面影 その1 病は人を選ばないというが、外道と称される賊も例外ではなかった。特に温暖な地から移り住んだばかりの征蟻党たちにとっては、信濃の冬の寒さは大変に堪えた。
最初にくしゃみをしたのは誰だったか。その時は誰も気に留めなかったが、雑魚寝や鍛錬で長い時間を共にする征蟻党たちの間で病はあっという間に広がっていった。
征蟻党が寝起きする地頭館の広間は郎党たちで埋め尽くされていた。あちらこちらでくしゃみや咳が響き、発熱にうなされていた。かき集めた火鉢や衣で暖をとるものもいれば、発熱で汗を流す者もいた。
「マジで死ぬかも」
腐乱は嫌な汗をかきながら呟いた。その隣では白骨が唸っている。いくら強かろうが、病には勝てなかった。
そんな死屍累々を掻き分けて、瘴奸は広間の真ん中に大きな鍋を置いた。中には湯気を上げる粥がある。今の征蟻党の中で元気があるのは瘴奸だけであった。
「起きれるやつは食いにこい」
言いながら瘴奸は椀に粥をよそう。普段は平気で郎党を殴り蹴る瘴奸であったが、さすがにこのままでは全滅だと思ったのか、世話が焼けると鍋をかき回して粥を作っていた。
しかし看病といっても薬があるわけではない。体を温めて寝ているしかなかった。
「兄貴……死蝋の兄貴、飯だってよ」
腐乱はそばで寝ていた死蝋に言う。ところがこちらに背を向けて眠る死蝋からの返事がなかった。確か今朝までは酷い咳をしていたはずだが、そういえば少し前から咳も止まって、やけに静かだった。
「あれ、死んだかな」
「生きてたら食いにくるだろ」
白骨は這うようにして粥を貰いに行っている。食わねば死ぬと皆が必死で瘴奸から粥を貰っていた。
「墓ならあとで作るから、成仏してくれよ兄貴」
南無南無と口ずさみながら腐乱も立ち上がる。腐乱が粥を貰って胃に流し込んでいると、あらかた粥を配り終わった瘴奸があたりを見まわした。
「死蝋はどうした」
言いながら瘴奸は転がっている死蝋を見つけた。瘴奸は眉を顰めて立ち上がると、名を呼びながら死蝋のそばに寄った。瘴奸は片膝をついて死蝋の顔を覗き込み、額に手を当てる。瘴奸は死蝋の肩を揺すると、ようやくか細い声が上がった。
「かしらぁ」
聞いたこともないような死蝋の甘ったれた声に腐乱は吹き出しそうになった。死蝋の手は瘴奸の胸元を握りしめ、瘴奸は死蝋を抱き起こして竹筒から水を飲ませている。死蝋の姿はまるで親に甘える子のようだった。
「食え」
瘴奸は粥を持ってこさせると、匙で掬って死蝋に向けた。しかし死蝋は嫌がるように顔を背ける。飯を食わせたい瘴奸と食いたくない死蝋の攻防は暫く続いたが、やがて根気負けした死蝋は大人しく口を開いた。
俺は何を見せられているんだと腐乱は思った。その場にいた郎党たちはみんな思った。瘴奸の甲斐甲斐しさなど見たことがなかった郎党たちの顎は外れ、食ったはずの粥が口から垂れている。
「死蝋の兄貴はガキの頃から頭の世話になってるからよ」
白骨が小さな声で呟いた。それに納得した者が半数。納得せずに揶揄い材料にしようと思った者が半数であった。腐乱は無論後者で、熱に浮かされながらも薄笑いを浮かべて二人を眺めた。
やがて粥を食べさせ終わった瘴奸が立ち上がろうとした。ところがその瘴奸の袖を、死蝋が握ったまま離さない。
「かしらぁ……どこにも行くなよ」
死蝋はほとんど夢の中で呟いたようだった。瘴奸は一瞬黙ってから、鼻で笑った。
「ガキかお前は」
そう言いながらも、瘴奸は死蝋のほつれた髪をかき上げてやっていた。それに対して死蝋は何も言わない。ただ安心したように目を閉じている。
「ガキの頃のまんまだな」
呟いた瘴奸の声は、少しだけやわらかく聞こえた。白骨はその光景にほっこりと顔を綻ばせていたが、腐乱は声は立てずとも腹が捩れるほど笑い転げて縁側から庭に落ちていた。