淫魔パロのクリテメお腹がぐるぐると疼く。これが空腹ということだろうか。
ぱたぱたと羽根を忙しなく動かしながらテメノスは空を飛ぶ。
テメノスは人ならざるもので、いわゆる淫魔である。淫魔の主な食事は若い男性の精液だ。テメノス自身も男性型の淫魔であるが、精液が食事なのだ。なぜだかそういう風になっている。
食事の摂取方法にはいくつか種類がある。端的に言うと下の口から摂取する方法と上の口から摂取する方法らしい。
下の口から摂取する方法というのは、人間同士でいう性行為いわゆるセックスというものらしい。テメノスはそれを書物でしか読んだことがなかった。(そもそも口が二つある、というのもよく分からない。)直接的に摂取するのが一番効率がいいという。
しかしながらテメノスはその方法をしたことがなかった。彼の食事方法は家族同然に育った同じく淫魔のロイから教わったものである。
『いいかい、テメノス。こっそりと人間の家に忍び込むんだ。決して見つかってはいけないよ。そしてできるだけ若い男が眠る部屋を探して。そこのベッドの傍にきっとあるはずだから。白い液体が。甘いそれを飲めばお腹いっぱいになるからね』
見つからないときはロイにお願いして、それを探してきてもらって飲むこともあった。
精液とは甘いものだ。それさえ飲めばテメノスはお腹いっぱいになって満足した。
しかし、今日は違う。なぜだかお腹のあたりがむずむずと疼くし、お腹も空いている。テメノスは自身のお腹をそっと撫でた。今日はいつもと違う街へと出かけてみようか。
*
クリックは聖堂協会に属する聖堂騎士である。ここ最近、淫魔が出るなんていう聖堂騎士の間でまことしやかに流れている噂がある。そんな時に、淫魔に対する伝統的な対策方法をオルトから教わった。
『コップに一杯のミルクを枕元に置いておくんだ』
そうすると、淫魔はそれを精子だと勘違いしてそれで満足して帰るらしい。我が友は物知りだなと感心しつつ、淫魔って意外と抜けているんだなとそんなことを考えながらそっとベッドの傍にミルクを置いてその日は眠ることにした。
「…ん?」
なにかの気配を感じて目を覚ます。曲者だろうか。クリックが住むのは聖堂騎士の宿舎である。こんなところに忍び込む命知らずがいるとは考えにくい。
クリックはベッドの上でそっと息をひそめる。
気配は窓からやってきたようだ。静かに部屋の中に入ってくると、クリックの様子を伺っている。しばらくすると、気配が止まる。クリックはベッドからそっとそちらを見る。暗闇にだんだんと目が慣れてきたのか侵入者の輪郭がおぼろげながらに把握できてきた。
(人…? でもこれは魔力の気配。頭には、角?)
悪魔の類だろうか。剣は手の届くところにある。クリックは覚悟を決める。
「誰だっ!キサマっ!!」
「あっ!」
ベッドから立ち上がり、手にもっと剣の切っ先を向ける。
その瞬間、風が吹き、窓から差し込む月明かりに侵入者が照らされる。クリックの眼に映ったのは月と同じく銀色の髪の、黒い翼を持った美しい生き物だった。
*
「私の名前はテメノスです」
思わず見惚れてしまった。眼前の生き物は律儀にそう名乗る。
手には、クリックが置いていたミルクの入ったコップを持ち、こくこくと美味しそうに飲む。
「お腹があんまり空いたので食事に来たのです。しかし、人間に見つかってしまうとは厄介ですね」
さて、どうしましょうかと目の前のテメノスはそうつぶやく。どうしましょうかと言う割にはちっとも困ってなさそうではあるし、まだミルクをこくこくと飲んでいる。
「あ、貴方は淫魔なのですか?」
「おや、きみ淫魔を知っているの? なら話は早い。そうですよ。食事に来ました」
両手で持っていた飲み干したミルクのコップをことりとベッドサイドのテーブルに置いてごちそうさまでした、と淫魔のテメノスは笑う。
「君の精子、甘くてとっても美味しかったですよ」
「い、淫魔ってことは! あれでしょう!! 若い男のせ、せーしをその、飲んだり、あれしたり…そうして、人を惑わして堕落させたりするんでしょ! そういうのにぼ、僕は惑わされませんからね!! お腹のところに淫紋とかえっちな印があったりするんでしょ! いくらあなたが淫魔のくせに美しかったり、綺麗だったり、(ただのミルクを精子と勘違いして)かわいかったりしても!」
「なにを早口で、真っ赤になりながら言っているんですか」
落ち着いてください、と呆れながらテメノスは言う。
「私は、他の淫魔より少食なようでして。君のコップ一杯のミルクで十分ですから。君の言う通り、君のような若い男の精子を飲んだりしますが惑わせたり、は心外ですねぇ。必要なときしかしませんよ」
ぱたぱた羽根を震わせて、テメノスはクリックに近づいてくる。
「普段は見つからないようにこっそり食事をするだけなんですが…。君には見られてしまったのでどうしましょう」
指先をクリックの顎にすい、と触れる。クリックは淫魔の爪の先が黒いことに気付く。
「惑わせて堕落、させてしまいましょうか? あなたの精子を搾り取って、廃人同様にしてしまいましょう」
ちらりと唇から赤い舌を覗かせて、蠱惑的にテメノスが微笑む。そっとテメノスが自身の腹を撫でる。すると、そこの部分に覆われていた布が、消える。そこにはテメノスの臍が見え、その上あたりに紋様があった。
「そ、それは…!」
「見えますか?」
「淫紋ってやつですね…」
は、破廉恥ですと目を手で覆いながらもその隙間からしっかりと見てしまう。うぅ、これも淫魔の魔力というものか、淫魔恐るべし。
「淫紋? いや、何かよく私は分からないのですけれどもね。ロイからはあまり人にみだりに見せるものではないし、お腹を冷やしてはいけないから普段はこうして隠してるんですけど。君、なんだか見たそうだったので」
思わずそこに手を伸ばして、触れてみる。
「ちょ、ちょっと。お触りは禁止です」
えっちな子羊くんですね! とぴしゃりとテメノスに叱られる。
「こ、子羊!? 僕にはクリックという立派な名前があるんですからね」
「ふふ、そうですか。ではクリックくん。私と取引しませんか?」
「取引?」
「えぇ。貴方の精子、とっても甘くておいしかったのでまた頂きたいと思いまして。惑わして、堕落して殺してしまうには惜しい味でした」
「え、っと…それは……」
ただのミルクだったんだけれどもな…。
「なに、私は下品なことは好みません。今日みたいにコップに入れて置いていてくださるだけで結構です。そうすればあなたを惑わしたり堕落させたりはしませんから」
「それは僕にメリットはあるのですか?」
「もちろん、クリックくんが望むなら少しぐらいならお触りさせてあげますよ」
「……僕も死にたくはありませんからね。お願いします」
「随分とは食い気味に来ますね、君。まぁ私としても好都合です。よろしくお願いします」
本当はテメノスにとって、相手の精子を搾り取って殺してしまうのにはかなりの体力を消耗することになり、端的に言えば極めて面倒なのでやりたくはなかった。だからといって自分の存在を認識した人間を野放しにするには不安があったので、このような取引を持ち掛けたのであった。
こうして、淫魔のテメノスとクリックの奇妙な契約が始まった。
ひとまずはクリックが定期的に枕元に高いミルクを置いておき、それを彼が飲んでいくのを見守るだけであったが。
初めて本物の精子を飲んでその苦さに、テメノスが怒るのであるがそれはまだまだ先の話であった。
おしまい
*
おまけ
「て、テメノスさん! なんでそんな、神官がするような法衣なんて着てるんですか! 淫魔のくせに!!!! 破廉恥ですよ!!!」
「だって、君はこっちの方が好きかと思って」
「ぐぬぬ…」