる。
“凛”がいなくなったら、また弱小校に堕ちる。全国なんて程遠くなる。
潔には見えていた。“凛”が抜けた後の未来が。一際強いストライカーを失った後のチームの存亡が。
監督も、チームメイトも、見て見ぬ振りをしているものを、潔だけが受け止めていた。
潔の眼中には――――敵は――――“凛”しかいない。
“凛”こそが、最も手強く、勝つための、相手であった。
――――喰うしかない。この最後の試合で、凛のサッカーを喰う。
ここで凛に依存していては、夢が潰える。世界杯に優勝して、世界一になるという、潔の夢が。
その瞬間、奥底に眠っていたエゴが、封印から解き放たれた。
ボールは相手FWへと渡る。マンツーマンによるパス連携でDFが破られた。キーパーとの一対一。キーパーが前に出る。相手FWがシュートの態勢に入る。次の未来を先読みして、潔は動いた。
シュートの態勢は偽動作。裏をかいたパスが回される。ゴールはがら空き状態。パスからのトラップ態勢へと入った――――そのゴールを潔は既に見切っていた。パスコースをカット。そのままロングパスをつなぐ。センターラインを走っていた凛に向けての長距離パスだ。既に敵陣に乗り込む態勢に入っていた凛はそのパスを受け止めた。同時に潔も駆けこむ。風のように走り、味方を次々に追い抜いて、凛と同じ場所へ。
どんなに走っても、凛の背中は遠い。その隣でずっと走ってきたのは潔だけ。
昨年の夏、潔が凛を見つけなかったら。凛が潔を見つけなかったら。きっと二人は同じピッチに立つことは無かった。
世界一になるという夢を諦めないで走れてこれた。
ああ、まったく、凛とずっと、一緒にプレーがしたい――――。
四人DFに挟まれた凛からのバックパスが潔に渡る。凛と同じ光景が潔の目に見えた。右足を大きく振り抜いて、DFの壁を大きく飛び越えてのパス。壁を抜けた凛が受け止めて、シュートを放った。ボールは美しい放物線を描いてゴールに吸い込まれるように入った。ゴールのホイッスルが鳴り響く。一点目。
一点取ったまま前半が終了した。ハーフタイムに入るや否や、汗だくの凛がいつの間にか潔の隣に立っていた。
「潔。後半も俺にボールを集中しろ。トロトロすんじゃねえぞ」
ゴールは全て俺が決める。暗に宣言する凛に、潔のエゴが燃える。
「お前にばっかゴールを奪われねえ――――次は俺が決める」
「言ってろ」
ピッチの上では二人は恋人なんて生ぬるい関係ではない。喰うか喰われるか――――ストライカーの土俵である。あまりにも歪。だがそれが、二人の間の健全である。
始まる後半戦。相手はさらに防御を固めてきた。MFからパスを受けた凛が走り抜くが、ファール覚悟のカットが入り阻止される。ボールがまた敵陣に奪われた。凛が入るが二枚マークがついて抜けられない。敵FWがDFを抜いてシュートを決めた。一対一の同点。戦況が水平線上のまま時間だけが過ぎていく。アディショナルタイムへ入った。凛のマークが外れない。一点を決めようとがむしゃらになる敵FWが切り込むのを潔の目には見えていた。ならば。
敵FWのパスをまたカット――――またもや奪われたことに憤慨の表情を浮かべている――――彼らの敗因はチームワークを重視した組織的なサッカーに徹底していたことにあった――――潔が凛に出会う前と同じサッカーだったから、明白に読みやすかった。
ボールを持ったまま潔は走る。防御に入る敵DFを躱していく。昨年の松風黒王高校と同じ状況だ。一人、二人、三人、四人と抜いていく。潔と呼ぶ声がする。凛が見えた。凛にボールをパスし、最後の一枚を抜いた。ボールは凛が持っている。潔はフリー。潔へのパスコースを見定めての強烈シュート。ボールが潔の元に落ちた。ゴールキーパーと一対一。いける。
潔!へい!左方向から聞こえたのは多田の声。多田がパスと叫んでいる。潔は多田の方へ視線を寄越した。これも昨年と同じ状況。一点だけ違うのは、多田とは反対側に走る凛の存在だ。
何をすべきかではなく。何を成し遂げたいか。何になりたいか。
それは、ただ一つの、幼稚で馬鹿みたいな夢の路。
一対一の状況で、潔は直撃蹴球の態勢に入り、右足を全力で振り抜いた――――ボールはゴールキーパーを飛び越えて、ゴールへと入る。
ゴールのホイッスルが鳴り響く。それから試合終了のホイッスル。二対一。インターハイ出場。
「凛」
最後にシュートを決めた潔は一直線に凛に駆け込んだ。勝利の一点を決めた潔を讃えようとするチームメイトの波を突っ切って、サイドで輪から離れるように立っていた凛の元へと。平常であるならうるせえやらうぜえやら近づくんじゃねえとそっけない凛が、潔を相手でも絶対にハグもホールドも決めない凛が、飛びつく潔を抱きとめた。
「………潔?」
凛の上半身にしがみつく潔の反応が薄いことに気付いて、腰を抱いていた手を下ろした。完全に潔が全身で凛にしがみついている状態だ。さながら長く愛されてきたお菓子のパッケージの題目になっている母子の動物に見えなくもない。その光景に駆けつけたチームメイトは空気を読んで二人の中に入らず見守った。
潔の背中が小さく微動した。それから凛の耳に微かについたのは、細い嗚咽だった。
「お、おい…」
珍しく凛が動揺した。なんだなんだと周りの空気がざわつく。
凛の肩に顔を埋めていた潔が顔を上げた。
「やっぱり凛とサッカーできなくなるの、やだ~~~~~~~~~~~~~ずっとサッカーしたい~~~~~~~~」
泣いていた。滂沱の涙だけじゃなく、鼻水も垂れ流していた。顔を真っ赤にして泣きわめいている。『泣き虫世っちゃん』再来。さっきまでの迫力はどこいった。
「凛と一緒にいたいよ~~~~~」
チームメイトはさらに困惑し、至近距離で大声叫ばれて鼓膜をやられた凛はげんなりした。監督も駆け寄ってくるが、凛が眼光で追い払った。俺、監督なんだけど…糸師やっぱりこわい…。最後の最後まで凛に泣かされる監督(五十三歳男性)であった。
潔を安否するチームメイトもしっしっと手で振り払って、そのままベンチに戻っていくのがしっかりと目撃された。チームメイトらは強く確信した。
――――凛と潔(あいつら)やっぱりできてるな。