夜が明けるまで(ヒカテメ)ひんやり、と。剥き出しになった肌に、冷たい空気が纏わりつく。瞼を緩慢に開けると静謐な空間が広がる。夜半はとうに過ぎ去り、かといって朝というには早すぎる。夜明けはまだ遠い。
ク国といえど、夜は冷える。寝返りをうった拍子にずれてしまった毛布を掛けなおしてやれば、隣に眠る男が目を開く。
「起こしてしまいましたか?」
「……ん、いや…。眠れぬのか?」
「目が覚めちゃいまして…」
冷えたか? とこちらを慮り、ヒカリがテメノスの体を抱き寄せた。身体を重ね、肌を合わせた後の夜。あれほど互いに熱を分け合い、高め合った後のせいか、なんとなく寒く感じられた。
「あなたは、温かいですね」
私より、温かいですとテメノスが掌を合わせる。テメノスの指先は冷たく、裸足の足をヒカリに絡めてやる。
「そなたの体温は低いのだな」
「生まれた場所のせいか、体質ですかね」
テメノスの手を掴んだヒカリはほぉ、とその指先に息を吹きかけて温めてやる。室内だというのに吐いた息は少し白く濁る。
「掌が熱いと心が冷たい、なんて言いますがそれは迷信ですね」
掴まれた手と手。掌を合わせて指先を絡める。
「だってヒカリはこんなにも温かくて、同じくらい心も温かいのですから」
「……自分の体温が温かいのだと知ったのはそれを分け合う相手ができたからだ」
そなたのおかげだ、とヒカリは笑う。穏やかで静かな、冷えるけれども、温かなこの時間。
これが幸せということかもしれない。
寝台は大の男が二人寝ていても広すぎるぐらいだ。天蓋付きの、ふたりきりの空間でテメノスは目を閉じてヒカリにぴとりと身体を寄せる。
とくんとくんと鼓動が響く。二人の音が重なっていく。
「まるで、世界にふたりきりのようだ…」
ぼんやりした声色でヒカリがつぶやいた。
「そなたといつまでもこうしていたい。ずっと…」
ヒカリはぐりぐりと、頭をテメノスに寄せる。まるで大型犬のような、その動きにテメノスは笑いながらも髪に指を差し入れて撫でてやる。
艷やかな王の髪からはかすかに香油が薫る。
「テメノス、次に会えるのはいつだ」
「いつ、でしょうね……」
王となったヒカリとそれなりの立場となったテメノス。互いの職務のために未だ一緒になるというのは難しい。
「ずっと一緒にいられればよいのに……」
「ねぇ、ヒカリ」
あなたには背負うべきものがたくさんある。あなたを私だけのものにしたい、だなんてそんな贅沢も我儘も言いません。
「そんな、こと……」
違う、と首を振るヒカリに違いません、とテメノスは言い含めるようにゆっくりとつぶやく。
「いつかあなたが大事にしているもの。例えば国や民や友、それと私を天秤に掛ける日が来る、かもしれない」
「そうなっても、俺は両方を、全てを大事にしたい」
どちらか、なんて。選べはしないとヒカリは真っすぐに伝えてくれる。
「えぇ、あなたならそうするでしょう。それが、できる人だと思います。でも、本当にどちらかだけしか選べないとしたら? 王となれば個人の感情だけで動くこともできないでしょう。そうなればあなたならきっと私を選ばない。もちろん、私もそれを受け入れます」
どちらも大事にしたいと願い、でもきっとどちらかとなれば、私を選ばない。
「そんなあなただから、ヒカリだから。私は、あなたを好きになったのです」
でも、ひとつだけ許されるのなら。
「私はあなたのものです」
あなたは私のものだけにならないけど、私はあなたのものですよ。
「テメノス」
そなたは酷い男だ。俺には自分だけのものにはならないというくせに、自分は俺のものになると。
「そう言ってくれても、そなたは神に仕える身ではないか?」
「私は神に仕えてはいますが、この身を神に捧げたわけではありませんよ」
私があなたに差し出せるものなんて、ほんの少ししかありはしません。
この身と心と、それだけです。
「あなたが飽いて、いらないと言うその日まで。私が差し出せる欠片のようなものでも、私があなたに渡せるものなら、なんでも。差し上げます」
「俺が、そなたに飽く日など来るはずも無かろう」
少し唇を尖らせて拗ねたようにヒカリが、テメノスの頬を両手で挟む。そのどこか子ども染みた仕草が少しおかしく思えた。
「ふふ、ごめんなさい」
ぱっと、手が離される。その後、ヒカリがテメノスを包み込む。
「今も、これからも、テメノスは俺のものだ。……そして、今だけ…。夜が明けるまではただの男として、王ではなく、ただのヒカリとして…。俺をそなたのものに、そなただけのものしてもらえぬか?」
「……いいの?」
ぽろ、と思わず声が漏れ出る。
「あぁ」
掌を合わせる。頬を撫ぜ、耳に触れる。擽ったそうに目を細める彼の眦に唇を落とす。
ひとりとひとり。ふたりきり。
ひとつに溶け合えれば、互いを互いだけのものにできるのに。
でも…あぁ、そうするとこうやって触れ合ったりもできなくなってしまう。
「ん、テメノスは愛いな……」
口から零れ落ちた世迷い言のような願望をヒカリが唇で受け止める。
「そなたは欲のない男だ」
「私が?」
「そうだ。俺としては、嘘でもいいから『あなたを私だけのものにしたい』と、請うて欲しい気もするが……」
「うそつきは、いけないんですよ?」
「知っている。嘘でも、それが言えないそなただから、好きだとも思える」
「私は、欲張りですよ。ひどく、ね」
私は我儘だ。私をあなたのものにして欲しいと願っている。私も知らない私でさえ、あなたに知ってほしいと思っている。
ヒカリの心に多く占めるものがあると知りながらも、それでも自分の、一片をほんの少しでもヒカリのものにして欲しいと。勝手に私はあなたのものだと。これが欲張りで我儘な傲慢な願いでないと、どうして言える? なのに、この腕の中にいる間だけあなたが私のものになることに歓喜している。私しか、私だけしか知らないヒカリ。私だけのヒカリ。
くくく、と喉を鳴らしてヒカリが笑う。
「そういうところが、いじらしくてひどく愛らしい」
耳を食まれる。柔らかな刺激がくすぐったい。舌先で、首筋に温かな感触とちりりとした微かな痛み。きっと紅い痕がついていることだろう。唇が、頬に触れる。ちゅ、と小さな音がして最後に唇。甘く、甘い。
「そなたが欲張りなら、俺も大層な欲張りになってしまうな」
俺の、テメノス。低く甘い声が耳元で囁かれる。
慈しみ、愛おしまれる。触れ合うところから、甘やかな感情が流れて、溢れて溶けていく。
「テメノス」
「ヒカリ」
私の、ヒカリ。互いの名を呼び合い、折り重なり合う。体温が移り行く。
夜明けにはまだ遠い。