眉月討伐任務のため招集を受けたリーバルは、蒼い翼をはためかせ、迷いの森入口に構えたベースキャンプへと向かっていた。
本来割り当てられたリーバルの任務は、タバンタ大橋を占領する魔物の群れの討伐だった。それがまだ正午にならない内にあっさりと片付いたため、加勢の声がかかったのである。
視界の端に見えてきた森は、近付くにつれ現れた霞がその姿を覆い隠し全貌を分からなくさせる。
降下しようと姿勢を変えると、風を受けた右脚がじくりと痛み、リーバルは息を呑んだ。
午前の任務で大量の魔物と混戦状態になるうち、気付かぬまま電気の矢にやられたのだ。
止血はしたが、打ち所が悪かったのか痺れが取れない。
リト族一の弓使いであると自負するリーバルにとって、傷付けられたのは右脚よりもプライドだ。
任務が早く終わったのは、負傷した後のリーバルの活躍がいつも以上だったからでもある。
霞の手前、見慣れたハイラル軍の旗を確認すると、その脇に赤い装束を纏った巨大な人物が佇んでいるのが見えた。
その人物に鋭い視線を定めたまま着地の体勢に入り、つい癖で右脚を降ろしかけて、寸前で引っ込める。リーバルは左の脚を使って男の横に降り立った。
じろりと横目を使うと、高い位置にある白い面が少し動く。どこを見ているのかもわからないイーガ団の面だが、多分同じ目をしてこちらを伺っているだろう。
「リーバル殿!加勢に応じていただき感謝しております。状況の説明を」
ハイリア兵の隊長に声をかけられ、ようやくリーバルは大男から目を離した。
イーガ団がハイラル王家に頭を下げ、共に厄災ガノンを討つ者達として手を組んだのがひと月前。
その後勢力を上げて共に厄災ガノンを封じ、ハイラルに平和が訪れたと思われたが、巷には未だガノンの下僕である魔物が蔓延っている。
討伐部隊の役目は未だ終わりが見えず、イーガ団との協力体制も続いていた。
総長であるコーガの後ろには、最初はいなかった人物がいつの間にか一人増えていた。
ハイリア人でもシーカー族でもここまで大きい者を、リーバルは一人しか見たことがない。
特徴的な二股に別れた髷に、片時もブレることがない屈強な肉体。
ガノンが復活する以前何度か手合わせをしたこともある、恐らくイーガ団一の実力者であるその男、スッパ。
彼が途中から加入して以来、ハイラル王国に協力するイーガ団の士気は見るからに上がった。
破壊された町の復興や、家を失った者達が集まる野営地の設営、こまごました雑用や警備、勿論討伐任務でも献身的に働く彼らに軍も徐々に警戒を解き、様々な任務にイーガ団を編成するようになった。だが、リーバル自身は彼と組んだことは今までなかった。
今回の依頼はコログ達からだった。なんでも森にライネルが迷い込み、出られないのか中に居座ってしまっている状況らしい。
旅人への聞き込み調査の結果、共鳴するように幾つかの咆哮が聞こえたという話が出た。位置感覚を狂わせる迷いの森という場所の影響かもしれないが、ライネルが複数体存在しているという状況も有り得る。
「敵の詳細も分からないままで、我々だけでは正直不安でした。英傑様がいて下さると安心ですよ」
気の弱そうなハイラル隊長は新人らしい。周りに聞こえないようにリーバルに耳打ちした彼は、スッパの後ろ姿に不安気な視線を向けた。
ハイラル王家とイーガ団には、一万年近くにも及ぶ因縁の歴史がある。それを突然仲間だと言われても、当然信用できない者の方が多いだろう。
討伐に加えて、万が一スッパが怪しい動きをしたら抑え込めということか。
「ま、僕がいれば万事問題ないよ。任せてくれ」
リーバルは隊長の肩にポンと手を置き、スッパの横へゆったりと歩み寄った。
近くに立つと改めて大きい。リーバルの目線は彼の肩よりも随分下にある。それでも怯まずに嘴を開いた。
「今まで敵だった相手と突然手を組めと言われても釈然としないが、コログ達の森は救わなきゃならない」
「自分達は信念に従い行動していた迄。今までのことを詫びる気はないが、これがコーガ様の命。全力で臨ませて貰うでござる、リーバル殿」
名を呼ばれ、正面の森を睨んでいたリーバルはピクリと片方の眉を上げた。いつの間にかしっかりとこちらに面を向けているスッパと目が、合った気がする。
随分と面の皮が厚そうな男だ。やはり念の為背後から様子を見ておこう、とリーバルは嘴を結んだ。
突入の合図が出て、続々と兵士達が森に入った。リーバルはしんがりに位置取り、兵士達とスッパを視界に入れつつ低空を飛んだ。
木々が多く、飛ぶには適さない場所だが、脚を庇う為には仕方がない。
道中ボコブリンやリザルフォスがわらわらと湧く中、スッパは先陣を切り、率先してそのリーダー格を切り伏せていった。
腕を交差させ、両腰に下げた二振りの刀の柄に手を添える。カチャ、と金属の擦れる音がしたと思った瞬間にはもう刀が抜かれていて、辺りにいた敵が時間差で崩れ落ちてゆく。
剣術には明るくないリーバルでも、それが見事な技だということは分かる。切っ先が描いた赤く光る軌跡が瞼の裏に焼き付いて、幾度か瞬きをする間にそれは消えた。
みとれていた、と言ってもいい。素晴らしい武術というものは、使い手がどんな立場であれ一度は賞賛に値する。思うだけは自由だ。
だから、兵士達を挟んだその先にいるスッパが突然後ろ向きに身体を捻り、目が合ったのは予想外だった。
彼の手には鈍く光るクナイが三本。
しまった、油断したか。痛む右脚を構わず軸にして、リーバルは上に飛んだ。
見れば、スッパの放った刃は、近くのハイラル兵が相手取る魔物に当たったらしい。怯むリザルフォスの首を兵士が危なげなく討ち取った。
スッパは、リーバルのことを見たのではなかった。
飛び上がったついで、オオワシの弓に矢を三本つがえて放つ。狙い通り正確に打ち込んだ爆弾矢は辺りの魔物達を一掃した。
舞い上がる爆風の中、スッパの面が少し上に傾いた。
今の技に関心しただろうか。もしくは、要らぬ疑いに呆れて嘲笑を?
敵だった頃は、その面を見かけたら叩く、ただそれだけで良かった。
今まで知ろうともしなかった面の下は何も語らない。
その後も、一行は霧深い森で捜索を続けた。
いつものことだが、回転し続けるコンパスは役に立たない。時間の感覚も徐々に曖昧になり、同じような景色も見飽きた頃、リーバルは木の根っこに何かが隠れるのを見た。
音を立てないようその傍にそっと着地する。
顔を出したのは、葉っぱの面をした小さな森の妖精、コログだった。
「ようやく魔物以外の生き物に会えて嬉しいよ」
「ヒィ!」
上から覗き込んだリーバルの大きな影に、コログは小さな悲鳴を上げて根の隙間に潜り込んだ。だが少し待つとまた顔を出し、何か言いたげにリーバルを見上げる。
「迷いの森を魔物から守りに来たよ。ライネルの居場所、知らないか?」
「ほう。これがコログ」
「っ」
誰もいないはずの後ろから、ぬっと顔を出したのはスッパだった。
身じろげば頭の三つ編みが彼の胸に触れそうなほど、近い。イーガ団の秘術でも使ったのか。音もなく背後を取るとは、味方にしては大層趣味が悪い。
「…僕の後ろに立たないでくれるかな」
「これは失礼した。だが、先に前に居たのはリーバル殿でござる」
振り向くと、さっきまで前にいたはずのハイラル兵達がスッパの後ろにそっくりそのまま付いている。
「同じ場所を回ってたのか…どおりで」
リーバルは、さらに巨大な男の出現に縮こまっているコログに視線を落とした。
「ヒィ!魔物……こわい……」
「へぇ。君のことじゃない?以前この森で占い師と一緒に暴れただろ」
リンクが退魔の剣を抜いた時のことだ。その時イーガ団はそれを阻止しようと妨害してきた。
フン、と嘴を上げてスッパを小突くと、彼はその場に膝を付きコログに目線を合わせた。
「この前は森を荒らしてすまなかった。今日は其方達の森を守るために尽力するでござる」
リーバルはなんとはなしにスッパの頭頂を見た。
自分も戦いながら味方のサポートもして、言動だけ見れば誠実そのもの。随分と器用な男だ。面の下に本音を隠すのも上手いだろう。
まぁ、今はとりあえずコログの不安を拭わないことにはどうしようもない。
「そういうことだ。こいつは味方になったから安心していい。案内を頼めるかな?」
「ウン……こっち!」
気を取り直したコログが、林道に出て小さな足でよちよちと歩き出す。その後ろに兵士達が連なった。
「口添え、感謝する」
「君のためじゃないさ」
常人の二倍はあろうかという歩幅のスッパの歩みは、コログの移動速度に合わせて随分と遅くなる。リーバルも飛び上がり進もうとすると、その目前に肩まで上げたスッパの腕が差し出された。
「ここへ」
「はぁ?」
「脚を痛めているのであろう。この速度で飛び続けるのは消耗しそうでござるな」
「……構うな。リト族にとってこれくらい問題ない」
「む……それは失礼仕った」
面食らったリーバルは、手近な木の上に飛び上がり留まった。のろのろと進む一行を上から眺め、最前列までさっさと追い上げていく目敏い男を見送る。自分に親切にして一体何のメリットがあるのだろう。
その時だった。
聞き慣れた咆哮が響き、前線がにわかに騒がしくなった。
怨念のオーラが上空に吹き上がり、向こうの木々が赤黒い霧に包まれる。
「危険個体を発見!目標は怨念のライネル三体!」
オオオオォ、と兵士達が鬨の声を上げ、砂埃を巻き上げて突撃した。リーバルも前線を目指し木々の合間を飛び抜ける。
木々が開け、広場のようになった場所に敵は現れた。馬のような下半身に獅子の頭。筋骨隆々な二本の腕で人のように獲物を振り回してくる厄介な魔物、ライネルだ。
スッパが大剣を持った個体に飛びかかり、数人の兵士が援護をする。もう二体は棍棒を持っていて、振り回されるそれをぐるりと取り囲んだ兵士達の盾が弾いた。
リーバルはライネルが剣を振り上げた瞬間を狙い、頭に矢を打ち込んだ。
そうすると敵は膝をついて怯み、すぐに攻撃に移れなくなる。そこをすかさず兵士達が叩く。
だが、削りきらないうちに別の個体が死角から突っ込んでくる。その度に戦力が分散し、中々体勢が整わない。
「隊長、弓兵を借りるよ!」
リーバルはハイラル隊長に声をかけると、兵士を三方向に分け固めて指示を出した。
矢を使って常に二体がダウンしている状況を作り、残り一体に総力を割く。
初めは上手くいった。だが通常個体よりもはるかに体力のある怨念のライネルは、徐々にこちらの攻撃パターンを学習し、弓兵部隊のいる方へ突っ込んでくるようになった。
「今だ、構え……うわあぁぁ!」
兵達が散り散りになる。
上空で援護をするリーバルは、人の多い方へ敵が行ってしまうと巻き込みを恐れ爆弾矢を打てなかった。
そのうち、一体のライネルが放った電気の矢がリーバルの羽根を掠めた。
「チッ……今日はツいてない」
あえなく地上に落とされ、膝を付く。痺れて動けないところにすかさず敵が突進してくる。
その時、視界の端に黒く光るものが投げ入れられた。反応したライネルが一瞬気を取られ、足を止める。その前脚に突き刺さっていたのはスッパのクナイだ。
生まれた一瞬の隙にリーバルは風を集め、突風を起こしてその場から飛び上がった。
負傷した軸足のせいで蹴込みが甘く、いつもより飛び上がる速度も高さも出ていない。
ギリギリだった。
「まだ信用した訳じゃないさ!お節介よりも自分の獲物に集中したらどうだい?」
「自分はコーガ様の面に泥を塗らぬよう最善を尽くすのみ」
赤い被服に覆われた後頭部へ投げつけた棘は、彼にとって毛程も意味をなさないらしい。スッパは再び刀を抜くと、もうリーバルの方は振り返らなかった。
そのうち、やまない攻撃に怒り狂った一体のライネルが炎を吐き始めた。釣られたように、もう二体もめちゃくちゃな方向に炎を吐き出し始める。
「退避、退避ー!」
兵士達はたまらず距離を取り、遠巻きに様子を伺った。
早く叩かないと、森に燃え移ってしまう。
魔物が暴れ踏みつけた草木は、時間が経てばそのうち勝手に回復する。だが火事になってしまえば、森が再生するのに莫大な時間がかかるのだ。
知らず開いていた嘴の中がカラカラだ。もしそうなった場合、火事に対して自分ができることは何もない。人的被害が出ていないのならば、魔物退治よりも火事対策が優先か?自分のすべきことは?援護を……
「リーバル殿」
不意に響いた低い声が、リーバルの意識を浮上させた。パチパチと木の葉の弾ける不穏な音を、落ち着いた声色が覆い隠す。
「今なら中央に兵士がいない。先程見せた三方同時に矢を射る技、できるでござるか」
「できる。高さがあれば」
リーバルはスッパの方を見なかった。どうせ表情は読めないのだ。ならば、同じ気持ちである方に賭けるだけ。
「承知した。では失礼する」
「……え」
フワリと一瞬の浮遊感があって視界が高くなる。気付けばリーバルはスッパの右腕にぶらりと抱えられていた。
「参る!」
ぐっと重心を下げたスッパは、左手で力強く刀を振りさばいた。風圧が炎を切り開き、道が生まれる。チャッと納刀したスッパはリーバルの頭を守るように自分の胸に押し付け、瞬く間に地を蹴って、二人は広場の中央に着地した。
「危ないなおい、大丈夫か」
「イーガ団のスーツは難燃性なのだ」
「……あぁ、そう……」
「リーバル殿」
呆れ顔でげんなりしたリーバルに、膝を付いたスッパが地面と平行にした腕を差し出した。ライネル達がこちらに注目している。
何をするべきなのかはもう分かっていた。
リーバルの鉤爪が、でこぼこと盛り上がった太い腕をがしりと掴む。
スッパは一度ぐっと肩を下げ、リーバルを乗せた腕を上へ向かって振り抜いた。
リーバルは上空に放り投げられた。翼の先端が霞を引き裂いて尾を引く。
リーバルトルネードに必要な予備動作も無く、最高度に達する速度もかなり速い。
しかし……これは流石に投げ過ぎだ。リーバルはすぐに空中で一回転すると、上空に吹っ飛ばされながらオオワシの弓に爆弾矢を三本つがえ狙いを定めた。
刀の柄に両手を添えたまま、中央で機会を待つスッパを見る。
イーガ団とは、時を止める力も持っているのだろうか。
リーバルには彼の周りに巻き上がる砂埃の粒立ちも見えたような気がしたし、息を詰めたその胸が軋む音を聞いたような気もした。
三方からライネルが駆け込み、中央のスッパに迫る。もう少し……もう少しで彼の、尽の二刀の間合いに入る。今だ!
ドドドッ 矢が肉を抉る篭った音が三つ鳴って、次の瞬間三体のライネルの額で同時に爆弾矢が弾けた。
膝を付いた三体分の首は、スッパが刀を鞘に納めたと同時にゴロリとその場に落ちて、赤黒い煙と共に消滅した。
***
「リーバル殿。素晴らしい戦績でした」
「どうも。でも彼のおかげだよ」
火は直ぐに消し止められ、森は無事だった。
表情を柔らかくしたハイラル隊長から顔を背け、リーバルは少し離れたところにいるスッパを見た。
「おおきーい!つよーい!」
「魔物をやっつけてくれてありがとう!」
コログ達がさざめき笑いながら、その周りに群がっている。
仁王立ちしたスッパは根が張ったように動かず、足の間を走り回ったり、刀の柄や頭の上に乗って遊ぶ彼等を好きにさせていた。
「……ふ」
可愛い。思わずリーバルは鋭い瞳を細め、笑みを零した。
可愛い?あの屈強な男が?いや、コログのことだろう。コログを見て可愛いと思ったことは別にないんだが。
予想だにしない自分の感想に言い訳を考えていると、スッパの白い面が少しこちらに傾いた。
リーバルは何となくきまりが悪い気がして、ゴホンと咳払いをし、目を逸らした。
***
帰り道。
リーバルはスッパの肩に半分腰掛け、乗り切らない片脚はぶらぶらと遊ばせたまま、スッパの面の両脇に生える耳のような形をした長いツノに腕を絡ませて体勢を保っていた。
「あのさ、君、そんなに世話焼きだと君らの主はなんにも出来なくなっちゃうんじゃない?」
スッパがリーバルの脚を気にして、嫌なら無理やり抱えていくと煩いからこういうことになったのだ。
「いや。あの御方は本当は何でもご自分でお出来になるが、助けになりたいという自分の気持ちを汲んで頼って下さるのだ」
随分と団の長に心酔している様子。今日だけで随分と耳触りの良くなってしまった低い声に、心なしか喜色が混じっている。
「イーガ団は皆そうなの?」
「そうとは」
「盲目」
スッパの視界を覆うように、その面前でひらひらと振ってみせた自慢の羽根。
邪魔そうに振り払われたと思ったら、追いかけてきた指に羽根先を捕えられた。
「イーガ団に興味があるのでござるか」
「ない。でも君にはある」
スッパの正確な歩みが少し遅くなった。摘まれた羽根を彼の指が滑る。
「そうか。奇遇でござるな」
変な模様の面と顔を見合わせる。
こちらだけ表情を知ることが出来ないのはフェアではない気がして、面のツノを持ってガタガタと揺らすと、やめろ、と肩から振り落とされた。