誕生日の朝、教室にて。 10月1日。既に花咲川女子学園2年A組の教室に着いていた市ヶ谷有咲は、一緒に登校してきた戸山香澄と共に談笑をしていた。まだ始業までは余裕があり、廊下の方からも楽しそうな話し声が聞こえて来る。
「じゃあ美咲! 今日の夜、あたしの家に集合よ! 美咲はあたしが迎えに行くから、家で待っていて頂戴ね!」
「はぐみたち、すっごいサプライズ用意してるから!!」
「いや、サプライズって先に言っちゃダメなんじゃない……?」
廊下から、聞き覚えのある声が三つ聞こえた。二つは朝から元気の有り余る声、一つはまだ少し眠たげなようにも感じる声。
有咲が教室の入り口へ視線をやれば、クラスメイトの奥沢美咲の姿があった。彼女はバンド活動を同じくしている弦巻こころと北沢はぐみに手を振ると、教室の中へと入ってきた。有咲が声を掛けるより先に、香澄が美咲の元へと駆け寄る。
「美咲ちゃん、おはよう!」
「おはよ、戸山さん」
「あっ、こころんとはぐもおはよう! ちょっと二人に聞きたいことが——、」
挨拶だけ済ませると、香澄は廊下に居るこころとはぐみの方へそのまま駆けて行ってしまった。
騒がしくなる廊下と対称的に、A組の教室は少しだけ静かになる。そんな中、有咲の席の後ろ、先程まで香澄が座っていた席の机に、スクールバッグが置かれた。
「おはよ、市ヶ谷さん。また戸山さんと一緒の登校だったの? 仲良いね」
「おはよ。いや、奥沢さんだって朝からハロハピ御一行で相当賑やかだったぞ」
朝からいつも通りの軽口を叩き合う。持ってきた筆記用具や教科書を机に出す美咲を眺めながら、有咲はその机に頬杖を付いた。
「迎えがどうこう……って聞こえたけど、またハロハピは夜になんかやるのか?」
「なんかっていうか……、こころんちでパーティーやるから、その誘い」
「ふうん。パーティーってなんの? なんか特別なことでもあった?」
美咲の手が止まった。迷ったように目を泳がせ、頰が少しだけ赤く染まり、やがて恨めしそうな視線を有咲に向けた。当の有咲は、にやりと意地悪そうな笑みを向けている。
「……市ヶ谷さん、分かってて言ってるでしょ」
「あはは、悪い悪い。誕生日おめでと、奥沢さん」
楽しそうに笑う有咲と対称的に、美咲はじとっとした視線を向けたまま小さくありがと、と零した。
美咲の性格上、今日が自分の誕生日だと大々的にアピールするのは難しいらしい。それは有咲自身も似たような性格であるから、よく分かっていた。
「しかし誕生日に弦巻さんちでパーティーか。規模凄そう」
「うちは誰かの誕生日になると、毎回こころんちでパーティーだからね……。なんかサプライズ考えてくれてるみたいだけど、正直あたしが居ない中のハロハピでどんなサプライズが計画されてるのか、ちょっと怖いかも」
「それは言えてる。止めてくれるの、花音先輩くらいだろ?」
「いやー……最近は花音さんもアクセル踏むようになっちゃったから……」
互いに苦笑い。廊下からは相変わらず騒がしい三人の声が聞こえるが、登校する生徒も増えてきたのでそれらの声に紛れ、何を話してるかまでは流石に聞こえない。
「じゃあ私からは、誕生日だし宿題でも教えようか?」
「えー……宿題かぁ」
やや不服そうな顔。美咲の成績は特に悪い方でもないし、宿題が解けなくて困ってるところも見たことはないので、この申し出にリアクションが薄いのも尤もだ。
まあせっかくの誕生日当日に、あまり意地悪をするのもいけないので。
「うそうそ、冗談だって。ほら」
楽しそうに笑う有咲が、徐ろにコンビニのビニール袋を机に置く。
少し驚いたような顔をした美咲が、袋の中を覗き込んだ。中には、チョコレートやクッキー、ポテトチップス、キャンディなどの菓子類が詰め込まれている。
「私たちにはこれくらい気取らないプレゼントが丁度いいだろ」
「市ヶ谷さん、ちゃんと用意してくれてたんじゃん」
「……うるせーな。そこはいいだろ。色々世話になってる訳だしさ、奥沢さんには」
「そうだっけ? 別に大したことしてないと思うけど。うん、でもありがと。こんなにたくさん、一人じゃ食べきれないかも」
「私も正直、買い過ぎたとは思う……。家族とか、ハロハピのみんなとかと分けて食べてくれ」
少し照れたような有咲を見て、美咲はがさがさとビニール袋の中を漁る。チョコレート菓子の箱を取り出すと、そのパッケージを開けて、個包装のチョコレートを一つ差し出した。有咲が首を傾げる。
「じゃあ、はい」
「ん?」
「市ヶ谷さんにも分けてあげようかなって」
「……私があげたやつだけどな?」
「もう貰ったからあたしのものだし」
それでも素直にチョコレートを受け取った有咲が、包装を開けると口へと放り込んだ。美咲もそれに倣ってチョコレートを一つ食べる。
どこのコンビニでも買える、なんの変哲もないチョコレート菓子だ。誕生日プレゼントして貰ったから、いつもよりも美味しく感じる……ようなこともない。普通のチョコレート。
「うん、おいしいね」
「おお」
それでも、そんな風に言って二人で小さく笑ったのは。きっと誕生日を祝って、祝われて、朝からチョコレートを食べるこの時間が、なんだかくすぐったく感じたからだった。