君から貰ったひとつの指輪「本当に貰っていいのだろうか」
ガンガディアは感激のあまり打ち震えながら手にした指輪を見た。
「ああ、貰っとけ貰っとけ」
マトリフはやや投げやりに言いながらベッドに寝そべっている。昼前になってようやく起きたマトリフに、ガンガディアは指輪のことについて訊ねた。するとマトリフは寝癖のついた頭を掻きながら「お前にやる」とだけ言った。
「私に? 何故?」
「理由なんていいんだよ。それはただの指輪だ。呪いもなければ効果もない」
マトリフは随分と寝たのに、まだ眠たそうに欠伸をしている。ガンガディアは礼を言って指輪を受け取った。思えばそれはマトリフから貰った初めての物だった。
マトリフはまだ起きる気がないらしく、頬杖をついてガンガディアを見ている。そしてガンガディアの持つ指輪を指差した。
「指輪を嵌める指は左にしろよ」
「わかった」
「この指だぞ」
マトリフは自分の手の薬指を指差してみせた。その指には昨夜ガンガディアが渡した指輪が光っている。
「つまりあなたとお揃いということか」
ガンガディアは言いながら指輪を左手の薬指に通した。その指輪はまるで測ったかのようにガンガディアの指にぴったりだった。
「そんでそれを、アバンや脳筋魔王に見せてこい」
「この指輪を?」
「お前がその指輪をその指に嵌めてるのをだよ」
「その行為にどんな意味があるのかね?」
「あいつらに見せりゃわかるだろ。ああ、もしかしたら脳筋魔王も知らねえかもしれねえな。見せるのはアバンにしとけ」
ガンガディアはマトリフの指示を不思議に思いながらも頷いた。するとマトリフは意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「ああそうだ。お前のも落とさねえように呪いをかけてやろうか?」
「それは良い考えだ。あなたから貰った指輪を落としたら大変だからね」
ガンガディアは指輪をつけた手をマトリフに差し出した。するとマトリフは期待が外れたような顔をして「やっぱ呪いは無しだ」と言った。
「そうなのか? では今から行ってくる」
「おお、そうしろ」
マトリフは言うとまた布団を被ってしまった。今日は寝て過ごす気らしい。
ガンガディアは洞窟を出てルーラで飛び立った。
***
ガンガディアは開いた本を持ってわなわなと震えた。それは人間の風俗について書かれた本で、アバンが貸してくれたものだった。
「……つまり、左手の薬指に指輪をするということは、婚姻を意味するということか?」
「ええ。そうなんです」
アバンは小さく頷いて、聡明で慈悲深い眼差しをガンガディアに向けた。
「多くの地域では指輪を贈ることはプロポーズの意味がありまして、つまりあなたがした行為を、マトリフはそう受け取ったのだと思います」
「私はなんてことを……」
指輪を贈ることが結婚の申し込みだという風習をガンガディアは知らなかった。ただマトリフの身の安全を守るために、位置特定の呪文がかかった物を贈りたいと思ったのだ。
「マトリフは受け取ってくれたのでしょう?」
「そうだ」
「しかも自分で左手の薬指に指輪をつけた」
「ああ」
「それでマトリフが用意していた指輪を、あなたにプレゼントした」
「その通りだ」
「しかも左手の薬指につけるように言われた」
ガンガディアは頷いて自分の左手の薬指を見る。貰ったときは単純に嬉しいと思ったが、今はどう感じていいかわからなかった。
「側から見れば、お互いにプロポーズし合ってるようですよね」
「しかし私はそんなつもりでは」
「おや、あなたはマトリフのことを愛しているのかと」
「何故それを!?」
「見ていればわかります。それに、たぶんみんな知ってます」
「みんな知っているのかね!?」
「マトリフと結婚するのは嫌ですか?」
「大魔道士の意思はどうなる!? 私となんて結婚したいと思うはずがない!」
「ここまでされてまだそんなことを言っているんですか? マトリフの意思は明白でしょう?」
「そ、そうなのか?」
「まったくマトリフは。自分で言うのが嫌だからって。こんな説明を私に押し付けたのはベリーバッドですけどね」
言葉とは裏腹にアバンは柔らかい笑みを浮かべた。
「早く帰ってマトリフに言ってやるといいですよ。好きなら好きと素直に言いなさいって」
***
ガンガディアは洞窟に戻るとすぐに寝室へと向かった。マトリフは起きていて寝そべりながら本を広げている。ちらりとこちらを見たが、何も言わずに視線を本へと戻してしまった。
「手を出してくれ」
ガンガディアが言うとマトリフは右手を出した。
「違う。こちらの手だ」
ガンガディアはマトリフの左手を取る。ガンガディアはマトリフの手に手を重ねると呪いを祓う呪文を唱えた。マトリフは不服そうにガンガディアの手を見ている。
「指輪の呪いは解けた。これでいつでも外せる」
ガンガディアは手を重ねたままマトリフを見つめる。マトリフはガンガディアに視線を向けないまま口の端を歪めた。
「外してほしいか」
「あなたが決めることだ」
「なんで呪いを解いちまうんだよ。外せねえって言い訳出来ねえじゃねえか」
「もしあなたに私を思う気持ちがあるなら、あなたの意思でその指輪をつけていて欲しい」
「意味わかって言ってんのか? ちゃんとアバンに教わってきたか?」
「説明を押し付けるなと言っていた」
「あいつは家庭教師だぞ。教えるのが本業だ」
「あなたの気持ちはあなたから聞きたい」
「お前こそ、指輪を贈る意味はわかったんだろ。呪いは解けたんだ。オレからこの指輪を取り返さなくていいのか?」
「私は……」
ガンガディアは言葉に詰まった。アバンはマトリフの気持ちは明白だと言ったが、ガンガディアには信じられない。己が醜いことはわかっている。だから愛されるはずなどない。
「たとえあなたが私を愛していなくても、私はあなたを愛している」
「前半はいらねえんだよ」
マトリフはつまらなさそうに言ってガンガディアを見た。
「オレがお前を愛してるかどうかを、お前が決めてんじゃねえよ。オレは自分の気持ちくらいわかってんだよ」
マトリフは捲し立てると左手をガンガディアの眼前に突きつけた。
「いいか、この指輪は呪いなんてなくても外さねえ」
「大魔道士」
「だからオレが死ぬまで一緒にいてくれ」
「わかった。あなたとずっと一緒にいると誓う」
マトリフはガンガディアの左手に自分の左手を重ねた。
「じゃあ誓いの口付けだな」
「誓いの口付け?」
「そこまで教わってこなかったか。じゃあ目を瞑って待ってな」
ガンガディアは言われたとおり目を瞑る。するとマトリフが近づく気配がして、口に柔らかいものが触れた。それはすぐに離れていく。
「もう目を開けても?」
「いいぞ」
ガンガディアは目を開いてマトリフを見た。わずかに頬を赤らめているマトリフがガンガディアを見上げている。
「今度は目を開けたまましても構わないかね」
「は?」
「あなたを見ながら口付けたい」
ガンガディアはマトリフの頬に手を添えた。マトリフは目を見開いて視線を彷徨わせている。
「さ、さっさとやれよ」
だんだんと顔を赤くして俯いていくマトリフに、ガンガディアはそっと口付けた。