1351年にも瘴奸がいて良かった〜 政長はゆっくりと細い呼吸をしながら弓に矢をつがえた。物見からの注進により、この兵糧基地に賊が迫っているとが知らされた。
偶々見回りに来ていたこの夜に賊が現れるとは。
政長は恐れを感じていなかった。むしろ奮い立つ気持ちで弓を手に取った。今夜こそ己の弓の腕前を皆に知らしめる良い機会となるだろう。
しかしその政長の腕をそっと押さえる手があった。暗闇の中を音もなく現れた男に、政長は小さな口を歪めた。
「警備はあえて薄くしてあります。おそらく林と川を避けて南側から侵入するかと」
暗闇に慣れた政長の目は、古傷だからけの大男を見た。瘴奸。出会ったのはまだ政長が元服したばかりの頃だったが、その頃から政長はこの男が嫌いであった。
瘴奸の低い声が更に賊の様子を知らせる。しかし政長はそれらを素直に聞き入れなかった。
「老兵が出しゃばるな」
撥ねつけるように言ったが、瘴奸は引かなかった。
「この兵糧基地の警備は我が征蟻党が任されておりますゆえ、口は出させていただきます」
またかと政長は苛立った。父貞宗が亡き後、瘴奸は何かと政長のやることに口を出してきた。大人しく西豊科庄の地頭だけをしていればいいものを、未だに征蟻党などと称した郎党を率いている。
「新三郎はどこだ」
「賊の背後に回って頂きました。挟み撃ちにします」
「勝手なことを。俺が弓で賊を射殺せば済む話だ」
いつまでも半人前扱いされて腹が立つ。しかしここで癇癪を起こせば、自ら半人前だと喧伝することになる。
政長は気持ちを落ち着かせるように息をついて瘴奸を見た。
「南で間違いないだろうな」
「ええ、私も共に行きます」
「年寄りは邪魔だ。ここで待っていろ」
「いいえ。政長殿を頼むと大殿から言われておりますので」
瘴奸が太刀を抜く音がした。そして政長の背を守るように立つ。鬱陶しいと思うと同時に、守られているという安心もあった。
すると兵の一人が知らせにやってきた。北側で火の手が上がったという。
「逆ではないか」
慌てて向かおうとする政長を瘴奸が止めた。
「陽動です。賊は兵糧の全てを焼く気はないでしょう。このまま南へ向かってください」
北側に火の手が見えた。悔しいが戦での瘴奸の読みは優れている。その能力を私怨で採択しないなどあり得ない。政長は迷わずに南に向けて駆け出していた。
「遅れるなよ!」
「御意」
全力で走る政長に、瘴奸は遅れずについてくる。
小笠原軍兵糧基地。それを守る小笠原政長と征蟻党。そして立ち向かう風間玄蕃と中山庄の者たち。
かつて征蟻党に蹂躙された中山庄の孤児たちが、今度は征蟻党が守る兵糧を狙う。お互いの素性が知れるまで、あと四半刻。