ルート800【1】 シリウスの野郎をオレの拳でぶっ飛ばして【イクリプス】との戦いは終わりを迎えた。かと言ってニューミリオンが完全に平和な都市になった訳ではない。まだ厄介な【サブスタンス】たちは今日もどこかに現れていることだろう。それでも、1番大きな脅威が消え失せたことで市民の奴らが安寧を得たのは間違いないはずだ。
トリニティの身柄は【HELIOS】ではなく政府に引き取られた。オレは納得いかないけど、ブラッドの奴が言うに仕方のないことらしい。これから捜査や裁判が始まる予定だと、他の『ヒーロー』たちに淡々と説明していた。
【イクリプス】が壊滅したとほぼ同時期に、長かったオレたちの研修もとうとう終わりを迎えた。数年がかりだったって言うのに、なんだかあっという間だった気がする。共同生活も終わると言うことで、オレとウィルはレッドサウスにあるマンションでルームシェアをすることに決めた。ここまで来てまた一緒なのかよと思わなくもなかったが、オレたちは引き続きここレッドサウスに配属が決まったし、慣れた相手の方が色々と楽なのも事実だ。引越しも問題なく終わり、また新しい生活が始まろうとしていた。
――とは言え、流石にあれだけ大きな戦いを経た後にいきなり仕事、とはならないらしい。オレとウィルは引越しを機に長期休暇が与えられた。正直オレは今直ぐにでも働きたかったけれど、ブラッドとオスカーが『これが最後のメンターからの指示だ』と言って聞かなかった。そんなことを言われたらウィルは涙ぐみながら頷くものだから、結局オレも首を縦に振らざるを得なかった。
こうして突然与えられた休暇だったが、最初の数日は荷解きだけで終わった。新しく買い揃えた家具も多々あるが、改めて見るとそれぞれの部屋の内装は大して変わっていない気もする。オレの部屋は相変わらずウィルに散らかってると言われるし、ウィルの部屋はマンションの一室とは思えないくらい緑が多かった。
「アキラ〜、そろそろ昼ご飯にしないか?」
個室でゲームをしていると、ウィルが声をかけてくる。共同生活をしていた頃と違い部屋は別々になったが、なんとなく開放的じゃない個室になれずドアを開けっ放しにしているのだ。壁に掛かった時計を見ると確かにいい時間だった。
「おう、今行くー!」
ウィルに大声でそう返して、オレはゲーム機の電源を切った。リビングに行くと、美味しそうなグラタンが湯気を立てている。
「……これ、お前が作ったのか?」
「違うよ。朝ちょっと実家に行ってきたら持って帰れって持たされたんだよ」
「そうか」
ウィルのおばさんが作ったものなら一安心だ。安堵の息を吐いたのがバレたらしく、ウィルは明らか様に顔を顰めて俺だって最近は普通に料理できるようになったのに、とぼやく。本人がそう言っても、油断すれば直ぐあらゆる料理を砂糖味にするのがこの男だ。用心することに越したことはない。
改めて見たグラタンにはマカロニと海老、そして彩りのためのほうれん草が入っている。また後でお礼の連絡をしないと。そう考えながらウィルと一緒に手を合わす。ニューミリオンでは祈りを捧げるのが一般的だが、オレたちの間では日本式のこれがいつの間にか当たり前になっていた。
「美味っ……! おばさん相変わらず料理美味いな!」
「はは、アキラが毎回そうやって褒めるから母さんも張り切って作ってたんだと思うよ」
だって本当に美味しいのだから美味しいと言うしかないだろう。スプーンを動かし続けていたらあっという間に赤色の器は空になってしまった。もう1度手を合わせてからウィルを見やると、グラタンは半分も減っていなかった。
「どうしたんだウィル? なんか食べるの遅くねーか?」
「俺が遅いんじゃなくてアキラが早過ぎるんだよ……早食いは体に悪いっていつも言ってるだろ」
「ちゃんと噛んでるから大丈夫だって。ってか、お前にだけは言われたくねー」
まあ、ウィルの場合早食いと言うよりは甘いもの限定の大食いになるのだろうが。皿を持ってキッチンに行き、空になったそれに水を入れる。こうしておかないと洗い物が面倒になるとウィルがうるさいのだ。
「……ねぇ、アキラ」
「何だ?」
「……ううん、何にもない」
いや、明らかに何にもなくはねーだろ。胡乱げな目を向けても、少し減ったグラタンを見つめたままのウィルと視線が交わることはなかった。数十秒、日の差し込むリビングが静寂に包まれる。どうやら意地でも話すつもりはないらしい。こうなると頑として口を割らないのは長い付き合いから知っていた。わざとらしく大きく息を吐くと、部屋の張り詰めた空気が少しほぐれたような気がした。
「……無理に聞いたりはしねーけどよ。困ってるんだったらちゃんと言えよ?」
「……うん、わかった。ありがとう、アキラ」
そう言ってウィルはようやく口角は上げた。本当にわかってるんだろうな、という言葉はオレの胃の中に落ちていく。
「アキラはこれからどうするんだ?」
「どうするかな〜……トレーニングは朝にやっちまったし」
暇な時間を全部自主トレに費やしたせいでそろそろトレーニングにすら飽きようとしているのだ。考えている内に不意に眠気が込み上げ、欠伸を1つする。ウィルはよくレンに向けてる表情を浮かべた。
「はは、眠たいなら昼寝でもしたらどう?」
「え〜……なんか勿体なくないか?」
「休息をとるのも『ヒーロー』の仕事だろ。休暇が始まってからもアキラは動きっぱなしだったし、知らない内に疲れが溜まってたんじゃないか?」
人にそう言われればそんな気がしてくるから不思議だ。昼寝をするなんて何時ぶりだろう。そんなことを考えているとリビングの温かさも相俟ってどんどん眠気が込み上げてきた。
「そうだな……ちょっと寝るわ。お前は昼からどうするんだ?」
「昼からはずっと家にいるよ。実家に帰った時に新しい苗を貰ったから」
どうやらソファの脇に置かれた袋は新たな緑だったらしい。これ以上増やしてどうするんだよ、という言葉は再び出た欠伸と共に掻き消える。
「じゃあ、おやすみ」
「うん。おやすみ、アキラ」
微笑むウィルを部屋に入る前にもう1度見やる。グラタンはやっぱり量を減らしていなかった。
――ここは夢だ。そうわかったのは、こんな街中なのに人気が全くないからだ。
しかし、道路はひび割れ、マンションなどの建物が一部崩れている。『あの日』の街だとわかったのは、やはりここがオレの夢の中だからだろうか。
こう見ると随分復興が進んだな。ボロボロになった街を眺めながら歩いていく。まだ爪痕が残っているところもあるが、【サブスタンス】のお陰で【イクリプス】が暴れた痕跡はほぼ無くなっていた。市民の中にはトラウマになった奴もいるだろうし、復帰したら早く修復を終わらせたいところだ。
不意に見慣れた人影が見えてオレは足を止めた。ひび割れた道路の中心――そこにヒーロースーツを身に纏ったウィルがいた。改めて自分の姿を見ると、オレもヒーロースーツを着ていることに気付く。
「ウィル」
よくわからない煙が割れた道路の隙間からもうもうと立ち込める中、オレはいつも通りアイツの名を呼んだ。けれど、ウィルはいつもと違って返事をしてくれない。
「ウィル!」
もう1度、今度は先程より大きい声で名前を呼ぶ。だが声が返ってくることはなかった。何なんだよ、この夢は。こうなったら目の前まで行ってやる。
オレはウィルの元へと駆け寄った。相変わらずオレより少し高い身長が腹立たしい。日系だから仕方ないよ、なんて言われても納得できないのが男という生き物だ。
手を伸ばし、オレより少し上にある肩を掴む。ようやくこちらを振り返ったと思ったら、ウィルは泣きそうな顔をしていた。
「アキラ……」
「どうしたんだよ、こんなところで」
「ごめん、ごめんね」
ウィルはとうとう泣き出しながらオレを抱き締めた。どういう状況かさっぱりわからないオレは困惑することしかできない。
「な、なんだよ……? お前は何もしてないから大丈夫だって、多分」
「アキラ……よく聞いて」
――俺はね――――。
ウィルの言葉は、最後まで聞き取れなかった。
「……部屋だ」
目を開け、天井を見た時の感想はそれだった。夢から現実に戻ってきたらしい。奇妙な夢は脳裏に焼き付いて離れないでいた。
何でオレたちはあんなところにいたのだろう。何でウィルは泣いていたのだろう。最後にアイツは――。
「……考えても仕方ねーか」
所詮、夢は夢。現実とは関係ない。
妙に目が覚めてしまった。眠気ももう襲ってこない。……たまにはアイツの植物の世話でも手伝ってやるか。絶対驚かれるだろうなと考えながらオレは立ち上がった。