恋愛相談(ヒカテメ)「好いた相手を振り向いてもらえない?」
相談があると、いつにも増して真剣な表情のヒカリが持ちかけてきたのは恋愛相談であった。
私に恋愛相談とは人選を間違えている気がしないでもないですが、これでも神官の端くれですし、人生の先輩として悩みぐらいは聞きましょう。
酒場の席で向かい合って座る。周りは銘々酔った客だらけで喧騒が心地よい。
少しばかり他人に聞いてほしくないお喋りをするにはちょうど良い場所だろう。
この席には酒は相応しくないと、珈琲を頼む。ここの主人が淹れる珈琲は、酒場であるにも関わらず絶品なのである。
「えぇ、と、それで……?」
ヒカリの話を聞き出してみる。
いわく、彼には好いた相手がいると言うがその相手はまったくヒカリのことが眼中にないのだと言う。自分は魅力がないのだろうかとヒカリは悩んでいた。
「大丈夫。ヒカリは魅力的だと思いますよ。同性の私から見ても、ね」
珈琲の香りを楽しみ、味を堪能してひとくち。カップをことりと置く。
あなたは優しいですし、強いですし、真面目で、礼儀正しく、勤勉で……。
ヒカリの良いところを思い浮かべてはつらつらと、指折り数えては並べていく。短い付き合いの私でさえ、これぐらい出てくるのだ。
「ヒカリ? 顔が赤いですよ。暑いのですか? お水頼みます?」
私の問いかけにヒカリは大丈夫だ答える。
えぇ、と……。じゃあ続けましょうか。
「えぇ。優しいですよ、あなたは。この前、私の買い出し当番のときに一緒に着いてきてくれて、荷物までまとめて持ってくれましたよね。それに、道が悪いときは私にさり気なく、手を差し伸べてくれました。有り難くその手をお借りしまして、悪い道が終わってもあなたに甘えてそのまま手を借りたまま歩いていて、ほんの少し恥ずかしくはありましたが……そう悪いものではなかったです」
ヒカリは紳士的だ。本当に。
思い出しながらそう言うと、誰にでもそういうわけじゃないと首を振られた。
「でも、ヒカリはよく滞在先の子どもたちに稽古をつけてあげたり、住民の手伝いもしてるでしょう? 人に親切にするのは当たり前のことと、あなたは言いますがそれを当たり前だと言える人は稀有なんですよ」
「それに、物腰柔らかくて礼儀正しいですし…。子どもたちと接するときにだって、目線を合わせてあげているでしょう。そうそう! この前女の子があなたのことを王子様みたいだって、目を輝かせて……こほん。失礼。これはあの子とのナイショのお話でした」
ヒカリに花束を贈っていた女の子はいつかお姫様になるのが夢だと語っていた。そしてヒカリのことを王子様のようだと目をきらきらさせていたのだ。
『ねぇ、神官さまもそう思うでしょう? 王子様、素敵だなって』
私にこっそり耳打ちしてきた女の子に、私もそう思うとこっそり教えてあげた。
きっと、初恋泥棒というやつだろう。まったく罪なお人だ。
そう言えば、その子の仲良しの男の子にヒカリは決闘申し込まれていた。ちゃんとヒカリはそれを受けてあげ、手加減をしつつもきっちりと負かしていた。
「子どもから決闘申し込まれたのは嫌われていたからじゃないかって? ……そうは思いませんよ。でも、私の口からはなんとも」
その男の子は、その女の子のことが大好きだったみたいですけれども。決闘のあとに、怪我した男の子を手当てしてあげている女の子を見たので大丈夫かと思いますが。
「誰に対しても礼儀正しくて……。ふふ、それにあなたはそこらにいる猫にすら丁寧に接しているじゃないですか」
思わず笑いがこみ上げる。前に見かけたヒカリが真面目な顔して、馬鹿みたく丁寧に、膝に乗ってしまった猫に「申し訳ないがそこを退いてくれないだろうか」と困ったように接しているのを。
「見ていたのかって? あの猫、迷い猫だったみたいでして。探してたところにちょうどあなたのお膝にいたもんで。ちゃんと助けてあげたでしょう? でもまぁ、ふふっ暫く面白くて眺めてたのは事実ですが…」
以前に、パルテティオから普段と違った一面が見えると人はそこに惹かれるという。商売のコツとかなんとか。
ぎゃっぷもえ、というやつらしい。私には分かりませんがね。
「所作も美しいですし、品があるというか……。私も、ですか? ふふ、ありがとうございます」
丁寧に礼を言われた後に、こちらまで褒められてしまった。きっと、こういうところがヒカリの良いところだ。
ヒカリの育ってきた環境や生まれがそうさせているのかもしれないが、内面から滲み出るそれは一朝一夕で身につくものではなかろう。前に同室のときに見た、道具の手入れすら、絵になっている。
「腕も立ちますしね。とっても強いです」
仕事柄、騎士という人間には何人も会ってきたがヒカリの振るう剣は騎士である彼らとはまた違う。雄々しくて、勇ましい。
戦闘中の真剣な眼差し、あれもヒカリの魅力のひとつだ。その想い人が見ることはないのかもしれないが。
前に披露してくれた剣舞。剣とは恐ろしくもあるのに、神々しいものだと改めて思い出した。神の剣とは違う。神に捧げる剣なのだろうか、なんて。
「ヒカリにたくさん良いところがありますよ。だからきっと、大丈夫」
私に大丈夫と言われたところでなんの解決にもならないのかもしれない。私にとってヒカリには数え切れないほど良いところがあり、魅力的なのは重々承知だがそれがヒカリの想い人にとっても同じだという保証なんてない。
でも、きっとヒカリだって分かっているのだろう。ヒカリ自身が動かなければなにも始まらないことを。ただ自信がなくなっているだけ。
迷える羊を導くのは神官である私の仕事だ。
「あなたに好かれる人はきっと、幸せでしょう」
それにしても、こんな素敵な彼に気づかないなんて、随分と見る目のないお嬢さんだと口にしようとしてやめた。
誰だって好いた相手のことを悪く言われるのは嫌だろう。
でも、とヒカリが弱々しくつぶやく。
口説いても気づかれないの、だと。
あぁ、それはなんとなく分かってしまった。
「あなたは常から真っ直ぐすぎる言葉を相手へと贈る人ですからね。誰にでも、なんて言い方は悪いかもしれませんが普段の他者へと言動と変わらない言葉をその好いた相手へ贈るが故に、それを口説き文句だと捉えられてないのでは?」
だって、ヒカリは私にだってそんな言葉をくれる。
『テメノスは眩しいな』
祈りを捧げる所作を美しいと。私の隣で眩そうに目を細める。他意もない、心からの真摯な言葉。祈りというものを知らなかったとヒカリは言う。そして神というものがいるのならば、そなたのように眩く美しく、清らかなものなのだろうとそうまっすぐに言われた。
ひどく心がざわめいたのを覚えている。
『まるでテメノスの瞳の色のようだ』
そう言われて贈られたぴかぴかした翡翠の石のついた加護のお守り。光に翳すと美しく反射して、ヒカリの目には私がこのように映ってるのかと、気恥ずかしくもあり、誇らしくさえ思えた。
あぁ、しまった。心なしかヒカリの顔色が悪くなったように見えた。話題を変えねば。
相手はどんな人かと尋ねると年上の人だと。
贈り物をしたり、自分なりにアプローチをしていたと言うがそれが通じていなかったのかもしれぬ、とヒカリはひどく暗い声だ。
どうしよう。話題は変わらなかった。
あぁ、そうだ。ぱちん、と手を打つ。
前にソローネくんから教えてもらった。酒の席で聞いた話。
「相手をじっと、見つめて。唇のひとつやふたつ奪ってみれば、相手なんか簡単に落ちるって…」
なーんて、ね。と冗談めかして言えばヒカリが立ち上がる。
彼は真面目に相談してくれているのに、こんな冗談は嫌いだったのかもしれない。謝ろうとすれば伸びてきた手が私の顎をとらえる。
顔が近い。
目を閉じるのも忘れた。いや、閉じる間なんてなかった。
気がつけば唇の端に柔らかな感触。音が消える。
離れていった途端に周囲の喧騒が耳に届く。
「落ちて、くれたか?」
ヒカリに唇を奪われた。
そういえば、彼の魅力にその見目の麗しさをあげるのを忘れていたな。麗しい見目の青年の顔が間近にあり、私だけを見つめてくるのだ。
「あの、」
自身の唇に思わず触れる。……夢ではないみたいだ。
恋は落ちるものなんて誰が言ったか。
「もしかしなくても…」
「俺が好きなのは、そなただ。テメノス」
好きだ、と告げられる。
じわじわと体中に熱が集まってくる。きっと、今の私はひどく真っ赤な顔をしているに違いない。
彼の魅力に気づかないなんて、どんな見る目のないお嬢さんどころか、とんだ鈍感な野郎だ。
「ヒカリ、その……」
彼の手が私に触れる。冷たい手をしていた。そして震えてもいる。
緊張していたのかと、気づく。手から伝わる鼓動の速さ。ふと、なにか温かなものが胸を占める。ぎゃっぷもえ、というやつかもしれない、なんて。
「ありがとうございます」
触れられた手を包みこんでやる。ありったけの愛を込めて。ヒカリに想われる人は幸せだろうと思ったがその通りだ。私は幸せものだ。
「キス、生まれて初めてだったんです」
唇、奪われちゃいましたので。だから、ヒカリ。
「もう一度、お願いします」
もう、落ちてしまってますけどねと言った言葉はゆっくりと近づいてきた唇に吸い込まれていった。