ドーナツホール 熱を分け合って、眠るにはまだ余韻が残っている夜だった。隣に身を横たえているマトリフも同じなのか、先ほどからその細い指が戯れるように私の体に触れていた。
その指の感触がくすぐったい。まるで筋肉の境目を探すように動いていて、それが肩のあたりまで上がってきた。
「眠れないのかね」
マトリフはそれには答えずに指を私の首筋まで進めた。骨の存在を確かめるように撫でてから、次は血管に触れる。指はさらに上へと辿り、耳に触れた。行為の前にピアスを外していたから、今は穴が露わになっている。
「これって痛くねえの?」
そこにある穴を指先で確かめる様に触れられる。やはりくすぐったかった。
「痛いというほどではなかったよ」
マトリフは気のないように頷いてから、そのまま私の耳を触り続けた。それがくすぐったいようで、ほんのりとした心地良さもある。
やがて指は動かなくなり、マトリフは寝息を立て始めた。それを少し惜しいと思う。こんな時でないとマトリフから触れてくれることはない。マトリフは愛情表現が苦手らしく、言葉だってそれらしいことを言うのは稀だった。
それから数日後、用事だと言って一人で出かけていたマトリフが帰ってきた。おかえりと言って出迎えてその顔を見た瞬間に、私の目は釘付けになった。
「マトリフ、それは」
マトリフの右耳には金色に光るピアスがあった。形はシンプルなリングで、私が付けているものとよく似ていた。
マトリフはちらりと私を見てから、ふいと視線を逸らす。
「思ったより痛かった」
それだけ言ってマトリフはそそくさと寝室へと逃げていった。私は惚けたように立ち尽くす。
マトリフの耳が脳裏に焼き付いて離れなかった。あの薄い耳たぶを針が突き破り、血の玉が膨れ上がる様を思い浮かべて、微かな興奮を覚えた。マトリフは痛みに顔を顰めただろうか。何を思って私のものと似たデザインを選んだのだろうか。あの耳からピアスを外して、そこに空いて穴の感触を確かめてみたい。
「マトリフ」
寝室のドアノブを握り締める。潰れたドアノブを直すのはあとにしよう。
***
輪廻転生というらしい。魂はそのままに、新しく生まれ変わるのだという。その際に前世での記憶を持っている場合もあるのだとか。その前世の記憶というのをマトリフは持っていた。
生まれ変わった世界は便利な世界だった。魔法はないが風呂はボタン一つで沸く。その風呂から上がったマトリフは、タオルで頭を拭きながらソファに座ったガンガディアの元へと向かった。
「先に風呂入ったぞ」
「では私も入ってこよう」
ガンガディアは読んでいた本に栞を挟んで閉じた。マトリフは素早くソファに座るとガンガディアの膝へと頭を乗せた。
「また乾かさずに出てきたのかね」
ガンガディアは苦笑するとタオルでマトリフの髪を拭いた。その優しい手付きにマトリフは目を細める。
「お前が乾かしてくれるだろ」
「あなたが膝にいたらドライヤーを取りに行けないよ」
マトリフはガンガディアの優しさに遠慮なく甘えることにしていた。そしてそうやって甘えた分を、ガンガディアを甘やかすことで返している。
それも、前世の記憶があったから出来ることだった。マトリフは前世で甘えるのが下手であったし、甘えさせることもまた苦手だった。ガンガディアはマトリフの不器用な愛情に不満だったかもしれない。
だからマトリフは今世ではガンガディアに真っ直ぐに愛情を伝えようと思っていた。ガンガディアが前世でしてくれたように、好きだとか愛してるだとか、そんな言葉だって言うようにしていた。
今世で出会えたことはきっと奇跡だ。だったらその奇跡を、壊さずに大事にしたかった。
「できた。さあ立ち上がって。ドライヤーをかけにいこう」
タオルで覆われていた視界が開ける。マトリフは手を伸ばしてガンガディアの首筋を掴むと引き寄せた。そのまま唇を重ねる。はじめは触れるだけだったが、やがて啄むようにキスを繰り返す。ガンガディアの大きな手がマトリフの頬を包む。その温かさは前世と変わらないように思えた。
「これは痛くないのかね」
ガンガディアはマトリフの耳に触れた。右耳にあるピアスを揺らす。その感触がくすぐったい。
マトリフはガンガディアの耳を見る。そこにピアス穴はなかった。今世でガンガディアはピアスをつけていない。
マトリフは自分のピアスを外した。そこにある穴を見たら、もしかしたらガンガディアが前世を思い出すのではないかと、そんな淡い期待を抱いて。
「痛いってほどじゃねえよ」
するとガンガディアは優しく微笑んだままマトリフのピアス穴に口付けた。きっとガンガディアは前世を思い出さない。