浅い眠りだったのか、夜中に目が覚めて煙草を吸おうと思ったら、いつもの煙草を昨夜のうちに切らしてしまったことを思い出し、仕方なくコンビニに買い物に行こうとした時、いつものサンダルが見当たらない。靴箱の中も、その周りもぐるっと見渡したけれども見つからない。だとすれば、きっと彼処だな、とあたりをつけたものの、時間は午前二時過ぎ、丑三つ時。さすがに起きてないだろうと、いつもの靴を履いて外に出て見上げたその先の部屋には明かりが点いていた。
ふぅ、と一つため息をついて、文字通りとぼとぼとそのままコンビニに向かう。寮からのコンビニまでは五分弱の距離だが、街灯が少なくほの暗い。
なんでこんなことになったのか。あれからずっと考えているが、見当もつかない。急に癇癪を起こしたとしか思えなかった。いつもなら子どもみたいな悪口を言いあって、じゃれあいみたいな喧嘩をしても、すぐにごめんねと言えば元通りになるはずだったのに、何がきっかけだったのか、いくら考えても分からなかった。
近くにいた硝子にも尋ねてみたが、
「今のは夏油が悪いよ。お前のほうが上手にかわせそうなのに意外。」
と言われただけで、何の解決にもならなかった。
三人で出掛け、買い物をし、店から出てくるまでは、いつも通りだった。買い物のあとは、お茶でもして帰ろうかと話していたのに、急に二人を残して、悟は帰ってしまった。
「傑のばーか。大っ嫌いだ。」
その言い方はいつもの子どものような口調ではなく、呟くような小さな声だったにも関わらず、まっすぐに心を突き刺して、なんだか胸を痛くさせた。急いで帰ってきたものの、謝るにしても理由も分からないまま謝って何になるというのか、と思えば閉ざされた部屋の扉をノックすることも出来なかった。
悶々としながらたどり着いたコンビニで買い物を済ませ、帰ろうとした時、自動ドアの前で誰かとぶつかりそうになった。
「すみません。」
と言った目線の先には、自分のサンダルによく似たサンダルを見つけ、ふと顔をあげると、昼間別れたきりの蒼色の瞳と目があった。
「悟。」
名前を呼んだものの、それきりまた何も言えなくなって、黙りこんでしまう。
「夜中に抜け出して、何してんだよ。ま、いいや。ちょっと待ってて。俺も買い物してくるから、一緒に帰ろうぜ。」
一息に言うと、悟はコンビニに入っていってしまった。手持ち無沙汰になり、買ったばかりの煙草の封を切って、煙を燻らす。吸いきらないうちに、悟がコンビニから出て来た。
「帰るぞ。」
月のない夜の闇が二人を包む。二人の間のコンビニの袋だけが、がさがさと音をたてる。もうすぐ寮が見えてくる頃、
「何で俺が怒ったのか聞かないの?」
ぽつりと小さな声で言った悟は、なんだか心細げに見えた。
「あれからずっと考えてるけど、分からないんだ。謝りたいけど、違う理由で謝ったって、許してもらえないだろうと思って、硝子に聞いたんだけど教えてくれなかった。」
目を合わせられないまま、小さな声で言い訳をすると、チッと舌打ちされ、頭をがしがしとかきむしる音がする。
「だからなんで、硝子に聞くんだよ。」
「あの時、私は電話中だったから、店で何かあったことに気が付かなかったのかと思って。」
そうだ、電話をしていた。二人が会計を済ませている時に電話がかかってきたので、先に外に出たんだった。相手は、中学時代の同級生で、他愛ない近況報告をしあって、同窓会のようなものをする予定があるけれど連休中は帰ってくるのかと聞かれて、帰らないと答えて、それだけ、だった。
「あの時、なんて言ったか覚えてる?傑。」
「あの時?」
「電話してる時。相手が誰か聞いても教えてくれなかった。それに、『お前には関係ない』って。
俺は、お前の『親友』じゃなかったのかよ。」
そう言うと、私の前にただまっすぐに立ってこっちを見ている悟に、なんだ、そんな事で怒ってたのか、と冷静に思う反面、何か答えないと、と気持ちだけが焦った。
「そんなこと、言って…いや、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。あの電話は、中学の時の同級生で、同級生っても、そんなに仲良かったわけじゃないし、あの時も本当に大した話はしてないし…そう、それに、相手はただの友達の一人で、」
言葉を重ねるほど陳腐に思えてきて、尻すぼみになっていく私を、悟はちょっと楽しそう見ている。
「とにかく、『親友』は悟、一人だけだよ。」
これだけは言わないと、と整理のつかない頭から絞り出した言葉は、やっぱりひどく陳腐で、何か違うと頭のどこかで思うのに、それを聞いて嬉しそうに笑った悟を見ると、もうどうでもよくなってきた。
「ならいい。でも二度と、関係ない、とか言うなよ。あれ、なんかちょー傷つく。」
一歩分、こっちに間合いをつめて、上目遣いで悟が言う。なんだか、甘い匂いが鼻先をかすめる。
「ん、分かった。もう言わないよ。ごめんね、悟。お詫びにこれあげるから、許して?」
コンビニの袋から、悟が最近ハマっているチョコを取り出して渡す。
「これで俺の機嫌がなおるとでも?」
「なら、一つ言わせてもらうけど、今履いてるサンダル、たぶん私のだよね?」
「傑のものは俺のもの、だろ。細かいこと気にすんなよ。モテねぇぞ。」
とニヤリとされる。いつもの悟にようやく安心し、そのまま部屋に戻ると、悟も部屋までついてきた。
「なんでついてくるの?悟の部屋、ここじゃないよ?」
「知ってるよ、サンダル返しに来ただけ。でももう眠い。限界。ここで寝る。」
と言って勝手にベッドに上がり込む。何を言ってももう無駄なことは短いながらもこれまでの経験で分かっているので、はいはいと言いながら、薄い布団を被せてやり、煙草を吸いにベランダに出ようとしたが、Tシャツを引っ張られ引き留められる。
「どこ行くんだよ。」
「煙草。一本だけ。」
「もう寝るの。電気消して。」
「わかった。わかったから、手、離して。Tシャツ伸びる。」
そう言っても離さないので、仕方なくほらちょっと詰めて、と言いながら狭いベッドに滑り込む。
「親友」の距離感って、こんなもんだっけ。なんだか、まだ頭の中が上手く整理できない。
ふとそんなことが頭を過ったけれど、すぐ隣の定期的な呼吸音にいつの間にかぐっすりと眠ってしまった。
二人して盛大に寝過ごし、夜蛾先生に拳骨を落とされ、硝子に大ため息をつかれたのは、きっとしょうがないこと。
また少し二人の距離が近づいていた。